蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

福島県矢吹町4

2011年04月10日 | 2011東日本震災
テレビや新聞報道では、比較的元気な人が映る。復興への意気込みも感じられる。
いや、もう笑うしかない心境なのかもしれないが・・・・

そんな中、縁の出来た矢吹町の高橋さんから、本音メッセージが届いた

『そこここで復旧が進む反面、長引く余震に皆が心身共に疲弊気味です。
中でも7日深夜の余震は大きいもので、この福島県中通り地方でも震度5強ありました。
しかしながら、今の家は11日の地震でも大丈夫だったし、平屋だからという変な安心感からか、
布団をかぶって揺れが収まるのを待ってました。
物が少し落ちるくらいで済みました。今でも実家にいたらと思うとぞっとします。
取り壊しまではいかない建物の、高層にお住まいの方々の心労は計り知れません。

私事では、
お恥ずかしいながら、実家の取り壊し前の荷物運び出しが終わった途端、機械の油が切れるように
体が動かなくなってしまいました。
どうもエネルギーが底を突いてしまったようです。何もせず、布団に横になることが多くなりました。
少しはよくなりましたが、人に会いたくない、話ができない状態が続いています。
こんな状態では・・・・と、ボランティアのお誘いもお断りするような毎日です』

なんの恥ずかしいことがあるものですか!

泣きたい時は一生けんめい泣きましょう
身体が休暇を要求するなら、納得するまで休みましょう

そしてまたゆっくり歩き始めてください。道のりは長いようです

長野県にもやっと春らしい日が訪れ、先日まで氷のはっていた水鉢に、
シジュウガラやヤマガラが水浴びにやってきました。
リフレッシュしたのか、”チッ”とお礼のさえずりを残して去ってゆきます。


お元気な声がまた聞ける日を待っていますよ
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最近のブログから

2011年04月09日 | 2011東日本震災
先日、ワイルドなっちゃん夫婦がリンゴの薪材を届けてれくれた

なっちゃんだけでなく、樹皮も切り口もえらくワイルド!

この薪を焚く頃には、東北は復興のつち音が響いているだろうか?
つち音は、多くの地元企業に携わってほしいものだ。

さて本題
鎌田實さんの言葉:
3月30日のブログから転載
「福島原発から遠く離れた首都圏でも、ストレスをため、不眠、めまいを訴える人が多くなっている。
自分を支える力になるのは、だれかのために役に立とうとすること。ほんのちょっとでもいい。
ぼくの孫は300円を寄付した。それでいいと思う。」

東北は僕を拾って育ててくれた、父のふるさと・・・・
鎌田實「八ケ岳山麓日記
長野県諏訪中央病院名誉院長です。著作「がんばらない」他


みんなが『だれかのために』明るく元気でいること。
それが、日本を支える力になるんですね。


風樹茂さんの過激&本音ブログ:
やっぱりラテンだぜ
一覧から気になるページをば。

本名か芸名か?はたまた作家名か?
とにかくユニークな経歴をお持ちの方です。
うんうん確かに・・・から、そこまで言っていいの?まで

最近ネット上に
”安い!○○無料でお通夜17万円~~~”などの広告が増えた
本音すぎる
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ひだまり

2011年04月07日 | 2011東日本震災
誰でもひだまりの場所をもとめている。震災後どこかで見た言葉。

音楽を届けた人たちの慰問に、両手を合わせて感謝する避難所のおばあさん。
画面のおばあさんに向けておもわずこちらも手を合わせる

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は素晴らしい詩だと思っている。
しかしあの詩は自然への畏敬を込めた、東北地方の心意気だと私は思っている
現在の東日本大震災は、地震と津波は自然災害、原発事故は人災だと私は思っている。
だから「雨ニモマケズ」の朗読をさらにプレゼントするCMには
”これ以上何を頑張れ”というのか?
違和感を感じた

でもこれは復興にむけて立ち上がり始めた町や祈り見守る国民へ、
ボランティアみんなへ届けるための応援メッセージなのかもしれない
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矢吹町とサールナート2

