神保町シアターで「七〇年代の憂鬱 退廃と情熱の映画史」という特集上映が行われている。同時代で見ていたものとしては、あれがない、これもないなどと言いたくなるけど、とにかく興味深い映画17本が選ばれている。長年再見したかった「あらかじめ失われた恋人たちよ」も見たけど、71年の「前衛」的なムードには共感するものの、やっぱり失敗作だったなあと思った。一方、久方ぶりの「旅の重さ」はもう4回目ぐらいだと思うけど、やはりすごく面白かった。上映はとっくに終わっていて、見たのも2週間ぐらい前なんだけど、書き残しておきたい。
1972年に作られた斎藤耕一監督作品。スタッフやキャストのことは2回目に回して、1回目は物語を中心に書きたい。この映画はまさに同時代に同年代の物語として見た。簡単に言えば、16歳の少女が夏休みに家出して、四国遍路を続けるうちに様々な体験をする話である。少女は名前も出て来ないが、16歳というから高校1年か2年である。この映画が作られた年に、僕は高校2年生で夏に中国地方を一人旅した。最初に見た時からもう主人公に感情移入してしまい、自分のために作られたロード・ムービーのように思った。同じように特別な思い入れを持つ人も多いだろう。
この映画を久しぶりに見直して特に感じたのは「風景の美しさ」である。海や山の景色が美しいのは当然だけど、どこにでもありそうな田園風景が美しい。日本の田舎がこんなに美しかったのか。それは当時の僕に「発見」だった。まさに「ディスカバー・ジャパン」。この標語は当時の国鉄の観光キャンペーンで、日本経済が高度成長する一方で「公害」が深刻化した70年前後に話題を呼んだ。また1972年は「連合赤軍事件」の年だ。あさま山荘事件や山岳ベースでのリンチ殺人事件が大きな衝撃を与えた。政治の季節が終わり、共同体や柳田国男への関心が強まっていた。僕もそんな文脈で「日本の地方の風景」を見つけたのではなかったか。
72年になかったもの。コンビニと自販機とスマホ。自販機は当時もあったけど、この映画では使われない。調べたら70年に100万台を超えたと出てたが、多分大都市が中心だったと思う。僕も旅行中に飲み物がなくて困った記憶がある。コンビニは1974年にセブンイレブン1号店が東京にできた。黛まどかの四国遍路記を見れば、今じゃコンビニのないお遍路は考えられない。スマホはもちろんないけど、公衆電話はあるわけだが、主人公は母親に時々手紙を書いている。それが映画で朗読されて効果をあげている。家出をしたけど、手紙でつながっている。それが70年代である。
72年にあって今はないもの。500円札。これは岩倉具視の肖像だった。安宿に泊まると、一泊300円と言われる。お風呂は別で30円。いくら安いと言っても、今とは物価水準がひとケタ違う。ちょっとした支出は500円札で済む。町中の小さな映画館で痴漢に会う。痴漢はともかく、こんな感じの映画館は今は少ない。(愛媛県の八幡浜だということ。)しかし、小さな日用品は変わっていても、今も理解はできるものが多い。旅芸人の一座、魚の行商人、今はほとんど見なくなっただろうが、それでも理解できる。
理解できないのは少女の決断。大きなエピソードとして、途中で会う旅芸人一座のシーンと病気で倒れて魚の行商人(高橋悦史)に助けられるシーンがある。旅芝居が面白い、自分も入っちゃおうかというのは判る。少女は父親と住んでいない。事情は分からないけど、母親の男関係が嫌になって少女は家を出た。そんな暮らしの中で、三國連太郎演じる座長の存在感にひかれるのも「父親への憧れ」なのだろうか。しかし少女は女性の座員(横山リエ)と親しくなり、同性愛を体験する。揺れるセクシャリティが何だか自然に理解できてくる。
いろいろあって体力的にも精神的にも限界になった少女は道端で倒れる。そこを助けてくれたのが不愛想な行商人だった。これは気づいてみたら男の家で寝かせられていたので、選択の余地はない。初めはすぐに出発する気で一度は男の家を出るが、まだ回復が十分でなくまた倒れる。再び男の家に戻るが、今度は男が帰ってこない。突然船に乗って漁に出ることもあるというが、どうも違うらしい。なんだか博打で警察に捕まってたらしい。ほとんど話らしい話もせず、どういう人間か謎を秘めているが、この男に少女は惹かれてゆく。そして居ついてしまって「夫婦」のようになってしまう。これが判るようで判らない。昔からよく判らない。
だけど判らなくていいんだと思う。完全に判ってしまう物語は浅い感じがする。この少女のラストの決断が判らないから、この話は忘れられなくなっていると思う。家出をするのは判る。そこで異性と出会うのも判る。しかしたいして風采も上がらない男の家に何となく居ついてしまう。これは判らないけど、そういう生き方もあるんだということだ。僕のまわりにだって、何となくえっという感じで結ばれてしまったカップルもいくつかあった。そういうもんかとも思うが、少女の「年上に惹かれる」心性が納得できるかということか。その後どうなって行くのか、ずっとうまく行くとも思えないが、それでも人生にはそんな選択も起こり得るということが若い僕には鮮烈なメッセージだった。
