新型コロナウイルスはますます蔓延し、米大統領選予備選やイギリスのEU離脱、米イランの対立問題など世界情勢も混沌としている。能天気に獅子文六を書いている時かと思わないでもないのだが、こういう時期だからこそ獅子文六が再評価されているとも言える。何しろ最近じゃエンタメ系文学でもけっこう面倒な作品が多い。軽い小説や映画なんかでも、むしろ悲劇が好まれて、「一番泣ける」とか宣伝する。だからこそ説教臭さがなく、ただ気持ちよく進行する獅子文六の小説が面白い。
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今回読んだ中で面白かったのが「バナナ」。読売新聞に1959年に連載され、1960年に松竹で映画化された。監督の渋谷実をウィキペディアで調べても「バナナ」が載ってないぐらい忘れられているが、国立映画アーカイブの追悼特集で昨年見た。主演が津川雅彦だったので上映作品に入っていたのだ。一種の「グルメ小説」でもあるが、主人公が台湾系華僑であることが珍しい。ほとんど仕事もせず、今では在日華僑総社の会長をイヤイヤ務めている呉天童。(会長になっても首相主催の観桜会に招待されるぐらいの役得しかない、とぼやいているのが時節柄おかしかった。)
この呉天童を演じているのが、歌舞伎役者の2代目尾上松緑(現4代目松緑の祖父)で、恰幅の良さが似合っている。映画出演は珍しく貴重だ。戦前に植民地だった台湾から留学し、下宿先の娘と結婚した。妻紀伊子は杉村春子、間に生まれた竜馬は津川雅彦。竜馬は大学生だが遊んでばかり。自動車部で車が欲しいが父親は認めない。自分で稼ごうと神戸の叔父からバナナ輸入の利権を譲って貰う。竜馬の友人、島村サキ子(岡田茉莉子)は大学をやめてシャンソン歌手をめざしている。一方、呉の妻は友人に誘われシャンソン喫茶に通い始めてシャンソン趣味に目覚める。
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1950年代後半を描くとき、「バナナとシャンソン」とは実に卓抜な思いつきだ。バナナは60年代初期に輸入自由化が実現したが戦後長らく輸入は認可制だった。そのためある時期までバナナは「高級果実」だったのである。一方フランスの歌である「シャンソン」(まあフランス語で「歌」の意味だが)は、特に戦後にあって日本でも多くのファンを獲得しブームになった。思想、文学、映画、ファッション、何でもフランスに憧れがあった時代だが、ちょっとオシャレな歌としてシャンソンも人気があった。
「バナナ」の家庭は一般より恵まれている。だから子どもに車を買うか買わないかが問題になる。60年前後には白黒テレビや掃除機、洗濯機などを買うかどうかが問題だった時期である。それでも獅子文六の小説に出てくるムードは全体的に上向きである。人々の気持ちは「観光」にも向き始めた。それを示すのが「箱根山」である。朝日新聞に1961年に連載され、1962年に川島雄三監督により東宝で映画化された。文庫本には「冒頭の会議は退屈」と書かれている。しかし、そここそ「箱根山戦争」と呼ばれた東急の五島慶太と西武の堤康次郎の壮絶な闘いを描いて実に興味深い現代史である。
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ところでこの「箱根山」の本筋は財界トップによる利権争奪戦ではなく、一転して「ロミオとジュリエット」になる。箱根最古の温泉「足刈」の「玉屋」と「若松屋」は大昔は一族だったが、別れて以来競争関係が続いていて口も聞かない。箱根では高度成長で団体観光が盛んになって、湯治主体の足刈も危機にある。そんな時に若松屋の娘明日子と玉屋の番頭乙夫の仲が接近中。乙夫とは珍しい名だが、実は「オットー」の当て字。戦時中に船が爆発して箱根で過ごしていたドイツ兵(実話である)と玉屋の女中の間に生まれた子どもなのだった。
(乙夫と明日子)
女中は産後に亡くなり、玉屋で育てられた乙夫は成績も抜群、性格も素直、体格も良いという優等生で加山雄三がやってる。明日子は星由里子で、若大将シリーズのコンビが初々しい魅力を発揮している。この二人の行く末に、旅館の後継者問題なども加わる。そして「氏田観光」社長の思惑もあって…。この氏田観光は藤田観光で、小涌園を開発し芦ノ湖スカイラインを建設しつつあった。足刈は「芦之湯」で、ここには「松坂屋本店」と「きのくにや」の二つの温泉旅館がある。ロケもされていて、当時の温泉風景を見ることが出来る。温泉小説としても上出来だ。
この二つに加えて「コーヒーと恋愛」(1962年読売新聞連載時は「可否道」、映画化題名は「なんじゃもんじゃー「可否道」より」)は、高度成長下に生きる人々の気持ちがよく出ている。まだまだ貧しいが、人々の心は未来に向かっている。そんな時代を背景にしたラブコメで、そのドタバタは今読む方が面白いかも。でも当時の日本を知るためには、獅子文六はA面で、B面とも言える松本清張なども読むべきだろう。このA面、B面という表現も古いかなと思うが。当時の人々は決して向上心に富むばかりではなく、貧者は富者に嫉妬やねたみを持っていたことが清張作品で理解出来る。
また「バナナ」の竜馬、「箱根山」の乙夫は、どちらも「国籍」が違う男女の間に生まれた子どもである。知られているように、獅子文六の最初の妻はパリ遊学中に知り合ったフランス女性で、最初の娘は日仏「混血」だった。獅子文六の小説で「民族性」がどのように扱われているか。そんなテーマも追求可能だろう。ひたすらスラスラ読める娯楽小説だが、読み飛ばすだけでは惜しい。風俗小説として、今から60年ぐらい前を知るためにも読んでみてもいい。
