フランスの作家、ミシェル・ウエルベックの新作小説「セロトニン」(Sérotonine、2019、関口涼子訳河出書房新社)がさっそく翻訳された。ウエルベックは現在のフランスでもっとも有名(悪名?)で、世界的に読まれている。春先にまとめて読んで感想を書いたが、読んだ人はいないだろう。いつも後味の悪い小説ばかり書く人で、今度の「セロトニン」も多くの皆様にとてもオススメできない傑作だ。
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今までに書いたのは、以下の通り。2019年4月半ばに集中的に読んだわけ。
「地図と領土」ーウエルベックを読む①(2019.4.12)
「闘争領域の拡大」ーウエルベックを読む②(2019.4.13)
「プラットフォーム」ーウエルベックを読む③(2019.4.16)
「ある島の可能性」ーウエルベックを読む④(2019.4.16)
「服従」ーウエルベックを読む⑤(2019.4.18)
ウエルベックの「出世作」になったのは、1998年の「素粒子」だが、これは以前に読んでいたので書いてない。その後置いてある本の中から「発掘」したので、そのうち読み直そうと思う。その「素粒子」は物理学の棚に、また「地図と領土」は地理の棚に置かれたというエピソードがある。また、セックスツァー(「プラットフォーム」)だの、ムスリム指導者がフランス大統領に当選する(「服従」)だの、物議を醸すようなテーマばかり書いてきた。すべてがとても面白く、思索エッセイ的な側面も強い「純文学」である。次第に本の内容が暗くなり、孤独の影が深くなり、自虐の度合いを深めている。
今度の題名の「セロトニン」とは、脳内の神経伝達物質の名前で、精神の安定に非常に大きな影響を与えると言われている。セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったり、うつ病を発症する原因ともなる。元々は血管の緊張を調節する物質として発見されたもので、体内のあちこちにある。睡眠や体温調節に深く関係し、精神疾患にも関わっているらしい。そこで近年は「抗うつ薬」に利用されるようになっている。ウエルベックはイスラム教に続いて今度は「こころの病」で、「引きこもり」や「蒸発」も取り上げるなど、さすがに時代の気分をとらえている。
主人公フロラン=クロード・ラブルストは、仕事と女性関係に行き詰まり、抗うつ薬「キャプトリクス」を服用している。いろいろもっともらしく解説されているが、この薬は検索できないのでフィクションじゃないかと思う。主人公はバカンスをスペインで過ごそうとしている。後から来るのは、その時の同棲相手の日本人女性「ユズ」。このユズは非常にとんでもなく描かれている。もともとウエルベックの小説は一人称なんだけど、今回は特に「ヘテロセクシャルのヨーロッパ男性」で、そこそこエリートでブルジョワという特性が際立つ。偏見丸出しのような言辞が多い。ご本人は何でも最近中国人女性と結婚した由で、特に東洋系女性に偏見があるわけじゃないんだろうけど。
40代後半の主人公はある日、フランスの農業省の仕事を理由を付けて辞めてしまい、「ユズ」を置いて平常の生活から消えることにする。そして過去の女性や友人を訪ねて回ることにする。抗うつ薬の影響で性欲はほぼなくなっている。いくつかの過去への悔恨だけで、かろうじて生きている。しかし、いまさら現実は変えられない。農業をしている昔の友人(お城を持ってる貴族なんだけど)を訪ねても、農業は行き詰まっている。主人公は農業関係のコンサルタントをしてきて、EU内でフランスの農業が「死滅」してゆくことに疑問を感じてきた。そして友人はノルマンジーで「蜂起」して悲劇を迎える。
女性関係でも、もう現代ヨーロッパでは幸福な男女の結びつきはあり得ないと思うに至る。そんな絶望的なトーンが全体を覆い尽くしていて、「ヨーロッパ文明の行き詰まり」ムードが強い。主人公はほとんど呪われていて、ただ(けっこういつもそうなんだけど)具合良く両親の遺産があって、当面何とか暮らしていける。問題は「喫煙者」の居場所がどんどんなくなっていることで、主人公はホテルを見つけるのも大変だ。そんな時代に乗り遅れてしまったような主人公を通して、「文明の終焉」を描いている。「地図と領土」「服従」と進んできた「自虐」路線も、行き着くところまで行き着いた感じだ。
ミステリー的な興趣もあるし、過去の女性との関わりは興味深い。翻訳もうまくて、スラスラ読める。性的描写が露骨すぎたり、偏見丸出しだったりということもあるが、よく出来た小説には違いない。だけど、どうも読むのが苦痛というか、もうこの辺で止めてくれ的な展開が続く。ホントここまで来たら、小説的な面白さを殺してしまう気がする。すごい小説だし、フランスの社会状況を考える役にも立つ。だからウエルベックを読む意味はある。こんな小説を書いている人がいるという知識も大事。彼が今後どういうものを書くのかも注視していきたい。まあ、ウエルベックなら他の本を先に読むべきだな。
