尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ちくま新書「古代史講義」「中世史講義」

2019年03月03日 22時28分38秒 |  〃 (歴史・地理)
 ちくま新書から「中世史講義」が2019年1月に刊行された。呉座勇一氏が朝日新聞に書いた紹介を見て、読んでみたくなった。なかなか良かったので、ちょうど1年前に出た「古代史講義」も読んだ。明治や昭和もあるけど、以前「昭和史講義」を読んだ時、知ってる話が多いなと思った経験がある。さすがに専門外の古代や中世だと知らないことも多くて興味深い。
 
 一般向け通史もいっぱい出ているが、どれを見ても古代や中世に数冊は充てられている。それをたった一冊で全部見通すなんてできるのか。確かに落とされていることは多くて、戦国時代の話を読んでも有名な合戦が出て来ないじゃないかと思う人も多いだろう。でも、これは若い研究者も多く参加して、一人15ページ程度で書かれた論文集なのである。論文だけど新書だから一般向けで判りやすい。これが専門研究者が書く歴史像なのかと、頑張ってチャレンジする価値がある。

 古代と中世の分かれ目はどこか。一昔前は「鎌倉幕府」だった。その前の「平氏政権」は、武士でありながら貴族文化に取り込まれた「古代最後の政権」とみなされていた。今では中世の始まりは「白河院政」だとされる。なぜかと言えば、「家の誕生」が中世史の始まりだから。白河天皇は自らの血統で皇位を継いでいくため、堀河天皇に譲位して上皇(後に法皇)として統治した。これは「天皇家」の誕生である。同じように「摂関家」が成立し、特定の軍事貴族による「将軍家」も生まれる。今に通じる「家制度」の確立を以て中世の始まりと考えるわけである。

 佐藤信編「古代史講義」は邪馬台国や古墳の話から、平城京・平安京、そして平泉までを扱っている。政治史の流れは知ってる話が多いが、「地方官衙と地方豪族」「受領と地方社会」など地域の社会、経済の歴史は知らないことが多く興味深かった。「摂関政治の実像」も一時代前は、摂関家が何でも決めていたように思われていたが、今はきちんと朝廷が機能していたことが知られている。そもそも絶頂を極めた藤原道長も、ほとんど摂政や関白にはなっていないんだという。太政官会議に出るため、ほとんどの時期で左大臣に留まって、「内覧」を兼ねていたという。

 894年の「菅原道真による遣唐使廃止」も、昔は「白紙に戻す遣唐使」と覚えたものだが、今は「廃止」と思われなくなった。「とりあえず延期」の建議である。昔は「遣唐使廃止」で「国風文化成立」と短絡的に理解されたが、その頃は遣唐使に頼らずとも大陸との往来が民間によって可能になっていた。そのように私的に訪唐した人からの情報も入っていて延期になったのだという。「国風文化」そのものも唐物なくして成り立たなかった。このように昔の教科書に出ていたことも、今ではずいぶん見直されている。

 高橋典幸、五味文彦編「中世史講義」は、院政期から戦国時代まで扱う。平家物語や太平記、あるいは戦国大名に関するさまざまな小説類で、いろんな合戦や武勇談がいくつも思い浮かぶ人もいるだろうが、そういう話は全然出て来ない。そういう意味で、専門的な歴史研究の一端に触れるいい機会だと思う。ここでも「荘園村落と武士」「中世経済を俯瞰する」が興味深い。経済史の制度的な話は、もっと詳しく解説している本をいくつも読んでいるが、どうも苦手で頭をスルーしてしまう。この程度のページ数で書かれた概略ならばよく判るし、現在の研究動向を感じられた。

 「中世」は特に日本史の場合、「中世とは何か」ということ自体が判りにくい。武士の時代と昔は簡単に言っていたが、朝廷や大寺社の力も同じぐらい大きい。幕府と朝廷の制度的な理解も難しい。宗教に関しても、教科書では「鎌倉仏教」と書いてあるけど、これは規模の小さな新興宗教であって、仏教の中心は神仏習合の大寺院だった。僕は中世史を先に読んでしまったけれど、本当は古代史から順に読む方がいいと思う。全部じゃなくても、すべて独立した論考だから、関心があるところだけでも読んでみると、専門的な歴史学ってこういうものかと思えるんじゃないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする