尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

コーシャ・フェレンツ監督「もうひとりの人」とハンガリー映画

2019年10月17日 23時23分47秒 |  〃  (旧作外国映画)
 国立映画アーカイブで「日墺洪国交樹立150周年 オーストリア映画・ハンガリー映画特集」をやっている。日本とオーストリア=ハンガリー二重帝国は、1869年に国交を結んだ。その後、ウィーンに伊藤博文が憲法研究に赴くなど、オーストリアのハプスブルク帝国との関係は深い。しかし、それは同時にハンガリーとの国交でもあったのだ。なお、オーストリアの漢字表記は「墺太利」(または墺地利)、ハンガリーの漢字表記は「洪牙利」だということで、だから特集の頭が「日墺洪国交樹立」になるわけ。

 それぞれ5作品、計10本の映画が2回ずつ上映されるところ、台風で12日、13日が休映になってしまった。その後振替上映が決まったけれど、もともと13日に見ようと思っていた「もうひとりの人」(コーシャ・フェレンツ監督、1988年)が16日にも上映されるので、見に行った。「219分」もある映画だが、第1部、第2部に分かれていて、途中で休憩が入る。まあ2本立てで見るようなものだ。この映画は、1990年の「東欧映画祭」で上映されたというが、そんなのあったかな。気になって自分の記録ノートを見直したら、全く忘れていたけど、この映画見ていたじゃないか。場所は赤坂の草月ホールである。

 すごく忙しい時期だったのに、よく見てるな。1989年が「東欧革命」だから、もともと東ヨーロッパに関心がある僕が見たいと思っても不思議じゃない。忙しくても時間を作ったんだろう。今回の上映に先だって、「ハンガリー外務貿易省職員」のコーシャ・バーリン氏による挨拶があった。ハンガリーは日本と同じく、「姓・名」の順に表記するので「コーシャ」が姓である。このバーリンさんは、フェレンツ氏の息子で日本語が達者だ。なぜなら母親が日本人だから。コーシャ・フェレンツが1967年にカンヌ映画祭監督賞を「一万の太陽」で受けた後で、通訳として話を聞いた日本女性と結婚したのである。

 コーシャ・フェレンツ監督の「もうひとりの人」は大変な力作であり、問題作だ。映像的にも美しく、カメラの動きも魅力的。ストーリー的にも波瀾万丈で、すごく面白い。傑作なんだけど、やはり「テーマ」が重大なのである。この問題性はいまこそ振り返るべきものがある。第一部は戦争末期の1944年。ハンガリー情勢はあまり詳しくないから、最初は状況がよく判らない。兵士が行軍しているが、これがハンガリー軍。ハンガリーは第一次大戦でハプスブルク帝国が崩壊したあと、領土が非常に小さくなった。「ハンガリー王国」と名乗るが、国王のいないまま「摂政ホルティ」が権力を握る態勢が続いた。第二次大戦期はドイツと同盟して戦っていた。それに反対するパルチザンも活動していた。

 主人公たち二人が民家に徴発に行ってる間に、部隊はパルチザンに襲撃され全滅する。彼らは「脱走兵」と疑われて裁判に掛けられる。危うく処罰されるところを助かるが、軍法会議を仕切る上官に逆らって逃亡する。戻った自宅はハンガリー平原東部のひなびた農場で、監督の故郷でもある。そこに妻と子と父親が暮らしていた。そして逃亡犯を捜す憲兵が現れる。いろいろなエピソードが積み重なり、軍隊の酷薄さが印象づけられるが、主人公は武器を持って逃げることはしない。「もう戦争は嫌だ」「相手の兵士ももうひとりの人間だ」「武器はもう持ちたくない」と皆に告げて家を出て行く。

 第2部は1956年。「ハンガリー動乱」の年である。かつての息子は19歳となり、ブダペストの大学生になっている。映画制作時にはまだ「東欧革命」以前だが、ソ連のペレストロイカは始まっていた。映画では、「動乱」は明らかに「民主革命」「民族革命」という立場に立っている。そのため国外上映が禁止され、1990年の日本が国外初上映だったという。ところが今になってみると、それと同じぐらい重大なのが主人公の「非暴力抵抗」の姿勢なのである。主人公はかつての父の教えを守りたいと思っている。クラスメイトたちが「武器には武器を」と過激化していく中で、ひとり非暴力を貫き批判もされる。
(「もうひとりの人」第2部)
 ハンガリーは戦後になって、ソ連「盲従」のラーコシに率いられてスターリン主義的な社会主義体制が築かれた。スターリン死後に批判が高まり、スターリン批判後ついに「動乱」になる。ワルシャワ条約機構脱退まで進み、それに対しソ連軍が進攻して大きな犠牲が出た。映画の中では、武器が民間人に流れ、秘密警察の制服を着ていると無差別に銃撃している。子どもたちも武器を持ち、殺伐とした風潮が広がっている。主人公は女友達が殺された真相を突き止めようと、教会の屋根裏に上って秘密警察員に捕まる。服を交換させられ、秘密警察の服を着て街を歩かざるを得ない。すると事情も聞かずに、武装民間人に無差別に銃撃される。

 この「憎しみが憎しみを呼ぶ」時代にどのように生きるべきか。これはシリアで、イエメンで、香港で、アメリカで…今こそこころに突き刺さるテーマだ。主人公は皆が興奮しているときにも、冷静に非暴力を主張する。そんな人がいたのか。いや、いなかったと思うけど、監督はこのような人間像を世界に示したかったのだろう。こんな「問題作」があっただろうか。しかし、「何があっても戦争だけはもう嫌だ」という気持ちは日本人には理解可能だ。まさに同時期に作られた日本の「黒い雨」(今村昌平監督、井伏鱒二原作)にそれが示されている。「もうひとりの人」という題名が深い。
(コーシャ・フェレンツ監督)
 コーシャ・フェレンツは、1937年11月21日に生まれ、2018年12月12日に亡くなった。日本では全然報道されなかったから知らなかったけれど、去年の暮れに亡くなっていた。その追悼上映でもある。長くなったので詳しくは書かないが、1950年代のポーランド映画の快進撃に続き、1960年代半ばにチェコとハンガリーで映画の「ヌーベルバーグ」が起こった。サボー・イシュトバーン(「メフィスト」)、ヤンチョー・ミクローシュ(「密告の砦」)、ファーブリ・ゾルターン(「ハンガリアン」)など多くの監督が活躍している。中でも日本との関わりもあるコーシャ・フェレンツ監督は、写真家としても知られている。日本で追悼特集が行われて欲しいと思う。(「もうひとりの人」は11月24日2時に振替上映がある。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする