2020年度からの大学入試に、英語で「民間試験」を使用する問題は先に2回書いた。「延期しかない英語民間試験」(2019.9.19)と「私立は予定通り実施を要望」(2019.9.19)である。それからもう一月半経っているので、続報を書いておきたい。僕が書いても仕方ないんだけど、なんだか見続ける責任もあるような気がするので。それに皆が知るように少しは展開があったので。
まず最初は「萩生田発言」だ。10月24日夜のBSフジの番組内で、住む場所や家庭の経済状況によって不公平が生じないかという質問に、萩生田氏は「『あいつ予備校通っててずるい』というのと同じ」などと反論。高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、生徒の境遇により本番までの受験回数に差が出るのを認めた上で、「身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば」と述べたものである。この発言は28日に至って謝罪と撤回に追い込まれた。
(発言を撤回する萩生田文科相)
しかし、ここで重要なのは「発言は撤回したが、民間テスト導入は方針通り」だということだ。「説明が不十分」だったり、「誤解を与えかねない」発言だとして撤回はしても、一番重要な英語民間試験は延期する気はないのである。文科相発言のあった24日、開会中の臨時国会に野党会派が「延期法案」を提出した。しかし、僕は野党やマスコミの反対、延期論に一片の幻想も持ってはいない。全国の校長先生たちが延期を要望している。じゃあ、延期しましょうと言うほど簡単には進まない。延期法案を野党が出したことにより、むしろ一種の「政争化」してしまうことが心配だ。
「萩生田発言」は、言わないことにしているホンネをうっかり言ってしまっただけで、もともとの文科省のねらいが「格差」拡大にあることを示している。民間試験を利用する以上、格差が広がるのは避けられない。公立高の校長は延期を要望したが、先に書いたように私立学校は導入賛成である。今までの教育行政をみれば、どっちが影響力が強いか、考えるまでもない。「生徒を実験台にしていいのか」「一生に一度、二度の大学入試で、不透明な改革を実施していいのか」。教員免許更新制を見れば判るように、文科省はまさに「実験台」にすることをためらわない。別になんとも思ってないのである。
先日の発表によれば、全国の大学の7割が何らかの形で民間試験を利用するという。もっとも一部の学部のみ利用する大学もあり、一体どのぐらいの生徒に影響があるのか不明だ。「3割の大学は利用しない」わけだが、これが多いのか少ないのかも判らない。該当の高校生は、今の2年生だ。高校2年の2学期の時点で、受験希望の大学の学部まで決まってるんだろうか。大学ごとにあまりにも複雑で、英検なら英検を受けろと言われれば、まあ頑張る気になるかもしれないが、各種いろいろあって選ぶのは難しい。しかし、僕は延期幻想は持たずに取りあえず申し込むべきだと考える。
むろん僕は延期論というか、そもそも反対論である。今後も延期論は止まないだろう。しかし、野党も大事だが、地方の保守層を取り込まない限り政権は動かない。離島、山間部などを抱える都道府県議会で、延期の請願が相次ぐなどの事態が起きるかどうか。あるいは教員、高校生ら数万人が文科省を取り巻く大集会が続くとか。でも僕はフランスじゃない日本では起きえないだろうと思っている。
もともとは「日本の英語教育に問題があるから、英会話が出来ない」。「英会話が出来ないから、日本は国際的な発信力が乏しくなる」「その結果、歴史認識問題などで中国や韓国に後れを取ってしまう」などという完全にトンチンカンな「英会話能力重視論」が保守政治家には多い。なんのために英会話を重視するのか。外国人と議論出来るようにするためなのに、日本国内では結局「議論せずに押しつける」のである。これでは英語の話す力を伸ばそうとしているように見えて、実は「疑問を持たずに言われたとおりやれ」というメッセージになっている。
まあ大学希望者自体が全体の半数である。その中で有名大学にチャレンジする受験生も全体の一部だ。そういうエリート層の英会話力が本当に延びたらどうなるか。このバカバカしい国を捨ててしまうだろう。「頭脳流出」に有効な政策だったということになるんだろう。ところで、遠隔地で受験機会が得にくいケースは指摘されている。しかし、高校卒業程度認定試験合格者(つまり高校には通ってない生徒)への情報提供はどうなるんだろう。また聴覚障害者、視覚障害者に加え、会話能力の障害(様々なケースが考えられる)など「障害を持つ生徒」の場合、どうすればいいんだろうか。僕は今までに聞いたことがないんだけど。今までは各大学や大学入試センターで個別の配慮があったと思うのだが。
