尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映像と物語-映画「旅の重さ」の魅力③

2018年06月24日 23時22分55秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画「旅の重さ」は何よりも映し出された風景が美しい。それだけを見ていると「旅の軽さ」と言いたくなるぐらい、見ている者の心も解放される。そういう意味じゃ、この映画を支えているのは撮影であり、それ以前に「ロケハン」(ロケーション・ハンティング、ロケ出来る場所を探すこと)だ。ロケ場所に関しては、「居ながらシネマ」というサイトの「旅の重さ」(2013.7.26)の記事が詳しい。こんなに探してくれて大感謝。映画館のシーンが愛媛県八幡浜市でロケされたというのは、これで知った。ラストで少女が居つく港がどこかもこれで判った。関心のある人は直接探して下さい。

 撮影の坂本典隆は松竹の70年代、80年代の名作を多数手がけた。経歴はよく判らないけど、検索すると斎藤耕一監督の前作「約束」が最初にクレジットされている。斎藤監督のベストワン作品「津軽じょんがら節」や山根成之監督の「さらば夏の光よ」、「突然、嵐のように」、前田陽一監督「神様のくれた赤ん坊」など忘れられない名作を撮影している。1972年のキネ旬ベストテンは、4位が「旅の重さ」、5位が「約束」だった。斎藤監督、坂本カメラマンのコンビが素晴らしい成果を残した年だった。3月に公開された「約束」は涙なくして見られない名作で、斎藤耕一監督が続いて「旅の重さ」を撮ると聞いて、皆映画ファンはきっと傑作になると信じて見に行ったのである。

 斎藤耕一監督(1929~2009)は流麗な映像で知られた監督で、検索して調べるとクロード・ルルーシュに例えられたと出ている。そうだった、そうだった、「和製ルルーシュ」とか言われていた。ルルーシュは1966年に「男と女」がカンヌでパルムドールを取り、フランシス・レイの音楽も素晴らしく世界的に大ヒットした。「パリのめぐり逢い」「白い恋人たち」(グルノーブル冬季五輪の記録)と似たようなタッチの作品を続々と作って、パリのオシャレ映画に思えて日本でも人気が高かった。でも同じような映画が多くて、そのうち飽きてしまった。81年に大作「愛と哀しみのボレロ」が大ヒットしたが、その後はどうしたかと思ったら、2015年に「アンナとアントワーヌ」という映画が作られた。
 (斎藤耕一監督)
 ルルーシュのたくさんの映画もほんの数作しか記憶されないように、斎藤耕一監督の映画も「約束」「旅の重さ」「津軽じょんがら節」の3本になってしまうだろう。1974年に高倉健、勝新太郎、梶芽衣子「夢の競演」で、ロベール・アンリコ「冒険者たち」のような物語をねらった「無宿」(やどなし)を作った。大期待して待っていたんだけど、どうも失敗作としか言いようがなかった。「竹久夢二物語 恋する」(1975)や「凍河」(1976)あたりまでは見た記憶があるが、その後も何本も作ったけど見てないと思う。それより60年代に松竹で作っていた「思い出の指輪」「虹の中のレモン」「小さなスナック」「落葉とくちづけ」などの「歌謡映画」の再評価が必要かなと思う。

 映画監督は助監督から昇格した人が多いが、斎藤耕一は「スチル・カメラマン」(ポスターやマスコミ宣伝用の写真を撮る人)出身である。中平康監督の「月曜日のユカ」などの脚本も手掛けた。自分の映像イメージと違う映画に失望し、1967年に自費で「囁(ささや)きのジョー」を作った。これはスタイリッシュなノワール映画で、ブラジル行きを夢見る殺し屋の物語である。それなりに面白かったように覚えてるが、物語が弱く映像で見せようとする点は斎藤映画の共通点だろう。映像派や社会派は、世の中の変化や技術の発展であっという間に古くなってしまう。80年代になると、斎藤に限らず70年代に活躍した監督の多くが不調になるのは時代的要因が大きい。

 1972年の「約束」「旅の重さ」が心に残るすぐれた出来になったのは、脚本の石森史郎(ふみお)の功績も大きい。石森は日活、松竹、そしてテレビで数多くの娯楽作品を書いてきた。映画では「博多っ子純情」や「青春デンデケデケデケ」などがある。「約束」は88分、「旅の重さ」は90分と、今の映画に比べれば非常に短い。もちろん系列映画館では二本立てで公開されていた時代で、もう一本の映画と合わせると3時間超になるわけだ。デジタル時代と違って貴重なフィルム撮影だから、無駄を省きドラマをくっきりと印象付けるシナリオの役割が大きい。「旅の重さ」のきびきびとした進行はシナリオの功だと思う。

 さて最後に原作。数奇な運命で世に出た覆面作家、素九鬼子(もと・くきこ)のデビュー作である。70年代に何作書かれたが、当時は正体不明とされた。「大地の子守歌」「パーマネント・ブルー」はそれぞれ原田美枝子、秋吉久美子主演で映画化され、70年代の映画ファンには忘れられない名前だ。読んだことはないんだけど、映画を見ると全部四国、瀬戸内海が舞台。実際に作者は愛媛県出身で、東京から見ると風景も珍しい。この原作を石森が脚色し、映像派の斎藤監督が新人女優で映画化する。企画としてうまく行く要素がそろっていた。

 フォトジェニックなシーンが続き、何だか日本映画じゃないような気分で見ていた。でも僕は当時から思うんだけど、「旅の重さ」って何だろう。普通の人にとって、旅は日常より軽い。旅行に行くと、つい食べ過ぎて後悔したりする。気持ちが軽くなって浮かれてくる。旅から戻って日常生活が始まるのがうっとうしい。それが普通だと思うが、映画の主人公はあっけらかんと家出して、何となく年上の男の家に居つく。そこで暮らせば、それが日常だ。やっぱり日常の方が重いんじゃないか。そうも思うけど、もっと大きな目で見れば、人は皆生まれて死ぬまでの旅をしている。時には軽々と場所を変えられるが、どこにいても「旅の重さ」なのかもしれないなと思ったりする。
コメント (1)
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