尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

バリー・ジェンキンズ監督「ビール・ストリートの恋人たち」

2019年03月09日 23時16分46秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ムーンライト」でアカデミー作品賞を獲得したバリー・ジェンキンズ監督の「ビール・ストリートの恋人たち」。レジーナ・キングアカデミー賞助演女優賞を獲得した他、脚色賞、作曲賞にノミネートされた。原作はアメリカの黒人作家として有名なジェイムズ・ボールドウィン(1924~1987)で、「ビール・ストリートに口あらば」(If Beale Street Could Talk)の題で翻訳されていた。(持ってるけど未読。)今回早川書房から映画と同じ「ビール・ストリートの恋人たち」の題で新訳が出た。

 題だけ見ると「ビール・ストリート」の話かと思うが、ビール街というのはニューオーリンズの地名で、アメリカ黒人の歴史の象徴として使われている。映画の舞台はニューヨークのハーレム。そこで出会った若い恋人たちの運命を美しい映像で繊細に描き出す。アカデミーの作品賞にノミネートされなかったように、作品的にはちょっと弱い点もあると思う。だけど、美しい映像と俳優たちの熱演は忘れがたい。19歳の「ティッシュ」(キキ・レイン)と、22歳の「ファニー」(ステファン・ジェームズ)は幼なじみで、二人は恋に落ちる。その恋の物語を自由自在に時間を飛ばして描いている。

 脚色・監督のバリー・ジェンキンズは、説明を省略して印象的なシーンを作り出す。「ムーンライト」も同じ感じだったけど、あの映画は年齢ごとに3部に分かれているので、そこで描写がジャンプすることに違和感が少なかった。今回は幸せな恋人たちが、突然警官に見込まれてしまい冤罪事件に巻き込まれる。ということなんだと思うが、事件の内容は全然説明されない。

 ある時ファニーが獄中にいて、面会シーンで観客に知らされる。そしてラストで彼は刑務所にいる。その説明もないけど、「減刑嘆願」を出したと出る。多数の黒人たちが刑務所にいて裁判もないまま未決で長く拘禁される。裁判を待って白人警官の偽証で有罪になるより、有罪を受け入れる代わりに減刑される司法取引をしたということなんだと思う。そして結婚する前にファニーが逮捕され、ティッシュは妊娠していることに気づく。躊躇することなく未婚で母になると決意し、ティッシュの家族は応援するけれど…。しかし彼の母の方は宗教に凝っていて…。

 巻き込まれたレイプ事件の被害者は行方不明になる。故郷のプエルトリコに帰ったかもしれないという。それを調査するにもお金がかかる。やはり故郷にいると判明し、ティッシュの母シャロン(レジーナ・キング)が何とか金を工面してプエルトリコまで出かけてゆく。このシーンがオスカーをもたらしたと思うが、そのビターな結末を限りなく繊細に演じて感動する。「万引き家族」の安藤サクラに匹敵する名演だ。カメラはそっと人物を見つめ続けるが、「ムーンライト」と同じくすごく画面が美しい。撮影や照明などの技術も評価するべきだろう。

 これがアメリカで黒人たちが生きていくときの出来事なんだと作者は語っている。静かな告発が心を撃つ。ジェイムズ・ボールドウィンはアフリカ系であるとともに、同性愛者というもう一つのマイノリティだった。2018年に公開された記録映画「私はあなたのニグロではない」がボールドウィンの文章をもとにしていた。それ以前に「ハーレム135丁目 ジェイムズ・ボールドウィン抄」という1992年に公開された記録映画もある。これはとても心に残る映画だった。日本ではあまりヒットしない気がするが、これこそ忘れずに劇場で見るべき映画。心に残る佳作だ。
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文学座「寒花」を見る

2019年03月09日 21時22分46秒 | 演劇
 文学座公演「寒花」(紀伊国屋サザンシアター)を初日の4日に見た。このところパソコンからのネット接続が不調だったけれど、9日になってようやくつながったので簡単に書いておきたい。鐘下辰雄作、西川信廣演出。12日まで。もともと1997年7月に文学座アトリエ公演として上演され、第5回読売演劇大賞優秀作品賞紀伊国屋演劇賞個人賞(鐘下辰雄)などを受賞した作品。初演は見てないし、記憶もない。テーマ的にも関心があったはずなんだけど。

