社会科系の科目、中でも「歴史」(日本史、世界史)は「暗記」中心だからダメだとよく批判される。暗記じゃない「考える授業」をやるべきだと、歴史家や歴史教育者団体も言ってきた。今じゃ文科省まで「アクティブラーニング」推進だから、なんか今までと違う工夫をしないといけない感じだ。学力が高く、学習意欲も高い生徒を教えている教員は、どんどん様々な試みをすればよい。でも、問題行動もあれば不登校もある、ごく普通の中学や高校で「自ら学ぶ」授業なんかできるのか。
そういう問題意識で書きたいと思うが、まず最初に「暗記」はバカにしたもんじゃないということを言いたい。数学(算数)は思考力を測る教科だとされるけど、じゃあ全国学力テストを前にして「過去問対策」をたくさんやるのは何故か。出題パターンと解法を覚えさせてしまおうということじゃないのか。また、多くの生徒にとって、一番の暗記科目は英語だろう。日本史の登場人物は大河ドラマなんかにも出てくる。でも英単語の多くは、実人生に出て来ない。慣用句や前置詞も丸暗記するしかない。英語はそれだけじゃなく、話す・聞く能力も大事な「実技教科」でもあるから暗記科目と思われないだけである。多くの生徒にとって、ほとんど勉強と言えば「暗記」なんじゃないか。
そして実際に世の中では「暗記」が大切だ。この世の中にいっぱいある資格試験や検定などは暗記が重要視される。もちろん資格によっては「実技」や「経験」の方が重視されるが、関連する法規などの暗記は必ず出てくる。それが多くの人の苦労である。世の中のすべての試験を全部「考える問題」にすることはできない。採点にかかる人的、時間的費用が多くなりすぎるので、実技や面接試験なんかの前に暗記中心のテストで選別するのが普通である。高齢になれば、認知症かどうかが「暗記力」で試されたりする。人生の最初から最後まで暗記が付いて回る。
大体教員採用試験そのものが、まず「教職教養」なんかの暗記力テストで選別している。多くの採用希望者すべてに「授業体験」させたり、大論文を書かせたりしている余裕はない。教師になるにも、まず「暗記力」である。この冷厳な現実を無視して、学校では「自ら学び考える力」を育てるんだと意気込んでも、学力真ん中以下の生徒にははた迷惑なんじゃないかと思う。それよりもまず、どうすれば「暗記力」が高くなるのか、きちんと教えることが先決だろう。
よく歴史の年代を「語呂合わせ」で覚えるというのがある。それもあっていいけど、僕の考える「暗記力」対策はそういうことではない。「内容をきちんと把握する」「ちゃんと自分の字で書いてみる」「100点じゃなくて90点でよい」である。最後のものから説明すると、社会科以外のテストもたくさんあるというのに、何も歴史で100点を取らなくていいだろう。いや、歴史が好きで、歴史で点を稼ぎたい人は100点目指して頑張って欲しい。でも他教科の方が得意な人はそっちに力を注ぐべきだ。普通は90点なら(難度や平均点にもよるが)ギリギリ「5」に入ってくる。歴史が得意じゃない人は100点じゃなくて90点を目指せば、うまく行けば95点、悪くても80点ぐらいにはなるだろう。
「1560年、尾張の大名織田信長は、桶狭間の戦いで駿河の大名今川義元を破った。」
まあ、こういう出来事を教えるわけである。以上の文章の中で何が一番大事か。
「〇〇〇〇年、〇〇の大名〇〇〇〇は、〇〇〇の戦いで〇〇の大名〇〇〇〇を破った」
これで〇の中に当てはまる言葉、数字を入れなさいと言っても無理だ。穴が多すぎる。だから、こんな問題は出ない。尾張とか駿河は出ないに決まってるけど、「尾張の大名〇〇〇〇」という風にヒントに使われるわけだから、覚え方が違ってくる。「織田信長」は人名として大事だからどこかで出るに違いない。どう出題されるか判らないけど、織田信長は出ると考え、書いて覚え込む。
まあ普通戦国時代の勉強だったら、信長や秀吉が出ないわけがないに決まってる。上で書いたのは当たり前すぎて役立たない。だけど基本は同じだ。100点を目指すなら試験範囲全部をすべて理解しないといけないけど、90点コースならまずは大事なことを押さえて「自分なりのノートを作る」ことに尽きると思う。自分の字で書かないと、絶対に覚えられない。普通の人はそうだろう。そして、大事なことは「理解力不足の生徒ほど、大事なことを落として、どうでもいいことを覚えてしまう」ことである。これは法則である。
だから「試験対策ノート」は教師が見た方がいい。「何がテストに出るか教えて?」と言われても、教師は誰も教えない。でも「試験対策のノートを作ってみたんですけど、これでいいかどうか見てくれますか」と持ってこられたら、「どんなに忙しい先生でも見ない人はいないよ」と僕は生徒に言ってきたけど、絶対そうだよね。違うかな? そうやって実際に持ってくる生徒は数からすれば少ないけど、必ずクラスに何人かはいる。そういうフィードバックの積み重ねで、自然に「暗記力」が伸びてくる。中身をちゃんと理解しないと暗記しようがない。当たり前である。
週に2時間、3時間程度の授業で「考える授業」と言っても、大したことはできない。史料を基に自ら調べて考えるような授業をどこかでやるのはいい。でも超進学校は別にして、普通の学校では一年中そんなことをやってたら教科書がほとんど終わらない。社会科系も受験に出るんだから、どこかで「大事なことを詰め込む授業」もやるしかない。そして世の中の中高生の半数は大学進学ではなく、高卒、あるいは専門学校卒で何か資格を取りたいと思っている。だから、「暗記は大事」と明言してちゃんと暗記力の高め方を教えておかないと実社会で苦労させちゃうんじゃないか。
