前回に東京8区を見て、「野党協力が功を奏した」選挙区があることを確認した。しかし、日本全体を見れば、そういう選挙区の方が少ないだろう。全選挙区を自民が独占し、さらに野党候補の比例復活を1人も許さなかった県も幾つかある。野球で言えば「完封」というべきか。今回の「完封県」は、青森、山形、群馬、福井、岐阜、島根、山口、高知の8県である。保守系無所属が当選した熊本県も事実上の「完封」である。よほど保守的な「自民王国」であっても、誰か1人ぐらいは野党系が比例で当選しているものだが、上記の県には野党の国会議員が衆議院にいないのである。
そんな県がこれほど多くては、とても「政権交代」どころではない。2009年を調べると、高知県だけは民主党が1人も当選しなかったが、他の県では誰かがいた。今回は岸田文雄、安倍晋三、麻生太郎、二階俊博、石破茂、岸信夫、西村康稔、森山裕など西日本の有力政治家の選挙区に立憲民主党の候補がいなかった。そこでは共産党、社民党、れいわ新選組などが立候補して、一応「与党対野党」という形になっている。しかし、それらの党がが野党統一候補として有力者を破ろうと意気込む地区ではない。要するに自民に太刀打ちできないから、立憲民主党が候補を擁立も出来ない「捨て区」である。
首都圏では甘利明、石原伸晃ら自民党有力者を破った小選挙区もあった。だが西日本では善戦するどころか「不戦敗」がこれほど多いのに、政権交代なんて言うのはおこがましかった。「立憲民主党政権に共産党が閣外協力」がどうのこうの、いろいろ言われたけれど、果たして考える価値があったんだろうか。「数字上の可能性」があるから、政権側(や保守系マスコミ)が大々的に問題視した時に、枝野代表も「そんなに勝つわけない」と自分からは言えないだろう。でも、今回すぐに政権交代が実現出来る客観的可能性はなかった。今回は150議席程度が目標で、そのための「戦術」としての野党協力なんだとずばり言えば良かった。
東西の自民王国の代表として群馬県と山口県を見てみたい。群馬県では1区が公認でもめたが、今回から中曽根康隆、4区が福田達夫、5区が小渕優子とかつての首相の子ども、孫が完璧に世襲王国を築いている。特に5区は今まで一度も比例復活もない。2区はかつて笹川堯元総務会長が連続当選していたが、2009年に石関貴史に敗れた。2012年からは井野俊郎が当選中。石関は2005年に比例で当選し、09年には小選挙区で当選。12年には維新に転じて比例で当選、14年にも比例で当選した。17年には落選、今回も無所属で出たが立憲民主党候補の半分(2.5万)しか取れず落選した。
(2021年衆院選の群馬県立候補者一覧)
群馬3区は笹川博義が4回連続して当選中。笹川堯の子だが、選挙区が違う。09年以前は谷津義男元農水相が連続当選していたが、09年に柿沼正明が当選した。2012年に落選して、その後の情報が無い。その時はまだ40代だったが、以後の選挙には出ないで政界からは引退したようだ。また群馬1区では、05年までは尾身幸次と佐田玄一郎が交互に当選していたが、09年には民主党の宮崎岳志が当選した。宮崎は12年には落選したが、14年には比例で当選。17年は希望の党で落選、今回も維新から出て落選した。つまり、2009年は自民王国の群馬においても5区中3区で民主党が当選していたのである。その勢いあってこその政権交代だった。
2009年にはもう一人民主党の当選者がいた。群馬4区の三宅雪子である。4区は09年まで5回を福田康夫、以後4回を福田達夫と福田家以外が当選したことがない。(5区も小渕家しか当選者がいない。)フジテレビのアナウンサーだった三宅は、小沢一郎の要請を受けて立候補し福田に肉薄して比例区で当選した。当時は知名度も高く、「小沢チルドレン」の代表格とされた。小沢と政治行動を共にし、12年は千葉4区の野田佳彦の選挙区に回って落選、13年の参院選でも落選した。以後はジャーナリストとして細々と活動していたが、2020年1月2日に水死しているのが発見された。自殺とされている。
続いて西の自民王国、山口県を見る。明治の元勲までさかのぼらなくても、戦後だけでも岸信介、佐藤栄作、安倍晋三と山口県選出議員が20年も首相をやっている。山口4区では1996年以来、全9回すべて安倍晋三が当選していて、比例当選者も出していない。ただ7回連続して10万票以上を集めていたのだが、今回は8万票と前回より2万票以上減らしたとちょっと話題になった。今回は共産党も出ずに、対立候補はれいわ新選組だった。山口3区も前回まで河村建夫が当選を続けて比例当選も許さなかった。今回参議院から林芳正が転じて、立憲民主党の女性候補に圧勝した。得票率で4分の3を占めている。
(山口県の自民党候補者)
