蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

かぼちゃ

2008年07月31日 | 庭まわり

昨年おいしかったかぼちゃの種を乾燥して保管していた
この春植えた種が育っている。が現在はまだ実がならず。

5月22日
芽をだした  やったね。ばらして定植する


6月?日
花も咲いたぞ。ただただ繁る

7月17日
肥料もやらずに実ができるか!と訴えられたような気分。
化成肥料8-8-8を伸びたツルあたりにパラパラと撒く
自身はおいしく食事を頂きながら、植物は土だけに任せる。これは無理な相談だ

7月25日
繁りすぎ。畑の師匠のアドバイスで間引く。
ちょっと元気になったような気がする。

7月31日
一昨年末、〆縄作り講習で残ったワラがあったはず・・・
実の成る期待を込めてワラを敷く。
えぇ~ひょっとして大きな葉っぱにウドンコ病????
  見守るしかない

師匠のかぼちゃ畑
  
1本の株ですって。お・み・ご・と
長年の農生活経験と努力の土作り・・・と言ってしまえばそれまでだけどすごい。

おまけ1
こちらメロン(ネットはないのでプリンスメロン?) 葉は良く似てるが、花は小さい
  
それもそのはず、かぼちゃもメロンも「ウリ科」

おまけ2
17世紀にカンボジア経由で日本にきたので、”かぼちゃ”
わかりやすい
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おぉパキスタン・・旅を終えて

2008年07月29日 | 海外旅日記

居候先の友人宅ではまあ良く食べましたねぇ。
毎朝巨大マンゴー1個をかぶりつき、日本では高くて食べられない敵を討つ。
暑い料理担当は友人が、水を使って涼しい食器洗いは私が・・・図々しい居候だった。

イスラマバードの友人宅は、2階のマンション仕様だ。トイレ洗面つき2ベッドルームに40帖はあるリビング、私はのんびりゴロゴロ過ごしていた。室内は天井ファンだと気温は33~34度。日中の外気温はおそらく40度はあったと思う。元々エアコンを使わない体質なので、用意してくれたアイスまくらで夜を過ごした。

買い置きのミネラル・ウォーターのタンク。20リットルくらい入っていそうだ。飲料、煮炊きに使う。


毎日午後3時頃になると明るい音楽が聞こえてくる。手まわしオルゴールのようなのどかな音。アイスクリームの移動販売自転車だ。押して歩きながら保冷庫と音楽の電源をまかなっているエコ販売車だそうだ。
感心するけど試食は無理だ。確実におなかを壊す


世界を席巻しそうなイスラム教
スンニ派やシーア派は何かとニュースでおなじみだが、北辺地域はイスマイール派が多い。コーランの教えがゆるく喜捨とお祈りは1日3回だけだそうです。ホテル近辺や沿道のモスクでもスピーカーから大ボリュームのアザーンは聞かれなかった。
市井の人々の顔は穏やかで、礼儀正しくいつもフレンドリーだった。

日本で報道される自爆テロは、過激派だ。しかし我々に全くかかわりがないとばかりも言えない。所要で出かけたメロディー・マーケットで、帰国した2日後に自爆テロがあったという。友は強運を喜んでくれた

町にあふれる乗用車は、印象として9割はTOYOTA車。パキスタンでは車検制度はなく、自己責任だ。
滞在中見かけた一番派手な満艦飾トラック


中古車ばかりでなく、新車も多く走っている。
カラチにはTOYOTAの工場があり、ラホールへの往路高速道路では、8台の新車を搭載したトレーラーを何台か見かけた。
中古車は、元の所有者名を残したまま走っている車もあり「○○工務店」「▲▲社」面白いのでは老人ホームの名前。別の人は「自民党」を見たそうな。

