蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

お出かけします

2012年10月29日 | 安曇野を離れて
老母の生活が落ち着き、退院後1ケ月の手術部位経過のレントゲンも問題なし・・・
というわけで、留守を夫に任せてちょっと長旅にでかけます。

14年お手伝いをしてきた「サールナート法輪精舎」のご住職が、最後の日本旅行というかおそらく
最後になるであろう帰国をされる



インド・サールナートの遺跡公園で出会ってから18年。ちょっと生臭さのあるワイルドなお坊様でした。
まぁ80歳を目前にした昨今では、ひと皮むけて普通のおじいちゃんに脱皮しておられますが・・・
ひと皮むけたところを期に、学校経営の第一線を退き隠居生活に入るとお知らせがあり、実現した旅行です。

現地事務所を開設した支援団体が潰れたり、横領騒ぎが頻繁だった時代があり、細々とした活動だったが
会員はすべて旅行中のサールナートで住職に出会って入会された方ばかり。
その住職の学校建設・運営に賛同し、帰国後に寄付としてお寄せくださった資金を管理し、現地へ直接届けるまたはご住職本人へ銀行送金する手段をとっていたので、スムーズに安全にシンプル支援ができた。

おそらく区切りとして組織的な活動/ホームページ運営・ニュースレター発行といったことは終わるでしょう。

私の役目も終わります。
2003年に連日夜なべ奮闘して立ち上げたホームページは拙いながら、年配の会員さんは字が大きくて読みやすい、現地報告が画像で見えるので分かりやすいと、ほんの一部からおほめ頂いた。

住職の高齢化は会員と私の高齢化でもある。
よい潮時と思う。

無事にお供を務めてきます。
11月13日ころまで概ねブログもお休み。ネタ・時間・気力があればポチポチと。
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経過良好

2012年10月28日 | 介助ときどき日誌
リンゴがたわわに。
枝を低くし作業しやすくする栽培方法ではないので、天に向かってノビノビと・・・
  10月27日撮影

「退院後1ケ月頃に、左大腿部のレントゲンを撮ってください」と主治医から通告されて退院した。

10月24日
リハビリ科のある病院へ。初診手続きも事務局の協力でスムーズかつ早急に完了。
2番目のはずだがなかなか呼び出しがかからない。

どうもリピート患者さんが次々と入室しているようだ。
先生と面談する患者の2番目だったのです。

レントゲン結果もデジタル化のようで、時間をあけてやっと呼ばれフィルムを眺め説明を聞くスタイルではない。

先生はパソコンに入力しながら話されるので、母の顔を殆どみていない。

「はい問題ないですよ」
「次は右脚を骨折する確率が高いから、気をつけてください」と注意があり終了した。

”注意”より”なんもなかった!”に力点をおく彼女に、室内履のかかとを踏んでスリッパにしないよう強く注意するのは、いつも私の役目です。

今後の決め台詞は「こ状況での次の骨折にはお付き合い致しかねます!」にしよう。

早く終わったので青空のなか東山方面にドライブし、上條さんでおそばを頂き、リンゴ農園の傍を通り過ぎて帰りました。

この日は前夜から冷え込み、北アルプスが美しく雪化粧。
勿論初めて見る山々に母は嬉しそうだった。

空よ山よ林よ田んぼよ畑よ・・・ありがとう
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新生活

2012年10月20日 | 介助ときどき日誌
母はそれなりにホーム生活を愉しむようになってきた。

お出かけ前のすまし顔。籠の鳥では老けこみそうなので、いや充分老けてはいるが活性化のため、買い物に連れ出す。



私はさっぱりダメだが、父の遺した預金を母はわずかながらも運用管理していた。

元気な頃は一人で生活全般にわたり工夫し無駄なく生きてきたことが、今回の転居作業から読める。

しかしまあ一人の転居といえども、いろいろ大変である。
例えば大阪での生活基盤としていた銀行が都市銀行であり、安曇野市にはないので松本市や長野市まで出かけることになる。

ホームでは大きな現金や重要なものは部屋に置かないのが原則。
住所変更など各種事務手続きが済むと、コピーしてコレコレシカジカ完了!と報告する。
まだしっかりしているので手ぬかりなく処理しないと、質問がとんで来るのである。

