2020年のアカデミー主演女優賞をレネー・ゼルウィガー(Renée Kathleen Zellweger)が獲得した「ジュディ 虹の彼方に」を記録に留めておきたい。名前の通り、この映画はアメリカの女優・歌手のジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922~1969)の生涯を描いた映画だ。子役時代も出てくるが、ほとんどは早過ぎた晩年のロンドン公演の様子を描いている。ラスト近く、涙なしには見られなかった。

実在人物を熱演するとオスカーが与えられることが多い。女優賞ではサッチャー役のメリル・ストリープ、エリザベス女王役のヘレン・ミレン、エディット・ピアフ役のマリオン・コティヤールなどが思い浮かぶ。今回のレネー・ゼルウィガーもそれらの女優たちと比べても遜色ない大熱演とそっくりぶり。見ているうちに、まるでジュディ・ガーランド本人が歌っているとしか思えなくなってくる。
(ジュディ・ガーランド本人と映画)
ただし、この映画はジュディ・ガーランドを全身で表現するレネー・ゼルウィガーを見るための映画であって、映画そのものとしては弱い。それはアカデミー賞でも主演女優賞とメイクアップ&ヘアースタイリング賞(落選)にしかノミネートされてないことでも判る。9作品もノミネートされる作品賞の候補にも入ってないのは、作品的な完成度では中レベルということになる。事前にそう思っていたんだけれど、予想通りだった。しかし、それは必ずしも悪いことではない。壮大な映画世界や独自の表現はないけれど、一人の女性としてのジュディの哀しみを心に刻む映画になっている。
ジュディ・ガーランドはハリウッドの伝説である。1939年に「オズの魔法使い」の主人公ドロシーを演じて大人気になった。寝る間もなく仕事に追われて、映画で見ると映画会社が覚醒剤まで渡して働かせている。やがてジュディ・ガーランドは酒におぼれ、結婚と離婚を繰り返し、撮影現場にはいつも遅れてくるスキャンダル女優の代名詞となった。1954年に出演した「スタア誕生」で復活し、アカデミー賞にノミネートされたが結局受賞できず、以後は再び生活がすさみ自殺未遂を繰り返した。
映画は60年代後半になって、子どもまで出演させて各地を巡業するしかない窮地のジュディを描く。ついには宿代をためすぎてホテルを追い出される。離婚した夫の元に子どもと逃げ込むが、子どもを置いてロンドン公演に行くしか生きるすべがなかった。ロンドンではまだ昔の知名度が残っていたのである。そのロンドンでも自信を失い舞台に立てるかどうか。酒と男に依存し、プレッシャーに押しつぶされそうになるが、ひとたび舞台に立てば永遠の歌姫に変わる。そんなジュディを取り巻くショービジネス界の裏表を描いている。
もう一つ興味深いのはジュディとゲイの人々の問題。ある夜、もう深夜なのに「出待ち」する二人の男性がいる。ジュディの大ファンだと言い、ジュディは喜んでどこかで一緒に飲もうと言うがもう店はどこも閉まっている。じゃあということで家に行くというシーンがある。二人は一緒に住んでいるゲイのカップルだった。その苦難に同情し、共に飲み明かす。このシーンがラストの感動的な展開の伏線となる。ジュディは同時代としては同性愛に理解があり、レインボーフラッグが同性愛解放運動のシンボルになったのは「オズの魔法使い」の主題歌「虹の彼方に」からだという。

ジュディ・ガーランドと言えば「オズの魔法使い」であり、アカデミー賞歌曲賞を受賞した名曲「虹の彼方に」(Over the Rainbow)なのだとラストでよく判る。僕たちも「黄色い煉瓦道」(Yellow Brick Road)を通ってずっと「エメラルド・シティ」を目指しているのである。懐かしく、痛ましく、いろいろな思い出があふれて来た。中学教員時代に文化祭で「オズの魔法使い」をやったなと懐かしくなった。

実在人物を熱演するとオスカーが与えられることが多い。女優賞ではサッチャー役のメリル・ストリープ、エリザベス女王役のヘレン・ミレン、エディット・ピアフ役のマリオン・コティヤールなどが思い浮かぶ。今回のレネー・ゼルウィガーもそれらの女優たちと比べても遜色ない大熱演とそっくりぶり。見ているうちに、まるでジュディ・ガーランド本人が歌っているとしか思えなくなってくる。


ただし、この映画はジュディ・ガーランドを全身で表現するレネー・ゼルウィガーを見るための映画であって、映画そのものとしては弱い。それはアカデミー賞でも主演女優賞とメイクアップ&ヘアースタイリング賞(落選)にしかノミネートされてないことでも判る。9作品もノミネートされる作品賞の候補にも入ってないのは、作品的な完成度では中レベルということになる。事前にそう思っていたんだけれど、予想通りだった。しかし、それは必ずしも悪いことではない。壮大な映画世界や独自の表現はないけれど、一人の女性としてのジュディの哀しみを心に刻む映画になっている。
ジュディ・ガーランドはハリウッドの伝説である。1939年に「オズの魔法使い」の主人公ドロシーを演じて大人気になった。寝る間もなく仕事に追われて、映画で見ると映画会社が覚醒剤まで渡して働かせている。やがてジュディ・ガーランドは酒におぼれ、結婚と離婚を繰り返し、撮影現場にはいつも遅れてくるスキャンダル女優の代名詞となった。1954年に出演した「スタア誕生」で復活し、アカデミー賞にノミネートされたが結局受賞できず、以後は再び生活がすさみ自殺未遂を繰り返した。
映画は60年代後半になって、子どもまで出演させて各地を巡業するしかない窮地のジュディを描く。ついには宿代をためすぎてホテルを追い出される。離婚した夫の元に子どもと逃げ込むが、子どもを置いてロンドン公演に行くしか生きるすべがなかった。ロンドンではまだ昔の知名度が残っていたのである。そのロンドンでも自信を失い舞台に立てるかどうか。酒と男に依存し、プレッシャーに押しつぶされそうになるが、ひとたび舞台に立てば永遠の歌姫に変わる。そんなジュディを取り巻くショービジネス界の裏表を描いている。
もう一つ興味深いのはジュディとゲイの人々の問題。ある夜、もう深夜なのに「出待ち」する二人の男性がいる。ジュディの大ファンだと言い、ジュディは喜んでどこかで一緒に飲もうと言うがもう店はどこも閉まっている。じゃあということで家に行くというシーンがある。二人は一緒に住んでいるゲイのカップルだった。その苦難に同情し、共に飲み明かす。このシーンがラストの感動的な展開の伏線となる。ジュディは同時代としては同性愛に理解があり、レインボーフラッグが同性愛解放運動のシンボルになったのは「オズの魔法使い」の主題歌「虹の彼方に」からだという。

ジュディ・ガーランドと言えば「オズの魔法使い」であり、アカデミー賞歌曲賞を受賞した名曲「虹の彼方に」(Over the Rainbow)なのだとラストでよく判る。僕たちも「黄色い煉瓦道」(Yellow Brick Road)を通ってずっと「エメラルド・シティ」を目指しているのである。懐かしく、痛ましく、いろいろな思い出があふれて来た。中学教員時代に文化祭で「オズの魔法使い」をやったなと懐かしくなった。