蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

緊急渡印・出国騒動

2016年11月27日 | 海外旅日記
日本国内なら日程変更は簡単だが、海外はそうはいかない。
後ろ髪を引かれる思いで、バラナシ空港へ送って頂いた。
小坊主も来てくれて、手を重ね『Good Luck』
Sayonara!

エアインディア便22日バラナシ16:50発 デリー18:30着。
乗換え
エアインディア便22日デリー21:15発、成田23日08:00着
と段取り良いチケットだった。

ところが機体不良かシステムトラブルか?デリー行きは飛ばないだと。
オフィスに詰めかける中に日本人男性4人がおり、合流し数の力で担当者に談判するも
ラチが開かない。デリーのエアインディアへいってくれと。

結局バラナシ16:50発はなし。代替フライトも絶望。
当然デリー21:15発成田行きもない。

その後1名の男性も加わり、深夜まで彼らと話ながら提供された夕食を頂き、
23日明け方のやっとデリー空港に到着。

その後のフライトは各人様々なので、それぞれの道を歩み始めた。
私はエアインディアのオフィスで成田行きの対応を粘る。
この粘りは大切だ。引いたら負け。
代替フライトだけでなく、ホテル1室と朝食&昼食、空港間のタクシー送迎・・・を獲得
フライトは「JAL 22:20発 成田24日07:20着。
ちゃっかりJALのマイレージも付けたもんね。
しかも携帯電話に記録している会員番号の提示でね。ラッキー!

丸1日遅れたことになる。
ところがANAで成田へ向かう青年は、どうしてもエアインディア側がダメというのである。
スマホに記録しているe-チケットを見せてもNO。
がんこ親父め!と悪態ついても、
結局マイレージを貯めた特典チケットだったから、代替フライトは無理だったのだ。

私をエスコートしてくれた方だったので立ち去りがたくも
お別れした。
後で自前のチケットでホテルの斡旋もなく、帰国するとメールを頂いた。

彼らは学生ではなく一般社会人の若者でした。
食事をしながら又は時間待ちの椅子席で、
仕事の話やデリーの町でだまされた話、アメリカで起業した話など私は聞き役だったが
思わぬ異業種交流の場となりました。

インドが嫌いにならず、また来てくれるといいな。







  
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緊急渡印・お見舞い

2016年11月26日 | 海外旅日記
寝たきりの病院では24時間付き添いが必要なため、お寺の小坊主4人が交代で常駐し世話をしていました。
バラナシに到着して2日後の夜、ご住職は退院してお寺の自室に戻られました。

小坊主たちに折り鶴を渡すと、彼らも見様見真似で古新聞紙で大きな鶴を折っていました。
すると細い針金とマッチの軸でぶら下げようと提案して来た。

ゆらゆら揺れる鶴を見つめるご住職


褥瘡がひどくて、確か1日おきに体の清拭と褥瘡の手当に看護士が来ていました。
眠っているときは呼吸に合わせたようにタンがからまり、辛そうでした。

話しかけるとうなづく程度となり、
間もなくタンのからまりがなくなり、
『ミズ』の要求も少なくなり
『さむいさむい』とうわごとのように囁かれるように。
足をさすると少し冷たくなってきていました。覚悟の時がきたな。

帰国までの2日間は、小坊主や留守番の人(日本語が分からない)がいない時に、
お里帰りの旅の話や、富士山と紅葉の写真を見てもらったり・・・・
唱歌ふるさとを出身地土浦バージョンで歌ったり、

『もう頑張らなくてもいいんですよ、私と一緒に土浦へ帰りましょ』

22日夕刻、バラナシを離れデリーへ向いました。

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緊急渡印・入国

2016年11月26日 | 海外旅日記
緊急には予想外のトラブルがつきもの。

初体験の「アライバル ビザ Visa On Arraival」日本人旅行者のみ適用のサービス。
受付カウンターに担当者が来ない。
本日の申請者は4人。1番乗りの私。
30分は待っただろうか?
提出書類はパスした!写真2枚は必要なかった

支払いは2000ルピーや日本円やドルでもOKのはずだが、クレジットのみ。
そうか先日発表の高額紙幣入れ替え作戦の影響かな?
再度申請窓口へ戻り、支払いが証明されると初めてパスポートにスタンプ。

1ケ月間有効である。

手続きを終え、バゲッジを取りにターンテーブルに行くと見当たらない。
荷物預かり所に保管されていた。

教訓1.預け荷物タグは絶対紛失しないこと
教訓2.スタンプされたページを覚えておくこと。いつものビザとちがうので、ホテルや両替などで
パスポート提示を求められた時、彼らはそのページを見つけられず質問が飛んでくる。

到着時に空港で両替した時は、1万円分すべて100ルピー札(これは旧札です)でした。
ずいぶん並んで私の後ろで「終わり!」と宣言され、怒る旅行者続出。当然です。

教訓3.初心者の旅行者は、旧500ルピー紙幣をつかまされないよう注意してください。
町中の「Exchange」の看板には特に注意!
かといってデザインの違いは分かりにくいですが、500ルピーはピカピカの新札ですからね。

