尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「勝負は夜つけろ」と作家生島治郎

2021年11月28日 22時21分50秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで「夜の映画」特集というのをやっている。題名に「夜」が入っている映画を集めているだけだが、そう言えば「ローマで夜だった」も「夜の映画」である。夜つながりで「勝負は夜つけろ」(1964)を見た感想を書いておきたい。これは原作が生島治郎の作家デビュー作「傷痕の街」だというので見に行くことにした。最近創元推理文庫で「日本ハードボイルド全集」の刊行が始まり、その第一回配本が生島治郎だったので読んでみた。どう映画化されているのか、関心があった。

 原作は横浜港が舞台のはずだから、港が出て来る冒頭を見て横浜かと思ってしまう。しかし、主人公田宮二郎が乗っている車は「」ナンバーになっている。調べてみると、兵庫県のナンバーは今は「神戸」と姫路」だが、昭和30年代には「兵」だったという話。この映画は大映京都作品なので、神戸港で撮影したものか。神戸を舞台にした映画だと、六甲山を印象的に映し出すことが多いが、この映画ではあえて背景に写らないようにしている感じだ。地名は映画内で特定されていない。

 田宮二郎はシップチャンドラー(ship chandler、船舶納入業者)の会社を経営している。チャンドラーなんて、いかにもハードボイルドみたいな名前だけど、元々は英語で「雑貨屋」である。外国航路の船に食品などをまとめて納入する仕事である。もちろん、船の担当者が自分で買いに行っても良いわけだが、どこにどんな店があるのかも知らないし、小売店で買うと高くなる。様々な食材を細かく買い付けるのも大変だから、頼めば何でもまとめて仕入れてくれる業者が港にはいるのである。免税業者の免許を持っていて、外国船には無税になる。僕はまあ先ほどの本を読んでいたから事前に知っていた。

 生島治郎は横浜に住んでいて、学生時代は実際に港でアルバイトしていた。その経験を生かした作品でデビューしたわけである。主人公久須見(田宮二郎)は会社を大きくするために、カネが欲しい。貸してくれるところがなくて困っていると、社員の稲垣川津祐介)があるバーの女性オーナーを紹介してくれる。それが斐那子久保菜穂子)で、彼女を通して高利貸しの井関小沢栄太郎)を紹介される。実は久須見と井関は因縁のある関係だったが、やむを得ず斐那子に回す200万を足して、700万を借りることになった。ところが翌朝、稲垣の妻が誘拐されたと会社に電話がある。
(久須見役の田宮二郎)
 借りたばかりの金を稲垣に一時貸して、稲垣と経理の阿南が車で指定された場所に出掛ける。そのまま行方が判らなくなり、久須見が追跡していくと、顔を硫酸で焼かれた二つの死体を発見する。一人の死体は妻が稲垣だと言うが、もう一人は阿南の妻が違うという。数日後、井関の部下の吉田だと判り、阿南が二人を殺してカネを持ち逃げしたと疑われる。一方、その間に斐那子は久須見と親しくなって行く。実は斐那子は井関の娘だったが再婚した母の連れ子で、井関に今まで虐待されてきて恨みがあったのである。そんな時、稲垣の妻から電話が掛かってきたが、家を訪ねると妻の死体がある。一体真相はどこにあるのか。

 監督の井上昭(1928~)は大映で多くの仕事したが、むしろ70年代、80年代にテレビの時代劇を担った監督だったらしい。映画では「眠狂四郎」や「座頭市」「陸軍中野学校」などの主要シリーズも少し手掛けているが、あまり代表的な作品はない。中では「勝負は夜つけろ」がお気に入りだとウィキペディアに出ている。港のロケを生かして、構図にも凝ったモノクロの映像が魅力的。

 主人公の田宮二郎は足をケガして義足という設定で、いつも片足を引いている役を印象的に演じている。田宮二郎(1935~1978)は映画「白い巨塔」の財前役で知られ、クイズ「タイムショック」の司会者として有名だった。だからこそ散弾銃による自殺というニュースには多くの人が衝撃を受けた。60年代大映映画の「悪名」「黒」「犬」などのシリーズは今見ても非常に面白く、そのアクの強い役柄や風貌とともに忘れがたい俳優だ。市川雷蔵、勝新太郎に並ぶ大映のスターだった。
(生島治郎)
 生島治郎(1933~2003)は、僕の世代だとどうしても「片翼だけの天使」(1984、映画化は1986年)を思い出してしまう。映画では秋野暢子が主演賞を取ったけれど、何だか心配な感じがした。やはり実生活では離婚に終わったようである。先ほどの「ハードボイルド全集」には長編「死者だけが血を流す」(1965)とシップチャンドラー久須見が出て来る「寂しがりやのキング」などの短編が収録されている。「勝負は夜つけろ」(原作「傷痕の街」)にしてもそうなんだけど、「謎」という意味ではちょっと弱い。この手のノワールには本でも映画でもずいぶん接しているので、今さら驚きもなく展開が予想出来てしまうものが多い。
(日本ハードボイルド全集Ⅰ)
 ところでその本の解説で、生島治郎の回顧録的な作品「浪漫疾風録」(1993)が2020年に中公文庫で再刊されていることを知った。刊行時には気付かなかったのだが、この本がめっぽう面白い。もっとも主人公を越路玄一郎と名を変えているのに、自分以外は実名というスタイルはちょっとどうなんだろうかと思うけれど。特に最初の妻、後にミステリー作家となる小泉喜美子に対しては、どうもひどいなあと思う記述が多い。半世紀前は「夫婦」に関する感覚が大きく違ったということだろう。
(「浪漫疾風録」)
 しかし、確かに内容的には「浪漫疾風録」という感じなのである。生島治郎は早稲田を出たものの就職難の時代で、デザイン事務所に職を得たが転職を考えていた。そこに早川書房の募集の話が来て飛びつくのだが、これが恐ろしく古びた商店みたいな会社だった。推理小説や演劇の雑誌を出すオシャレな会社というイメージとは全く異なっていた。そこで先輩の詩人田村隆一の仕事(しなさ)ぶりに驚き、全然素人なのに「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集をやらされる。編集長が急に辞めて、何とか後任に都筑道夫がやってくる。しかし、あまりの薄給に勤務中に他社の仕事をしている始末。(ライバル誌「宝石」に書いた連載小説が、ハードボイルド全集都築の巻にある。)もうムチャクチャである。

 そして作家として売れていた都築も退社し、26歳で生島が編集長になる。大家江戸川乱歩や、同世代の結城昌治、三好徹らの記述も興味深い。やがて生島治郎も作家になることを目指して退社した。最初に書いたのが「傷痕の街」で、1967年の「追いつめる」で直木賞を得た。ミステリーがほとんど直木賞を得られない時代で、ハードボイルド系の作品が受賞した意味は大きい。ハードボイルド、冒険小説風の作品を数多く書いたが、今ではほとんど入手できない。そんな中で復刊された「浪漫疾風録」は貴重だ。60年代の出版社を描く自伝的作品には、中央公論社の村松友視夢の始末書」、平凡社の嵐山光三郎口笛の歌が聴こえる」などもあるが、いずれも面白い。今では考えられない自由な時代だったなあと思う。
コメント (1)
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