かつて東京有数の花街だった柳橋が今はどんな様子になっているのか。一度行ってみたいと思っていたのは、ここが「流れる」の舞台だからだ。幸田文原作、成瀬己喜男監督の映画については、「幸田文『流れる』原作と映画」(2017.7.8)を前に書いた。今とは大きく違う柳橋の姿を映像に留めている。JR総武線浅草橋駅から近いけど、今じゃあまり意識することもない町だろう。
柳橋は川の町である。「橋」って言うんだから当たり前だが、東京では新橋とか京橋とか川を埋め立ててしまったから、案外忘れている。柳橋もそういう名前の橋から発した地名だ。神田川が隅田川に流れ込む最下流の橋である。神田川は井の頭公園に発し、早稲田の裏辺りからお茶の水駅前を流れて両国橋近くで隅田川に合流する。最初の橋は1698年に架かり、震災後の1929年に現在の橋が作られた。橋にはかんざしのレリーフが並んでいる。
「両国」は今じゃ国技館や江戸東京博物館のあるJR両国駅近辺をイメージするが、戦前までは両国橋西詰の方を指すことが多かった。時代小説なんかで両国の見世物小屋なんて出て来れば、それは西両国の話だという。そのことは西両国生まれの作家小林信彦の自伝的な本によく出てくる。そんな繁華街のすぐそばだから、ここに料亭が立ち並んだんだろう。「大川」(隅田川)を望みながら飲食できる店が最盛期には60軒以上も立ち並んでいた。
浅草橋駅を降りて神田川に出ると、ほのかに潮の香が漂う。川にはズラッと屋形船が泊められている。花街の址はほとんど残ってないけど、川に並ぶ屋形船はなんだか違う町に来た感じがする。こんなところに泊っていたのか。舟宿もいっぱい並んでいる。一番下流側、南に舟宿の「小松屋」があり、北には佃煮の「小松屋」がある。店主はいとこ同士だという。冬には牡蠣の佃煮も売ってる。店頭に柳橋の地図を置いている。すぐ近くに和菓子の「梅花亭」もあって名物らしい。
柳橋は隅田川を見る場所だった。今も神田川をはさんで隅田川の南北に「隅田川テラス」が整備されている。特に南の方は晴れていればスカイツリーが真ん前にあって眺望がいい。かつて料亭があったあたりは、ほとんどマンションやビルになっているけど、川を見れば気にならない。もっとも椅子など休める場所が少ないが、のんびりできる。今は柳橋で一押しはここだろう。
かつて柳橋にあった店で唯一残っているのは、安政年間創業という「亀清楼」。橋の北側、大きなマンションの中に残っている。明治の新政府高官は官庁街に近い新興の新橋をよく利用し、一方下町にある柳橋は旧幕びいきだったと言われる。でも亀清楼は伊藤博文愛用と伝えられる。2枚目は小松屋にあった地図の裏。橋から北に歩くと、石塚稲荷がある。石門に「柳橋料亭組合」「柳橋藝妓組合」と彫られている。料亭の名前も石に刻まれて残っている。
亀清楼は1976年に芸妓を入れない割烹に転換、最後に残った料亭も1999年に閉まって芸妓組合も解散した。花街としての柳橋は終わったわけだが、ぶらぶら歩いているとこれは昔の料亭かな、古そうな建物だなという家もまだ多少は見られる。もう僅かしかないので、いずれ全部ビルに建て替えられるだろう。僕の小さなころ、隅田川は悪臭で有名だった。川が汚れれば川辺の花街はつぶれる。そういうことで柳橋が廃れて行ったのだろう。
そんな中に隠れ家的な居場所を見つけた。「ルーサイト・ギャラリー」というところで、芸者歌手として有名だった「市丸」さんの旧宅で、何だか入りにくいけど2階が川を望むカフェになってる。写真を撮ろうかと思ったけど、お客さんもいるし狭くて暗いから、むしろ載せなくていいかと思った。駅から5分、千円以内でのんびり過ごせる場所ってあまりない。行きたい人は是非探してみてください。
柳橋は川の町である。「橋」って言うんだから当たり前だが、東京では新橋とか京橋とか川を埋め立ててしまったから、案外忘れている。柳橋もそういう名前の橋から発した地名だ。神田川が隅田川に流れ込む最下流の橋である。神田川は井の頭公園に発し、早稲田の裏辺りからお茶の水駅前を流れて両国橋近くで隅田川に合流する。最初の橋は1698年に架かり、震災後の1929年に現在の橋が作られた。橋にはかんざしのレリーフが並んでいる。
「両国」は今じゃ国技館や江戸東京博物館のあるJR両国駅近辺をイメージするが、戦前までは両国橋西詰の方を指すことが多かった。時代小説なんかで両国の見世物小屋なんて出て来れば、それは西両国の話だという。そのことは西両国生まれの作家小林信彦の自伝的な本によく出てくる。そんな繁華街のすぐそばだから、ここに料亭が立ち並んだんだろう。「大川」(隅田川)を望みながら飲食できる店が最盛期には60軒以上も立ち並んでいた。
浅草橋駅を降りて神田川に出ると、ほのかに潮の香が漂う。川にはズラッと屋形船が泊められている。花街の址はほとんど残ってないけど、川に並ぶ屋形船はなんだか違う町に来た感じがする。こんなところに泊っていたのか。舟宿もいっぱい並んでいる。一番下流側、南に舟宿の「小松屋」があり、北には佃煮の「小松屋」がある。店主はいとこ同士だという。冬には牡蠣の佃煮も売ってる。店頭に柳橋の地図を置いている。すぐ近くに和菓子の「梅花亭」もあって名物らしい。
柳橋は隅田川を見る場所だった。今も神田川をはさんで隅田川の南北に「隅田川テラス」が整備されている。特に南の方は晴れていればスカイツリーが真ん前にあって眺望がいい。かつて料亭があったあたりは、ほとんどマンションやビルになっているけど、川を見れば気にならない。もっとも椅子など休める場所が少ないが、のんびりできる。今は柳橋で一押しはここだろう。
かつて柳橋にあった店で唯一残っているのは、安政年間創業という「亀清楼」。橋の北側、大きなマンションの中に残っている。明治の新政府高官は官庁街に近い新興の新橋をよく利用し、一方下町にある柳橋は旧幕びいきだったと言われる。でも亀清楼は伊藤博文愛用と伝えられる。2枚目は小松屋にあった地図の裏。橋から北に歩くと、石塚稲荷がある。石門に「柳橋料亭組合」「柳橋藝妓組合」と彫られている。料亭の名前も石に刻まれて残っている。
亀清楼は1976年に芸妓を入れない割烹に転換、最後に残った料亭も1999年に閉まって芸妓組合も解散した。花街としての柳橋は終わったわけだが、ぶらぶら歩いているとこれは昔の料亭かな、古そうな建物だなという家もまだ多少は見られる。もう僅かしかないので、いずれ全部ビルに建て替えられるだろう。僕の小さなころ、隅田川は悪臭で有名だった。川が汚れれば川辺の花街はつぶれる。そういうことで柳橋が廃れて行ったのだろう。
そんな中に隠れ家的な居場所を見つけた。「ルーサイト・ギャラリー」というところで、芸者歌手として有名だった「市丸」さんの旧宅で、何だか入りにくいけど2階が川を望むカフェになってる。写真を撮ろうかと思ったけど、お客さんもいるし狭くて暗いから、むしろ載せなくていいかと思った。駅から5分、千円以内でのんびり過ごせる場所ってあまりない。行きたい人は是非探してみてください。