このように山口3区、4区は今まですべて「完封」を続けている完全なる自民王国だが、山口1区に関してはすべて高村(こうむら)正彦、正大父子が勝利しているのだが、2009年だけは高邑(たかむら)勉が比例で当選した。高邑は12年総選挙前に辞任して山口県知事選に出て落選。その後は維新に移って、14年衆院選に出たが落選した。以後は立候補していないようである。山口県はこのように自民が圧倒しているのだが、山口2区だけはちょっと事情が違う。96年には佐藤栄作の次男、佐藤信二が当選したが、選挙には強くなかった。2000年に民主党の平岡秀夫が当選し、03年も維持した。05年は福田良彦に敗れて比例で当選したものの、福田が岩国市長選に出るため辞任すると補選で勝利。09年も勝利し、民主党政権では法務大臣を務めた。
しかし、平岡は2012年の選挙で岸信夫に敗れ、14年にも続けて落選して政界を引退した。岸信夫は安倍晋三の実弟だが、岸信介の子ども夫婦の養子となって岸家を継いだ。その事は本人には長く知らされなかったという。2004年に参院選に出馬して当選し、12年に衆院に転じた。現職の防衛相ということもあり、今回は共産党候補に3倍以上の大差を付けている。こう見てくると山口県の自民王国は今後も続くのは明らかだろう。2009年でも民主党は小選挙区で1人、比例区で1人だったのだから。それでも有力な候補者が少しでもいなければ、政権交代どころではない。
日本を変えたい、自民党政権を変えたいと思っている人でも、じゃあ、福田達夫や小渕優子、あるいは安倍晋三や林芳正の対抗馬になってくれと言われたら、了解することは難しいだろう。「落選確実」なのだから、野党から出てしまったら生活が成り立たなくなる。学者や公務員、大企業に務めている人は仕事を続けていた方が有利だ。落選しても次まで活動できるような生活保証は立憲民主党には出来ないだろう。本来なら党職員や党に近いシンクタンクなどが受け皿になれればいいのだろうが。山口2区の平岡秀夫は弁護士で、その後も死刑廃止運動の集会などで話を聞いている。弁護士や医師など落選しても影響の少なそうな資格を持つ人に出て貰うしかないのだろうか。
今回書いたのは、首都圏だけ見ていてはダメで、地方の「自民王国」を検討すれば、とても立憲民主党が政権を取るなどという段階には達していないという冷厳なる現実である。右だの左だのと言うレベル以前に、地方議員も少ないし地方組織が弱すぎる。どんなところでも自民党内閣の政策に問題を感じている人はいるだろう。そのような現場の声を拾っていく苦労、工夫をもっと続けるしかないだろう。少なくとも、もっと西日本で強くなるにはどうすれば良いか、西日本対策本部を作って対応しないとまずいと思う。
そんな県がこれほど多くては、とても「政権交代」どころではない。2009年を調べると、高知県だけは民主党が1人も当選しなかったが、他の県では誰かがいた。今回は岸田文雄、安倍晋三、麻生太郎、二階俊博、石破茂、岸信夫、西村康稔、森山裕など西日本の有力政治家の選挙区に立憲民主党の候補がいなかった。そこでは共産党、社民党、れいわ新選組などが立候補して、一応「与党対野党」という形になっている。しかし、それらの党がが野党統一候補として有力者を破ろうと意気込む地区ではない。要するに自民に太刀打ちできないから、立憲民主党が候補を擁立も出来ない「捨て区」である。
首都圏では甘利明、石原伸晃ら自民党有力者を破った小選挙区もあった。だが西日本では善戦するどころか「不戦敗」がこれほど多いのに、政権交代なんて言うのはおこがましかった。「立憲民主党政権に共産党が閣外協力」がどうのこうの、いろいろ言われたけれど、果たして考える価値があったんだろうか。「数字上の可能性」があるから、政権側(や保守系マスコミ)が大々的に問題視した時に、枝野代表も「そんなに勝つわけない」と自分からは言えないだろう。でも、今回すぐに政権交代が実現出来る客観的可能性はなかった。今回は150議席程度が目標で、そのための「戦術」としての野党協力なんだとずばり言えば良かった。
東西の自民王国の代表として群馬県と山口県を見てみたい。群馬県では1区が公認でもめたが、今回から中曽根康隆、4区が福田達夫、5区が小渕優子とかつての首相の子ども、孫が完璧に世襲王国を築いている。特に5区は今まで一度も比例復活もない。2区はかつて笹川堯元総務会長が連続当選していたが、2009年に石関貴史に敗れた。2012年からは井野俊郎が当選中。石関は2005年に比例で当選し、09年には小選挙区で当選。12年には維新に転じて比例で当選、14年にも比例で当選した。17年には落選、今回も無所属で出たが立憲民主党候補の半分(2.5万)しか取れず落選した。

