蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

乾燥の心配は解決の方向へ

2006年01月30日 | 暮らしの積み木
いやはや参りました
加湿器の活躍と深夜室内での物干し、風呂の水を張った状態でドアを開放する・・・などの対策で、
何とか湿度40~50%を維持できるようになった。梁は呼吸困難を克服して湿気を吸収するだろう。
写真解説:カーン、ピリッと快音を鳴らしていた梁だが乾燥が過ぎた。
呼吸しているので問題ないと思っていたが、ちょっと不安だったので対策を講じたというわけです。


ご近所のログハウスもやはり乾燥しすぎるらしい。
湿気の心配で家をダメにするケースもあるのだから、まずまずといったところか。

ところが今度は気温上昇で本日の外気温6℃、屋根の雪と氷が解けてきた。
危ないから2階屋根の氷まじりの雪を長い竹棹でつついたら、ドスンと落ちてきた。



自然と闘っていますが、豪雪被害地の雪崩の心配を思えば・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野の駅シリーズ 安曇追分

2006年01月29日 | 駅&鉄道
しなの鉄道に「信濃追分」がある
移住当初、ある放送局の天気予報のバックに電車が走るのだが、「信濃追分」の看板を背負っている。車両デザインの違いに気づかず「安曇追分なのに何故だう?」と真剣に悩んでいた。
しなの鉄道は観光地として人気のある軽井沢を通る鉄道で、JRではない。
新幹線建設にあたり並行在来線となる軽井沢~篠ノ井間は、新幹線開業時に東日本旅客鉄道株式会社から経営分離されることとなり、第三セクター「しなの鉄道株式会社」が設立され、平成9年10月1日に開業した。
ちなみに信濃追分駅は軽井沢駅からふたつ西の駅です

さて、安曇追分駅
写真左:勿論ホームはひとつ。クラシックな木造ホーム屋根に注目
写真右:駅舎の屋根は赤く洋館風。山麓沿いにある「鐘の鳴る丘の建物がイメージされている
(上記Webサイトは早春賦と同じ方からいただきました。♪を聴きながら是非最後まで読んでください)


大正4年の開業時は「アルプス追分駅」だった。
明治20年代に日本アルプスと命名されたことを受けての駅名だったのか?
なぜか大正8年に安曇追分に変更されている。
またまた余談
「日本アルプス」という名称は、イギリス人冶金技師ウイリアム・ガウランドが「日本案内」という著書の中で紹介したのが最初といわれている。ガウランドは、大阪造幣局寮のお雇い外国人技師として明治5年に来日し、明治11年7月、外国人として初めて槍ヶ岳に登頂した。なお、ウェストンの槍ヶ岳登頂は明治25年であり、日本アルプスの命名者でなく世界に知らしめた紹介者である。日本での登頂山が多く活動地も広く上高地ほか銅像が建っていることも知名度を高くしているのかも。安曇野では須佐渡渓谷(掘金)にあります。

ふたたび安曇追分駅。7時から17時までは駅員がいますが、JR東日本から委託を受けて
穂高町(現安曇野市)から派遣されている職員だそうです。残念ながらサービス精神にはかけます。
「切符・特急券・定期券は是非地元の駅でご購入ください」の掲示板がありました。
南側の道を有明山に向かって行くと、有明山ロードという木立の中を走る。
山麓線にぶつかりとんがり帽子の時計台へ続く


右方向へ上ると中房温泉~北アルプス登山口へとつながります。
学内登山で燕岳へ行ったよと地元の人から聞きます

写真左:有明山へ続く木立のなかの道(2005年春撮影)
写真右:はるかに見える燕岳(雪山)。手前は有明山(2005年初夏撮影)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春賦歌碑と凍ったトイレ

2006年01月27日 | 安曇野とその周辺
風は冷たいが、ピーンと晴天続きです
あづみ野コンサートホールへチケットを受取りに行ってきました
さすが関西人。フレンドリーなオーナーご夫婦でした。
裏から見た建物も美しい