余談
JICAのシニア・ボランティアについて
カラコルム・ハイウエイのツアーはほとんどがJICAのシニア・ボランティアでした。たくさんの苦労話やほのぼの話などが聞けた。
自らの応募により選んだ道とはいえ、途上国での生活は平穏な日本に比べれば過酷だ。生活費が支給されるだけで、滞在先の住宅探しや、家主とのトラブル解決など自己責任である。
その上赴任先からの高度な要求に対応しなければならない。約束の任期を全う出来ず中途で帰国する人もいるという。体調を壊すなど問題を抱えながら、それでも多くの方が勇気と情熱をもち、世界中で日々を過ごしている。

友人の追っかけを通して知る実情である。
「JICA国際協力機構」は独立行政法人つまり税金で運営されている。もっと広報活動を活発にしてもいいのではないかというのが感想だ。それも予算不足で出来ないのかな?
なにも出来ずクダクダ語る私が一番問題だ~

友人夫婦の”イスラマバードの風”
ツアー同行の”Aroud the World with Camera”

パキスタンの旅 完

8月1日追記
間違いがいくつかあり訂正しました。生死にかかわるほどではなかったのでご安心を・・・
間違い箇所見つけられるかな~。見つけた方コメントください。景品はないけど!
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おぉパキスタン・・インド国境

2008年07月28日 | 海外旅日記

クンジュラブ峠は中国との国境
ラホールはインドとの国境の町
7月1日
滞在先のご主人の紹介で、安心安全のレンタカー会社から車とドライバーを借りる。
1日2500ルピー(約4000円)+ガソリン満タンの契約である。夜中12時を過ぎて帰宅しても2日分にはならなかった。

町に入ると「ありゃ~インドや!」
ラホールの中心地から1時間のWAGHAは、目と鼻の先がインドというボーダーである

そこでは毎夕にぎやかにセレモニーが行われている。
観客は1時間前から座席につき、盛上げ屋のパフォーマンスに拍手したり歓声あげたり・・・
インド側・パキスタン側双方の大音量のスピーカーからPOP音楽が鳴り響く


女性専用席に座っていたが「こっちへおいで・・・」と観光客は前列に。隣近所は中国人観光客だった
 向い側の男性専用席

インド側席は男女混在だ。そしてパキスタン側より人も音量も賑やかだった




インド軍とパキスタン軍が、双方からすれすれ3メートルくらいの門扉まで歩み寄り、開けたり閉めたり


それぞれの国旗を揚げたり下げたり


開会が1時間遅れて午後7時から。セレモニーは30分。ぞろぞろ車にもどり、高速道路をぶっとばし4時間半。
友人には心配かけてしまった

しかし印パ緊張などと報道されているかと思えば、一方ではこんな暢気なセレモニーを毎夜くりひろげているのだ。
世界は知らないことで満ちあふれている・・・
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燕岳ふたたび

2008年07月25日 | トレッキング

燕岳は”アルプスの女王”って呼ばれるそうな
7月22~23日、ふたりの女王に会いに・・・登山口から1300メートルを登る

筋肉痛にアップアップしながらやっとこさblogもup。
しかし改めて写真を見ると「次は上高地へ縦走するか!」 ゲンキンなもの

今を盛りのコマクサ。はるか彼方に槍ケ岳

コマクサは”高山植物の女王”
砂地の中で3年を過ごした後、駒(馬)面の女王はお出ましになるという貴重な花である。


大阪の友人が「さわやか信州号」で穂高神社に早朝着
同じバスから降りたご夫婦と相乗りタクシーで中房温泉登山口へ。
今回はバックカントリーで予約の弁当を朝食とした。リュックで重いかお腹で重いか悩むところだが、お腹に収めて登山開始。
やや薄曇だったので順調に歩を進め11時30分、燕山荘着。
花木に詳しい友人から、登山道沿いに可憐に咲くいくつかの名前を教わる。
コマクサの開花にあわせて日程を選んだそうだ。雨天でなくて良かった!