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今回読んだ中で面白かったのが「バナナ」。読売新聞に1959年に連載され、1960年に松竹で映画化された。監督の渋谷実をウィキペディアで調べても「バナナ」が載ってないぐらい忘れられているが、国立映画アーカイブの追悼特集で昨年見た。主演が津川雅彦だったので上映作品に入っていたのだ。一種の「グルメ小説」でもあるが、主人公が台湾系華僑であることが珍しい。ほとんど仕事もせず、今では在日華僑総社の会長をイヤイヤ務めている呉天童。(会長になっても首相主催の観桜会に招待されるぐらいの役得しかない、とぼやいているのが時節柄おかしかった。)
この呉天童を演じているのが、歌舞伎役者の2代目尾上松緑(現4代目松緑の祖父)で、恰幅の良さが似合っている。映画出演は珍しく貴重だ。戦前に植民地だった台湾から留学し、下宿先の娘と結婚した。妻紀伊子は杉村春子、間に生まれた竜馬は津川雅彦。竜馬は大学生だが遊んでばかり。自動車部で車が欲しいが父親は認めない。自分で稼ごうと神戸の叔父からバナナ輸入の利権を譲って貰う。竜馬の友人、島村サキ子(岡田茉莉子)は大学をやめてシャンソン歌手をめざしている。一方、呉の妻は友人に誘われシャンソン喫茶に通い始めてシャンソン趣味に目覚める。
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1950年代後半を描くとき、「バナナとシャンソン」とは実に卓抜な思いつきだ。バナナは60年代初期に輸入自由化が実現したが戦後長らく輸入は認可制だった。そのためある時期までバナナは「高級果実」だったのである。一方フランスの歌である「シャンソン」(まあフランス語で「歌」の意味だが)は、特に戦後にあって日本でも多くのファンを獲得しブームになった。思想、文学、映画、ファッション、何でもフランスに憧れがあった時代だが、ちょっとオシャレな歌としてシャンソンも人気があった。
「バナナ」の家庭は一般より恵まれている。だから子どもに車を買うか買わないかが問題になる。60年前後には白黒テレビや掃除機、洗濯機などを買うかどうかが問題だった時期である。それでも獅子文六の小説に出てくるムードは全体的に上向きである。人々の気持ちは「観光」にも向き始めた。それを示すのが「箱根山」である。朝日新聞に1961年に連載され、1962年に川島雄三監督により東宝で映画化された。文庫本には「冒頭の会議は退屈」と書かれている。しかし、そここそ「箱根山戦争」と呼ばれた東急の五島慶太と西武の堤康次郎の壮絶な闘いを描いて実に興味深い現代史である。
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ところでこの「箱根山」の本筋は財界トップによる利権争奪戦ではなく、一転して「ロミオとジュリエット」になる。箱根最古の温泉「足刈」の「玉屋」と「若松屋」は大昔は一族だったが、別れて以来競争関係が続いていて口も聞かない。箱根では高度成長で団体観光が盛んになって、湯治主体の足刈も危機にある。そんな時に若松屋の娘明日子と玉屋の番頭乙夫の仲が接近中。乙夫とは珍しい名だが、実は「オットー」の当て字。戦時中に船が爆発して箱根で過ごしていたドイツ兵(実話である)と玉屋の女中の間に生まれた子どもなのだった。
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女中は産後に亡くなり、玉屋で育てられた乙夫は成績も抜群、性格も素直、体格も良いという優等生で加山雄三がやってる。明日子は星由里子で、若大将シリーズのコンビが初々しい魅力を発揮している。この二人の行く末に、旅館の後継者問題なども加わる。そして「氏田観光」社長の思惑もあって…。この氏田観光は藤田観光で、小涌園を開発し芦ノ湖スカイラインを建設しつつあった。足刈は「芦之湯」で、ここには「松坂屋本店」と「きのくにや」の二つの温泉旅館がある。ロケもされていて、当時の温泉風景を見ることが出来る。温泉小説としても上出来だ。
この二つに加えて「コーヒーと恋愛」(1962年読売新聞連載時は「可否道」、映画化題名は「なんじゃもんじゃー「可否道」より」)は、高度成長下に生きる人々の気持ちがよく出ている。まだまだ貧しいが、人々の心は未来に向かっている。そんな時代を背景にしたラブコメで、そのドタバタは今読む方が面白いかも。でも当時の日本を知るためには、獅子文六はA面で、B面とも言える松本清張なども読むべきだろう。このA面、B面という表現も古いかなと思うが。当時の人々は決して向上心に富むばかりではなく、貧者は富者に嫉妬やねたみを持っていたことが清張作品で理解出来る。
また「バナナ」の竜馬、「箱根山」の乙夫は、どちらも「国籍」が違う男女の間に生まれた子どもである。知られているように、獅子文六の最初の妻はパリ遊学中に知り合ったフランス女性で、最初の娘は日仏「混血」だった。獅子文六の小説で「民族性」がどのように扱われているか。そんなテーマも追求可能だろう。ひたすらスラスラ読める娯楽小説だが、読み飛ばすだけでは惜しい。風俗小説として、今から60年ぐらい前を知るためにも読んでみてもいい。