尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

戦争をする国はウソをつく

2018年04月14日 23時02分46秒 | 政治
 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見てよく判るのは、戦争をしている国は国民に真実を知らせないということだ。ケネディ政権、ジョンソン政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラは、当時では珍しく戦前にハーバードでMBAを取得した経営者だった。フォード自動車の社長から国防長官に抜てきされたが、このインテリ経営者も国民向けにはウソを語った。(後に記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」が作られた。「ペンタゴン・ペーパーズ」のマクナマラは本人そっくりだった。)

 ある意味、それは理解できないこともない。誘拐事件の場合、マスコミは事件発生を知っても、報道を控える。警察と報道協定を結び、警察が事実経過を提供する代わりにマスコミは家族や関係者への取材を控える。事件解決(または死体発見とか、余りにも長い時間が経ったなどの事態)まで報道しない。戦争をしている国では、戦場に滞在する兵士たちは、ある意味で「敵地に捕らわれた誘拐被害者」のようなものだ。マスコミが安易に作戦を報道したり、戦争目的に疑問をはさんだりすると、兵士を冒涜すると批判されかねない。

 そうやって、戦時中においては報道の中身が批判性を失ってしまう。権力者も戦争中は自分を強くて優れたリーダーだと強調する。戦争なんだから誰も死なないというわけにはいかない。自国の兵士を危険にさらすときに、戦争はうまく行ってないとか、自分は本当は戦争に反対だとかは言いにくい。政治家は、大体「権力欲」が強いから、報道の批判が少なくなると、自分でも自分が「戦争を決断した偉大な政治家」と信じてしまいがちだ。

 政治家の本当の姿は小心だったり、疑心暗鬼にとらわれたりしている。スキャンダルを抱えていたり、側近や友人、時には占い師や宗教家などに頼り切ったりしている。戦争を始めてしまうと、そのような人間の弱い部分が拡大されてゆき、ますます「ウソ」が政権にはびこる。そんな独裁的なリーダーを今まで何人も見てきた気がする。直言できる部下は遠ざけられ、イエスマンばかりに取り巻かれてしまう。もうウソを通すしかない事態になってしまう。

 今までの話は一般論だけど、米英仏によるシリアのアサド政権へのミサイル攻撃という事態を見ても同じように感じる。シリア攻撃を主導したトランプ大統領は、もう平気でウソをつくというか、自分の都合のいいことしか見えない特殊な思考をする人だろう。主観的にはウソじゃないのかもしれないけど、事実に基づいて考えることをしない。今回だって、必ずしも化学兵器のアサド政権使用が証明されているとは思えない。

 一方でシリアを擁護するロシアのプーチン大統領も、チェチェンやウクライナに介入しているし、シリアにも軍を派遣している「戦争をする国」だ。大統領への報道の自由はないというのに近い。先に行われた大統領選も、紛れもない不正もあったし、それ以上に出たい人が出られないものだった。イギリスでのロシア人元スパイ父娘暗殺未遂事件、あるいはオリンピックの組織的ドーピング問題への対応を見ても、トランプが信用できないのと同様にプーチンも信用できないとしか思えない。同じことはシリアのアサド政権や反体制派にも言える。

 安倍政権の最近の数多くの問題も、根底においては同様なものじゃないか。かつて小泉政権当時に、イラク特措法を作って「イラクの非戦闘地域」に自衛隊を派遣した。実際には米軍を運んだりもしたし、自衛隊派遣地帯にも危険なときがあった。しかし、そこは「非戦闘地域」なのだから、「戦闘行為」は起こらない。よって、「戦闘」と書かれた日報は隠されなければならない。このような「日報隠し」は南スーダンでも繰りかえされる。日本を「戦争のできる国」に変えようとする中で自民党政権の隠ぺい体質が形成されていった

 森友問題、加計問題、自衛隊のイラク、南スーダン日報問題、あるいは厚労省の「働き方改革」データ偽装問題…。一つ一つがそれぞれ別問題なのではなく、それは「日本を戦争のできる国」に変えてしまおうという安倍路線の中で必然的に起こってきた問題ではないだろうか。強大な権力を誇る宰相、私的会合で批判をした官僚をためらいなく更迭する政権。そんな政権にあっては、ウソがはびこるのも当然だろう。そして、今後も日本のあり方を根本的が変わらない限り、似たようなことが起こり続けるんじゃないかと思う。
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