夕日とご来光は、昨年10月登山にかなわないけど

燕山荘まであと少し・・・にヤマザクラが咲いていた
直後に残雪が見え
  
燕山荘への最後の階段を踏むと正面に

左を向くと槍が・・・

燕岳

花崗岩の動物オブジェ
イルカ ? ライオン(眺める方角によるわなぁ)
予想より暖かかった日の出(5時前)


5時半には下山開始し3時間半で中房温泉着
しゃくなげ荘の温泉で汗を流し、カフェ・ガルニで昼食後帰宅へ。
変わらぬメニューを丁寧に、変わらぬ笑顔と豊かな会話で接待を受け、疲れた体にテラスの風は優しい。

余談
JR穂高駅前の登山用品 バックカントリー穂高
腹持ちの良いお弁当は美味しかった。要予約

穂高神社鳥居下というユニークな立地のパン屋 こっふぇる梅太郎
調理場の明かりに夫婦仲良く立姿が見えた。4時すぎ頃は生地の分割作業中だそうな。
美味しいパンはこうして作られるのか。これからはいっそう美味しく頂けることだろう
燕山荘玄関から突き当たりの階段踊り場に、畦地梅太郎の「山男」レリーフがかかっている
  オーナーは畦地梅太郎のファンだ
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おぉパキスタン・・おじいさんと子ども

2008年07月21日 | 海外旅日記

女性の写真撮影は基本的にタブーのイスラム圏。
かつてモロッコやチュニジアではOKの場面もあったけど。

パキスタンでは特におじいさんの横顔とシワに惹かれた

撮影させてくれたのに「ありがとう」と握手の手を差し出す。
暖かいシワだらけの手だった


ギルギットのバザール近くで、絵になるおじいさん発見
何枚も撮らせてくれた。お礼に折り紙の箱を差し出すと、閉じて開いてを不思議そうに眺めていた
 第一印象は目が合った瞬間
肩にかけた長いショールの巻き方といい、ステッキの持ち方といい完璧


バザールの帽子屋さん 
↑写真2枚目のおじいさんが被っている帽子。
ウールの帽子は手ざわりよく、信州の冬に似合うような気がしたが、ここでこそ・・・と思い直した。今思えば買っておけば良かったと後悔。
ツアー仲間のSさんは購入の動機を「養老院用に」 完璧似合っていた

ツアー旅行は運動不足になりがち。いつも翌朝ホテルの周りを散歩することにしている。
最初に泊まったホテルの朝
 目が笑ってる
私の手をとり、こちらへどうぞのしぐさ。
どうも「朝ごはんにおいで」というしぐさのようだけど、土産を買わないかい?とも受け取れる。
地方のこの年齢の人々は、現地語しか話さない。
記念撮影をして別れたが、丸ポストなら完璧だった?

あっおじいさんだ・・・間に合わず後姿もいい感じ


訪問先の70歳のおじいさん。
おじいさんとは呼べない。なんせ若い奥さんとの間に「5人目のこどもがほしい」とおっしゃる。
長い歴史の民族の誇りをもつ横顔


北辺ツア全日程を一人でこなしてくれたドライバーのボラさん。
らくだや馬のように美しい長いまつげを持つ。私にも分けてほしい長さだ。
あごを上げて運転するので、遠くからは目を伏せているように見えるため「眠ってるぅ」と心配させたドライバー。テクニックは完璧!


