2020年3月11日、WHO(世界保健機構)のテドロス事務局長は「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」と宣言した。「パンデミック」(pandemic)とは感染症の世界的流行のことで、語源はギリシャ語の「パンデミア」(パン=すべて、デモス=人々)だという。確かにここ数日のヨーロッパ各国の広がりを見ると、武漢のような「一部地域」のものではなく、韓国の新興宗教のような「一部集団」のものでもない段階に入ったと言える。3月12日の状況を以下に載せておく。前日比で日本国内の感染者数は「+52人」、死者は「+3人」、世界の感染者数は「+4570人」、死者は「+277人」となっている。
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このような一覧表はマスコミ等のサイトに多いが、コピー出来ない設定が多い。ここではYahoo!の「新型コロナウイルス感染症」サイトから引用した。僕はヨーロッパ各国の死者数の増加が納得できないでいる。イタリアが827人と突出し、スペインが55人、フランスが48人となっている。韓国が60人なので、イタリアの深刻度が判る。何故なのかに関してはよく判らない。イランも354人で、中国の3136人には及ばないが、感染拡大の事情は不明だ。日本だけ押さえ込んでも意味がない。
(パンデミック宣言を行うWHO事務局長)
ところで安倍首相の対応をどう評価するべきだろうか。スポーツやイベントの自粛を求め、さらに学校の休校を求めたが、その理由が「感染リスク」ということだった。そこには安倍政権の直面した様々な難題が集約されていたと思う。2月になってからクルーズ船対応などで「後手後手」と批判されていた。一方で「桜を見る会」や「検事長定年延長問題」での国会答弁がめちゃくちゃで支持率が下がっていた。予算案の年度内成立のためには「何か」が必要とされていた。また一部では「東京五輪は大丈夫か」という声も上がり始めていた。そんな難局がガラッと変わったことは事実だ。
何よりも「東京五輪」ホスト国責任者として、「思い切った手を打つ指導者」イメージを必要としていた。僕はそれが一番大きいのではないかと思うが、同時に他の問題の批判をかわすために「別の大きな問題」を上書きしようとしたこともある。そこでは「専門家の声を聞かない」「有効性に疑問がある」要請があえて行われた。大きな影響を受ける子育て世代には批判が強いが、もう休校してしまった以上「やむを得なかった」ということにされてしまうだろう。安倍首相に対して「理性的」「学問的正しさ」を求める支持者はいない。そういう人はもともと支持しない。
しかし安倍首相が「リスク」(risk)をきちんと理解しているかどうかは疑問がある。「リスク」は確率的で不確実な危険のことで、誰が見ても危ない「danger」とは違う。休校要請の時には「子どもたちの命を守るため」などと言っていたが、もともと学校閉鎖は子どものために行うものではない。社会衛生上の観点から、より弱い高齢者等を守るために行うものだ。その県にひとりも感染者が確認されていないような場合、登校しても「danger」は考えられないが、「risk」はゼロではない。誰もが絶対に未感染であるという確証は誰にもできない。だから休校は正しいと考えてしまうと、今度はいつから授業を再開するかのメドが立たなくなる。そもそも登下校中に事故に合うリスクもあるわけで、リスクを高く見積もると学校も会社もあらゆる場所を永遠に閉鎖するしかない。
たとえで言えば、「danger」なのは「高速道路を逆走する」ようなものである。一方「risk」とは「高速道路で逆走する車に出会うこと」である。安倍首相の休校要請は「逆走する車が危険だから、全国の高速道路の使用自粛を要請する」というようなものである。ほとんどないけれど、そういう事態がゼロであるとは誰にも言えない。こういうレベルで休校要請を行った以上、今度は「絶対に感染者がいない」状況、具体的には「(日本全国でなくても)近隣地方で新たな感染者が出ていない」状況が「2週間続くこと」(潜伏期間が最長2週間とみて)にならない限り、授業再開には踏み切れないのではないか。
すでに3月中旬になっている。このままでは4月からの授業再開はかなり難しいのではないか。プロ野球やJリーグの試合もメドが立たない。日本及び世界各国の状況は、今すぐ収束するとは思えない段階にある。安倍首相が「リスク評価」の基準を自ら高くしてしまったために、今度はスポーツなどの再開基準が不明になった。自分で東京五輪への疑問を呼び起こしてしまった。僕はもともと石原元都知事が言い出した五輪招致に反対だった。しかし五輪が決定し、準備も進んでいる。安倍政権に反対だからと言って、今の段階で五輪中止を僕は望んでいない。それは世界がさらに混乱し多くの死者が出ることを意味している。そのような事態を望んではいけない。