すぐ裏にはわさび畑が広がり穂高川が流れています。
土手の散歩道を歩くこと3分、早春賦歌碑がある。安曇野には「早春賦倶楽部」があり、
春には音楽祭も開催されている
歌碑の裏に寄付者の名がずら~りと明記してあり、安曇野市長の名も。
中に吉丸○○とあったのは、作詞者のお孫さんか縁者の方ではないかな。
おそらくオルゴールの鳴る歌碑は全国でもここだけではないかと思う



早春賦の歌碑は全国に4つあるそうです。作詞者は大分県出身ですが、
大正時代の初めに何度か穂高を訪れ、その風景に感動してこの歌を作った
と伝えられている、とこのサイトに書かれていました(Topページは愉快すぎる!)
ここへジャンプすると「早春賦」の♪が流れてきます。
あぁこれかと納得しますよ、是非。曲を聴きながら記事を書いています

土手をしばらく散歩すると「公衆トイレ(多目的用)」の看板が見えたのでこれ幸いと向かう
写真左:案内標識
写真右:白壁の立派なトイレ(一昨年完成だそうな)
     しかし凍結のため使用を禁ずの張り紙が

トイレの目的はひとつだと思うのだが・・・・・
穂高支所産業観光課に聞くと
「観光客も地元の人も使ってください。女子用トイレは車椅子も対応しています」
という多目的トイレだそうです。「今年は凍(し)みて使えない」凍みるは信州の方言で、
北海道ならしばれる。凍みるからトイレに行きたくなるのに困ったもんだ。
結局ホールへ戻りコーヒー&トイレタイムで30分を過ごして帰りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乾燥の心配 湿度の悩み

2006年01月26日 | 暮らしの積み木
空気が澄んだ朝の散歩道(穂高と松川村の境近辺)
田んぼの雪がタイルを敷いたように残っている



快適に過ごしている我が古民家の湿度にちょっと悩んでいる
昨年末からの寒波以降、床暖房(灯油)と薪ストーブを時間帯で併用しているのだが、
最近リビングルームとキッチンの湿度(室内温度は16~18℃)20~30%にはちょっと
不安であるが、体調はすこぶる良い(お肌ツルツル)ので加湿器は用意していなかった。

ネットで調べると40%~60%がよい、とある。しかし情報不足
赤松の梁の割れ目がやや大きくなってきて、これはいかん!
棟梁と薪ストーブメーカーのアドバイスにより、迷っていた加湿器を購入することに。

量販店でSHARPのハイブリッド式を勧められる。単純明快なボネコ製が欲しかったが、通販では
時間がかかりすぎて背に腹は代えられずでついに決断。うぅ高い!
電気代をおさえられる、水補給がカンタンだし無くなるとランプで教えてくれると
親切だが、
なかなか湿度を上げるのは難しい。イオンは出なくていいからもうすこし早く湿度を上げて・・・
気長に湿らそう・・・。ストーブを休憩させて今夜やっと40%に達する。
木の家と薪ストーブと湿度のことをご存知の方、アドバイスくださ~い。
明日はもっと蒸気を出してみよう。しかし結露は大敵だし・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白鳥写真コンクール

2006年01月24日 | 安曇野とその周辺
「第1回”安曇野の白鳥たち”写真コンテスト」
決して頼まれたわけではありませんが、ダム湖や遊水池で白鳥たちを見た関係で、
お知らせしたくて・・・・しかもフィルム・デジカメ不問、参加費無料というのが嬉しい。
興味のある方はどうぞ

穂高に個人が経営するコンサートホールがあります。
荻原碌山の生家や相馬愛蔵宅を探しているうちに行きつきました
あづみ野コンサートホール
白鳥写真コンクールはこのホールの企画のひとつ。詳細は上記Webを参照してください。
大阪出身の方だということで親近感を覚えたホールです

