尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「金子文子と朴烈」を見る

2019年03月12日 23時12分38秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画「金子文子と朴烈」が公開されて評判を呼んでいる。この映画を見る前は実はちょっと心配があった。イ・ジェンイク監督(ジェニクと表記すべきだと思うがパンフに従う)の前作「空と風と星の詩人」という詩人尹東柱の伝記映画では、特高刑事が「アウシュビッツを知っているか」と尋問するし、独立運動家は「日本海軍はミッドウェーで空母4隻を失った」となぜか帝国海軍の最高機密を知っている。当時としてはありえない事実が多いのである。

 東京で上映している渋谷のシアター・イメージフォーラムは、ロブ=グリエやキドラック・タヒミックの特集上映があったので、僕はこの映画の予告編をずいぶん見た。そこでは関東大震災当日に、大臣が「震度7.9の大地震が発生しました」と報告している。震度とマグニチュードの違いぐらい、日本だったら中学生なら知ってる。さすがに地震の無い韓国らしいセリフだけど、これじゃ見る前に心配になる。実際、映画の地震シーンでは、1階が倒壊せず2階が崩壊するなど不自然な描写がある。(なおマグニチュードという概念は関東大震災当時にはなかった。)

 しかし、映画を見たらそのような心配はほとんど杞憂だった。もっとも「歴史そのまま」ではない。ドラマを判りやすく進めるために、事実を簡略化し改変した設定もある。歴史ドラマでは事実通りに描こうとすると、画面に注を付けないといけない。だから、ある程度の工夫は許されると思う。この映画では戒厳令を布くために、震災当日の内務大臣、水野錬太郎が朴烈らの集団に罪を着せる陰謀をたくらんだと描いている。そういう視点もあり得ると思うが、すべてを水野一人に負わせるのは歴史事実に反する。でもドラマ上は「大日本帝国」の悪を象徴する役柄も必要だ。

 映画はすべて東京で進行する。大きなセットが作られているが、どうも現実感がない。そこに朝鮮語と日本語が飛びかう「社会主義おでん屋」(実在の店で、今も日比谷に「いわさき」という店として続いている)という店があり、無政府主義集団「不逞社」の面々が集う。そこで「私は犬ころである」という詩を読んだ金子文子チェ・ヒソ)がこの詩の作者は誰と聞く。「パギョルだよ」と言われて、文子は「パク・ヨル?」と答える。チェ・ヒソがあえて、日本人風に発音しているのが見どころ。
 (朴烈と文子)
 この映画を成立させているのは、明らかにチェ・ヒソの存在感だ。金子文子については、去年自伝を読み直して『「金子文子「何が私をこうさせたか」再読』を書いたので、そちらを参照して欲しい。過酷な少女時代を生き抜き、朝鮮で三一独立運動も見た。その躍動する精神と肉体をチェ・ヒソが生き生きと演じる。父の仕事で日本やアメリカに住んだことがあり、日本では大阪の建国小学校に在学した。そのため日本語セリフに違和感が全くない。それだけでなく、監督とともに日本語文献も調査したそうで、映画への貢献は大きい。韓国最高の映画賞、大鐘賞で主演女優賞と新人女優賞をダブル受賞したのも当然だろう。
 (チェ・ヒソ)
 映画の原題は「朴烈」(박열)で、英語題は「Anarchist from The Colony」、大阪アジアン映画祭では「朴烈 植民地からのアナキスト」と題されていたという。公開に当たって「金子文子と朴烈」と金子文子が加わった。それは日本での知名度や映画内容を考えてのことだろうが、「アナキスト」が抜けたのは残念だと思う。ウィキペディアでは「民族主義者朴烈」と書いているが、これは大間違い。アナーキストなんだから、大日本帝国だけじゃなく、大韓帝国だって否定の対象だ。そもそもあらゆる国家と権力に反対する。そのような朴烈を「民族主義的に解釈する」ことが心配だったのだが、映画はきちんと描いていると思う。何より画面を自由な風が吹いている。

 震災が起き、朴烈らは警察に拘束される。当初は「保護」の意味合いもあったが、やがて取り調べが進むと、「大逆罪」がでっち上げられてゆく。その過程はよく描かれていて、日本側の陰謀だけではなく、朴烈の文子への気遣い、文子の熱い思いが納得できる。爆弾を入手しようとしていたのは事実だが、現実の計画とは言えない段階だった。しかし、朴烈らは大逆罪を受け入れ、朝鮮人が皇太子を目標にするのは当然じゃないかと法廷で叫ぶことになる。後半はほとんど獄中と法廷シーンだが、緊迫感が持続し目を離せない。

 監督のイ・ジュンイクは、「王の男」(2006)で大鐘賞作品賞と監督賞を受けている。今回、2度目の監督賞を受賞したが、作品賞は「タクシー運転手」だった。朴烈はイ・ジェフン が熱演している。水野錬太郎は「お嬢さん」などのキム・インウ。裁判長を金守珍、立松検事をキム・ジュンハンなど在日経験がある人が演じていて日本語セリフに違和感がない。布施辰治弁護士の山之内扶(やまのうち・たすく)は韓国で活躍する日本人俳優だという。
 (実際の朴烈と金子文子)
 ただ金子文子の死後、獄中で朴烈が「転向」した事実は触れていない。日本の敗戦後、「反共」の立場から「在日本朝鮮居留民団」の会長となるも、反発も受けて会長を再選されず韓国に帰った。朝鮮戦争で北朝鮮軍の捕虜となり、北に連行された。その後、一時は公職に就くものの、1974年に死亡したという。批判を受け、スパイとして処刑されたとも言われるが、映画は「朴烈のその後」に全く触れていない。なお、予告編に流れる歌曲は何だろうと思っていたが、パンフの加藤直樹氏の文で、戦前に活躍した有名なダンサー、崔承喜の「イタリアの庭」という曲と知った。1936年の曲で時代はずれている。懐かしい感じがとても効果を挙げている。崔承喜も北へ行って死んでいる。
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