トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の「ジョーカー」は、「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーの「それ以前」を描く映画である。「アメコミ」(アメリカン・コミックス)映画は数あれど、ほとんどはヒーローの活躍を描くアクション大作で、この映画のようにヴェネツィア映画祭金獅子賞を得るほど作品的に評価された映画は珍しい。ホントに三大映画祭のグランプリに値するのかなと思ったけれど、これは傑作だ。しかし、傑作という言葉以上に「問題作」であり、見逃し禁止の重要作品。
近年ヴェネツィア映画祭には翌年のアカデミー賞レースの主要作品が集まるようになっている。5月のカンヌが最重要映画祭とされるが、9月のヴェネツィアにはアカデミー賞ねらいの米国作品が集まるようになった。2017年は「シェイプ・オブ・ウォーター」、2018年は「ローマ/POMA」が金獅子賞を取った。それを考えても、「ジョーカー」もアカデミー賞の主要部門にいくつもノミネートされることは確実だ。別に賞レースを先取りするわけじゃなく、これは時代を象徴するような重要作だ。
僕らが映画(あるいはアート一般)にまず求めるものは何か。「お気に入りの俳優が見られればそれでいい」という人もいるだろう。でも大方の人にとって、映画代も値上がりしたことだし、値段に見合うだけの満足度、つまり出来映え(完成度)がないと損した気分になる。全部の映画が満足できるはずもなく、損も勉強のうちなんだけど、それにしても見る価値ある出来じゃないと困る。この「ジョーカー」はいろいろ突っ込みたいところもあるけれど、まずは「とてもよく出来ている」のだ。面白いし、脚本も演技も撮影も優れている。個人映画っぽいチープさの押しつけはなく、ウェルメイドな技術に感服する。特に編集リズムが素晴らしく、どこでも滞留せずに一気に見られる。
「バットマン」シリーズを知らなくても大丈夫。「バットマン」は出て来ないんだし、むしろ一般映画として見る方がいいかもしれない。だけど、主人公が多くの人に支えられてハッピーエンドになる展開は封じられている。だから一応は「ジャンル映画」の文法で作られている。ジョーカーの描き方も、1989年の「バットマン」のジャック・ニコルソンはともかく、2008年の「ダークナイト」のヒース・レジャーは知っていたほうがいいかもしれない。ヒース・レジャーは映画撮影後に急死し、死後にアカデミー賞助演男優賞を受けたことでも有名。「ダークナイト」はクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイトトリロジー」と呼ばれる3部作の2作目。僕はノーラン監督と相性が悪く、暗い展開が好きになれない。
そういう暗さは「ジョーカー」も同じで、相当気持ち悪い。15歳以下禁止になってるけど、大人でも好きになれない人は多いだろう。あまりデート向きではない。しかし、この映画が突きつけてくる問題が大きいから、現代を生きるものとして見入ってしまうのである。ストーリーは特に書く必要はないだろう。主人公アーサー・フレックは脳神経障害で、不意に笑いが止まらなくなる病を持っている。コメディアンを目指す彼が、様々なシーンで排除されていって、生育歴の秘密も明かされ、ついに悪の「ジョーカー」を名乗るようになるまでを描いている。
(トッド・フィリップス監督)
その過程は同情するべき点もあるけれど、それだけではいけない。僕の見るところ、一番も問題は「社会の分断」とか「競争社会」ではなく、明らかに「銃社会」だ。銃が簡単に入手できる社会だからこその、ジョーカー誕生である。犯罪自体はその気になればできるわけだが、一気に殺人へ飛躍するのは前提に銃の存在がある。そして映画は、その前提を疑っていない。これは大問題だろう。アメリカ以外の国では、様々な社会問題は共通しながらも、殺人へのハードルがこんなに低くはない。
もう一つは「精神疾患」や「虐待」の問題で、貧困の背景にその問題がある。実は日本でも同じような状況があるように思う。論点としてもっと考えないといけない。映画では背景事情みたいな感じだが、貧困や分断以上に大問題だろう。監督のトッド・フィリップス(1970~)は絶品のドタバタ喜劇「ハングオーバー」シリーズでブレイクした。あのシリーズは確かによく出来ていて、メチャクチャおかしいけど、やがてこれほどの重大作を作るという感じはなかった。しかし見事な演出である。脚本や製作にもクレジットされているから、単なる雇われ監督じゃなくて、作家の映画なんだと思う。
(ホアキン・フェニックス)