群馬3区は笹川博義が4回連続して当選中。笹川堯の子だが、選挙区が違う。09年以前は谷津義男元農水相が連続当選していたが、09年に柿沼正明が当選した。2012年に落選して、その後の情報が無い。その時はまだ40代だったが、以後の選挙には出ないで政界からは引退したようだ。また群馬1区では、05年までは尾身幸次と佐田玄一郎が交互に当選していたが、09年には民主党の宮崎岳志が当選した。宮崎は12年には落選したが、14年には比例で当選。17年は希望の党で落選、今回も維新から出て落選した。つまり、2009年は自民王国の群馬においても5区中3区で民主党が当選していたのである。その勢いあってこその政権交代だった。
2009年にはもう一人民主党の当選者がいた。群馬4区の三宅雪子である。4区は09年まで5回を福田康夫、以後4回を福田達夫と福田家以外が当選したことがない。(5区も小渕家しか当選者がいない。)フジテレビのアナウンサーだった三宅は、小沢一郎の要請を受けて立候補し福田に肉薄して比例区で当選した。当時は知名度も高く、「小沢チルドレン」の代表格とされた。小沢と政治行動を共にし、12年は千葉4区の野田佳彦の選挙区に回って落選、13年の参院選でも落選した。以後はジャーナリストとして細々と活動していたが、2020年1月2日に水死しているのが発見された。自殺とされている。
続いて西の自民王国、山口県を見る。明治の元勲までさかのぼらなくても、戦後だけでも岸信介、佐藤栄作、安倍晋三と山口県選出議員が20年も首相をやっている。山口4区では1996年以来、全9回すべて安倍晋三が当選していて、比例当選者も出していない。ただ7回連続して10万票以上を集めていたのだが、今回は8万票と前回より2万票以上減らしたとちょっと話題になった。今回は共産党も出ずに、対立候補はれいわ新選組だった。山口3区も前回まで河村建夫が当選を続けて比例当選も許さなかった。今回参議院から林芳正が転じて、立憲民主党の女性候補に圧勝した。得票率で4分の3を占めている。

このように山口3区、4区は今まですべて「完封」を続けている完全なる自民王国だが、山口1区に関してはすべて高村(こうむら)正彦、正大父子が勝利しているのだが、2009年だけは高邑(たかむら)勉が比例で当選した。高邑は12年総選挙前に辞任して山口県知事選に出て落選。その後は維新に移って、14年衆院選に出たが落選した。以後は立候補していないようである。山口県はこのように自民が圧倒しているのだが、山口2区だけはちょっと事情が違う。96年には佐藤栄作の次男、佐藤信二が当選したが、選挙には強くなかった。2000年に民主党の平岡秀夫が当選し、03年も維持した。05年は福田良彦に敗れて比例で当選したものの、福田が岩国市長選に出るため辞任すると補選で勝利。09年も勝利し、民主党政権では法務大臣を務めた。
しかし、平岡は2012年の選挙で岸信夫に敗れ、14年にも続けて落選して政界を引退した。岸信夫は安倍晋三の実弟だが、岸信介の子ども夫婦の養子となって岸家を継いだ。その事は本人には長く知らされなかったという。2004年に参院選に出馬して当選し、12年に衆院に転じた。現職の防衛相ということもあり、今回は共産党候補に3倍以上の大差を付けている。こう見てくると山口県の自民王国は今後も続くのは明らかだろう。2009年でも民主党は小選挙区で1人、比例区で1人だったのだから。それでも有力な候補者が少しでもいなければ、政権交代どころではない。
日本を変えたい、自民党政権を変えたいと思っている人でも、じゃあ、福田達夫や小渕優子、あるいは安倍晋三や林芳正の対抗馬になってくれと言われたら、了解することは難しいだろう。「落選確実」なのだから、野党から出てしまったら生活が成り立たなくなる。学者や公務員、大企業に務めている人は仕事を続けていた方が有利だ。落選しても次まで活動できるような生活保証は立憲民主党には出来ないだろう。本来なら党職員や党に近いシンクタンクなどが受け皿になれればいいのだろうが。山口2区の平岡秀夫は弁護士で、その後も死刑廃止運動の集会などで話を聞いている。弁護士や医師など落選しても影響の少なそうな資格を持つ人に出て貰うしかないのだろうか。
今回書いたのは、首都圏だけ見ていてはダメで、地方の「自民王国」を検討すれば、とても立憲民主党が政権を取るなどという段階には達していないという冷厳なる現実である。右だの左だのと言うレベル以前に、地方議員も少ないし地方組織が弱すぎる。どんなところでも自民党内閣の政策に問題を感じている人はいるだろう。そのような現場の声を拾っていく苦労、工夫をもっと続けるしかないだろう。少なくとも、もっと西日本で強くなるにはどうすれば良いか、西日本対策本部を作って対応しないとまずいと思う。