長谷川スクールの脇で、石を叩き削り形を整える石職人のおじいさん。
立派なホテルなどの、建物の土台や壁を飾る石はこうして造られている
  増築の準備かもしれない
余談
長谷川パブリック・スクールについてはこちらをご参考に。
日本の教育現場のありようを思うと、考えこんでしまう。
同行者に偶然長谷川氏が通った高校に縁のあった方がおられて、朝礼で挨拶をされ「Hasegawaは努力の人だった」と結んだ。

子ども達はおおむねシャイだ。まして”ピース・パフォーマンス”などしない。
カメラを向けると逃げる子もいるが、モデルになってくれる子も

学校に通える子もいれば、学校に行けず働く子もいる。

町や村でぶらぶらしている子は、ごくまれに「ワン・ペン」と囁くようにせがむ。ペンを1本頂戴だ。

どちらの子ども達にも幸せあれ!と願う
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松川村にて農デビュー

2008年07月18日 | わいわい農園
縁あって隣の松川村の農家から、手取り足取り指導つきの畑を借りられることになった。

左手正面に有明山を望めるロケーション抜群地。広さ6帖分くらいである。
車で5分、近道徒歩15分。長続きを約束出来そうな距離ではある。

17日午前8時畑に到着するも、すでに耕作済みの様子。出遅れた!
6時に耕して自宅へ戻られた由。

デビュー戦はMyとうもろこしの畝2本作りから。
たぬきの好物なので、と地上2メートルから上を開放した大きなハウスの中で栽培している端っこを居候する。
鍬も鋤も借り放題だ。いつまで続くかわからんので購入には躊躇しているが、道具を揃えてしまったら続くという考え方もある。

11時までの3時間に
①とうもろこしの施肥と種まきまで
 初挑戦のもろこしは「ハミーバンタム」
種は台形の両脇に撒く
②なすの畝作り3箇所と施肥と苗11ポットの定植
畝の作り方が”もろこし”と”なす”では微妙に違う。もろこし畝は後日土寄せするための工夫があり、なすは台形の床上に植える。
  奥がもろこし、手前がなす

③トマトはすでに育っている脇枝を切り、バケツにつけて持ち帰る。
水上げして根を出してから畑に定植する手順だ。
そばに寄るとぷーんと青い匂いがし、おぉと期待が膨らむ
  葉の1枚1枚がピシッ

④キュウリは先生のおかあさん(90歳にして現役)から、ポットに育てた苗を後日頂けるらしい

⑤自宅で種から育てた茶豆(枝豆)がひょろひょろして狭い庭では窮屈そうなので、ポット4個分8本を持参し定植した。
 自宅の枝豆
撒いた種はすべて発芽したから、我が家の土もまんざら捨てたもんじゃない!
違う? 種が良品だっただけかも

植えた後の水まきは?
「明日雨が降るからいい」のだそうだ。そして今日は雨

雑草との格闘になるらしい。覚悟のほどは?
先生いわく
「初めにしんどいと感じたら後が続かないから、簡単に楽しくやりましょう」
私向きのお言葉。続きそう・・・・な予感

自宅野菜の余談
写真左:かぼちゃが繁茂している。黄色い花だって咲き、ツルも伸びている。
昨年、種を乾燥し今年春にばらまいたものだ。
ツルの先端付近に追肥をすれば、実ができるかも知れない。化成肥料8-8-8を撒いた。わらも敷いてみるよう
写真中:キタアカリ(じゃがいも)の葉もたっぷりある。土の中を覗くと小さいながら実を発見!秋までそっとしておこう。
写真右:サトイモ2株。地下ではどうなっているのやら?

自然に感謝
指導の先生に感謝

すっかり農婦人の気分
「わいわい農園」と名づけた
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おぉパキスタン・・いくつかのホテル

2008年07月15日 | 海外旅日記
パキスタン北辺地域の旅は13名のツアー。
イスラマバード在住の友人夫妻と旅行社Cox&Kingsでアレンジして頂いた安心安全満足の旅。
この旅行社の総括マネージャーは、大阪府出身の白井さんという方で、滞在中私のあるプロブレムに対し、的確なアドバイスを頂き感謝感謝。
電話口の男性スタッフも、ガイドのアリさん(男性)も大変親切で優秀、そして美しい日本語を話す。社員教育が整っていると実感した。