主演のホアキン・フェニックスはノリノリの熱演で、オスカーのノミネートは確実。今までに「グラディエーター」で助演賞、「ウォーク・ザ・ライン」と「ザ・マスター」で主演賞とアカデミー賞には3回ノミネートされている。早世した兄のリヴァー・フェニックスも「旅立ちの時」で助演賞にノミネートされていた。俳優一家と知られるフェニックス一家に、初のアカデミー賞がもたらされることを僕は希望したい。
近年ヴェネツィア映画祭には翌年のアカデミー賞レースの主要作品が集まるようになっている。5月のカンヌが最重要映画祭とされるが、9月のヴェネツィアにはアカデミー賞ねらいの米国作品が集まるようになった。2017年は「シェイプ・オブ・ウォーター」、2018年は「ローマ/POMA」が金獅子賞を取った。それを考えても、「ジョーカー」もアカデミー賞の主要部門にいくつもノミネートされることは確実だ。別に賞レースを先取りするわけじゃなく、これは時代を象徴するような重要作だ。
僕らが映画(あるいはアート一般)にまず求めるものは何か。「お気に入りの俳優が見られればそれでいい」という人もいるだろう。でも大方の人にとって、映画代も値上がりしたことだし、値段に見合うだけの満足度、つまり出来映え(完成度)がないと損した気分になる。全部の映画が満足できるはずもなく、損も勉強のうちなんだけど、それにしても見る価値ある出来じゃないと困る。この「ジョーカー」はいろいろ突っ込みたいところもあるけれど、まずは「とてもよく出来ている」のだ。面白いし、脚本も演技も撮影も優れている。個人映画っぽいチープさの押しつけはなく、ウェルメイドな技術に感服する。特に編集リズムが素晴らしく、どこでも滞留せずに一気に見られる。
「バットマン」シリーズを知らなくても大丈夫。「バットマン」は出て来ないんだし、むしろ一般映画として見る方がいいかもしれない。だけど、主人公が多くの人に支えられてハッピーエンドになる展開は封じられている。だから一応は「ジャンル映画」の文法で作られている。ジョーカーの描き方も、1989年の「バットマン」のジャック・ニコルソンはともかく、2008年の「ダークナイト」のヒース・レジャーは知っていたほうがいいかもしれない。ヒース・レジャーは映画撮影後に急死し、死後にアカデミー賞助演男優賞を受けたことでも有名。「ダークナイト」はクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイトトリロジー」と呼ばれる3部作の2作目。僕はノーラン監督と相性が悪く、暗い展開が好きになれない。
そういう暗さは「ジョーカー」も同じで、相当気持ち悪い。15歳以下禁止になってるけど、大人でも好きになれない人は多いだろう。あまりデート向きではない。しかし、この映画が突きつけてくる問題が大きいから、現代を生きるものとして見入ってしまうのである。ストーリーは特に書く必要はないだろう。主人公アーサー・フレックは脳神経障害で、不意に笑いが止まらなくなる病を持っている。コメディアンを目指す彼が、様々なシーンで排除されていって、生育歴の秘密も明かされ、ついに悪の「ジョーカー」を名乗るようになるまでを描いている。
(トッド・フィリップス監督)
その過程は同情するべき点もあるけれど、それだけではいけない。僕の見るところ、一番も問題は「社会の分断」とか「競争社会」ではなく、明らかに「銃社会」だ。銃が簡単に入手できる社会だからこその、ジョーカー誕生である。犯罪自体はその気になればできるわけだが、一気に殺人へ飛躍するのは前提に銃の存在がある。そして映画は、その前提を疑っていない。これは大問題だろう。アメリカ以外の国では、様々な社会問題は共通しながらも、殺人へのハードルがこんなに低くはない。
もう一つは「精神疾患」や「虐待」の問題で、貧困の背景にその問題がある。実は日本でも同じような状況があるように思う。論点としてもっと考えないといけない。映画では背景事情みたいな感じだが、貧困や分断以上に大問題だろう。監督のトッド・フィリップス(1970~)は絶品のドタバタ喜劇「ハングオーバー」シリーズでブレイクした。あのシリーズは確かによく出来ていて、メチャクチャおかしいけど、やがてこれほどの重大作を作るという感じはなかった。しかし見事な演出である。脚本や製作にもクレジットされているから、単なる雇われ監督じゃなくて、作家の映画なんだと思う。
(ホアキン・フェニックス)
主演のホアキン・フェニックスはノリノリの熱演で、オスカーのノミネートは確実。今までに「グラディエーター」で助演賞、「ウォーク・ザ・ライン」と「ザ・マスター」で主演賞とアカデミー賞には3回ノミネートされている。早世した兄のリヴァー・フェニックスも「旅立ちの時」で助演賞にノミネートされていた。俳優一家と知られるフェニックス一家に、初のアカデミー賞がもたらされることを僕は希望したい。