2011年04月03日 | 2011東日本震災
※記事の展開が前後して分かりにくいね、すみません。
ひょんなことから縁を結んだ福島県矢吹町の高橋さんと、
メールを頂きながら小さな町の震災後をみつめています
福島県矢吹町1
矢吹町2
矢吹町3
矢吹町とサールナート1

2011年2月に学校と町をあげて取り組んだ、海外支援のコーディネーター高橋さんからのメールです。

『3月28日、矢吹町立善郷小学校の卒業式に参加させていただきました。
耐震補強のおかげで無事だった体育館で、余震を気にしながら
(式中、1回ありました。毎日余震の中で生活しています)
6年生80名弱と父兄だけの式でした。

安全第一、時間短縮のため後藤住職のメッセージを読み上げることができませんでしたが
校長先生が代わりに「インドからメッセージが届きました」と紹介してくださいました。
後藤住職のお言葉をプリントアウトしたものは、卒業証書と共に生徒さんに配っていただきました。
きっと、皆さんにとって大きな力になったことと思います。感謝です。

町を上げての国際支援は今年で2年目ですが、学校側から、
「新年度も続けます。今までは役場に送料を出してもらっていましたが、次回はどうにかして
送料も自分達で出す予定です」とおっしゃってくださいました。
被災されて大変な中でも、次回の海外支援の事を考えていると聞いて、大変感動しました。
私が国際支援の授業をする時はいつも、「もらう人の気持ちを考えてください。
貧しいからあげるのではないのです。必要としている人がいるからして差し上げるのです。
1してあげると100になって返ってくることが経験してわかっています。だからして差し上げるのです」
と言うことから始めます。

みなさん、初めはきょとんとしていますが、今回、自分達が支援される立場になって、
本当の支援の意味がよくわかった事と思います。
矢吹っ子の中から真の海外協力の逸材が出てくれたら、本望です』
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福島県矢吹町3

2011年04月03日 | 2011東日本震災

昨日近くのスーパーマーケットで買いました。風評被害をぶっ飛ばせ!


さて
高橋さんには、自宅が解体される直前に新しい運命がおとずれました。

3月20日のメール
『昨夜、急遽新築平屋建ての家に移り住む事ができるようになりました。倒壊寸前の中で余震に怯えながら眠る恐怖から解放されました。

一昨日、横浜に住む長女が、書留と孫の写真を送ってくれたことが事の発端です。
更に「ひ孫の顔を見てほしいから、体を大事にしてね!」と母に電話をしてくれたことがきっかけで、
固くなだった心が、ほろっと和らいだようです。朝になって「アパートでも探そうか」と言い出したのです。
早速、私は町中を車でリサーチしに出かけ、アパートではなく母が懇意にしていたお花とお茶の先生のお宅にヒットしました。
先生は去年亡くなったのですが、数年前に建てられたその数寄屋造りのお宅は、屋根瓦が少し落ちているだけで、これといった外傷は無さそうでした。

早速、母に言って、今の持ち主の先生の弟さんに当たり、トントン拍子に借りられることになりました。

中は全く損壊がなく、すてきで、地震の恐怖にさらされてきた私たちにとって、まるで夢を見ているみたいでした。
救う神仏はいらっしゃるのだとつくづくおもいました!
昨夜はみんなぐっすりでした・・・ご心配ありがとう!

家の引越しが一段落したら、災害ボランティアをするつもりです。

今はきっと活動しておられるでしょう。
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矢吹町とサールナート1

2011年04月03日 | 2011東日本震災
福島県矢吹町の善郷(ぜんごう)小学校生徒と町の皆さまとご縁ができたのは今年2月。

小学生達が貧しい子どもたちのために文具、衣類、タオルなどを集め、2月5日郵便局から船便で発送して下さった。
送り先のひとつインドは、サールナート法輪精舎日本寺あてに。