さて現場に戻ろう
仕事の関係で6名の方は、25日までご一緒したあと、飛行機でイスラマバードに、ラホールに、カラチにと帰られた。
残留組はさらに2泊3日を、フンザ地方から東南のスカルドゥ・シガルへ旅を進めるる。
スカルドゥはK2登頂の基地となる町で、基地といってもここから車で7~8時間の奥地だそうだ。メンバーの一人が、友人に「K2が見える所まで行く」と伝えてしまったと、大笑いになった。当然K2を見ることはない。

ホテル紹介は、クンジュラブ峠への前後とフンザ、魅惑のシガルを過ごしたホテルです。

ホテル・Hunza Embassy ラカポシ山の夕日朝日を眺めた標高2400mのホテル。
夕焼け頃と夕食時間が重なるので、写真を撮りたいのに困ったと一丁前に嘆いていたら、広いバルコニーにテーブルセッティングが始まる。やれやれ

アルコールを禁じているイスラム圏でも、中国産ビールを飲めた。
明日は4700mの峠まで6時間のミニバス移動。ぐっすり眠っておきたい。
 おそらく日本ではもう見られないプルタブ
350mlの缶ビールが600ルピーつまり約1000円だ。ぜいたく品である。
おかげでぐっすり眠れたので、翌朝6時には万全の体制で出発できた。

ここカリマバードはなかなか賑やかで、旅行社やインターネット・カフェ、村で製作されたカーペットや刺繍製品が販売されている。
2泊後はさらにジープで移動の、標高2800mデュイカル地区
ホテルEagle's Nest
別棟の新館は我々だけのようで、石をたくみに使ったお気に入りのホテルだ。
(槍ケ岳より細く高い)レディ・フィンガーがベッドに転がっても見える端部屋だった。


しかし庭の石組みは荒くて怖い。


圧巻は最後の2泊、400年前の藩王の城砦をホテルに改造したSERENAグループの
ホテルSigar Fort Residence

正面入り口。降り立つなり期待が高まる
 ホテルのパンフから拝借画像 
旅行社が勧めてくれたという。
外観や、天井や梁の木材は当時のものを使い、補強し漆喰壁をぬり、トイレ・洗面・浴室・水栓金具類は最新仕様。私のシングル部屋にはテレビがなかった
  エントランス付近

  中庭から眺めると

シングル・ツインとも間取りはさまざま。もとの形を利用してリフォームしたのだろう。
私の部屋は川側の上の窓。囚われの姫が棲んでいた部屋だったかも?


室内の天井と梁  入り口ドアとクロゼット

パブリックスペースには、古い織物がさりげなく掛けてある


食卓にはシンプルなタイセラドンの食器が並ぶ


夕食のオーダーをする時、調理場スタッフが厨房を案内してくれた
おまけに写真を撮ってと・・・撮られたがりやはアジア共通ですが、ここパキスタンでは女性の撮影は禁物。
観光客なれしているから「見せて!」と、デジカメ機能を知っている

建物だけでなくスタッフもワーカーもあったかい人々。ゆったりと時間が流れた。

翌朝はスカルドゥから飛行機で1時間、イスラマバードへ向うが天候次第では欠航に・・・・
タオルでてるてる坊主を作って祈ったが
昨日の、平原の砂嵐は天候不順の予兆-------やはり大当たり!
元来た道を1泊追加し、TOYOTA Coasterをぶっ飛ばして戻った。

花の時期にもう一度訪れたい

■次回はゆるゆると「おじいさんとこども」 いい顔してるんよ
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カラコルム・ハイウエイ・・村や町

2008年07月13日 | 海外旅日記
イスラマバードは新興都市なので、京都市内のように碁盤の目に区画されており、住所表示も非常にわかりやすい
車道は広く、緑あふれた町だ。

一方カラコルム・ハイウエイの都市部を過ぎると小さな町~ひたすら走る1車線道~谷筋沿いの怖い道~所々に村、と続きます。向い側の山に切り込むような極細道は、古のシルクロード。

