尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

日光男体山-日本の山⑭

2020年02月26日 20時49分42秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 旅行のカテゴリーの中に「日光」を作ってるぐらい、昔から日光には良く行ってる。そろそろ日光にある二つの百名山を書く頃だろう。まずは男体山(なんたいさん、2486m)である。中禅寺湖からすぐ真後ろという感じで円錐形の山がそびえている。奥日光に行ったことがある人なら誰もが立派な姿に感嘆したことがあるだろう。この火山があったことで、中禅寺湖戦場ヶ原華厳の滝も…みんな男体山が作ったのである。男体山の写真はかつてこのブログに載せた中から選ぶことにする。
 
 ほとんど同じ場所からの写真だが、天気が違っている。これはちょっと上から撮っているが、立木観音やイタリア大使館別荘記念公園の方にずっと行って、今は無料開放されている中禅寺湖道路を上って半月山駐車場からの風景である。晴れていれば湖と山を一番美しく見られる。「男体山」があるから、北の方に「女峰山」がある。「太郎山」もあって、山の一家である。もともと日光は「二荒山」(ふたらさん)で、これは補陀洛から来たと深田久弥が書いている。「二荒」が「にこう」と読み替えられたという。
(男体山テレカ)
 二荒山神社は東照宮、輪王寺とともに日光山内で隣り合っていて世界遺産になっている。中禅寺湖畔に「中宮祠」(ちゅうぐうし)があって、奥宮は男体山頂上にある。つまり男体山は信仰の山であって、一番普通の登り方は中宮祠の二荒山神社で入山料を払って、形としては信仰登山として登るわけである。男体山に登ったのは、もう25年ぐらい前だと思う。秋に日光旅行を計画して、いつもその頃は夫婦で登山していたけど、妻は前に自分で登っていたのでもういいと言うから一人で登った。今は取り壊されて5月にザ・リッツ・カールトン日光に生まれ変わる「日光レークサイドホテル」に泊まった。
(中禅寺湖畔から見た男体山)
 朝家から車で急いで行って、お昼に登り始めた。コースタイムは登り3時間半、下り2時間半になっている。これはかなりきついから、本当は朝から登らないといけない。まだ若かったので、少し甘く見ていたのである。そして五合目ぐらいまではコースタイムより早いぐらいで登れた。実に快適、見返せば中禅寺湖から戦場ヶ原一帯が一望できる。素晴らしい。ところが6合目ぐらいからガレ場になってしまい、足が取られて進まない。ついでに天気も曇ってきて下の景色が何もみえない。滑るような道をひたすら直登だから、疲れてしまう。とにかくガマンして登り続けた。
(中禅寺湖西岸の菖蒲ヶ浜から)
 ついに頂上にたどり着いたが、展望はなく時間は予定を過ぎてしまった。多分10月頃だったと思うけど、もう暮れるのも早い。今度は急いで下りないと。急ぎに急ぐが、4時を過ぎ、5時になると、もう暗い。登り口の二荒山神社には門があったけど、何時まで開いてるんだろう。次第に道もよく見えないぐらい暗くなった。それでも何とか下りられるのである。ここで僕はお化けを見た…わけがない。だけど少しは下の光もあるわけで、それが微妙に反射して、なんだか不思議に光ったりボーッと薄明るく見えたりする。動くたびに少しずつ移り変わってゆく。こういうのが超常現象と思われるのかなあと思った。

 やっと下りきった時には、もう門は閉まっているではないか。まあ乗り越えるしかないですね。ホテルまではそんなに遠くない。着いてみると、その日は混んでいて夕食は7時半の第二グループでお願いしますということになっていた。じゃあ、夕食には余裕で間に合ったじゃないか。でも本当はこういう登山はいけない。山は早く登るのが原則。そのことを実感させられた登山だった。形からしても直登を避けられず、湖側は独立峰だから風化が激しくなる。男体山は7000年前にも噴火していたことが最近判って、今は活火山に分類されているということだ。
コメント
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