 1910年、外は雪が吹きすさぶ寒い旅順監獄。そこに伊藤博文を暗殺して死刑判決を受けた安重根(アン・ジュングン)が厳重に拘禁されている。泰然自若としている安重根に対して、さまざまな反応を見せて揺れる日本側の関係者。舞台上には壁があり、窓の向こうに雪が降っている。手前に机や椅子があり、そこでドラマが進行する。時々セットが回って、安重根の独房や通訳の家などになる。舞台装置はシンプルながら印象的で、圧迫されつつも外に降る雪が心に残る。三一独立運動から百年の年に再演された「寒花」には大きな意義がある。(「寒花」とは雪のことだという。)

 監獄側はでは取り外しができない手錠(つまり鍵がなくて一度はめたら壊すしかない!)を準備するなど厳重な手筈を整えている。そこへ内地の外務省から政務局長がやってくる。彼は一日一回喫煙を認めるなど、監獄の通例からは緩すぎる措置を命じる。安重根は「何よりも確実に死刑にしなければならない」存在だからこそ、脱獄は無論だがハンストや病気などによる獄死も防がないといけない。死刑にするためにこそ「健康」でいてもらわないといけない。そのために医者も用意されるし、たまたま医者と同級生だった通訳もやってくる。

 医者は監獄側にも安重根にも思い入れはなく、自分は傍観者だと語る。一方、楠木通訳(佐川和正)は安重根(瀬戸口郁)と語り合ううちに、死刑囚にはありえないような安定した心情を持つ安に惹かれてゆく。医者は楠木通訳に対して、うちに食べに来いなどと誘うが、通訳の反応はいつも煮え切らない。何か隠れた事情があるなと思うと、実は老いた母が正常な心を失っていた。日露戦争で戦死した兄が生きていると信じていて、弟が誰だか判らない。そんな家庭事情から人を招くこともできなかったのである。母親を演じている新橋耐子は素晴らしい存在感。

 安重根はキリスト教信者として、死は超越しているように見える。それが劇中の人々を変えてゆく。捕えている側も感化されてゆき、外せない手錠も壊すことになる。その過程は興味深いドラマだが、今ではかなり知られているだろう。むしろ看守に遺した書などが出て来ないのが不思議である。日本の朝鮮侵略をめぐるドラマというよりも、「死刑」を前にして様々な立場に立つ人々のドラマになっている。それはそれでいいと思うが、宗教や通訳の母の「病気」などいろんなものが絡んで、多少テーマが拡散している気もした。それでも緊張感に満ちた力作だ。
 (安重根)
 ドラマの最終盤、安重根は伊藤博文暗殺と同じ日に処刑される。これは「祥月命日」という意味で、暗殺事件は1909年10月26日死刑執行は1910年3月26日である。その年の8月29日が「韓国併合」である。安重根が「単なる殺人犯ではない」のは今では常識である。韓国では「義士」として評価されていて、ソウルの南山(ナムサン)に記念館がある。ナムサンタワーの下だから、日本で言えば東京タワーに作られたようなものである。

 ハルビンに安重根の記念室が作られたとき、菅官房長官が「日本から見れば殺人犯」と述べた。そういう言い方をすれば伊藤博文も「放火犯」であり「テロリスト」である。(幕末に江戸の英国領事館を放火した。)伊藤博文は日本が大韓帝国を「保護国」にしたときの、韓国統監府の初代統監である。大韓帝国への侵略責任があるのは確かだし、統監時代の出来事(ハーグ密使事件後の皇帝退位など)に政治的責任がある。しかし、安重根が挙げる伊藤博文の罪状はほとんどが歴史的には間違いだらけ。伊藤暗殺事件の時には、すでに韓国併合方針は閣議で決定されていた。

 ところで伊藤博文はなぜハルビンを訪れたのか。日露戦争の10年後、第一次世界大戦では日露は同じ連合国側である。日露戦後に英国の最大の脅威は、ロシアから強大化するドイツに代わっていた。そこで日露も関係の修復が図られ、4次に及ぶ日露協約が結ばれる。そのような日露関係の中で設定されたロシアの大蔵大臣との会談のため伊藤博文はハルビンに出かけたのである。ハルビンは清国の領内だが、事件の起きた駅構内はロシアが管轄していて、安重根はロシアに拘束されて日本に引き渡された。そして租借地の関東都督府(後の関東州)で裁かれた。事件発生地や被告人の国籍国以外で死刑にされたわけだが、法的には問題はなかったんだろうと思う。
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