若松孝二監督(1936~2012)が突然交通事故で亡くなって、早くも6年近く。若松プロ再始動企画として、白石和彌監督が「止められるか、俺たちを」という映画を作った。1969年から1971年にかけての「政治の季節」を駆け抜ける若松プロを熱っぽく描いている。白石監督の「孤狼の血」を見たとき、白石監督は何でも作れる監督になったと書いた記憶がある。しかし次作がこのような映画になるとは思ってなかった。この映画をどう考えればいいのだろうか。

若松孝二監督は晩年になって、連合赤軍事件や三島由紀夫事件など政治的テーマの映画を作った。戦争の愚かさを描いた「キャタピラー」では、寺島しのぶがベルリン映画祭で女優賞を獲得した。もう巨匠という扱いだったと思うけど、60年代にはピンク映画、つまり性的な刺激を与えるポルノグラフィーを作る監督とみなされていた。その中で斬新な表現の映画を連発し、だんだん「知る人ぞ知る」存在になっていったけど。この映画はそんな時代に若松プロに助監督として入った女性、吉積めぐみ(門脇麦)を中心に描いてゆく。
めぐみは新宿でフーテン生活をしていて、仲間に誘われたのである。そこで出会った人々は毎日毎日酒と煙草に明け暮れながら、映画や革命について熱く語っていた。そんな中で何も知らないめぐみも、足立正生監督の「女学生ゲリラ」の撮影に参加する。現場は実質的に、監督よりもプロデューサーの若松孝二(井浦新)が仕切っていた。若松プロの悩みは、政治的なテーマを入れると客が入らない、館主からクレームが来るということ。よって、時々は「やるだけ」映画を作って、その金で自分たちの映画を作るんだと言う。それでいいのかとまた皆は議論を続ける。
その問題はこの映画にも言えると思った。最近の白石監督は、全国で拡大公開される映画を多く作ってきたが、その合間に小規模な映画も作る。今回の映画は単館上映で、客を選んでいる。僕は日本に実名で同時代を描く映画、あるいは「バックステージ」もの(舞台の裏で起こるドラマを描く演劇。ここでは映画作りそのものをテーマにする映画といった意味)が少ないのを残念に思っている。だからこの映画は面白かったんだけど、やはり「知識を持っている人向け」だと思う。
例えば、足立正生がその後どういう人生行路をたどるか。それを知ってないと、この映画は面白くないと思う。めぐみもどうやら足立監督に憧れていたようだが、全然相手にされてない。多くの人が知ってると思うけど、足立正生は若松プロから跳躍してパレスチナの地へと飛び立ってしまった。その後獄中より帰還し、よくトークに出ているから僕も何回か話を聞いている。いかにもそれっぽい大島渚(高岡蒼祐)は時々酒場で同席し、若ちゃんの製作で映画を撮るのが夢と語る。それが「愛のコリーダ」だって知ってないと面白くないだろう。
この時代には多くの血が流れた。映画にほんのちょっとだけ「遠山美枝子」が出てくる。やがて連合赤軍に参加し、山岳ベースでの「総括」で死ぬ。後の映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で大きく取り上げられる。そんな一人ひとりのその後をラストに出しても良かったんじゃないか。三島事件の日に、井浦新演じる若松監督がテレビをつけると、そこに自衛隊で演説する三島の姿があった。井浦新主演で若松監督の「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」という映画がある。その映像を流せば、井浦新が井浦新を見るシーンが見られたんだけど、さすがにそれはまずいと思ったか、白石監督自身が三島を演じる映像をわざわざ作っている。
最近の日本に関して、何だか閉塞感を強く感じている。だから50年前が輝いて見えたりもする。確かにあの頃は多くの人が世界は変えられると思っていた。しかし、こういう映画を見ると、多くの若者はやっぱり貧しかったし、未来が見えなかった。あんなにみんながタバコを吸っていた時代はよくなかったなあと思う。学生運動から組合運動を続けた多くの活動家も、やっぱりタバコを吸い続けた。肺がんなどで亡くなった人も多い。そんな時代だったんだでは済まされない。

若松孝二監督は晩年になって、連合赤軍事件や三島由紀夫事件など政治的テーマの映画を作った。戦争の愚かさを描いた「キャタピラー」では、寺島しのぶがベルリン映画祭で女優賞を獲得した。もう巨匠という扱いだったと思うけど、60年代にはピンク映画、つまり性的な刺激を与えるポルノグラフィーを作る監督とみなされていた。その中で斬新な表現の映画を連発し、だんだん「知る人ぞ知る」存在になっていったけど。この映画はそんな時代に若松プロに助監督として入った女性、吉積めぐみ(門脇麦)を中心に描いてゆく。
めぐみは新宿でフーテン生活をしていて、仲間に誘われたのである。そこで出会った人々は毎日毎日酒と煙草に明け暮れながら、映画や革命について熱く語っていた。そんな中で何も知らないめぐみも、足立正生監督の「女学生ゲリラ」の撮影に参加する。現場は実質的に、監督よりもプロデューサーの若松孝二(井浦新)が仕切っていた。若松プロの悩みは、政治的なテーマを入れると客が入らない、館主からクレームが来るということ。よって、時々は「やるだけ」映画を作って、その金で自分たちの映画を作るんだと言う。それでいいのかとまた皆は議論を続ける。
その問題はこの映画にも言えると思った。最近の白石監督は、全国で拡大公開される映画を多く作ってきたが、その合間に小規模な映画も作る。今回の映画は単館上映で、客を選んでいる。僕は日本に実名で同時代を描く映画、あるいは「バックステージ」もの(舞台の裏で起こるドラマを描く演劇。ここでは映画作りそのものをテーマにする映画といった意味)が少ないのを残念に思っている。だからこの映画は面白かったんだけど、やはり「知識を持っている人向け」だと思う。
例えば、足立正生がその後どういう人生行路をたどるか。それを知ってないと、この映画は面白くないと思う。めぐみもどうやら足立監督に憧れていたようだが、全然相手にされてない。多くの人が知ってると思うけど、足立正生は若松プロから跳躍してパレスチナの地へと飛び立ってしまった。その後獄中より帰還し、よくトークに出ているから僕も何回か話を聞いている。いかにもそれっぽい大島渚(高岡蒼祐)は時々酒場で同席し、若ちゃんの製作で映画を撮るのが夢と語る。それが「愛のコリーダ」だって知ってないと面白くないだろう。
この時代には多くの血が流れた。映画にほんのちょっとだけ「遠山美枝子」が出てくる。やがて連合赤軍に参加し、山岳ベースでの「総括」で死ぬ。後の映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で大きく取り上げられる。そんな一人ひとりのその後をラストに出しても良かったんじゃないか。三島事件の日に、井浦新演じる若松監督がテレビをつけると、そこに自衛隊で演説する三島の姿があった。井浦新主演で若松監督の「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」という映画がある。その映像を流せば、井浦新が井浦新を見るシーンが見られたんだけど、さすがにそれはまずいと思ったか、白石監督自身が三島を演じる映像をわざわざ作っている。
最近の日本に関して、何だか閉塞感を強く感じている。だから50年前が輝いて見えたりもする。確かにあの頃は多くの人が世界は変えられると思っていた。しかし、こういう映画を見ると、多くの若者はやっぱり貧しかったし、未来が見えなかった。あんなにみんながタバコを吸っていた時代はよくなかったなあと思う。学生運動から組合運動を続けた多くの活動家も、やっぱりタバコを吸い続けた。肺がんなどで亡くなった人も多い。そんな時代だったんだでは済まされない。