インダス川をはさみ、橋はないのでいまでは村もない。
山の水脈から沁み出す水が育てる木々が、きっとオアシスだったのだろう。


カラコルム・ハイウエイ沿いの川幅の狭い所にはいくつかの岩絵・磨崖仏が残されている。
ガンダーラと中国を往来した仏教僧の手によるこれら線画の大きさは、半端じゃない。



(この岩絵は後半に紹介するスカルドゥ方面)
大きな町のレストランの庭。トイレ休憩に寄ったりランチ休憩するのだが、まだ美しい。
このあと北へ向かうに従い、ガソリンスタンドなども借りるが、予想していたとはいえトイレ室は悲惨になってゆく



モーテルでのトイレ拝借は、ベッドルーム内を借りる
やがて村は忘れた頃に現れる
畑が多くなり

ヒツジや牛のご一行様に出会う

町のはずれで見かけるこの看板は、病院や保健センターなどの支援施設だ。

ある地域では警察のジープが先導してくれた
 
が、我々の写真タイムには気軽にポーズをとってくれる
 のどかな1枚
ある時、道路わきで山からこぼれ落ちるガーネットの原石(小石)を拾っていたら、一緒に拾って私の手に乗せる。(JICAのメンバー旅行なので、安全確保のため配慮していただいたようだ)

フンザに近づくにつれ、村人の顔つきがエキゾチックになり、瞳が青かったり、髪がグレーや茶色だったり。
民族衣装も微妙に違う。フンザの村人はアレキサンダー大王の末裔だとも言われている。
写真下左:築400年の家で、現在も住んでいる家庭を訪問。70歳の主は3回目の結婚で少年少女幼女の4人の父親だ。まだ子どもが欲しいという。元気だこと
若い奥さんが畑を耕し生計を保つ。この地域では女性が畑に出ており、男性は何をしているんだろうと思う。
都会や町では女性の姿は少なく男性・男・オトコだらけだった
別の村で築500年の家も訪問。保存のための入場料を払い一帯を見学する。
村のプールで泥色の水しぶきをあげているのは男子のみ。その周囲に三々五々椅子に腰掛け、老人達が穏やかな顔を向ける。まさか観光用パフォーマンスではないと思うが・・・

古代のシルクロードを抜けて通りに出た

村を結ぶ道路は、中国へもイスラマバードへも行けるが、生活道路でもある

桃源郷と言われるフンザは、すっくと伸びたポプラとゆさゆさ実のなる杏と、宝石のようなさくらんぼと、麦とジャガイモがいっぱいだった。
桃源郷の由来は長寿もさることながら、3月下旬から咲く杏の花の素晴らしさに起因しているらしい。
花の頃はさぞかし・・・・・・・

余談
信州千曲市のあんずの里が有名だが、まだ行ったことがない。写真でみる限り、フンザの景観のほうが標高が高い分(2400m)濃く深いような予感がする。機会があれば花の頃に訪ねてみたいものだ

おまけ
フンザお役立ちサイト
自力で行ってみよう、またはツアで出かける人の予習用に
↑ここがわかりやすい。泊まるのは中高年にはちょっとしんどいので、情報収集とランチかお茶に。
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カラコルム・ハイウエイ・・山々に抱かれ

2008年07月10日 | 海外旅日記
7000メートル級の山がひしめくパキスタン北辺地域。
素晴らしい写真はWebサイトにいっぱい掲載されている。
私はというとデジカメの充電がままならず、それでなくても下手なのに、携帯電話のカメラ画像は精一杯背伸びの写真である。
おまけに帰宅すると、山の名前がわからなくなり撮影日時を見当に思い出す。
朝やけか夕がただったかも怪しい始末。
※山の名前を間違えていたので、7月15日訂正しました。