演奏会ばかりかあれ程好きだった映画館へも足が遠のいていた。
家にいるのが楽しいということもありますが、松本市や長野市まで出てゆくのが
少しおっくうだったので勢い回数が減少する。これはいかん!
重い腰を上げ、本日山形村のアイシティシネマへ走る。流行のシネマコンプレックスである。
「博士の愛した数式」は、画面をひと目見てきっとロケ現場は信州だ!千曲川だ!と直感
エンディングクレジットで大正解、画面から匂いたつ信州に酔い、帰路すぐ近くの農道脇から
見える常念岳や有明山に歓喜する。車で45分も南下した場所なのに・・・・と

写真左:つまり高い建物がないから遠く有明山まで見える  
写真右:ロビーにある黒板に感想をどうぞ、とあるが遠慮がちなコメント(メモ用紙)
     大阪なら嬉々として落書きすることだろう

    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自家製カレンダーと道祖神

2006年01月23日 | 安曇野とその周辺
毎年末にどこかからか頂く卓上カレンダー。今年は縁がなく、やはりないと不便である。
そこで昨年八坂村で購入した八坂村郷土かるた(2005年11月3日掲載記事)の版画を使って自作カレンダーにする。
A4サイズでやや大きいが、書く文字の大きい私にはぴったり!

     縁結び 災厄はらいの 道祖神
  
信州には、特に安曇野にはたくさんの道祖神が道端に鎮座しています
穂高神社発行の「道祖神めぐりMap」が穂高神社・安曇野市役所穂高支所・穂高駅前観光案内所に
ありますが、一部200円。以前は無料でいただけたのに、有料は市になってからか?

春を待ってサイクリングとしゃれて訪ねてください
穂高駅前のレンタサイクルは「ひつじ屋」さんへ。適切な観光アドバイスがいただけます。
勿論マップも販売しています

観光する時間はないが、道祖神は見たい方はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルッ

2006年01月22日 | 安曇野とその周辺
朝6時の気温-6℃が3日連続
掃き忘れた庭の通路が凍ってしまった。中房川もご覧のとおり、氷のカーテンです。
ロシアでは-30℃で町が震えているとニュースは伝える。パキスタンの被災地はどうだろう?
新潟地震被災地や秋山郷の方々はその後いかがですか?



写真左:夏に植えたチェリーベッカーはかずらの仲間なので、冬でも頑張っています
写真右:よく見るとモミジの枝に赤いふくらみがある。これは新芽か?

信州に限らず冬が厳しい地方は、だからこそ春が待ち遠しい。しかし5月上旬までお預けか?・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愉快な俳人

2006年01月20日 | つれづれ思うに
由緒ただしい俳人 松尾芭蕉
アウトロー的俳人 小林一茶
どちらに馴染みますか?
友人は最近芭蕉に関心をもち、俳句入門に踏み出したそうです。
私はどうも一茶のほうが性格に合っているかもしれないと考えていたら、
面白い俳人、俳諧研究家が穂高にやってくるというので、以下講演に参加した報告。

講師 マブソン青眼(男性) 本名ローラン・マブソン
フランス人で日本語で作句する博士、長野市在住。
ぶっちゃけるとめちゃ面白い講義だった。外国人だから手振り身振り豊か、引き込まれ
聞いているうちに持ち時間の1時間20分が終了した。

夢破れ田舎に戻り、笑いを含んだ小動物や子どもや自然を描く一茶を研究している人でした。
《花野ゆく 犬のしつけは フランス語》 青眼
《朧月 故郷なければ どこも旅》    一茶

注目の著書および連載の紹介
「アラビア夜話」ブルーの和紙のような表紙に和とじの本
角川書店の月刊誌『俳句』に連載中の「青眼句日記」が今後単行本に刊行予定
「詩としての俳諧、俳諧としての詩」研究書で難しそう
「一茶と句碑」楽しめそうな本
雑誌「KURA」(信州の地域情報誌)俳句講座連載中

選別俳句集・短編小説集ほか。興味のある方はどうぞ!

