劇作家の別役実が3月3日に死去した。82歳。葬儀は親族で営み、訃報は10日に発表された。姓の読み方は「べつやく」だと思っていたし新聞の訃報にもそう出ているが、日本人の姓としては「べっちゃく」と読む方が多いらしい。訃報を見ると、どれも「不条理演劇を確立した」と出ている。カフカやベケットの影響を受け、日本で不条理演劇を書き始めたとか…。まあ、その通りなんだけど、それでは一度も見てない人はきっと「すごく難しいお芝居なんだろうなあ」と思ってしまうだろう。

僕が最初に見た別役戯曲はテレビだった。文学座アトリエ公演「にしむくさむらい」が評判になって教育テレビで放映していたのである。その不思議な劇世界にものすごく心惹かれた思い出がある。(ところで最近は「西向く侍 小の月」を知らない人がいるらしい。)別役は生涯に144本もの劇を書いていて、全部が載ってるサイトが見つからない。だから正確な時期が判らないけれど、同名の戯曲集は1978年に刊行されているから1970年代後半だ。自分は大学生だったからお金の問題で演劇を気軽に見に行くことは難しい。映画だってロードショーじゃなくて、ほとんど名画座で見ていた時代なんだから。
いつ実際に公演を見に行ったのかも覚えてない。でも別役実の新作はできるだけ見ようと思っていた時があって、結構見ている。その多くは信濃町の文学座アトリエで見たと思う。「天才バカボンのパパなのだ」(これが最初かも)、「ジョバンニの父への旅」「やってきたゴドー」なんかは見たと思う。文学座の名優三津田健の最後の作品「鼻」も見てる。どうも「見てると思う」という書き方になってしまうけど、別役作品は「ストーリー」じゃなくて「シチュエーション」(状況)だから、どれを見てもストーリーで覚えていることが出来ない。それが「不条理演劇」ということになる。
あり得ない状況がすでに設定されていて、そこにあり得ない展開が連続してゆく。見てると笑いの連続で、しかし「世界のフシギ」が露出している感じがする。状況がおかしいので、普通に話せば普通のはずのセリフが微妙におかしく感じられる。晩年になると、どうも毎回似てるな感が強くなったきがするが、いずれにせよ、そこには「世界の荒涼」が見え隠れする。70年代、80年代の劇にはそんな感触が強かった。僕は面白いからというよりも、その精神の荒野に惹かれて見ていたと思う。
そしてそれは別役実が「引揚者」だったからだろうと思っていた。別役は1937年に当時の「満州国」の首都「新京」(長春)で生まれ、幼くして父が亡くなり敗戦とともに母と長野県に引き揚げてきた。そこで生まれたんだから、元々は日本の侵略だと頭で理解出来ても「ふるさと」を失ったという思いは消えない。1932年生まれの作家、五木寛之も生後まもなく朝鮮半島に渡り父の勤務とともに各地を転々とし、敗戦後に日本に帰った。21世紀になって、仏教(というか親鸞や蓮如など)の作家というイメージになったが、若い頃は「デラシネ」(根無し草)を称して漂泊者のロマンを紡いでいた。
他にも安部公房、日野啓三、三木卓など、「引揚者」の文学系譜がある。30年代生まれの子どもたちが幼くしして故郷を失い「本国」へ戻っても受け入れられない現実に直面した。その子どもたちが70年代、80年代に「自己表現」を始めたのである。時間が経って忘れられたかもしれないが、僕の若い頃には多くの人が意識していた。これらの人々の書いたものには、どこか共通の感覚がある。何だか日本じゃないような場所で、幻想か現実かも判らないような不思議な世界。別役実の劇世界も、僕はそのような日本近代史の背景の中で出てきたものだと思っている。
劇だけじゃなく、小説、エッセイ、評論もものすごくたくさん書いている。評論はあまり読んでないが、エッセイに当たるんだろう「虫づくし」(1981)は面白かった。「○○づくし」というシリーズがある。小説というか童話なんかも沢山書いていて、教科書にも載ってるらしい。「別役実」と検索すると「別役実 教科書」というワードが出てくる。残された別役世界はずいぶん広いようだ。
★追加・そう言えば小室等と六文銭が歌った「雨が空から降れば」は別役実の作詞だったと人から指摘されて、そうだったっけと思い出した。そうだ、それは70年代にはとても意味を持っていたことだった。調べてみれば、「スパイものがたり」というミュージカルの挿入歌だったとある。2015~16年に開かれた「別役実フェスティバル」では「別役実を歌う~劇中歌コンサート~」というコンサートまで開かれていた。僕は行かなかったので、当時チラシを見たことをすっかり忘れていた。「雨が空から降れば」は、僕らの世代では今でも雨の日につい口ずさむ名曲だ。作詞のことはすっかり忘れてた。