初日は丸1日、車に揺られていた。
チラスで撮影のナンガパルパット(8126m)夕景

二日目以降は、道路から見上げたりゆっくりホテルから鑑賞したりと落ち着いてきた。
世界でも珍しいと言われる三大山脈のぶつかるジャンクション・ポイント

ヒマラヤ山脈(写真中央)とヒンズークシュ山脈(右手前)とカラコルム山脈(左手前)のそれぞれの端がここに集結。
その谷間からきたインダス川とギルギット川(V字)が合流している。
写真の左に少し見える横線は、ギルギット川に沿って北上するカラコルム・ハイウエイ
 看板があるが、とほほ・・・写真とうまくリンクしない

ラカポシ山は標高7788メートル
昼食に立ち寄ったレストランでは、かき氷がすべり落ちてきそうな・・・
このあたりで標高2000mくらいだろうか?日差しが強く暑い。食事は美味しかったが、量が多くて食べきれない


食事はいつもてんこ盛りで、特に小柄な日本人は残る。「食べ残し、ゴミを出してけしからん!」なんて心配は要らないような気がする。料金こちら持ち、残りはスタッフのお腹に収まっているのではないか?

やれやれフンザに到着。明日はクンジュラブ峠まで行くという前日だ。
ホテルのバルコニーから、ポプラや杏の緑濃い村が眼下に見える。
 走ってきた緑の並木道を思い出す

ホテル・フンザエンバシーからの夕景
 ラカポシ

 ディラン

嬉しくて寝てられない!
 夜明け前のバルコニーから 

待ってまって・・・朝焼け1枚

雪を冠った山ばかりではない
岩山の間を流れる雪解け水。急流は砂を巻き込み泥色だが、山深くなると清流に
シルクロードを旅した昔人が石に彫った仏像(もっと大きな磨崖仏もある)

フンザを出てまもなくの、峠へ向うPASSUで。岩にはWELCOME TO PASU。
看板代わりに大きな石に地名や案内や指示が書かれている
信州の独鈷山よりでっかいギザギザ山(名前がわからない。地図をみるとTHAPOPDANかも?)
 花はドライフラワーのように乾燥している

山から張り出した岩の下を、TOYOTA Coasterの天井にすれないかと心配する道も走った。
怖さにめげずガラス越しに写真も撮った。ベテランドライバーでも、最初は怖かっただろう。
ガイド氏によれば転落事故や衝突事故はないそうだ。
信じられない!
そしてクンジュラブ峠から戻った翌日のホテルは、ジープで移動の標高2800メートル 「イーグルネスト」
角部屋から見えた槍ケ岳じゃなかった・・・レディ・フィンガー
 隣のお椀はフンザピーク
レディ・フィンガー。きっとあるだろう名前------やっぱり
【カクテル】
ドライ・ジン2/4  キルシュ1/4 チェリー・ブランデー1/4 中口ですって
甘口と辛口の中間?   
【野菜】
オクラの一品種にあるそうな
オクラは食物繊維を多く含み、コレステロールを減らす効果をもっている。
パキスタンの友人は、どっさり買ってよく料理に使ってくれました

ゆるゆると、次は町や村
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おぉパキスタン・・KKH

2008年07月07日 | 海外旅日記
何はともあれ無事帰還しました。
パキスタン滞在16日、その間8日間の北辺地域観光、前後の移動と友人宅居候で19日間の夏休み。毎日が日曜日の身分ながら・・・・図々しくも
しかも快眠快食快便=旅の基本を全うしつつ。

雨季に入っているはずなのに数回しか遭遇せず、室内は天井ファンで34度、おそらく外気温は40度だったと思う。
私が離パキ後から本格的な雨季が始まり、停電もおさまったそうです。

さてカラコルム・ハイウエイ。
インド旅行を始めてからたびたび耳にしたKKH。アジアハイウエイとともに憧れの道である。
中国からの援助や合同建設で、部分開通しながら1986年、我々でも通れる観光ルートになった。ただし国境越えは冬期は閉鎖、天候不順や崖崩れで突然の足止めもありと、なかなか難儀が予想されるが晴天に恵まれ体調も問題なかったのはラッキーだった。