まず最初は「萩生田発言」だ。10月24日夜のBSフジの番組内で、住む場所や家庭の経済状況によって不公平が生じないかという質問に、萩生田氏は「『あいつ予備校通っててずるい』というのと同じ」などと反論。高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、生徒の境遇により本番までの受験回数に差が出るのを認めた上で、「身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば」と述べたものである。この発言は28日に至って謝罪と撤回に追い込まれた。
(発言を撤回する萩生田文科相)
しかし、ここで重要なのは「発言は撤回したが、民間テスト導入は方針通り」だということだ。「説明が不十分」だったり、「誤解を与えかねない」発言だとして撤回はしても、一番重要な英語民間試験は延期する気はないのである。文科相発言のあった24日、開会中の臨時国会に野党会派が「延期法案」を提出した。しかし、僕は野党やマスコミの反対、延期論に一片の幻想も持ってはいない。全国の校長先生たちが延期を要望している。じゃあ、延期しましょうと言うほど簡単には進まない。延期法案を野党が出したことにより、むしろ一種の「政争化」してしまうことが心配だ。
「萩生田発言」は、言わないことにしているホンネをうっかり言ってしまっただけで、もともとの文科省のねらいが「格差」拡大にあることを示している。民間試験を利用する以上、格差が広がるのは避けられない。公立高の校長は延期を要望したが、先に書いたように私立学校は導入賛成である。今までの教育行政をみれば、どっちが影響力が強いか、考えるまでもない。「生徒を実験台にしていいのか」「一生に一度、二度の大学入試で、不透明な改革を実施していいのか」。教員免許更新制を見れば判るように、文科省はまさに「実験台」にすることをためらわない。別になんとも思ってないのである。
先日の発表によれば、全国の大学の7割が何らかの形で民間試験を利用するという。もっとも一部の学部のみ利用する大学もあり、一体どのぐらいの生徒に影響があるのか不明だ。「3割の大学は利用しない」わけだが、これが多いのか少ないのかも判らない。該当の高校生は、今の2年生だ。高校2年の2学期の時点で、受験希望の大学の学部まで決まってるんだろうか。大学ごとにあまりにも複雑で、英検なら英検を受けろと言われれば、まあ頑張る気になるかもしれないが、各種いろいろあって選ぶのは難しい。しかし、僕は延期幻想は持たずに取りあえず申し込むべきだと考える。
むろん僕は延期論というか、そもそも反対論である。今後も延期論は止まないだろう。しかし、野党も大事だが、地方の保守層を取り込まない限り政権は動かない。離島、山間部などを抱える都道府県議会で、延期の請願が相次ぐなどの事態が起きるかどうか。あるいは教員、高校生ら数万人が文科省を取り巻く大集会が続くとか。でも僕はフランスじゃない日本では起きえないだろうと思っている。
もともとは「日本の英語教育に問題があるから、英会話が出来ない」。「英会話が出来ないから、日本は国際的な発信力が乏しくなる」「その結果、歴史認識問題などで中国や韓国に後れを取ってしまう」などという完全にトンチンカンな「英会話能力重視論」が保守政治家には多い。なんのために英会話を重視するのか。外国人と議論出来るようにするためなのに、日本国内では結局「議論せずに押しつける」のである。これでは英語の話す力を伸ばそうとしているように見えて、実は「疑問を持たずに言われたとおりやれ」というメッセージになっている。
まあ大学希望者自体が全体の半数である。その中で有名大学にチャレンジする受験生も全体の一部だ。そういうエリート層の英会話力が本当に延びたらどうなるか。このバカバカしい国を捨ててしまうだろう。「頭脳流出」に有効な政策だったということになるんだろう。ところで、遠隔地で受験機会が得にくいケースは指摘されている。しかし、高校卒業程度認定試験合格者(つまり高校には通ってない生徒)への情報提供はどうなるんだろう。また聴覚障害者、視覚障害者に加え、会話能力の障害(様々なケースが考えられる)など「障害を持つ生徒」の場合、どうすればいいんだろうか。僕は今までに聞いたことがないんだけど。今までは各大学や大学入試センターで個別の配慮があったと思うのだが。