「高大連携歴史教育研究会」という団体が、歴史教科書の用語削減に関するインターネット上のアンケートを取った。その話が2017年12月13日の朝日新聞に載っていた。そしてアンケート結果が6月4日に掲載されていた。歴史教育に関して何回か書いたが、もともとはこの話を取り上げるつもりだった。ついでにいろいろ書いてしまって、予想外に長くなってしまったけど。
最初の記事では「龍馬、信玄、桶狭間…教科書から消える?」と見出しにあるように、「国民的になじみ深い」用語を削減対象にしていることで話題になった。これは「日本史B」「世界史B」を主に問題にしている。今は3400~3800にまで用語数が膨らんでいるという。近現代史の用語がどんどん増えるし、大学受験で差が付くようにするために増えて行ってしまうのである。
(教科書からなくなる?龍馬、信玄、謙信)
今後、新学習指導要領が「平成34年」から実施される。これじゃいつだか判らない。2022年度からということだ。そうすると20年近く実施された、地歴系科目のABという区分はなくなり、「地理総合」「歴史総合」の必履修科目の上には、「地理探求」「日本史探求」「世界史探求」という3単位科目が新設される。しかも内容的は「アクティブラーニング」的な取り組みが求められている。3単位なんだから、常識的に考えて今までの4単位科目の用語は大幅削減するしかないだろう。
だから問題は「削減用語」をどうするかということになる。今は2018年なんだから、2000年生まれの人が18歳。高校3年生になってる人が一番多いだろう。2000年は「20世紀最後の年」だから、来年度からは小中高で教育を受けている人のほとんどが「21世紀産まれ」となる。(夜間中学や定時制高校では高齢生徒も多いから、全員にはならない。)そうなると、2001年に起こった「同時多発テロ」や2003年のイラク戦争を知ってるはずがない。2005年の小泉内閣による「郵政解散」も知らない。もう21世紀の話を歴史教科書に載せる時代なのだ。
「概念用語」は外せない。「荘園制度」とか「幕藩体制」とか。世界史では「市民革命」とか「産業革命」とか。これがまた生徒はすごく苦手だ。歴史の面白さは、個々別々の歴史的出来事を総合して「概念用語」を使って理解することで、歴史がくっきりと見えてくることだ。しかし、僕の経験ではそういうパターン化と抽象化が多くの生徒にはすごく苦手らしい。それが「学力」というもので、学力が低い生徒が苦手なのも当然か。それにしても「市民革命」を何度も強調したのに全然できてないのを見ると、やっぱり革命なき国民性なのかと思ったりもする。
歴史が好きということを個別的なトリビアルな出来事に詳しいことだと思っている生徒がかなりいる。最近だと「歴女」みたいなのがいて、「御館の乱」をどう思いますかなどと聞いてくる。なんだっけ、それ? 「おたての乱」は上杉謙信没後に養子(甥)の景勝と養子の景虎(北条氏康の子)の間で起こった家督争いである。まあ越後、関東情勢には大事件だけど、全員が知る必要もないだろう。全然知らないと教員の権威に関わるかもしれないけど。歴史を学ぶとは、個別の出来事を記憶することではないということは何度も言っておかないといけない。
それと別に、僕には大きな心配がある。「歴史総合」という名前で日本史、世界史を統合してしまうと、どうしても「国際関係史」や「比較史」になりがちなんじゃないか。その時に教員の力量が不足していると、「アジアの中で唯一近代化に成功した日本」という史観になるケースも多いんじゃないか。あるいは、近代化、工業化に成功した東アジア圏、後れを取っているイスラム圏といった比較。日本史、世界史を総合した授業を構想すると、ともすればそんな理解で説明してしまう可能性。そのように簡単に世界各地の歩みを比べて、日本優位を説く。そんな心配があるのである。
それに比べれば、個別の人名をどうするかはそれほど問題ではない。武田信玄、上杉謙信は字を書かせる意味で、僕も取り上げていたと思うが、試験にはあまり出さない。信長、秀吉、家康ばかり取り上げるのも「中央史観」のような気もするけど、時間がない中ではやむを得ない。幕末は時間が近いだけ、人々の思い入れも大きいと思うけど、坂本龍馬も昔より重要性が減っている感じがする。よく考えてみれば、山内容堂や後藤象二郎ではなく、龍馬だけ大きく扱うのもおかしい。幕末政局のリアルを求めていくと、脱藩浪人が日本を「せんたく」してしまったかの大ロマンも少し色あせた感じがする。それはともかく、人物に関しては、余りしぼり過ぎると上の世代の常識が通じなくなって、「今の若いもんは…」という二次被害を呼ぶ恐れが強い。そっちも心配。
