東京の庭園を訪ねるミニ散歩、2回目は旧古河庭園。ここは前にも書いたけれど、それは大分前のことだ。今回は前に行ったところも順番に訪ねたい。旧古河庭園は「バラと洋館」で知られていて、東京有数の「インスタ映え」スポットとして有名だろう。山手線駒込駅から北へ15分程度。南へ行くと六義園(りくぎえん)がある。駒込駅は豊島区、六義園は文京区、旧古河庭園は北区になる。
10月の東京は晴天が少なく、2回行ったんだけど曇りの日だった。建物をつい撮りたくなってしまうが、どう撮っても実物の魅力には遠い感じだ。この地はもともと明治の政治家陸奥宗光(むつ・むねみつ、日清戦争時の外相)の別宅だった。陸奥の次男潤吉が古河財閥創始者の古河市兵衛の養子となって、この地は古河家所有となる。潤吉が若くして亡くなり、遅く生まれた市兵衛の実子古河虎之助が古河財閥3代目を継いだ。この虎之助が今の洋館を作った当主である。
設計したのは、かの有名なジョサイア・コンドル。1911年に竣工し、1917年(大正7年)に完成した。コンドル設計の建築は、東京には「ニコライ堂」や「旧岩崎邸」がある。いずれも壮麗な建築だが、一番美しいのは旧古河邸じゃないだろうか。洋館の中では喫茶をやっているが、けっこう高い。時間を決めて内部見学も出来るというので、今回初めて参加してみた。洋館の中に2階には和室もある。不思議な空間を見るのも面白いけど、写真禁止で1時間の解説付き800円。まあ無理に見なくてもいいかな。
ここは春秋に「バラフェスティバル」があり、晩秋に紅葉の時期に催しがある。庭園に入ると、洋館とその前の洋風庭園に目を奪われてしまうんだけど、内部見学のためには正面玄関(上の写真初めの2枚)に行く必要がある。そこからグルッと裏まで回れるんだと初めて知った。横から見るとまた違った感じだ。それが上の写真の3枚目。ただし、館には近づけない。最後の写真は洋風庭園。そこではバラが何十種類も咲いている。時期が少しずつずれていて、11月でも咲いてるらしい。花の種類は面倒なので書かない。ホームページを見れば載っている。バラフェス最中はバラのシューアイスを売ってた。
旧古河庭園には日本庭園もある。本館完成2年後の1919年に出来たもので、京都の有名な庭師だった小川治兵衛による。洋風庭園と合わせて国指定の名勝となっている。洋館が一番高く、そこから少し下がって洋風庭園。多摩地区から続く武蔵野台地の一番東のあたりで、明治の金持ちは高台にお屋敷を築いた。その下に日本庭園があり、池がある。台地から下がる崖の部分に湧水があり、それも東京西部によくある地形だ。その水と段差をうまく生かした庭園になっている。
これから日本庭園が一番美しくなる季節を迎える。古河虎之助は関東大震災では洋館を被災者に開放したという。その後子どもを失って心境の変化もあり、ここから転居した。洋館は古河財閥の迎賓館として使われ、戦後は連合軍に接収、古河家は財産税を払うために国に物納した。そして都立庭園として整備、公開されるわけだ。昔の日本映画を見ると、時々この洋館がロケに使われている。大島渚「日本春歌考」、蔵原惟善「何か面白いことないか」の他、名前をわすれちゃったけどギャング映画かなんかで悪党の首領が住んでいたところが「あっ、あそこだ」と思った記憶がある。
10月の東京は晴天が少なく、2回行ったんだけど曇りの日だった。建物をつい撮りたくなってしまうが、どう撮っても実物の魅力には遠い感じだ。この地はもともと明治の政治家陸奥宗光(むつ・むねみつ、日清戦争時の外相)の別宅だった。陸奥の次男潤吉が古河財閥創始者の古河市兵衛の養子となって、この地は古河家所有となる。潤吉が若くして亡くなり、遅く生まれた市兵衛の実子古河虎之助が古河財閥3代目を継いだ。この虎之助が今の洋館を作った当主である。
設計したのは、かの有名なジョサイア・コンドル。1911年に竣工し、1917年(大正7年)に完成した。コンドル設計の建築は、東京には「ニコライ堂」や「旧岩崎邸」がある。いずれも壮麗な建築だが、一番美しいのは旧古河邸じゃないだろうか。洋館の中では喫茶をやっているが、けっこう高い。時間を決めて内部見学も出来るというので、今回初めて参加してみた。洋館の中に2階には和室もある。不思議な空間を見るのも面白いけど、写真禁止で1時間の解説付き800円。まあ無理に見なくてもいいかな。
ここは春秋に「バラフェスティバル」があり、晩秋に紅葉の時期に催しがある。庭園に入ると、洋館とその前の洋風庭園に目を奪われてしまうんだけど、内部見学のためには正面玄関(上の写真初めの2枚)に行く必要がある。そこからグルッと裏まで回れるんだと初めて知った。横から見るとまた違った感じだ。それが上の写真の3枚目。ただし、館には近づけない。最後の写真は洋風庭園。そこではバラが何十種類も咲いている。時期が少しずつずれていて、11月でも咲いてるらしい。花の種類は面倒なので書かない。ホームページを見れば載っている。バラフェス最中はバラのシューアイスを売ってた。
旧古河庭園には日本庭園もある。本館完成2年後の1919年に出来たもので、京都の有名な庭師だった小川治兵衛による。洋風庭園と合わせて国指定の名勝となっている。洋館が一番高く、そこから少し下がって洋風庭園。多摩地区から続く武蔵野台地の一番東のあたりで、明治の金持ちは高台にお屋敷を築いた。その下に日本庭園があり、池がある。台地から下がる崖の部分に湧水があり、それも東京西部によくある地形だ。その水と段差をうまく生かした庭園になっている。
これから日本庭園が一番美しくなる季節を迎える。古河虎之助は関東大震災では洋館を被災者に開放したという。その後子どもを失って心境の変化もあり、ここから転居した。洋館は古河財閥の迎賓館として使われ、戦後は連合軍に接収、古河家は財産税を払うために国に物納した。そして都立庭園として整備、公開されるわけだ。昔の日本映画を見ると、時々この洋館がロケに使われている。大島渚「日本春歌考」、蔵原惟善「何か面白いことないか」の他、名前をわすれちゃったけどギャング映画かなんかで悪党の首領が住んでいたところが「あっ、あそこだ」と思った記憶がある。