尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

国立劇場で文珍・鶴瓶を聴く

2020年02月28日 22時33分06秒 | 落語(講談・浪曲)
 萩生田文科相が26日に国立劇場の休館を要請したというニュースを聞いたときに、僕は思わずエエッと思った。それは28日に国立劇場に行くことにしていたからだ。「芸歴50周年記念」と銘打って「桂文珍国立劇場20日間独演会」という壮挙が行われるのである。国立劇場のメール通信を登録しているんだけど、その日遅くに国立劇場の休館のお知らせが届いた。国立演芸場で行われる定席も3月15日まで中止で、中席の神田伯山襲名披露は前半が無くなってしまった。しかし「貸劇場に関しては主催者に確認してください」と出ていた。主催者はどこだろうと調べてみたら、何と読売新聞社吉本興業だった。アベ友番付の東西横綱みたいなとこだから、こりゃあダメかと覚悟した。

 ところが27日に何回もスマホで確認したところ、「予定通り開催させていただきます」と書いてあるじゃないか。ただし来場できない場合は払い戻すと書いてある。ということで出かけていったのだが、チケット完売というのに結構空いていた。もったいないというか、2階席だったから空いてる1階席に替わりたかった。冒頭に文珍は白衣で出てきて「ケーシー高峰」とか言いながら「微妙な時期」の判断だったと言っていた。国立劇場休館と言いながら、国立劇場が開いているんだから不審な感じもある。無くなったと思って来なかった人もいるのかもしれない。

 さて、それはともかく、文珍は前にも10日間国立劇場独演会をやっている。他にも歌舞伎座でやった落語家もいる。寄席ではなくホール落語の方がいいという人もいるが、国立劇場は大きすぎると思った。1700人も入ると言ってたが、寄席ぐらいがちょうどいいなあと思った。歌舞伎のように登場人物も多く舞台装置も大きな場合は、大舞台がちょうどいいぐらいだ。でも落語は基本は一人のしゃべり芸だから舞台が広すぎる。ポツンと一軒家ならぬポツンと一人感がしてしまう。それに2階席だったから、声が聞きとりにくかった。僕は右耳の聴力が落ちているんだけど、同行の妻も聞こえないと言ってたから、マイクの調子を調整して欲しい。

 まず最初は弟子の桂楽珍で、徳之島出身の「方言」が興味深かった。続いて桂文珍の「新版豊竹屋」。人形浄瑠璃(文楽)マニアの男が町へ出ても浄瑠璃語りで話し不審を招く。その後「文楽茶屋」という店にたどり着き、何でも浄瑠璃みたいに注文を取るのがおかしい。この文楽調が実にうまくて笑える。文楽を一回も聴いてないとちょっと判らないかもしれないけど。桂文珍は若い頃からラジオ・テレビで活躍し東京でも知名度が高かった。大学で講師をして講義がベストセラーにもなった。そんな文珍がある頃から、全国で落語公演を重視してきた。その集大成的な20日間公演である。

 続いてゲストの笑福亭鶴瓶。今回は日替わりゲストが豪華メンバーで、それが楽しみ。どの日にしようかと思ったけれど、立川志の輔神田松之丞(現伯山)は即売り切れ。東京の人は大体聴いてるから、上方で一度も聴いてない鶴瓶の初日を取りたいと思った。鶴瓶は映画でもテレビでもおなじみの顔だが、近年は落語公演にも力を入れている。テレビで聴く話術を楽しめるかと思ったけど、残念ながらかなり聞き取れなかった。マクラでも一階中央席はかなり受けていたから面白いんだろうが、けっこうボソボソ的なしゃべりだなあと思った。ネタは「子はかすがい」。

 中入り後に大ネタの「らくだ」。元々上方落語の演目だが、東京でもやられている。前に文珍でも聴いているが、その時の圧倒的な面白さは今もよく覚えている。「らくだ」は大男のあだ名で、冒頭からネタの名前の当人が死んでいるというトンデモな設定だ。その後も「死人のかんかん踊り」など奇想天外な展開が続き、知らずに聴くと何だこれはと思うだろう。時間も長いからダレるところもあるが、まずは面白く聴けた。しかし、前に聴いたときの方が面白かったと思う。今回は開催をめぐってゴタゴタして疲れていたのかもしれない。神田伯山襲名披露ほどの盛り上がりにはならなかったかな。
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