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このような一覧表はマスコミ等のサイトに多いが、コピー出来ない設定が多い。ここではYahoo!の「新型コロナウイルス感染症」サイトから引用した。僕はヨーロッパ各国の死者数の増加が納得できないでいる。イタリアが827人と突出し、スペインが55人、フランスが48人となっている。韓国が60人なので、イタリアの深刻度が判る。何故なのかに関してはよく判らない。イランも354人で、中国の3136人には及ばないが、感染拡大の事情は不明だ。日本だけ押さえ込んでも意味がない。
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ところで安倍首相の対応をどう評価するべきだろうか。スポーツやイベントの自粛を求め、さらに学校の休校を求めたが、その理由が「感染リスク」ということだった。そこには安倍政権の直面した様々な難題が集約されていたと思う。2月になってからクルーズ船対応などで「後手後手」と批判されていた。一方で「桜を見る会」や「検事長定年延長問題」での国会答弁がめちゃくちゃで支持率が下がっていた。予算案の年度内成立のためには「何か」が必要とされていた。また一部では「東京五輪は大丈夫か」という声も上がり始めていた。そんな難局がガラッと変わったことは事実だ。
何よりも「東京五輪」ホスト国責任者として、「思い切った手を打つ指導者」イメージを必要としていた。僕はそれが一番大きいのではないかと思うが、同時に他の問題の批判をかわすために「別の大きな問題」を上書きしようとしたこともある。そこでは「専門家の声を聞かない」「有効性に疑問がある」要請があえて行われた。大きな影響を受ける子育て世代には批判が強いが、もう休校してしまった以上「やむを得なかった」ということにされてしまうだろう。安倍首相に対して「理性的」「学問的正しさ」を求める支持者はいない。そういう人はもともと支持しない。
しかし安倍首相が「リスク」(risk)をきちんと理解しているかどうかは疑問がある。「リスク」は確率的で不確実な危険のことで、誰が見ても危ない「danger」とは違う。休校要請の時には「子どもたちの命を守るため」などと言っていたが、もともと学校閉鎖は子どものために行うものではない。社会衛生上の観点から、より弱い高齢者等を守るために行うものだ。その県にひとりも感染者が確認されていないような場合、登校しても「danger」は考えられないが、「risk」はゼロではない。誰もが絶対に未感染であるという確証は誰にもできない。だから休校は正しいと考えてしまうと、今度はいつから授業を再開するかのメドが立たなくなる。そもそも登下校中に事故に合うリスクもあるわけで、リスクを高く見積もると学校も会社もあらゆる場所を永遠に閉鎖するしかない。
たとえで言えば、「danger」なのは「高速道路を逆走する」ようなものである。一方「risk」とは「高速道路で逆走する車に出会うこと」である。安倍首相の休校要請は「逆走する車が危険だから、全国の高速道路の使用自粛を要請する」というようなものである。ほとんどないけれど、そういう事態がゼロであるとは誰にも言えない。こういうレベルで休校要請を行った以上、今度は「絶対に感染者がいない」状況、具体的には「(日本全国でなくても)近隣地方で新たな感染者が出ていない」状況が「2週間続くこと」(潜伏期間が最長2週間とみて)にならない限り、授業再開には踏み切れないのではないか。
すでに3月中旬になっている。このままでは4月からの授業再開はかなり難しいのではないか。プロ野球やJリーグの試合もメドが立たない。日本及び世界各国の状況は、今すぐ収束するとは思えない段階にある。安倍首相が「リスク評価」の基準を自ら高くしてしまったために、今度はスポーツなどの再開基準が不明になった。自分で東京五輪への疑問を呼び起こしてしまった。僕はもともと石原元都知事が言い出した五輪招致に反対だった。しかし五輪が決定し、準備も進んでいる。安倍政権に反対だからと言って、今の段階で五輪中止を僕は望んでいない。それは世界がさらに混乱し多くの死者が出ることを意味している。そのような事態を望んではいけない。