獅子文六の最初の新聞小説は「悦ちゃん」だった。1936年から1937年にかけて報知新聞に連載された。報知新聞は今では読売傘下のスポーツ紙だが、戦前は東京五大紙に数えられる一般新聞だった。1930年頃に文六のフランス人妻が体調を崩し娘を置いて帰国して亡くなった。1934年に再婚したが、妻子を抱えて演劇に関わるだけでは食べていけず、ペンネームでユーモア小説の執筆を始めた。少しずつ評価され、新聞連載を頼まれたわけである。そして大評判となった。
最近もNHK土曜ドラマで放送され、「悦ちゃん」の名前は今も知られているだろう。確かにものすごく面白い「一気読み」本で、戦後の新聞小説よりも短いからもっと読みやすい。でも最初の新聞小説だからか、何でも盛り込みすぎのうえ、偶然の出会いややり過ぎ的展開のてんこ盛りにいくぶん食傷する気もする。そこで「悦ちゃん」が面白いことは前提にして、ここでは続く作品の「沙羅乙女」(東京日日新聞、1938年)、「胡椒息子」(主婦の友、1937~1938年)を取り上げたい。どちらも近年ちくま文庫で復刊され。どっちも題名が意味不明だが、とにかく面白くて一気読み必至の小説だ。
「沙羅乙女」のヒロイン遠山町子は新宿にある煙草屋で雇われ店主をしている。物語はこの町子の結婚をめぐって進行する。母が亡くなっていて、発明狂の父と夜学に通う弟を抱えて、町子はもう24歳と当時としては婚期に遅れつつある。しかし、そんな彼女のしっかりした姿勢を見ていて、二人の男が町子に心を寄せる。いい縁談が成り立ちそうになると、様々な困難が相次ぎ右往左往、一喜一憂しながら、ついに父親念願の大発明?をめぐって大騒動が持ち上がる。
「沙羅乙女」の意味は書かれてない。仏教説話に出てくる樹木、沙羅双樹が香り高いらしく、多分そこから来ているんだろう。まことに町子さんは「沙羅乙女」なのである。だけど町子をめぐる副人物たちも面白い。最高にとんでもないヤツは発明マニアの父親である。大発明をしたというんだが、今読むとこの「発明」はヤバすぎでしょ。だけど、物語がどう着地するのかハラハラする。また新宿で洋菓子屋を夢見る青年の大志がどうなるかも見逃せない。青年は「大村屋」の自伝を「津の国屋」で買ってきて町子にも貸してくれる。中村屋と紀伊國屋である。
この小説のラストは「誰も予想できない」「衝撃の結末」だと帯に書いてある。でもそんなことをいうのは、いつ書かれたかチェックしてないからだろう。今読んでも面白いモダン小説とばかり思い込んではいけない。「悦ちゃん」が水着を買いに行くのは「大銀座デパート」である。町子に思いを寄せる男は「大東京銀行」勤務である。何でも「大」が付くのである。そもそも国の名前が「大日本帝国」だった。この今は滅んだ国には、驚くほどがっしりした階級制度が存在した。当時の人には当たり前すぎるから、むしろ風俗的モダニズムが目に付いたわけである。
「胡椒息子」は「主婦の友」に連載されたからだろう、少年小説色が強い。なおこの後「主婦の友」には「信子」「おばあさん」「娘と私」「父の乳」など代表作レベルを連載するようになる。戦後の一時期は「主婦の友」社の社員寮に住んだこともある。財産家の一族の次男は実は「出生の秘密」がある。親にも兄姉にも疎まれる彼は、一本気の正義漢ながら誤解を受け続け悲しい境遇に陥る。しかし最後まで一本気を貫いてゆく。子どもが感動的で、獅子文六の中でも一気読み度ベストだと思う。
「胡椒息子」の意味は「小粒でもピリリと辛い」ということである。1935年のフランス映画「Paprika」(パプリカ)が日本では「胡椒娘」の題名で公開された。恐らくそこからヒントを得た題名だろう。(なお映画の題はハンガリー女性が出てきて、ハンガリー料理につきもののパプリカと呼ばれたことからだという。)「胡椒息子」を読むと、本質的な物語構造は「悦ちゃん」「沙羅乙女」と同じだと感じた。「結婚」をめぐる騒動である。そしてすべて「階級」の物語である。
もっと言えば「人間は同じ階級同士で結婚する方が幸福だ」という常識論である。戦争を経て階級変動が大きくなり、高度成長とともに高学歴化が進み文化的同質性が進んだ。現代にも「階級」はあるし、「玉の輿」という言葉は生きている。だが戦前ほどの重大性はないだろう。戦前は法律上の「家制度」が存在していたし、戦争や結核などで跡継ぎの男子が死ぬ可能性を考えておく必要があった。家存続のため、どのような結婚が望ましいかという問題があった。
獅子文六はけっして「親が決めた結婚」を勧めない。本人同士が納得して結婚するというストーリーが多い。「上流階級は腐敗している」という批判も強い。だから今読むと「リベラルなモダニズム」色を感じることも出来る。だが当時の「事変下」にあっては、同じ階級同士でわかり合った間柄で結ばれる方が幸せというのは、まさに時局に適合したものだった。それを教訓臭さを抜きに、ひたすら面白い小説にまとめ上げる。だから今も面白く読めるけど、日米戦争が始まると「海軍」を書くのは決して不思議ではない。昔の東京風俗も面白いし、文学史というよりも現代史研究的興味から一度読んでみて欲しい小説群だ。「沙羅乙女」は続編を書いてみたい気持ちになった。