デリーで1泊して翌朝ローカルのバラナシ空港に着きました。
お寺の方と滞在中の日本人女性が迎えに来てくれていました。

早速入院中のご住職を訪ねましたが、見る影もなく絞んでおられました。

翌日、町中の銀行ATMには庶民が列をなし、1人1回新札の2000ルピー1枚のみ出金。
2000ルピーで買い物できる店はほとんどない、つまりおつりが出せないのです。





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緊急渡印

2016年11月14日 | 海外旅日記
20年来親交のあるインド・サルナート在住のお坊様(茨城出身の日本人84才)が
入院後の経過がよくないと連絡がきた。

心配してもしなくても時は過ぎ行く。
「何も食べたくない。体中がかゆい」というのではラチがあかない。

よし、来年春にお見舞い行きの予定をしていたので前倒しを決意。
東京のGNHトラベル&サービスにチケットの手配を依頼。素早い対応でスムーズ。
16日発成田~サルナート往復のe-チケットをゲット。

さてインドへの入国にはビザが必要で、インド大使館にオンライン申請しても
おそらく1週間ほどはかかるだろう。

2016年3月から日本人に限り、空港到着時のビザ申請が可能という制度が、実施されているという。
現在はデリー他5空港のみだそうだが。

そのフォームは、日本のインド大使館のホームページから申請書(Annexure I)をプリントする。
「Visa on Arrival for Japanese Nationals」

サイト各種から書き方注意などをピックアップし、やっこらさと完成。
別に写真(パスポートサイズ)2枚と、申請料は2000Rs.を空港到着時に提出する。
日本円でも米ドル32💲でもOK。できるだけ釣銭のないほうがスムーズだと思う。
※ビザ申請なのになぜパスポートサイズなのかわからん。
パスポートは10年ものだとずいぶん様変わりしているからなのか?
ビザ用の写真はその場で撮影するのかもしれない。

記入内容でヘソを曲げられると、入国不可となる。
イチかバチかの渡印。
ごちゃごちゃ言われたら、最後は泣き落とし・・・・

日本食材や折り紙、私の衣類・食材を詰め込んで、15日成田前泊で出発します。


幸運を祈ってくださ~い。

追記
11月8日発表で
インド「高額紙幣は4時間後に無効、年末までに預金しないと紙くず」情報。
いろいろ事情があるんでしょうが、その突然性に唖然!
私の手持ちは500ルピー紙幣1枚なので慌てることはないが。
Yahooニュースから
コメント (2)
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ヒノキの実

2016年11月11日 | わいわい農園
10月22日
近くの道の駅で「今朝早くとってきたよ~」と若い男性の生産者さん。
クリタケとヒラタケの詰め合わせパック。

キノコの上に乗っている葉っぱは、どうもヒノキらしいようだ。


これはサイトから拝借



”生ヒノキの実”を放置しておくと”サイトのヒノキの実”のようになるのか?

11月1日、今朝は少し開いてきたのでこのまま静観


11月10日


ささやかな楽しみになった

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燕岳日帰り登山

2016年11月08日 | トレッキング
今季最後の山行はひょんな縁から、リーダーさんにお世話になって日帰り燕岳となりました。
ひょんな縁は後日にでも。

5時集合。穂高神社南側の登山者専用P。
初顔合わせのメンバーの男性2人と縁を招いてくださった男性、婆紅一点の私の5人で出発。
中房温泉第1Pから登山口まで10分徒歩。

6時10分から登山開始。標高1450m
1~3のベンチ休憩は各5分。
残念ながら見えなかった富士見ベンチの休憩10分。

雲海に覆われ、下界からはきっと『曇りだね』と。見上げる空は青空だ。


合戦小屋で10分休憩 標高2350m

夏の賑わいを思うと寂しい小屋


ここでアイゼン(4本爪)装着。積雪3センチほどだが晴天だったのでぬかるみも多かった。
登山を始めた頃に購入したため、頑丈そうだが装着が複雑だ。
前日に予行練習をしておいたので、何とか使えたけど。


リーダーから4本爪は簡単装着用が便利だよ。
これなら光城山の12月まで使える、と指南を受けた。
  amazonから画像拝借
冬山へは行かないし価格的にも問題なし。考えてみよう
踏み跡には凍り場面もあり、使い勝手は少々面倒だったがともかく重宝した。

合戦沢の頭 合戦尾根を経、やがて槍ケ岳が見えてきた。


いつどこで見ても感動する山だね

11時30分燕山荘着。標高2680m
今回は山頂(2763m)まで行かない。理由はコマクサがないもん、とのことでした。


ランチとトイレタイムで1時間休憩。もう一度槍を眺めて


12時30分下山開始。
同じ要領で、登山口に午後4時着、穂高には5時帰着できた。

槍ヶ岳や立山連峰が美しく見られ、
私以外がベテラン高齢者なのでゆっくりした山行。私にはありがたかった。

白内障の治療をほぼ終えて、いったんは卒業した山行だけど、あと2年くらいは登れるかも?
課題はやはり岩場の下山。

「光城山を週2回ペースで登山を続ければ、大丈夫!」
うへ ちょっと無理だなぁ。

登り5時間20分 下山3時間30分(休憩時間含む)
燕山荘宿泊の体験しかなかたので、嬉しかった。

リーダーさん、メンバーさんありがとうございました。
コメント (2)
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