5月は落語と浪曲に行ったのでお芝居を見る余裕がなかった。6月は続けて見る予定だが、まずは「おふぃす3〇〇」(さんじゅうまる)の「肉の海」を下北沢・本多劇場で見た(17日まで)。渡辺えりの新作で、脚本・演出・出演を兼ねて、歌もたくさん歌っている。出演メンバーは青木さやか、尾美としのり、ベンガル、三田和代など何だろうという感じのキャストが並んでいる。しかし、それより上田岳弘の「塔と重力」を原作として「純文学の新鋭とタッグを組み!」とうたわれた作品だ。

「超音楽劇」とあるように素晴らしい歌がいっぱいある一種のミュージカルで、それだけでも見る価値がある。ストーリー的にはよく判らないというか、幾重にも入り組んだ「入れ子構造」に目くるめく体験をする。痛切な悲しみを抱えた「吾等の運命」に思いをいたしながら、1995年からの現代史を再構成する壮大な作品世界に魅せられられていった。阪神大震災を中心にしながら、東日本大震災から第二次世界大戦、中東のテロへまで想像の翼が広がってゆく。
原作の上田岳弘(1979~)は2015年に「私の恋人」で三島由紀夫賞を受けた新進作家である。この時の対抗馬は又吉直樹「火花」だった。その後も「異郷の友人」で芥川賞と野間文芸新人賞の候補、「塔と重力」で野間新人文学賞候補、芸術選奨新人賞と作品は少ないながら注目されている。渡辺えり(1955~)は「私の恋人」を読んで、自分と似ていると取材で語り、その記事を読んだ上田が渡辺の公演を見に行く。公演後のアフタートークで二人が出てきたが、タルコフスキーの映画(特に「惑星ソラリス」)や宮沢賢治が好きだとか、共通点が多いと語った。
(渡辺えり)
そんな感じは見ていればよく伝わってくる。「肉の海」という言葉も、そんな生者も死者も存在する「もう一つの脳内世界」というイメージだと思う。確かに年齢を重ねてくると、脳内には過去の方がむしろ生き生きと存在していて、死者でさえ脳内によみがえってくる。「1995年」は、1月17日に阪神淡路大震災が起こり、3月20日には地下鉄でサリン事件が起きた。1995年1月17日、倒れてきた建物に閉じ込められ、そのまま二度と会えなくなってしまった。そんな人が出てくるが、「日本人全員がそれから囚われたままだ」という「恐るべき真実」をこの劇は暗示している。
冒頭は「不思議の国のアリス」で、その後売れない雑貨屋の主人兼精神科医である「ベンガル」とその家族の物語になる。しかし、ほぼ全員のキャストが一人で二役、三役をやっていて、筋書きをきちんと書くことが難しい。舞台下手(左側)にアコーディオンやパーカッションなどのミュージシャンが常時存在して、歌のシーンでは演奏している。2017年1月には高校生だった「美希子」が出てくる高校生の場面もある。ベンガルが二度と会えない娘のセーラー服を着て踊る「名場面」もある。美希子の祖母である「三田和代」は震災を超えて、戦時下の思い出に生きている。あまりにも複雑で入り組んでいるので、どうもなんだかよく判らないけど、歌の力もあって心に響く。
何が真実で何がウソなのか。誰が生きていて、誰が死んでいるのか。それすらよく判らない感じだが、脳内世界とはそういうもんだろう。僕は90年代後半の「歴史教科書」「性教育」へのバッシングに対して、1995年の阪神大震災、オウム真理教事件で日本が完全に変わってしまったと感じた。2001年の同時多発テロで「世界が変わる」前に、日本が世界に先んじて「フェイク」な世界に入って行ったと思う。そのような「フェイクな世界」にずっと自分が閉じ込められていると感じて生きている。それが「肉の海」から感じたことだけど、それは一つの感じ方に過ぎない。
重層的、祝祭的な演劇は好きだから、この演劇は面白かった。渡辺えりが「演劇は大変だけど、世界で一番楽しい」というのがよく判る。(ホンの仕上がりは5日前だったという。)上田岳弘は「疲れそう」と言ったけど、頭を疲れさせ体を疲れさせるのがいいんじゃないとすぐに渡辺えりが返した。そういう元気があふれてる。僕は渡辺えり「劇団3〇〇」の本多劇場デビュー「ゲゲゲのげ」を見ている。今回が40周年記念公演で感慨がある。40周年記念の「4000円」席が後ろの方にある。そこで見てたけど、全体が見渡せて良かった。
大林映画で懐かしい尾美としのりも頑張っていたけど、何といっても三田和代がすごい。渡辺えりは高校時代に山形県で「オンディーヌ」を見て感激した、その人と共演してると感慨深く語っていた。また「美希子」役の屋比久知奈(やびく・ともな、1994~)の素晴らしさにも圧倒された。沖縄出身で琉球大学の授業でやったミュージカルで注目され、2016年の『集まれ!ミュージカルのど自慢』で最優秀賞を受けた。その後ディズニーのアニメ「モアナと伝説の海」のモアナ役の吹き替えに抜てきされた。2017年4月に大学を卒業して、今後「タイタニック」や「レ・ミゼラブル」への出演も決まってる。要注目の屋比久知奈の堂々たる初舞台。もしかしたら、この芝居は渡辺えりの40周年記念であるとともに、屋比久知奈の初舞台で記憶されるかもしれない。
(屋比久知奈)

