笠原十九司『増補 南京事件論争史』(平凡社ライブラリー、2018.12)を読んだ。増補版じゃない元の「南京事件論争史」(2007)も読んでるから、まあいいかと思ったが、一種の義務感で報告のため買った。知ってる人には「常識」だが、「南京大虐殺の存否」はもう何十年も前に歴史学上の決着が付いている。「南京大虐殺の規模」に関しても、ほぼ決着済みだと思う。しかし、世の中には史料を明示せず、論争にも反論せず、ひたすら「南京事件はまぼろし」と唱える人がいる。そういう人の存在を持ち出して、「諸説ある」などと利用する勢力もある。
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笠原十九司氏(1944~、都留文科大学名誉教授)はもともと現代中国史専攻だが、南京事件「論争」が起こってから地道な史料発掘に努めて来た。多くの学者が「まぼろし派」をまともに相手にしない中で、笠原氏は一つ一つきちんと論破してきた。その長年の成果がこの本で、単に南京事件だけでなく、「極右勢力による歴史修正主義の手口」を学ぶことができる。南京事件に関してはぼう大な史料集が刊行されているが、歴史修正主義者は史料を無視するのが最大の特徴である。だから歴史学界で評価されたいと思ってない。学問論争じゃないのである。
笠原氏による「論争」の推移は、ある種のミステリーのような面白さ。もっともすぐに「謎」が解明されてしまうけど、近現代史に詳しくない人には知らなかったことが多いはずだ。ぜひ多くの人が読んでみて欲しい。例を一つ挙げると、「否定派」は1937年12月に起きた南京大虐殺は戦前には全然知られていなかった、東京裁判で初めて取り上げられたなどと今も大マジメに言ってる人がいる。それがいかに大ウソか、いくつもの明確な証拠が提出されている。
世界の新聞には大きく報じられ、各国の外交官は本国に深刻な事態を報告していた。その中には、1936年に日本と防共協定と結んだナチス・ドイツの外交文書もあった。(ドイツ外交文書の史料集も刊行されている。)それらの報告は日本にも伝えられ、外務省から陸軍省に連絡されていた。軍内部でも問題視する声が強くなり、中支那方面軍司令官の松井石根を本国に召還した。しかし、事の真相は秘密にされ、国内では「凱旋将軍の帰還」として歓迎されたのである。言論の自由がなく、敗戦時には軍などの文書を大量に焼却してしまった。
70年代に始まり、80年代、90年代の「まぼろし派」の動向は直接本書で読んで欲しい。「諸君!」「正論」などの右派論壇誌に、イザヤ・ベンダサン(偽ユダヤ人で実は山本七平)や渡部昇一らが書いていた。それらの言動に刺激を受けて、旧軍人の戦史として南京戦史編纂が企画された。ところが否定したいと始めたのに、残虐行為の証言が続出してしまった。1989年に陸軍系の偕行社から『南京戦史』及び『南京戦史資料集』が刊行された。『南京戦史』で謝罪したから、本来なら30年前に「存否論争」は終わりである。
その後、90年代になると教科書問題も絡んで右派勢力の活動が活発になる。南京事件でどんな本が出ていたか、本文と年表に詳しい。もういちいち触れないが、年表を見ると2007年頃を境に、露骨な否定本が出版されなくなる。南京大虐殺の被害者の証言を「偽物」と書いた本に対し、損害賠償を求めた裁判が起こされ、最高裁で原告勝訴の判決が確定したのが大きいだろう。それで終わりのはずが、最近の10年間は政治的な問題が続いている。
靖国参拝で日中関係が悪化した小泉政権の後を受けて、第一次安倍政権は関係改善を図った。そこで日中の歴史共同研究事業が立ちあげられ、日本側では北岡伸一氏が座長となった。その報告で日本の侵略や大規模な虐殺などを日中共通で認めた。北岡氏は「集団的自衛権」を一部認める安保法制を推進した学者だが、学問的な立場に立つ以上は近代史の認識は学界共通のものとなる。自分で作った共同研究の成果を、首相に復帰した安倍晋三首相が事実上棚上げした。安倍首相の器がもう少し大きければ、歴史問題は決着していたはずだ。
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笠原十九司氏(1944~、都留文科大学名誉教授)はもともと現代中国史専攻だが、南京事件「論争」が起こってから地道な史料発掘に努めて来た。多くの学者が「まぼろし派」をまともに相手にしない中で、笠原氏は一つ一つきちんと論破してきた。その長年の成果がこの本で、単に南京事件だけでなく、「極右勢力による歴史修正主義の手口」を学ぶことができる。南京事件に関してはぼう大な史料集が刊行されているが、歴史修正主義者は史料を無視するのが最大の特徴である。だから歴史学界で評価されたいと思ってない。学問論争じゃないのである。
笠原氏による「論争」の推移は、ある種のミステリーのような面白さ。もっともすぐに「謎」が解明されてしまうけど、近現代史に詳しくない人には知らなかったことが多いはずだ。ぜひ多くの人が読んでみて欲しい。例を一つ挙げると、「否定派」は1937年12月に起きた南京大虐殺は戦前には全然知られていなかった、東京裁判で初めて取り上げられたなどと今も大マジメに言ってる人がいる。それがいかに大ウソか、いくつもの明確な証拠が提出されている。
世界の新聞には大きく報じられ、各国の外交官は本国に深刻な事態を報告していた。その中には、1936年に日本と防共協定と結んだナチス・ドイツの外交文書もあった。(ドイツ外交文書の史料集も刊行されている。)それらの報告は日本にも伝えられ、外務省から陸軍省に連絡されていた。軍内部でも問題視する声が強くなり、中支那方面軍司令官の松井石根を本国に召還した。しかし、事の真相は秘密にされ、国内では「凱旋将軍の帰還」として歓迎されたのである。言論の自由がなく、敗戦時には軍などの文書を大量に焼却してしまった。
70年代に始まり、80年代、90年代の「まぼろし派」の動向は直接本書で読んで欲しい。「諸君!」「正論」などの右派論壇誌に、イザヤ・ベンダサン(偽ユダヤ人で実は山本七平)や渡部昇一らが書いていた。それらの言動に刺激を受けて、旧軍人の戦史として南京戦史編纂が企画された。ところが否定したいと始めたのに、残虐行為の証言が続出してしまった。1989年に陸軍系の偕行社から『南京戦史』及び『南京戦史資料集』が刊行された。『南京戦史』で謝罪したから、本来なら30年前に「存否論争」は終わりである。
その後、90年代になると教科書問題も絡んで右派勢力の活動が活発になる。南京事件でどんな本が出ていたか、本文と年表に詳しい。もういちいち触れないが、年表を見ると2007年頃を境に、露骨な否定本が出版されなくなる。南京大虐殺の被害者の証言を「偽物」と書いた本に対し、損害賠償を求めた裁判が起こされ、最高裁で原告勝訴の判決が確定したのが大きいだろう。それで終わりのはずが、最近の10年間は政治的な問題が続いている。
靖国参拝で日中関係が悪化した小泉政権の後を受けて、第一次安倍政権は関係改善を図った。そこで日中の歴史共同研究事業が立ちあげられ、日本側では北岡伸一氏が座長となった。その報告で日本の侵略や大規模な虐殺などを日中共通で認めた。北岡氏は「集団的自衛権」を一部認める安保法制を推進した学者だが、学問的な立場に立つ以上は近代史の認識は学界共通のものとなる。自分で作った共同研究の成果を、首相に復帰した安倍晋三首相が事実上棚上げした。安倍首相の器がもう少し大きければ、歴史問題は決着していたはずだ。