私のKKH体験はイスラマバードから中国との国境クンジュラブ峠まで。
中国側のカシュガルまではとてもとても×××

目指すはクンジュラブ峠 標高4700m(ガイドブックによっては4900mとも)

ツアは、友人夫婦のアレンジにて往路はTOYOTA coaster。復路はスカルドゥ(K2登山の基地となる町)からプロペラ機で・・と8日間の予定だが、フライト不可なら1泊追加のKKH再びTOYOTA coasterの旅になる約束である。

こうしてイスラマバードを21日の早朝出発し、インダス川に沿ってひたすら走る
21日標高1000mくらいのチラース泊
22日標高2400mのフンザ泊
23日高山病に気をつけながらクンジュラブ峠まで
即折り返し、標高2450mのカリマバード泊
24日デュイカルまでジープ移動の標高2800mのホテル泊
25日ギルギットへ戻る前半の旅の始まりはじまり~

 往来を疾走する電飾トラック
重心が高いので、デコボコ道では車体がゆれる。荷物は建築資材や木材、じゃがいもや小麦と思われる野菜などを満載。
HINOやISUZUのトラックを改造し、大金を払って装飾する。
先輩ガイドから聞いた話だけどと前置きし「アフガニスタンでは家を飾り立てるそうな。そこでパキスタンでは車に好きな女性や目や花などを描くようになったのではないか?」相当の経費がかかり、専門のデザイナーも勿論いる。
改造現場を見学したいね。

  乗り合いタクシーもこの通り

ハイウエイといっても日本の高速道路を想像してはいけない。北へ進むにつれ薄いアスファルト道はあるもののデコボコ、砂道、落石ごろごろ、はては雨後の山崩れに道がふさがれ、男性数人で手作業除去といった具合である。

ドライバーは50歳くらいのベテランだが、話し方がラリっているように聞こえる。
ある時後ろ席の女性が「ドライバーが居眠りしているようにバックミラーに映っているぅ」と注意するが、どうもまぶたが下がり気味なのか、顎をあげて運転するので、そのように見えたらしい。
大丈夫です。
崩れ落ちた石の山をエイ!!と乗り越え拍手喝さいでした。車体が大きく揺れ重石代わりの私達も大きく左右に揺れた。

派手派手タンクローリーをわき目に、小さな町を通過し、

路肩すれすれの細道で、窓のガラス越しに下をみるとタイヤが見えないので怖い!
まるでジェットコースターだ。
写真左:川の向い側、山の中腹に昔のシルクロードが見える。中国から僧たちがガンダーラへ通った道だ。大きな石に彫られた磨崖仏がいくつか残されている。カラコルムハイウエイは山間の谷にインダス川を眺め、シルクロードに沿って走っているのです。(右下の白い帯は見なかったことに・・・・)
写真上右:橋のないところではゴンドラが活躍。向かいの中腹で運転しているようだ。おそらく手漕ぎギアだと思う
家は見えないのに、どこからともなく人が現れ歩いています


重石を使ったエコな検問所のバー
ひたすらクンジュラブ峠をめざす

大地が開けてきた。用意の酸素ボンベを使うことなく・・・・・
昨夜のホテルでは、高い中国製の缶ビールを飲み、ぐっすり眠る。
今日は、粉末アクエリアスを溶いた水をちびりちびり飲みながら、高山病を予防する。


到着しました! この先は中国です
予想したほど寒くなかった

小石をポケットに偲ばせ、もと来た道をカリマバードへ戻りました。

まだ行ったことはないが、四国巡礼をバスでめぐるのに似てる

■このあとゆるゆると「山、ホテル、おじいさんと子ども、ラホール」などに続く
コメント (3)
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