「超音楽劇」とあるように素晴らしい歌がいっぱいある一種のミュージカルで、それだけでも見る価値がある。ストーリー的にはよく判らないというか、幾重にも入り組んだ「入れ子構造」に目くるめく体験をする。痛切な悲しみを抱えた「吾等の運命」に思いをいたしながら、1995年からの現代史を再構成する壮大な作品世界に魅せられられていった。阪神大震災を中心にしながら、東日本大震災から第二次世界大戦、中東のテロへまで想像の翼が広がってゆく。
原作の上田岳弘(1979~)は2015年に「私の恋人」で三島由紀夫賞を受けた新進作家である。この時の対抗馬は又吉直樹「火花」だった。その後も「異郷の友人」で芥川賞と野間文芸新人賞の候補、「塔と重力」で野間新人文学賞候補、芸術選奨新人賞と作品は少ないながら注目されている。渡辺えり(1955~)は「私の恋人」を読んで、自分と似ていると取材で語り、その記事を読んだ上田が渡辺の公演を見に行く。公演後のアフタートークで二人が出てきたが、タルコフスキーの映画(特に「惑星ソラリス」)や宮沢賢治が好きだとか、共通点が多いと語った。

そんな感じは見ていればよく伝わってくる。「肉の海」という言葉も、そんな生者も死者も存在する「もう一つの脳内世界」というイメージだと思う。確かに年齢を重ねてくると、脳内には過去の方がむしろ生き生きと存在していて、死者でさえ脳内によみがえってくる。「1995年」は、1月17日に阪神淡路大震災が起こり、3月20日には地下鉄でサリン事件が起きた。1995年1月17日、倒れてきた建物に閉じ込められ、そのまま二度と会えなくなってしまった。そんな人が出てくるが、「日本人全員がそれから囚われたままだ」という「恐るべき真実」をこの劇は暗示している。
冒頭は「不思議の国のアリス」で、その後売れない雑貨屋の主人兼精神科医である「ベンガル」とその家族の物語になる。しかし、ほぼ全員のキャストが一人で二役、三役をやっていて、筋書きをきちんと書くことが難しい。舞台下手(左側)にアコーディオンやパーカッションなどのミュージシャンが常時存在して、歌のシーンでは演奏している。2017年1月には高校生だった「美希子」が出てくる高校生の場面もある。ベンガルが二度と会えない娘のセーラー服を着て踊る「名場面」もある。美希子の祖母である「三田和代」は震災を超えて、戦時下の思い出に生きている。あまりにも複雑で入り組んでいるので、どうもなんだかよく判らないけど、歌の力もあって心に響く。
何が真実で何がウソなのか。誰が生きていて、誰が死んでいるのか。それすらよく判らない感じだが、脳内世界とはそういうもんだろう。僕は90年代後半の「歴史教科書」「性教育」へのバッシングに対して、1995年の阪神大震災、オウム真理教事件で日本が完全に変わってしまったと感じた。2001年の同時多発テロで「世界が変わる」前に、日本が世界に先んじて「フェイク」な世界に入って行ったと思う。そのような「フェイクな世界」にずっと自分が閉じ込められていると感じて生きている。それが「肉の海」から感じたことだけど、それは一つの感じ方に過ぎない。
重層的、祝祭的な演劇は好きだから、この演劇は面白かった。渡辺えりが「演劇は大変だけど、世界で一番楽しい」というのがよく判る。(ホンの仕上がりは5日前だったという。)上田岳弘は「疲れそう」と言ったけど、頭を疲れさせ体を疲れさせるのがいいんじゃないとすぐに渡辺えりが返した。そういう元気があふれてる。僕は渡辺えり「劇団3〇〇」の本多劇場デビュー「ゲゲゲのげ」を見ている。今回が40周年記念公演で感慨がある。40周年記念の「4000円」席が後ろの方にある。そこで見てたけど、全体が見渡せて良かった。
大林映画で懐かしい尾美としのりも頑張っていたけど、何といっても三田和代がすごい。渡辺えりは高校時代に山形県で「オンディーヌ」を見て感激した、その人と共演してると感慨深く語っていた。また「美希子」役の屋比久知奈(やびく・ともな、1994~)の素晴らしさにも圧倒された。沖縄出身で琉球大学の授業でやったミュージカルで注目され、2016年の『集まれ!ミュージカルのど自慢』で最優秀賞を受けた。その後ディズニーのアニメ「モアナと伝説の海」のモアナ役の吹き替えに抜てきされた。2017年4月に大学を卒業して、今後「タイタニック」や「レ・ミゼラブル」への出演も決まってる。要注目の屋比久知奈の堂々たる初舞台。もしかしたら、この芝居は渡辺えりの40周年記念であるとともに、屋比久知奈の初舞台で記憶されるかもしれない。