「青眼」さんの瞳はグリ-ン。
「白眼視」⇔ 青眼(「訪れた人を歓迎する気持ちを表す眼」が根拠の俳号)と説明があった
当日印象に残った言葉
「旅する人間は上下関係を固定したものとして考えない」 S・ドールズ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野の駅シリーズ 穂高

2006年01月19日 | 駅&鉄道
安曇野を代表する駅といっていいだろう
 穂高駅。外観は穂高神社をイメージした社殿型



ここはすでに標高546メートルあり、北アルプス燕岳・槍ケ岳へ登る表銀座コースの下車駅で、
登山者にはすっかりお馴染みである
ホームから下って改札口へ向かう正面の看板。確かに


駅前に北アルプスの険しさと登頂の喜びを象徴する親子像
写真左:小川大系作(73歳の力作)「登頂」
写真右:背面の銘板。土台は約2メートルくらいあり、ゴツゴツした石の肌が北アルプスの
険しさを表現していると思う


余談だが小川大系は本名を孝義といい有名な荻原碌山の少し後の、穂高出身の彫刻家です
驚いたことに穂高図書館の入口奥に写真作品以外にもたくさん並んでいるではないか!

写真左:天空ヲユク    写真中:水の精    写真右:鱒投網

実際はもっと暗い空間である

職員に聞くと、預かっているが保管場所がなくて・・・。美術館を造る予算もなくて・・・
痛むのではないかと心配である

昨年10月に「暗いなあ、彫刻がもったいない」と撮影したロビー。ここにあったのが大系の作品だったのだ。
左端の親子像は駅前の「登頂」像の習作と思われる



穂高といえば碌山(本名は荻原守衛)、碌山といえば黒光(本名は良)
黒光は新宿中村屋(カレーとパンとかりんとう)の創業者・相馬愛蔵の奥方。
その奥方が田舎の穂高へお嫁入りの際持参した洋画を見た碌山が、触発されて
絵画を志しそして日本近代彫刻の先駆者となった

碌山美術館は穂高駅から徒歩7分、踏み切りのすぐそばにあります
常念岳の険しいゴツゴツとした景色が好きだった碌山の気概を深く反映している
作品がいっぱいあります。Web上から割引入場券入手可。



学校の後輩や町の有志、全国からの寄付によって建てられたと聞いています
本館の壁に碌山の銘「LOVE IS ART. STRUGGLE IS BEAUTY.」(愛こそ芸術 相克が美)
黒光への思慕を表に出さず、礼節をもって接した碌山の最後の作品「女」は、
黒光に似ているという説がある。碌山は30歳の若さで世を去った
写真で見る黒光さんはたしかに魅力的です。
新宿駅の中村屋売店に”黒光まんじゅう”がありました


もうひとつ余談を
同じ穂高出身でやや埋もれた存在だが山本安曇(本名菊一)は碌山の信頼篤く、
碌山作 安曇鋳のブロンズ像2点「女」と「北條虎吉肖像」は当時文部省美術展に
出展しているほどです。
「女」は当時の政府買い上げとなり、東京国立近代美術館に現存しているという。
北野進著「美術史の残照」-碌山と安曇の周辺ー 2004年発行に詳しく記され、光をあてている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野の駅シリーズ 梓橋

2006年01月18日 | 駅&鉄道
安曇野とはどこからどこまでを指すのか?
穂高へ移住して直後からこの疑問をもっていた。当ブログに関連記事があります
自作安曇野圏内の駅(全14駅)をたずねるシリーズ
味のある木造駅舎が多く、この先当分ないとは思うが改築されないうちに記録しておこう。

 梓橋駅
ここは我が棟梁の最寄駅であり、思い出の駅でもある。2004年4月、訪ねたT不動産さんから
駅へ向かう道すがら小林工務店との出会いが、安曇野移住へのきっかけになった。
駅舎に特筆すべきものはないが、ホームにあるこの看板が旅情を誘います


駅やJR東日本で聞いても、いつ誰が建てたのかわかりません
国鉄時代の駅長のアイディアではないかと想像できる

もうひとつの名物
同じホームの北寄りにりんご並木がある。けっこう大きいので何年も前に植えられたものだろう。
今ではJR社員有志「梓橋りんご倶楽部」が大切に育てているという
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする