尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

自由学園明日館とフランク・ロイド・ライトのこと

2019年03月26日 22時45分56秒 | 東京関東散歩
 西池袋にある重要文化財、自由学園明日館を訪れた。以前に「池袋西口散歩②ー明日館と東京芸術劇場」(2013.5.26)を書いてるが、それ以来である。今回は非常勤で行ってる福祉施設のメンバーと一緒。行事の時は池袋で集まるので、一度明日館に行ったらどうかなと前から思っていた。近くに住んでるからといって、行ったことがある人はほとんどいないので。時期的にはもう少し後の方が桜が満開だったけど、スタッフの都合もあるから仕方ない。それでも半分ぐらい咲いていた。28日、29日は夜もライトアップして夜桜を楽しめる。外から見るだけでも行く価値がある。

 前回の記事では自由学園のことは書いてるけど、「池袋西口散歩」だから設計者のフランク・ロイド・ライト(1867~1959)のことは名前を書いたぐらい。自分でもあまり関心がなかった。今回調べてみて興味深かったので書いておきたい。ライトは旧帝国ホテルの設計で名高いが、20世紀を代表する建築家と言われている。ル・コルビュジエミース・ファン・デル・ローエと並んで、近代建築の三大巨匠とされる。でも、何でそんなすごい人が日本に来たの? 1913年、大正2年のことなのである。そこには壮絶なドラマがあった。あんまりすごいので、ここには書かない。ウィキペディアを自分で調べてみて。
 (明日館にあるライトのパネル)
 ライトは日本に4つの建築を残した。明日館は空襲で焼けずに奇跡的に残り、修復工事を経て、今も公開講座などに使われている。空いている部屋は、申し込めば使うこともできる。なんで空襲で焼けなかったかは、館内にあるライトミュージアムに説明パネルがある。旧帝国ホテル本館は、正面玄関部が博物館明治村に移転されて残っている。それは有名だけど、後の二つ。一つは芦屋にある灘の造酒屋櫻正宗の当主、旧山邑邸である。重要文化財指定で、今はヨドコウ迎賓館として公開されている。最後の一つが世田谷区にある旧林愛作邸で、今は非公開の電通八星苑。検索していると、電通の「過労死自殺」問題の女性社員はこの寮に住んでたという記事が出てきた。真偽は知らないけど、ライト設計の建築も本人と同じく数奇な運命にあるんだなと思った。

 ところで、今日一緒に行った施設の所長(長年の友人)がポール・サイモンに「フランク・ロイド・ライト…」って歌う歌があった、知ってる?と言う。えっ、そんなのあったっけ。明日館にもサイモン&ガーファンクルのLPレコードが飾ってあった。そう言えばサイモン&ガーファンクルはCD全集を持っていたではないか。(CD全集を持ってるのは他にはパブロ・カザルスだけ。)探してみると、「明日に架ける橋」のCDである。何度も聞いてるはずだ。だけど大曲「ボクサー」(僕が一番好きな曲)の前で、それじゃ印象が薄い。「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」(So Long, Frank Lloyd Wright)という曲だ。

 「サイモン&ガーファンクル詩集」っていうのも持っていて、それに訳詞が載ってる。「さよなら、フランク・ロイド・ライト あなたの歌がこんなに早く消えてしまうなんで 僕にはとても信じられません 曲さえまだ覚えていなかったのに… こんなに早く 終わってしまうなんて…」 これじゃ、有名な建築家の歌になってない。最後のフレーズは「さよなら フランク・ロイド・ライト 意気投合した僕たちは 毎晩のように 夜が明けるまで 一緒に過ごしましたね あんなに長いこと 笑ったのは初めてでした あんなに長いこと…… まるでフランクっていう友人を歌っている感じだ。

 アート・ガーファンクルは大学時代に建築学専攻で、ポール・サイモンにライトの歌を作ってと頼んだという。でもサイモンはライトを知らず、こんな歌を作ったのだという話。「so long」が繰り返されて、それはポール・サイモンからガーファンクルへの別離のメッセージが込められていると解釈されている(とウィキペディアに出ている。)「ニューヨークの少年」(The Only Living Boy in New York)という映画「さよなら、僕のマンハッタン」のタイトルソングも同じだという話。ちょっと明日館と離れた話になったけど、素晴らしい建築を訪ねると気持ちが落ち着くなと思う。あちこち散歩に行きたくなってきた。
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