尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

日韓それぞれの「国家の体」-徴用工判決考①

2018年11月07日 23時50分21秒 |  〃  (国際問題)
 一週間ほど前になるが、2018年10月30日に韓国大法院(最高裁)が元徴用工が新日鉄住金に相手に起こした損害賠償請求を認める判決を出した。日本の安倍首相はただちに「あり得ない」と反発したが、韓国政府は今の段階で反応を示していない。この判決について様々な意見が出ているが、どう考えればいいのだろうか。外国人受け入れ法案やアメリカ中間選挙についても書きたいんだけど、まずは「徴用工判決」について何回か。他の記事がたまっていて断続的に書く予定。
 (大法院に向かう原告団)
 この判決について、31日に自民党外務部会で中曽根弘文参議院議員(元外相、文相)が「韓国は国家の体をなしていない」と発言したという。「国家の体(てい)」という時の「体」を辞書で見ると、「体裁」「外から見たありさま」といった意味で使われる。最初に判決そのものではなく、このような保守派からの反発の意味を考えてみたい。

 31日付各紙朝刊は、トップで徴用工判決を報じたが、第2トップとして「辺野古問題」が掲載されている。「沖縄県の承認撤回 国が効力停止」である。31日の東京新聞は「法治国の否定に等しい」という社説を掲げたが、それは徴用工判決じゃなくて、辺野古問題に対するものだった。(徴用工判決に対しては「日韓摩擦減らす努力を」という社説を掲載している。)

 沖縄県が辺野古基地工事の埋め立て承認を撤回したことに対し、防衛省は行政不服審査法に基づいて国土交通省に効力停止を申し立てた。その申し立てを30日に国土交通省が認めたわけである。もともと国民が申し立てるケースを想定した法律を行政機関が使うことに批判があった。政府機関が政府機関に審査を求めたら、認められるに決まってる。逆に国交省が防衛省の申し立てを却下したら、今度は「閣内不統一」という問題が生じる。前にも使われた手で、安倍政権が「奇手」を使うことに慣れてしまった感じだが、どう考えてもおかしな話だ。

 判決の出た元徴用工の裁判は、これほど日本政府が反発するところから、日本政府対韓国政府の争いのように誤解している人もいるんじゃないだろうか。しかし、この裁判は民事訴訟である。元徴用工4人対新日鉄住金という私人間の裁判である。韓国政府は請求権協定について、日本政府と同じ解釈を取っている。しかし、大法院は別の法解釈を採用し、原告側勝訴の判決を下した。三権分立なんだから、裁判所が民事訴訟で政府と違う判断をすることもあるだろう。どうして「国家の体をなしてない」と言うんだろうか。

 トランプ政権が人権無視の大統領令を連発し、それに対し州政府が裁判所に効力停止を求めて提訴した。裁判所がそれを認めた判決がいくつも出た。そういう時にも日本の保守派は「アメリカは国家の体をなしていない」というのだろうか。いや、多分「さすがにアメリカは民主主義の国で、三権分立が生きている」などともっともらしく解説するんじゃないだろうか。でも、日本ではほとんど政府に都合の悪い判決が出ない。時々下級審では原発の一時停止などの決定が出たりする。しかし上級審ではいつの間にかひっくり返るのである。それが「国家の体」というものだろうか。

 この裁判はもともと一審、二審で原告敗訴の後、2012年に大法院は新しい法解釈を行って審理を差し戻した。それに基づいて、2013年にソウル高裁が賠償を認める判決を下していた。以来5年経つが、今回の判決は当然予想できた。判決が延びたのは、パク・クネ政権時に大法院に不当な圧力を掛けていたからという。東京新聞でさえ、一面の解説記事で「司法判断に政治影響」と見出しを掲げた。しかし、韓国政府は今回の判決と違う立場であり、そのような「政治の影響」を排したからこそ原告勝訴の判決になるのだと思う。

 河野外相は韓国政府に対し「きぜんとした対応を」と発言した。不可解な発言だ。誰に対してきぜんとすべきなのか。三権分立の民主国家では、行政府は司法府の判断に従うのが当然である。だから「きぜん」とするなら、日本政府に対して以外にあり得ないはずだ。ここで判ることは、自民党政権では「最高裁判決に対してきぜんとした対応をする」ということが当然視されていることだ。議員定数の違憲判決が出ても、小手先の改善を繰り返すのも当然だ。最高裁判決より政府の方が上だと思っているんじゃないだろうか。

 判決そのものに対しては、日本には日本政府の考え方があり、それは理解できる。しかし、韓国には韓国の法解釈があり、別の解釈が出てくることもありうる。反発するだけではなく、どうしてそうなるのか「理解」しようとすることが必要だと思う。そもそも「徴用工判決」と略することにも問題があると思うが、題名だけで長くなっても困るので一応そう書いておく。韓国大法院や日本政府の解釈に関しては今後書いていきたい。裁判所に訴えても何も聞いてくれないような日本の裁判に慣れてしまうと、このような韓国の裁判がおかしなものに見えてしまう。でも、こういう判決が出るということに、裁判が生きている証があるように思う。
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