尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イチロー惜別

2019年03月25日 22時48分03秒 | 社会(世の中の出来事)
 シアトル・マリナーズのイチロー選手が、21日の東京ドームでのアスレチックス戦の終了後に現役引退を発表した。深夜に記者会見をして、朝から様々なメディアで大々的に報道された。イチローは2018年5月3日にマリナーズと「スペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)」契約を結び、以後の試合は出場しなかった。事実上昨年で引退状態だなと思ったけど、日本でのメジャーリーグ開幕戦が決まっていたから、それが「引退興行」なんだろうと思った。でも試合後にすぐ引退を正式発表するとは予想外といえば予想外。アメリカでマイナー契約で続けるのかもと思っていた。
 (東京ドームのイチロー)
 スポーツ選手はある時点で引退が避けられない。最近も福原愛吉田沙保里松本薫、あるいは横綱稀勢の里とどんどん名前が思い浮かぶ。それなりに何か思うこともあるんだけど、イチローに関して記事を書くのは「イチローはナマで見ている」から。それはもちろんオリックス時代。95年か96年か、もうよく覚えてないけど、東京ドームの日本ハム戦。イチローはヒットを打たなかった。イチローのところに大フライも飛ばなかった。双眼鏡は持って行ったけど、全然よく見えない。でもまあ、見に行った記憶は鮮明にある。サービスの券かなんかあって、珍しく妻が見に行こうよと言った。イチローは首位打者を続けていて、すごい人が出てきたという感じだったのである。
 (オリックス時代のイチロー)
 1994年に「イチロー」という若い打者がヒットを量産し、注目を集めた。首位打者になって、趣味を聞かれて「盆栽」なんて答えるセンスに驚いた、1995年に阪神淡路大震災が起こり「がんばろう KOBE」を合い言葉にして、オリックスが優勝した。翌1996年も連覇し、日本シリーズでも優勝した。イチローは首位打者の他、打点、盗塁、最多安打、最高出塁率でタイトルを獲得した。オリックスはそれ以後優勝していないから、パリーグで21世紀に優勝してないただ一つのチームになっている。僕にとってイチローが一番印象的だったのは、この頃かもしれない。

 そもそも最初にビックリしたのは、鈴木一朗を「イチロー」という登録にしたことだ。その後、他にもプロ野球選手に名前登録が出てきたし(「鉄平」とか「サブロー」とか)、芸能人にも「小雪」とか「瑛太」とかの芸名が出て来た。今はあまり驚かないけど、最初に「イチロー」って聞いたときには、その語感はすごく新鮮だったのである。そして、2001年から大リーグに行った。僕もここまで大活躍するのは思ってなかった。僕はその前年から夜間定時制高校に転勤していた。勤務時間が昼から夜になって、家を出るのもお昼過ぎになった。そうすると時差の関係で、ちょうど西海岸のマリナーズ戦中になることが多い。(時差は16時間。)「本日のイチロー)をニュースで見て出勤するのが、僕の21世紀だった。

 もうここ数年、思うような実績が上がってない。このようにスッパリと辞めるのかどうかだけが判らなかった。記者会見は深夜だからナマでは見てないけど、ずいぶん深い言葉が多い。こういうタイプ、「職人」というか「変人」というか、そういう人が活躍したということが素晴らしい。「元選手イチロー」の今後も目が離せない。
コメント
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