蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

かまくらまつり

2016年01月30日 | 安曇野を離れて
軒下のつらら、今年も伸長中


27日朝のローカルニュースから


こんなイベントがあるんだと、以前から興味はあった。

ダンプカーで運んできた雪の上を固める地元の方。ご苦労さま



近所の、少年たち作のかまくらを見て触発されそう
いいやまかまくら祭り

日程OKなんだけど・・・・・遠い。
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かまくら

2016年01月26日 | 安曇野とその周辺
午前6時半頃、有明山が真っ赤に染まりました。
カメラ抱えて撮影に出たかったが、いかんせん寒い。
-10℃の朝だった

昼前には


近所の森の中にかなり大きい広場がある。
1週間前あたり自宅前を通り抜けて、広場へ向かう中学生くらいの男子数名。
手にはスコップ

昨日の散歩に・・・・これだったんです。


懐かしい「かまくら」 いいね!
たぶん直径約3メートル高さ1.6メートル。中は結構広い。
入口は大人がやっとくぐれる。
中は4人が座って甘酒缶で温まれる。
かなり頑丈に出来ています。

彼らが過ごしている現場に立ち会えたら
みかん、お菓子、暖かいお茶を差し入れしたいよ。
もしビールでも飲んだり喫煙していたらぶん殴りたいけど、
怖いから見て見ぬふりかな。

「かまくら」とは  日本文化いろは辞典から抜粋
雪室〔ゆきむろ〕の中に祭壇を設け、自然の恵みである水を運んでくれる水神様をお祀りする行事を称して「かまくら」と言います。正月に飾りなどを焼く行事や農作の害鳥を追い払うための「鳥追いの行事」などと融合し「かまくら」と呼ばれています。現在は行事やお祭りの要素が減り、子供たちが雪の洞窟を作り、その中で甘酒や餅などを食べたり、鳥追いの歌を歌ったりして遊ぶことを「かまくら」という場合が多いようです。

東北地方で、かまくら体験ツアがあると聞いたことがあります。


作り方はいろいろあるみたいで

本格的な大物なら
除雪車やトラックで運ぶほどの雪をどーんと積み上げる
その雪山に登って、かまくらの壁になる部分を固めながら
どんどん内側を掘り進めていく方法。

小ぶりのかまくらなら
大きな雪だるまを3個作り三角型に並べる
少し小さい雪だるまを積み重ね、隙間に小さい雪だるまを詰めながら
厚くしてゆく
入口を掘り、かきだした雪も上に積んでゆく。

大物だと、入口から掘っていくのは酸欠になって危ないから
内側から掘り下げるということです。

さて彼はどのようにつくったのかしらん?
壁を叩いてもずいぶん固くし引きしまっていました。

あっぱれ!! 
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大寒の朝

2016年01月21日 | つれづれ思うに
ここにきてやっと信州らしい光景

けさの朝やけ


昨日夜明けからおそらく35~40センチ


冬だけは小鳥にひまわりの種を提供。
これは道端の枯れ種を収穫したので、小粒。小鳥にはちょうど良いサイズらしい。



昨日早朝と夕刻に遠征してくださった除雪車。

昨夜は積雪がなかった。


軽井沢の大事故はひょっとして、
積雪があればかなりスピードを落として走行するだろうから
避けられなかったとしても
被害はすこしでも軽かったのでは・・・・と
素人ながら想像します。

子供や若い人を失う事故事件は、殺人罪または通常の倍量刑を・・・と
高齢者になった今、私は思う。

原発事故も含めて・・・・
コメント (2)
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棟方志功記念館「愛染苑」

2016年01月19日 | 安曇野を離れて
棟方志功記念館「愛染苑」は福光美術館の分館である。
思いがけず出会った棟方志功の数々の作品と6年の疎開生活を見ることができた。

きっかけは1月7日美味しいお魚を食べに富山県氷見へ出かけたことから。
急遽出かけたので、事前調査なし。
ひとますおおざっぱなアクセス図と宿泊先ホテルだけ用意してスタート。
ジパング料金利用の1泊2日旅。