僕が最初に見た別役戯曲はテレビだった。文学座アトリエ公演「にしむくさむらい」が評判になって教育テレビで放映していたのである。その不思議な劇世界にものすごく心惹かれた思い出がある。(ところで最近は「西向く侍 小の月」を知らない人がいるらしい。)別役は生涯に144本もの劇を書いていて、全部が載ってるサイトが見つからない。だから正確な時期が判らないけれど、同名の戯曲集は1978年に刊行されているから1970年代後半だ。自分は大学生だったからお金の問題で演劇を気軽に見に行くことは難しい。映画だってロードショーじゃなくて、ほとんど名画座で見ていた時代なんだから。
いつ実際に公演を見に行ったのかも覚えてない。でも別役実の新作はできるだけ見ようと思っていた時があって、結構見ている。その多くは信濃町の文学座アトリエで見たと思う。「天才バカボンのパパなのだ」(これが最初かも)、「ジョバンニの父への旅」「やってきたゴドー」なんかは見たと思う。文学座の名優三津田健の最後の作品「鼻」も見てる。どうも「見てると思う」という書き方になってしまうけど、別役作品は「ストーリー」じゃなくて「シチュエーション」(状況)だから、どれを見てもストーリーで覚えていることが出来ない。それが「不条理演劇」ということになる。
あり得ない状況がすでに設定されていて、そこにあり得ない展開が連続してゆく。見てると笑いの連続で、しかし「世界のフシギ」が露出している感じがする。状況がおかしいので、普通に話せば普通のはずのセリフが微妙におかしく感じられる。晩年になると、どうも毎回似てるな感が強くなったきがするが、いずれにせよ、そこには「世界の荒涼」が見え隠れする。70年代、80年代の劇にはそんな感触が強かった。僕は面白いからというよりも、その精神の荒野に惹かれて見ていたと思う。
そしてそれは別役実が「引揚者」だったからだろうと思っていた。別役は1937年に当時の「満州国」の首都「新京」(長春)で生まれ、幼くして父が亡くなり敗戦とともに母と長野県に引き揚げてきた。そこで生まれたんだから、元々は日本の侵略だと頭で理解出来ても「ふるさと」を失ったという思いは消えない。1932年生まれの作家、五木寛之も生後まもなく朝鮮半島に渡り父の勤務とともに各地を転々とし、敗戦後に日本に帰った。21世紀になって、仏教(というか親鸞や蓮如など)の作家というイメージになったが、若い頃は「デラシネ」(根無し草)を称して漂泊者のロマンを紡いでいた。
他にも安部公房、日野啓三、三木卓など、「引揚者」の文学系譜がある。30年代生まれの子どもたちが幼くしして故郷を失い「本国」へ戻っても受け入れられない現実に直面した。その子どもたちが70年代、80年代に「自己表現」を始めたのである。時間が経って忘れられたかもしれないが、僕の若い頃には多くの人が意識していた。これらの人々の書いたものには、どこか共通の感覚がある。何だか日本じゃないような場所で、幻想か現実かも判らないような不思議な世界。別役実の劇世界も、僕はそのような日本近代史の背景の中で出てきたものだと思っている。
劇だけじゃなく、小説、エッセイ、評論もものすごくたくさん書いている。評論はあまり読んでないが、エッセイに当たるんだろう「虫づくし」(1981)は面白かった。「○○づくし」というシリーズがある。小説というか童話なんかも沢山書いていて、教科書にも載ってるらしい。「別役実」と検索すると「別役実 教科書」というワードが出てくる。残された別役世界はずいぶん広いようだ。
★追加・そう言えば小室等と六文銭が歌った「雨が空から降れば」は別役実の作詞だったと人から指摘されて、そうだったっけと思い出した。そうだ、それは70年代にはとても意味を持っていたことだった。調べてみれば、「スパイものがたり」というミュージカルの挿入歌だったとある。2015~16年に開かれた「別役実フェスティバル」では「別役実を歌う~劇中歌コンサート~」というコンサートまで開かれていた。僕は行かなかったので、当時チラシを見たことをすっかり忘れていた。「雨が空から降れば」は、僕らの世代では今でも雨の日につい口ずさむ名曲だ。作詞のことはすっかり忘れてた。