町上げての取り組みに地域紙2社が掲載した

そして震災3月11日をはさんで、25日サールナート日本寺に到着した。

『3月28日(月)急拵えの善郷小学校卒業式が行われる運びとなり、ぎりぎり皆さまに到着の報告ができました。
今矢吹町ははしんどい状況だけど、以下のメッセージが心を一つにする何よりの支援につながる』と高橋さんはいう。

早速サールナートの日本寺・後藤住職からお礼のメッセージ:
『初めに災害のお見舞いを申し上げます。
25日お荷物を拝受いたしました。誠に有難うございました。

インドの学校制度では、10年生と12年生には国家試験があり 今年から私の学校が試験会場に選ばれ、
いま一般生徒は休みです。学校が始まりましたら生徒配ります。
特に貧しく学校に行けない子供たちのための日曜学校でも活用させて頂きます。

災害に遭われまして大変でしょうが 昔から日本には『災いを転じて福となす』という伝統の精神があります。どうぞ頑張ってください。  
私の小学生時代に戦争に負けて 東京は焼け野原になりましたが 日本人の勤勉さによってまもなく復興し 
戦前より良い国になりました。 
災害を乗り越えて、よりよい町になりますように、生徒のみなさまも協力して頑張ってください。
印度からお祈りいたしております。

誠にありがとうございました   後藤 恵照』


震災後、荷物の品々は被災者にとってのどから手が出そうなほどの貴重なものとなりました。

私事ですが
ささやかなご支援を申し出ましたが、「町役場、学校サイドで不足している物品リストを現在作成中です」とのことだった。

ボランティアは「必要としている人がいるから出来る人がお手伝いをする」
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福島県矢吹町2

2011年04月03日 | 2011東日本震災
矢吹町の高橋さんは、始めたばかりのそば処「閼伽」もご実家も失いました。

割烹食堂を営むご実家は店と住まいが隣接していましたが、まず店部分が損壊し、
その後住まいも取り壊しとなりました。

上左:お店部分が取り壊され その後住まいも壊し失いました 
上右:住まいの玄関。余震ごとに亀裂が大きくなってきます
中左:階段から上はすべて瓦礫と化しました 
中右:二階の廊下です。二階部分の部屋は全て壁が落ち、奥は突き抜けました。
下左:父の寝室です。父は昨年、私がお店を開店して2ヶ月後に亡くなりましたが、生き
ていたら大変なことになっていました。
下右:父の書斎です。奥の窓ガラスが外に飛び出してしまいました。


すべて高橋さんから送られてきた携帯電話カメラの画像です

町の全壊戸数は今わかりませんが、規模の違いこそあれ住宅を失った方々の哀しみは、
想像できても経験した人でないと、とうてい実感できません。それが情けないです。

参考:4/1更新の役場ホームページから
○住宅等の建物被害(3/23 15:30現在)

 ・住宅全壊  60件
 ・住宅半壊 226件
 ・一部損壊 2,135件
 ・作業場全半壊 241件

○人的被害
 ・重傷者  1名
 ・軽傷者  6名

○水道断水は現在98%まで回復

主に農産物の風評被害が大きいようです






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福島県矢吹町1

2011年04月02日 | 2011東日本震災
夏までに行きたいと思っていた福島県のお蕎麦屋さん「閼伽」




結局取り壊しで跡形もなく姿を消してしまったそうです。
開店から9ケ月。歴史も深みも味もある建物で、人気が出始めた時の思わぬ大地震被災でした。
命があってよかったね…とだけ伝えるのも、ははかれました。
閼伽さんの住所は、福島県須賀川市。
縁あって閼伽の女主人だった高橋さんと、携帯メール交信を始めた

車で20分ほどの福島県西白河郡矢吹町のご実家も半壊→取り壊しとなった。


海岸沿いは、新聞やテレビの報道でも地名を覚えてしまうくらい登場する。
地震・津波・原発・・・・三重苦に胸が痛む

しかし内陸部は地震被害だけであり、沿岸部ほど実態は報道されません。
彼女は、小さな自治体矢吹町の復興に奔走する決意をしました。

『津波と原発事故の悲惨さばかりが大きく取りあげられて、地震そのものの被害が大きかった小さな市町村のことは後回しになっています。
これから町がどう復興して行くか、人の心がどう動くか、興味のある方に読んていただけたら幸いです』