1972年に作られた斎藤耕一監督作品。スタッフやキャストのことは2回目に回して、1回目は物語を中心に書きたい。この映画はまさに同時代に同年代の物語として見た。簡単に言えば、16歳の少女が夏休みに家出して、四国遍路を続けるうちに様々な体験をする話である。少女は名前も出て来ないが、16歳というから高校1年か2年である。この映画が作られた年に、僕は高校2年生で夏に中国地方を一人旅した。最初に見た時からもう主人公に感情移入してしまい、自分のために作られたロード・ムービーのように思った。同じように特別な思い入れを持つ人も多いだろう。
この映画を久しぶりに見直して特に感じたのは「風景の美しさ」である。海や山の景色が美しいのは当然だけど、どこにでもありそうな田園風景が美しい。日本の田舎がこんなに美しかったのか。それは当時の僕に「発見」だった。まさに「ディスカバー・ジャパン」。この標語は当時の国鉄の観光キャンペーンで、日本経済が高度成長する一方で「公害」が深刻化した70年前後に話題を呼んだ。また1972年は「連合赤軍事件」の年だ。あさま山荘事件や山岳ベースでのリンチ殺人事件が大きな衝撃を与えた。政治の季節が終わり、共同体や柳田国男への関心が強まっていた。僕もそんな文脈で「日本の地方の風景」を見つけたのではなかったか。
72年になかったもの。コンビニと自販機とスマホ。自販機は当時もあったけど、この映画では使われない。調べたら70年に100万台を超えたと出てたが、多分大都市が中心だったと思う。僕も旅行中に飲み物がなくて困った記憶がある。コンビニは1974年にセブンイレブン1号店が東京にできた。黛まどかの四国遍路記を見れば、今じゃコンビニのないお遍路は考えられない。スマホはもちろんないけど、公衆電話はあるわけだが、主人公は母親に時々手紙を書いている。それが映画で朗読されて効果をあげている。家出をしたけど、手紙でつながっている。それが70年代である。
72年にあって今はないもの。500円札。これは岩倉具視の肖像だった。安宿に泊まると、一泊300円と言われる。お風呂は別で30円。いくら安いと言っても、今とは物価水準がひとケタ違う。ちょっとした支出は500円札で済む。町中の小さな映画館で痴漢に会う。痴漢はともかく、こんな感じの映画館は今は少ない。(愛媛県の八幡浜だということ。)しかし、小さな日用品は変わっていても、今も理解はできるものが多い。旅芸人の一座、魚の行商人、今はほとんど見なくなっただろうが、それでも理解できる。
理解できないのは少女の決断。大きなエピソードとして、途中で会う旅芸人一座のシーンと病気で倒れて魚の行商人(高橋悦史)に助けられるシーンがある。旅芝居が面白い、自分も入っちゃおうかというのは判る。少女は父親と住んでいない。事情は分からないけど、母親の男関係が嫌になって少女は家を出た。そんな暮らしの中で、三國連太郎演じる座長の存在感にひかれるのも「父親への憧れ」なのだろうか。しかし少女は女性の座員(横山リエ)と親しくなり、同性愛を体験する。揺れるセクシャリティが何だか自然に理解できてくる。
いろいろあって体力的にも精神的にも限界になった少女は道端で倒れる。そこを助けてくれたのが不愛想な行商人だった。これは気づいてみたら男の家で寝かせられていたので、選択の余地はない。初めはすぐに出発する気で一度は男の家を出るが、まだ回復が十分でなくまた倒れる。再び男の家に戻るが、今度は男が帰ってこない。突然船に乗って漁に出ることもあるというが、どうも違うらしい。なんだか博打で警察に捕まってたらしい。ほとんど話らしい話もせず、どういう人間か謎を秘めているが、この男に少女は惹かれてゆく。そして居ついてしまって「夫婦」のようになってしまう。これが判るようで判らない。昔からよく判らない。
だけど判らなくていいんだと思う。完全に判ってしまう物語は浅い感じがする。この少女のラストの決断が判らないから、この話は忘れられなくなっていると思う。家出をするのは判る。そこで異性と出会うのも判る。しかしたいして風采も上がらない男の家に何となく居ついてしまう。これは判らないけど、そういう生き方もあるんだということだ。僕のまわりにだって、何となくえっという感じで結ばれてしまったカップルもいくつかあった。そういうもんかとも思うが、少女の「年上に惹かれる」心性が納得できるかということか。その後どうなって行くのか、ずっとうまく行くとも思えないが、それでも人生にはそんな選択も起こり得るということが若い僕には鮮烈なメッセージだった。