最近もNHK土曜ドラマで放送され、「悦ちゃん」の名前は今も知られているだろう。確かにものすごく面白い「一気読み」本で、戦後の新聞小説よりも短いからもっと読みやすい。でも最初の新聞小説だからか、何でも盛り込みすぎのうえ、偶然の出会いややり過ぎ的展開のてんこ盛りにいくぶん食傷する気もする。そこで「悦ちゃん」が面白いことは前提にして、ここでは続く作品の「沙羅乙女」(東京日日新聞、1938年)、「胡椒息子」(主婦の友、1937~1938年)を取り上げたい。どちらも近年ちくま文庫で復刊され。どっちも題名が意味不明だが、とにかく面白くて一気読み必至の小説だ。
「沙羅乙女」のヒロイン遠山町子は新宿にある煙草屋で雇われ店主をしている。物語はこの町子の結婚をめぐって進行する。母が亡くなっていて、発明狂の父と夜学に通う弟を抱えて、町子はもう24歳と当時としては婚期に遅れつつある。しかし、そんな彼女のしっかりした姿勢を見ていて、二人の男が町子に心を寄せる。いい縁談が成り立ちそうになると、様々な困難が相次ぎ右往左往、一喜一憂しながら、ついに父親念願の大発明?をめぐって大騒動が持ち上がる。
「沙羅乙女」の意味は書かれてない。仏教説話に出てくる樹木、沙羅双樹が香り高いらしく、多分そこから来ているんだろう。まことに町子さんは「沙羅乙女」なのである。だけど町子をめぐる副人物たちも面白い。最高にとんでもないヤツは発明マニアの父親である。大発明をしたというんだが、今読むとこの「発明」はヤバすぎでしょ。だけど、物語がどう着地するのかハラハラする。また新宿で洋菓子屋を夢見る青年の大志がどうなるかも見逃せない。青年は「大村屋」の自伝を「津の国屋」で買ってきて町子にも貸してくれる。中村屋と紀伊國屋である。
この小説のラストは「誰も予想できない」「衝撃の結末」だと帯に書いてある。でもそんなことをいうのは、いつ書かれたかチェックしてないからだろう。今読んでも面白いモダン小説とばかり思い込んではいけない。「悦ちゃん」が水着を買いに行くのは「大銀座デパート」である。町子に思いを寄せる男は「大東京銀行」勤務である。何でも「大」が付くのである。そもそも国の名前が「大日本帝国」だった。この今は滅んだ国には、驚くほどがっしりした階級制度が存在した。当時の人には当たり前すぎるから、むしろ風俗的モダニズムが目に付いたわけである。
「胡椒息子」は「主婦の友」に連載されたからだろう、少年小説色が強い。なおこの後「主婦の友」には「信子」「おばあさん」「娘と私」「父の乳」など代表作レベルを連載するようになる。戦後の一時期は「主婦の友」社の社員寮に住んだこともある。財産家の一族の次男は実は「出生の秘密」がある。親にも兄姉にも疎まれる彼は、一本気の正義漢ながら誤解を受け続け悲しい境遇に陥る。しかし最後まで一本気を貫いてゆく。子どもが感動的で、獅子文六の中でも一気読み度ベストだと思う。
「胡椒息子」の意味は「小粒でもピリリと辛い」ということである。1935年のフランス映画「Paprika」(パプリカ)が日本では「胡椒娘」の題名で公開された。恐らくそこからヒントを得た題名だろう。(なお映画の題はハンガリー女性が出てきて、ハンガリー料理につきもののパプリカと呼ばれたことからだという。)「胡椒息子」を読むと、本質的な物語構造は「悦ちゃん」「沙羅乙女」と同じだと感じた。「結婚」をめぐる騒動である。そしてすべて「階級」の物語である。
もっと言えば「人間は同じ階級同士で結婚する方が幸福だ」という常識論である。戦争を経て階級変動が大きくなり、高度成長とともに高学歴化が進み文化的同質性が進んだ。現代にも「階級」はあるし、「玉の輿」という言葉は生きている。だが戦前ほどの重大性はないだろう。戦前は法律上の「家制度」が存在していたし、戦争や結核などで跡継ぎの男子が死ぬ可能性を考えておく必要があった。家存続のため、どのような結婚が望ましいかという問題があった。
獅子文六はけっして「親が決めた結婚」を勧めない。本人同士が納得して結婚するというストーリーが多い。「上流階級は腐敗している」という批判も強い。だから今読むと「リベラルなモダニズム」色を感じることも出来る。だが当時の「事変下」にあっては、同じ階級同士でわかり合った間柄で結ばれる方が幸せというのは、まさに時局に適合したものだった。それを教訓臭さを抜きに、ひたすら面白い小説にまとめ上げる。だから今も面白く読めるけど、日米戦争が始まると「海軍」を書くのは決して不思議ではない。昔の東京風俗も面白いし、文学史というよりも現代史研究的興味から一度読んでみて欲しい小説群だ。「沙羅乙女」は続編を書いてみたい気持ちになった。