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今までに書いたのは、以下の通り。2019年4月半ばに集中的に読んだわけ。
「地図と領土」ーウエルベックを読む①(2019.4.12)
「闘争領域の拡大」ーウエルベックを読む②(2019.4.13)
「プラットフォーム」ーウエルベックを読む③(2019.4.16)
「ある島の可能性」ーウエルベックを読む④(2019.4.16)
「服従」ーウエルベックを読む⑤(2019.4.18)
ウエルベックの「出世作」になったのは、1998年の「素粒子」だが、これは以前に読んでいたので書いてない。その後置いてある本の中から「発掘」したので、そのうち読み直そうと思う。その「素粒子」は物理学の棚に、また「地図と領土」は地理の棚に置かれたというエピソードがある。また、セックスツァー(「プラットフォーム」)だの、ムスリム指導者がフランス大統領に当選する(「服従」)だの、物議を醸すようなテーマばかり書いてきた。すべてがとても面白く、思索エッセイ的な側面も強い「純文学」である。次第に本の内容が暗くなり、孤独の影が深くなり、自虐の度合いを深めている。
今度の題名の「セロトニン」とは、脳内の神経伝達物質の名前で、精神の安定に非常に大きな影響を与えると言われている。セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったり、うつ病を発症する原因ともなる。元々は血管の緊張を調節する物質として発見されたもので、体内のあちこちにある。睡眠や体温調節に深く関係し、精神疾患にも関わっているらしい。そこで近年は「抗うつ薬」に利用されるようになっている。ウエルベックはイスラム教に続いて今度は「こころの病」で、「引きこもり」や「蒸発」も取り上げるなど、さすがに時代の気分をとらえている。
主人公フロラン=クロード・ラブルストは、仕事と女性関係に行き詰まり、抗うつ薬「キャプトリクス」を服用している。いろいろもっともらしく解説されているが、この薬は検索できないのでフィクションじゃないかと思う。主人公はバカンスをスペインで過ごそうとしている。後から来るのは、その時の同棲相手の日本人女性「ユズ」。このユズは非常にとんでもなく描かれている。もともとウエルベックの小説は一人称なんだけど、今回は特に「ヘテロセクシャルのヨーロッパ男性」で、そこそこエリートでブルジョワという特性が際立つ。偏見丸出しのような言辞が多い。ご本人は何でも最近中国人女性と結婚した由で、特に東洋系女性に偏見があるわけじゃないんだろうけど。
40代後半の主人公はある日、フランスの農業省の仕事を理由を付けて辞めてしまい、「ユズ」を置いて平常の生活から消えることにする。そして過去の女性や友人を訪ねて回ることにする。抗うつ薬の影響で性欲はほぼなくなっている。いくつかの過去への悔恨だけで、かろうじて生きている。しかし、いまさら現実は変えられない。農業をしている昔の友人(お城を持ってる貴族なんだけど)を訪ねても、農業は行き詰まっている。主人公は農業関係のコンサルタントをしてきて、EU内でフランスの農業が「死滅」してゆくことに疑問を感じてきた。そして友人はノルマンジーで「蜂起」して悲劇を迎える。
女性関係でも、もう現代ヨーロッパでは幸福な男女の結びつきはあり得ないと思うに至る。そんな絶望的なトーンが全体を覆い尽くしていて、「ヨーロッパ文明の行き詰まり」ムードが強い。主人公はほとんど呪われていて、ただ(けっこういつもそうなんだけど)具合良く両親の遺産があって、当面何とか暮らしていける。問題は「喫煙者」の居場所がどんどんなくなっていることで、主人公はホテルを見つけるのも大変だ。そんな時代に乗り遅れてしまったような主人公を通して、「文明の終焉」を描いている。「地図と領土」「服従」と進んできた「自虐」路線も、行き着くところまで行き着いた感じだ。
ミステリー的な興趣もあるし、過去の女性との関わりは興味深い。翻訳もうまくて、スラスラ読める。性的描写が露骨すぎたり、偏見丸出しだったりということもあるが、よく出来た小説には違いない。だけど、どうも読むのが苦痛というか、もうこの辺で止めてくれ的な展開が続く。ホントここまで来たら、小説的な面白さを殺してしまう気がする。すごい小説だし、フランスの社会状況を考える役にも立つ。だからウエルベックを読む意味はある。こんな小説を書いている人がいるという知識も大事。彼が今後どういうものを書くのかも注視していきたい。まあ、ウエルベックなら他の本を先に読むべきだな。