村上春樹の大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」が舞台化された。東京芸術劇場プレイハウスで3月1日まで上演中。最近はなかなか劇場に行くこともなかったんだけど、昨年「海辺のカフカ」を見たから、こちらも見ておきたいと思った。これがまたミュージカル仕立ての不思議空間で、物語は原作同様に判らないながらも魅力的な舞台だった。それにしてもよく判らなかったけど。
「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に第1部、第2部、1995年に第3部が刊行された大長編で、このように3部まであるのは他には「1Q84」だけである。村上春樹文学の転換点になったと言ってもいい長編小説で、後の「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」につながってゆく世界観が示されている。だけど、後の作品群が「判らないけど、判りやすい」のと違って、「判るけど、全然判らない」ような感じの小説だと思う。読んでない人には通じない表現だと思うが。舞台の物語はほぼ原作通りのイメージ。
不思議なことに、登場人物が突然歌い出すシーンがある。まあそれはミュージカルと同じだから、趣向を知らなかったからビックリしただけで珍しいことではない。だが主人公「岡田トオル」役に成河、渡辺大知の二人がキャスティングされている。普通の意味のダブルキャストではなく、シーンごとに演じ分けるのでもなく、二人共に舞台に出てくる時もある。一人の時もある。不思議で、どうもよく判らない。岡田トオルの猫が行方不明となり、見つかったと思ったら、妻が家を出て行く。猫を探すときに知り合う女子高生笠原メイに門脇麦。他に大貫勇輔(綿谷ノボル)、徳永えり(加納クレタ/マルタ)、吹越満(間宮中尉)、 銀粉蝶(赤坂ナツメグ)等々。なかなか豪華キャストだが俳優で見る演劇じゃない。
スタッフを見ると、演出・振付・美術:インバル・ピント、脚本・演出:アミール・クリガー、脚本・演出:藤田貴大と演出に3人、脚本に2人の名前がある。インバル・ピントは「イスラエルの鬼才」とチラシにある。「100万回生きたねこ」など日本での経験も豊かなダンス演出家だという。アミール・クリガーは「気鋭」とあるがよく知らない。藤田貴大は近年注目され続けている劇作家・演出家。役割分担は判らない。そこに 音楽:大友良英が加わり、ライブで音楽を繰り広げる。
ホームページにあるストーリーをコピーすると以下の通り。飛ばして貰って構わない。
「岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。トオルは、姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で、女子高生の笠原メイと出会う。トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれていく。
そんな最中、トオルの妻のクミコが忽然と姿を消してしまう。クミコの兄・綿谷ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが自らを“水の霊媒師”と称する加納マルタ、その妹クレタとの出会いによって、クミコ失踪の影にはノボルが関わっているという疑念は確信に変わる。そしてトオルは、もっと大きな何かに巻き込まれていることにも気づきはじめる。
何かに導かれるようにトオルは隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする。クミコを取り戻す戦いは、いつしか、時代や場所を超越して、“悪”と対峙してきた“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみ、探索の年代記が始まる。“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコをとり戻すことができるのか―――。」
読んでいても判らないと思うけど、舞台を見ても原作を読んでも同じように判らない。しかし、「井戸」「行方不明」「日本軍」「異世界での戦い」など、その後の村上春樹世界に決まって登場するシチュエーションがここで出そろった作品だった。それらの複雑なイメージが万華鏡のように散りばめられているので、キラキラ光る魅力はあるが完全に納得した感覚が持てない。そういう原作そのままが舞台化されていて、だから難しいけど音楽やダンスがあるから楽しい。そんな感じかな。何しろ一番判らないのは、笠原メイが主人公を「ねじまき鳥さん」と呼ぶこと。ねじ巻き鳥って何だろう、世界のネジを巻き続ける鳥? What? それが結局よく判らない。
「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に第1部、第2部、1995年に第3部が刊行された大長編で、このように3部まであるのは他には「1Q84」だけである。村上春樹文学の転換点になったと言ってもいい長編小説で、後の「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」につながってゆく世界観が示されている。だけど、後の作品群が「判らないけど、判りやすい」のと違って、「判るけど、全然判らない」ような感じの小説だと思う。読んでない人には通じない表現だと思うが。舞台の物語はほぼ原作通りのイメージ。
不思議なことに、登場人物が突然歌い出すシーンがある。まあそれはミュージカルと同じだから、趣向を知らなかったからビックリしただけで珍しいことではない。だが主人公「岡田トオル」役に成河、渡辺大知の二人がキャスティングされている。普通の意味のダブルキャストではなく、シーンごとに演じ分けるのでもなく、二人共に舞台に出てくる時もある。一人の時もある。不思議で、どうもよく判らない。岡田トオルの猫が行方不明となり、見つかったと思ったら、妻が家を出て行く。猫を探すときに知り合う女子高生笠原メイに門脇麦。他に大貫勇輔(綿谷ノボル)、徳永えり(加納クレタ/マルタ)、吹越満(間宮中尉)、 銀粉蝶(赤坂ナツメグ)等々。なかなか豪華キャストだが俳優で見る演劇じゃない。
スタッフを見ると、演出・振付・美術:インバル・ピント、脚本・演出:アミール・クリガー、脚本・演出:藤田貴大と演出に3人、脚本に2人の名前がある。インバル・ピントは「イスラエルの鬼才」とチラシにある。「100万回生きたねこ」など日本での経験も豊かなダンス演出家だという。アミール・クリガーは「気鋭」とあるがよく知らない。藤田貴大は近年注目され続けている劇作家・演出家。役割分担は判らない。そこに 音楽:大友良英が加わり、ライブで音楽を繰り広げる。
ホームページにあるストーリーをコピーすると以下の通り。飛ばして貰って構わない。
「岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。トオルは、姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で、女子高生の笠原メイと出会う。トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれていく。
そんな最中、トオルの妻のクミコが忽然と姿を消してしまう。クミコの兄・綿谷ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが自らを“水の霊媒師”と称する加納マルタ、その妹クレタとの出会いによって、クミコ失踪の影にはノボルが関わっているという疑念は確信に変わる。そしてトオルは、もっと大きな何かに巻き込まれていることにも気づきはじめる。
何かに導かれるようにトオルは隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする。クミコを取り戻す戦いは、いつしか、時代や場所を超越して、“悪”と対峙してきた“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみ、探索の年代記が始まる。“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコをとり戻すことができるのか―――。」
読んでいても判らないと思うけど、舞台を見ても原作を読んでも同じように判らない。しかし、「井戸」「行方不明」「日本軍」「異世界での戦い」など、その後の村上春樹世界に決まって登場するシチュエーションがここで出そろった作品だった。それらの複雑なイメージが万華鏡のように散りばめられているので、キラキラ光る魅力はあるが完全に納得した感覚が持てない。そういう原作そのままが舞台化されていて、だから難しいけど音楽やダンスがあるから楽しい。そんな感じかな。何しろ一番判らないのは、笠原メイが主人公を「ねじまき鳥さん」と呼ぶこと。ねじ巻き鳥って何だろう、世界のネジを巻き続ける鳥? What? それが結局よく判らない。