そういう問題意識で書きたいと思うが、まず最初に「暗記」はバカにしたもんじゃないということを言いたい。数学(算数)は思考力を測る教科だとされるけど、じゃあ全国学力テストを前にして「過去問対策」をたくさんやるのは何故か。出題パターンと解法を覚えさせてしまおうということじゃないのか。また、多くの生徒にとって、一番の暗記科目は英語だろう。日本史の登場人物は大河ドラマなんかにも出てくる。でも英単語の多くは、実人生に出て来ない。慣用句や前置詞も丸暗記するしかない。英語はそれだけじゃなく、話す・聞く能力も大事な「実技教科」でもあるから暗記科目と思われないだけである。多くの生徒にとって、ほとんど勉強と言えば「暗記」なんじゃないか。
そして実際に世の中では「暗記」が大切だ。この世の中にいっぱいある資格試験や検定などは暗記が重要視される。もちろん資格によっては「実技」や「経験」の方が重視されるが、関連する法規などの暗記は必ず出てくる。それが多くの人の苦労である。世の中のすべての試験を全部「考える問題」にすることはできない。採点にかかる人的、時間的費用が多くなりすぎるので、実技や面接試験なんかの前に暗記中心のテストで選別するのが普通である。高齢になれば、認知症かどうかが「暗記力」で試されたりする。人生の最初から最後まで暗記が付いて回る。
大体教員採用試験そのものが、まず「教職教養」なんかの暗記力テストで選別している。多くの採用希望者すべてに「授業体験」させたり、大論文を書かせたりしている余裕はない。教師になるにも、まず「暗記力」である。この冷厳な現実を無視して、学校では「自ら学び考える力」を育てるんだと意気込んでも、学力真ん中以下の生徒にははた迷惑なんじゃないかと思う。それよりもまず、どうすれば「暗記力」が高くなるのか、きちんと教えることが先決だろう。
よく歴史の年代を「語呂合わせ」で覚えるというのがある。それもあっていいけど、僕の考える「暗記力」対策はそういうことではない。「内容をきちんと把握する」「ちゃんと自分の字で書いてみる」「100点じゃなくて90点でよい」である。最後のものから説明すると、社会科以外のテストもたくさんあるというのに、何も歴史で100点を取らなくていいだろう。いや、歴史が好きで、歴史で点を稼ぎたい人は100点目指して頑張って欲しい。でも他教科の方が得意な人はそっちに力を注ぐべきだ。普通は90点なら(難度や平均点にもよるが)ギリギリ「5」に入ってくる。歴史が得意じゃない人は100点じゃなくて90点を目指せば、うまく行けば95点、悪くても80点ぐらいにはなるだろう。
「1560年、尾張の大名織田信長は、桶狭間の戦いで駿河の大名今川義元を破った。」
まあ、こういう出来事を教えるわけである。以上の文章の中で何が一番大事か。
「〇〇〇〇年、〇〇の大名〇〇〇〇は、〇〇〇の戦いで〇〇の大名〇〇〇〇を破った」
これで〇の中に当てはまる言葉、数字を入れなさいと言っても無理だ。穴が多すぎる。だから、こんな問題は出ない。尾張とか駿河は出ないに決まってるけど、「尾張の大名〇〇〇〇」という風にヒントに使われるわけだから、覚え方が違ってくる。「織田信長」は人名として大事だからどこかで出るに違いない。どう出題されるか判らないけど、織田信長は出ると考え、書いて覚え込む。
まあ普通戦国時代の勉強だったら、信長や秀吉が出ないわけがないに決まってる。上で書いたのは当たり前すぎて役立たない。だけど基本は同じだ。100点を目指すなら試験範囲全部をすべて理解しないといけないけど、90点コースならまずは大事なことを押さえて「自分なりのノートを作る」ことに尽きると思う。自分の字で書かないと、絶対に覚えられない。普通の人はそうだろう。そして、大事なことは「理解力不足の生徒ほど、大事なことを落として、どうでもいいことを覚えてしまう」ことである。これは法則である。
だから「試験対策ノート」は教師が見た方がいい。「何がテストに出るか教えて?」と言われても、教師は誰も教えない。でも「試験対策のノートを作ってみたんですけど、これでいいかどうか見てくれますか」と持ってこられたら、「どんなに忙しい先生でも見ない人はいないよ」と僕は生徒に言ってきたけど、絶対そうだよね。違うかな? そうやって実際に持ってくる生徒は数からすれば少ないけど、必ずクラスに何人かはいる。そういうフィードバックの積み重ねで、自然に「暗記力」が伸びてくる。中身をちゃんと理解しないと暗記しようがない。当たり前である。
週に2時間、3時間程度の授業で「考える授業」と言っても、大したことはできない。史料を基に自ら調べて考えるような授業をどこかでやるのはいい。でも超進学校は別にして、普通の学校では一年中そんなことをやってたら教科書がほとんど終わらない。社会科系も受験に出るんだから、どこかで「大事なことを詰め込む授業」もやるしかない。そして世の中の中高生の半数は大学進学ではなく、高卒、あるいは専門学校卒で何か資格を取りたいと思っている。だから、「暗記は大事」と明言してちゃんと暗記力の高め方を教えておかないと実社会で苦労させちゃうんじゃないか。