最初の記事では「龍馬、信玄、桶狭間…教科書から消える?」と見出しにあるように、「国民的になじみ深い」用語を削減対象にしていることで話題になった。これは「日本史B」「世界史B」を主に問題にしている。今は3400~3800にまで用語数が膨らんでいるという。近現代史の用語がどんどん増えるし、大学受験で差が付くようにするために増えて行ってしまうのである。
(教科書からなくなる?龍馬、信玄、謙信)
今後、新学習指導要領が「平成34年」から実施される。これじゃいつだか判らない。2022年度からということだ。そうすると20年近く実施された、地歴系科目のABという区分はなくなり、「地理総合」「歴史総合」の必履修科目の上には、「地理探求」「日本史探求」「世界史探求」という3単位科目が新設される。しかも内容的は「アクティブラーニング」的な取り組みが求められている。3単位なんだから、常識的に考えて今までの4単位科目の用語は大幅削減するしかないだろう。
だから問題は「削減用語」をどうするかということになる。今は2018年なんだから、2000年生まれの人が18歳。高校3年生になってる人が一番多いだろう。2000年は「20世紀最後の年」だから、来年度からは小中高で教育を受けている人のほとんどが「21世紀産まれ」となる。(夜間中学や定時制高校では高齢生徒も多いから、全員にはならない。)そうなると、2001年に起こった「同時多発テロ」や2003年のイラク戦争を知ってるはずがない。2005年の小泉内閣による「郵政解散」も知らない。もう21世紀の話を歴史教科書に載せる時代なのだ。
「概念用語」は外せない。「荘園制度」とか「幕藩体制」とか。世界史では「市民革命」とか「産業革命」とか。これがまた生徒はすごく苦手だ。歴史の面白さは、個々別々の歴史的出来事を総合して「概念用語」を使って理解することで、歴史がくっきりと見えてくることだ。しかし、僕の経験ではそういうパターン化と抽象化が多くの生徒にはすごく苦手らしい。それが「学力」というもので、学力が低い生徒が苦手なのも当然か。それにしても「市民革命」を何度も強調したのに全然できてないのを見ると、やっぱり革命なき国民性なのかと思ったりもする。
歴史が好きということを個別的なトリビアルな出来事に詳しいことだと思っている生徒がかなりいる。最近だと「歴女」みたいなのがいて、「御館の乱」をどう思いますかなどと聞いてくる。なんだっけ、それ? 「おたての乱」は上杉謙信没後に養子(甥)の景勝と養子の景虎(北条氏康の子)の間で起こった家督争いである。まあ越後、関東情勢には大事件だけど、全員が知る必要もないだろう。全然知らないと教員の権威に関わるかもしれないけど。歴史を学ぶとは、個別の出来事を記憶することではないということは何度も言っておかないといけない。
それと別に、僕には大きな心配がある。「歴史総合」という名前で日本史、世界史を統合してしまうと、どうしても「国際関係史」や「比較史」になりがちなんじゃないか。その時に教員の力量が不足していると、「アジアの中で唯一近代化に成功した日本」という史観になるケースも多いんじゃないか。あるいは、近代化、工業化に成功した東アジア圏、後れを取っているイスラム圏といった比較。日本史、世界史を総合した授業を構想すると、ともすればそんな理解で説明してしまう可能性。そのように簡単に世界各地の歩みを比べて、日本優位を説く。そんな心配があるのである。
それに比べれば、個別の人名をどうするかはそれほど問題ではない。武田信玄、上杉謙信は字を書かせる意味で、僕も取り上げていたと思うが、試験にはあまり出さない。信長、秀吉、家康ばかり取り上げるのも「中央史観」のような気もするけど、時間がない中ではやむを得ない。幕末は時間が近いだけ、人々の思い入れも大きいと思うけど、坂本龍馬も昔より重要性が減っている感じがする。よく考えてみれば、山内容堂や後藤象二郎ではなく、龍馬だけ大きく扱うのもおかしい。幕末政局のリアルを求めていくと、脱藩浪人が日本を「せんたく」してしまったかの大ロマンも少し色あせた感じがする。それはともかく、人物に関しては、余りしぼり過ぎると上の世代の常識が通じなくなって、「今の若いもんは…」という二次被害を呼ぶ恐れが強い。そっちも心配。