こうして無事転入し10月1日安曇野市民となり、


地元の銀行に口座開設をし最近になって新聞も取り始めた。

室内をカスタマイズする余裕すらあり、ひと安心の日々となってきた。
住めば都か・・・







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いま畑は

2012年10月11日 | わいわい農園
老母を安曇野へ迎え、落ち着きを見せているので自身の生活のリズムを整えようともがくが
どうも乗りきれない。

大阪滞在中の最終月の9月は、疲れが出始め昼食夕食を外食傾向になってきていた。
自宅へもどっても体がキッチンにフィットしない。
つまり食事の用意が進まないのだ。

なら畑へ行って活力をもらおうじゃないか・・・

元気のないナス。でも最後までキチンと頂きましょう。


6月上旬ころに植えたサツマイモの苗は、肥料を1度施して放置していたままだった。
掘ってみたが、やはり・・・・。
茹でたが、繊維が粗く口に残った


ルバーブが繁茂しているが、収穫時期は年2回が望めるというので、寒くなる前に収穫してみよう。

ピーマンと万願寺とうがらしは食べきれないほどの収穫がある。

しょうがは春に植えたが、さっぱり芽が出ないので放置していたら・・・
ひぇ~


掘ってみると、葉に比べて小ぶりだ。


小さいが香りは一丁前なのでしょうがグラッセをつくってみようかな。疲労回復に良いおやつだ。


優等生のトマト
2日あけるとこのくらいの収穫があり、重宝している。


中玉は割れるものもあるが、もう少し頂けそうだ。小粒はピクルスの瓶に放り込むと結構美味しい。
黄色は庭のトマト

大根を植えられなかったのが心残り
たまねぎは間に合いそうなので、景気付けに苗を買うとするか
そうだ、なっちゃんと苗を分ける約束だった!

余談
8日の夕方、気分転換に松本文化会館へ加藤登紀子さんのコンサートへ出かけた。
第一部では鎌田實さんとの対談があり、おふたりとも早くから福島に入り特に子ども達の内部被ばくと今後の健康について深く心配されていた。
鎌田さんはチェリノブイリ支援と診療ボランティアの経験を交えスクリーンによるプレゼンで詳しく説明されました。
そのなかで「出来るだけ新鮮で農薬のない野菜を食する」ことの重要姓を説いておられました。

世間の関心が薄れてきた昨今、原発をもう一度考えよう

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ようこそ

2012年10月02日 | 介助ときどき日誌
外出先の夫から届いた本日の松本城



9月30日
89歳で転居することになった母は、京都駅9時25分発の”しなの9号”で新しい旅立ちをして安曇野市民になりました。

リハビリが始まった当初から、自宅へ戻り以前のような気ままな生活を夢みていた。
なんとか歩けるようにはなったが、主治医の先生から
「一人暮らしは無理だねぇ。もうゆっくりしたらどうですか」
と諭され観念した。

見学して気に入った地元のホームへ入居しようと決断したものの、いかんせん長野は遠い。
3ケ月も身近に接していると急に寂しくなったのか、決断をした翌朝私の携帯電話に、
小さな声で「一緒に長野へ行きたい」・・・・熊はもう頭にいないのだな。

予約を入れたり断ったりふた悶着の末、安曇野市内の住宅型老人ホームに落ち着いた。

私ならここで暮らしたいと思える施設から、8月上旬空き情報の連絡があったのを母は断ってしまった。
そして落ち着いた別のホームで、みなさんから歓迎を受けて9月30日の午後入居したというわけ。

旅の疲れもなく、さほど哀しそうでもなく、おそらく「なるようにしかならん」と覚悟したのだろう。
さいわい10畳の個室なので、馴染みのタンスや父のお手製ラックなどを持ち込んだのがよかったのか、
朝焼けの美しさに感動したのか、10月1日は爽やかな顔をしていた。

自宅整理の際いろいろなものを見つけたが、ずいぶんキチンと管理していたのには感心しきり。
見習いたい。
そしてこれからの生活に、つかず離れずそっと寄り添ってゆこう。
私自身の新生活でもある。

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