長野駅から北陸新幹線「はくたか」で富山駅へ

あいの風とやま鉄道で高岡駅へ。
あいの風とやま鉄道はいわゆる第三セクターだから、その間はJRの割引対象外だと思ったが
チケットに反映されていた。

高岡駅から氷見への乗り換え時に”棟方志功”の記念館について調べる。
ん?確か青森出身だから美術館なり記念館はかの地のはず。

終戦まじかから6年間家族とともに疎開していた地が城端線福光。
城端線は高岡駅から南東方向へ走り、各駅停車11駅40分の行程でした。


富山県高岡市は藤子・F・不二雄氏の出身地
ラッピング列車がいっぱい

福光駅では雨天だったので、タクシー会社では30分以上待ってくれとのこと。
ではと20分くらいなら徒歩でと出発したが、行きつかない。
無粋ながら銀行のカウンターで所在地を聞いていると、待合の若い男性が車でお届け・・・を申し出てくださった。
ありがたい!
「女性を乗せてまずくないかい?」
「若い人なら困るけど・・・大丈夫です」
「確かに」 うへ!正直でいいなぁ

無事到着。
雨中のため外観撮影なし

館長さん直々にて、地元ならではのエピソードを聞けました。
最初の疎開先のお寺の住職や石崎俊彦氏の支援をうけながら、のびのびとした絵を描いていたそうです。

大きいサイズで、子供の絵のようなちょっと薄汚れた絵は地元の小学校にかけられいたもの。
よく見るとボール様のしみがあり、無邪気に体育館で子供たちが遊んでいたという。
当時訪問の元中曽根総理が「こんな素晴らし絵を・・・」と忠告があったそうな。

向かいの住居跡には、台所や厠、居間 子供部屋が残されている。
板ふすまには、コイやナマズ 厠には天女や菩薩が踊るように描かれていました。

結局2時間ほどお邪魔していました。

城端線で高岡へ戻り氷見へ。


お正月明けと成人の日連休の間に挟まれた氷見は、わびしいほど静かでした。


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与那国島からの便り

2016年01月12日 | つれづれ思うに
先日新聞のコラムで「与那国島」の文字をみつけて、またまた火が付きそう

もう20年前くらいだろうか。
九州に行った折、鹿児島で見た看板に「屋久島」
フェリーで行ってしまった。
そこで「与那国島」を知ったのがきっかけだった。

西の端に行きたい・・・計画しては流れた。

現在石垣島に滞在している千葉の友人がいる間に、訪ねてついでに与那国島へと、
昨年夏ころからくすぶっていたところでした。

池澤夏樹氏の書評が素晴らしすぎた『はしっこに、馬といる』


発行所は与那国島の小さな出版社 作者は河田桟さん。

この本の著者であり出版社オーナーでもある
小さな出版社ではそう簡単に増刷できないから、到着まで10日以上かかりそうだ

昨年末、スープカレーのハンジローの書架で見つけた『小さな出版社のおもしろい本』
安曇野市図書館にもあった『小さな出版社のもっとおもしろい本』
と合わせて読んだ。
このマガジンにKadibooks社の掲載があったかどうか定かではないが、
ユニークで、思いっきりわがままにあるがままに刊行している全国の小さな出版社の姿勢に
感服する。

私の目にはとまることはなかっただろう出会いに

これらの偶然は、もう行くしかない!

状況は揃った。さてご縁は成るか?
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孫と学ぶ

2016年01月11日 | 暮らしの積み木
新年のご挨拶が出遅れました。
本年も駄文を連ねます。

世に『孫は来るも嬉し、帰るのも嬉し』という。
年末年始に1週間滞在の孫娘。3年生だが1月生まれで一人っ子のせいか、
まだまだ幼い感じがする。

我が家の長男は3月生まれ、2年遅れの次男が4月生まれ。低学年のうちは読解力に差があった。

思えば私は長女で3月生まれ。やはり母はヤキモキしたのだろうか?

その孫娘がけっこう面白い子供である。
おせち料理を作りたいとか、Eテレの子供番組で見た”かぼちゃスコーン”を作りたいという。
もち作りや玄関飾りなど色々私の手伝いもさせたが、かえって忙しくなる。トホホ。
小ぶりの重箱に自分で詰め、それなりに楽しんだのだろう。

全くの手抜きおせちとなった。


夫が散歩中に拾ってきた枯れ鞘に緑色の豆。
『Yahooきっず』検索で探す。学校には「パソコン室」があり、操作はお手の物。
時代ですねぇ。

大豆は数種類あり、枝豆はおなじみ。

この青豆はいわゆるグリーンピースではなく、大豆の仲間だって。

ふ~ん

10円玉ピカピカ実験
あれこれ試して、酢とクレンザーがOKでした。
おちびさん、やるじゃん

ひとまずやってみることが大切ってこと。
私の料理ベタにも応用せにゃ~

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