こうして今まで全く縁のなかった小さな町、福島県西白河郡矢吹町の被災後と復興を見つめようと思いました。

参考:各ホームページから転載
矢吹町
平成22年9月1日現在
人口18,595(前月比+22人)
男 9,344(前月比+11人)
女 9,251(前月比+11人)
世帯数 6,061(前月比±0戸)

因みに安曇野市は
平成23年3月1日現在
人口99,247人
世帯数37,035


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少年の支援:チャリティー演奏会

2011年03月28日 | 2011東日本震災
信毎Webニュースから転載です

要旨は↓
11歳少年のピアノ演奏会
2011年3月29日(火) 13時~15時
クラシック曲やジャズ演奏、友人たちの合唱など
まつもと市民芸術館小ホール
事前申し込み不要
入場無料だが義援金を募る


会場の松本市まつもと市民芸術館


記事詳細は↓
東日本大震災の被災者に義援金を贈るため、信大付属松本小5年の小畑和彰君(11)=松本市蟻ケ崎4=は29日、得意のピアノを生かしたチャリティーコンサートを松本市のまつもと市民芸術館小ホールで開く。和彰君は「僕ができることをして、苦しんでいる人を励ましたい」と、家族の協力を得ながら準備を進めている。

 物心付いた時からピアノを弾き始め、昨年9月の県ピアノコンクールで史上最年少で大賞を受賞した和彰君。新聞やテレビを通じて懸命に生きる被災者の姿を知り、「何か役に立ちたい」とチャリティーコンサートを思いついた。

 当初は街頭で電池式のシンセサイザーを演奏しようと考えていたが、電池が品切れで手に入らず断念。父親の彰さんと一緒に同芸術館と交渉、単独コンサートの開催が決まった。1人で舞台に立つことには不安もあるが、「和彰なら大丈夫」と両親に励まされ、毎日3時間練習している。

 コンサートは「がんばれ日本~いま、ぼくにできること」と題し、ベートーベンやモーツァルトなどのクラシック曲やジャズなど10曲以上を演奏。最後は「翼をください」など学校で習った曲を弾き、妹の彰美(あやみ)さん(7)や自分の友達を舞台上に呼んで合唱する予定だ。小畑君は「好評だったら2回、3回と続けていきたい」。

 午後1~3時。入場無料で、休憩時間や終演後に義援金を募る。事前申し込みは不要。問い合わせは彰さん(電話0263・38・6031)へ。

よっしゃ!大好きな音楽で協力できるぞ~
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防災リュック

2011年03月26日 | 2011東日本震災
倉庫に保管したはずのリュックを思い出した

息子の少年時代のリュックだ

1999年とメモにある。当然住所も大阪のままだ
阪神淡路大震災が1995年・・・

12年前から入れっぱなしか~

どれどれ、何が入っているのやら。
トイレロール3個
ポケットティシュ数個
ビニールシート(ドナルドダック柄)
懐中電灯と単4電池2個・・・・腐食のため廃棄
小さめの手提げポリ袋数十枚(新聞紙と一緒に簡易トイレ用のつもりだったのだろう)
(凝固材と消臭剤があるといいかも)
ホッカイロ10個
チョコとビスケットとカロリーメイト計5箱
缶詰5個
ステンレスマホービン小・・・・たぶん頂き物
フェイスタオルとパンツ各2枚ずつ

賞味期限はとうにすぎている。試しにビスケットをかじってみたが、今のところ腹痛なし。

差し替えはどうしたものか?

手落ち品・・・携帯ラジオなし マスクなし ミネラルウォーターなし
現在携帯ラジオ&電池は量販店の棚にはなし 

感心したのは、リュックふたの隠しポケットに現金○万円・・・・なるほど
ヘルメットは、家の建築中に敷地内をウロウロするので必要だったため

保管場所は倉庫の奥からすこし手前に移動させた  








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