尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

文学座公演「ジャンガリアン」(横山拓也作)を見る

2021年11月13日 21時12分06秒 | 演劇
 紀伊國屋サザンシアターで始まった文学座の公演「ジャンガリアン」を見た。横山拓也作、松本祐子演出で、20日まで。ナイトチケットの方がずいぶん安いから12日夜の初演を見たが、とても面白かった。作者の横山拓也は大阪出身で、iakuという劇団の代表。僕は知らなかったが、2918年「逢いにいくの、雨だけど」、2019年「ヒトハミナ、ヒトナミノ」、「あつい胸さわぎ」など、最近コンスタントに注目作を連発しているらしい。今回の「ジャンガリアン」もトンカツ屋の内部だけを舞台にしながら、世界につながる現代を描き出して秀逸。客席には笑いも絶えず、演劇を見る楽しみを味わえる。

 舞台は大阪のどこかの商店街の一角にあるトンカツ屋「たきかつ」。今日はリニューアル休店前の最後の日である。創業60年という老舗として常連も付いているが、何しろもう古い。店を開いた祖父が亡くなったのを機に、家業に目もくれなかった長男、琢己が継ぐことになった。店で長いこと勤めてきたアキラさんは、新しくなる店に不安も覚えながら「若旦那」を立てている。そこに様々な人がやって来る。琢己の両親は離婚していて、父親高安は今は近くに別の店を出して商店会の会長をしている。両親は犬猿の仲で、「たきかつ」は商店会にも入ってないぐらい。琢己の妻、アイは保育士をしていてバツイチらしい。

 そんなところに、外国人の支援をしている女性がモンゴル人留学生を連れてくる。「フンビシ」という名のモンゴル人は、最初はジャンガリアンを持ってくるために店に来たのだった。題名にもなっているジャンガリアンとは何か。演出の松本祐子も最初は知らなかったというが、何とハムスターの一種だった。「たきかつ」は古くなりすぎてネズミが出るという。いくら何でも食べ物屋でまずいだろうと思った琢己に、ジャンガリアンを飼えばと勧める人がいた。同じネズミの一種で、なわばり意識があってジャンガリアンを飼ってるとネズミが出ないというのだが…。
(ジャンガリアン)
 そんなこんなでゴタゴタしている時に、琢己が倒れてしまう。救急車を呼ぶ事態になってしまい、すべてリニューアルの工程表を作ってある工務店の担当は困惑する。そこからこの小さな店をめぐる人間関係が細かな会話を通して見えてくる。それは思わず「日本人とは何か」を考えさせるものになっていく。商店会の会長(つまり「たきかつ」の琢己の父)は外国人との交流も大切と考えていて、祭にベトナム人やモンゴル人が豚の丸焼きをするコーナーを認める。それが子どもたちから「残酷」だと非難されたらしい。日本人はトンカツを平気で食べているのに、丸焼きにすると残酷だと言い出す。
(舞台風景)
 琢己が入院中でリニューアル工事も頓挫している間に、フンビシを二階に住まわせて店を手伝って貰えばという話になる。しかし、外国人を雇うことに反対もあるし、リハビリが必要になってしまった琢己には鬱屈が絶えない。そこにアキラの人生、先代の教えが語られるときに、許すこと信じることの大切さというテーマが見えてくるのである。小さな店の小さな人間模様をユーモアたっぷりに語りながら、案外大きなテーマがあぶり出されてきた。もっとも最後は出来すぎ的なウェルメイドプレイになってしまったかも。しっかりした演技に支えられた社会性とユーモアは、「新劇」の意味を再確認させてくれるような感じがした。

 出演は父がたかお鷹、琢己が林田一高、アキラが高橋克明、フンビシが奥田一平、工務店の担当が川合耀祐、母親に吉野由志子、フンビシを連れてくる団体の女性が金沢映美、妻アイが吉野実紗。僕もほとんど知らないけれど、みな達者な演技。サザンシアターはまあ椅子がいい方だから、時々行きたいなあと思う。舞台でも新作ではなく、最近は再演が多い。若い作家の新作を追いかけて見るのは大変だが、なかなか注目の才能だなと感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内寂聴の訃を悼み、徳島ラジオ商殺し事件を思い出す

2021年11月13日 00時00分04秒 | 追悼
 2021年11月9日に瀬戸内寂聴が亡くなった。1922年5月15日生まれで、99歳である。2004年に岩波書店から出た「同時代を生きて」という本では、鶴見俊輔ドナルド・キーン瀬戸内寂聴の3氏が大いに語り合っていた。この3人は1922年生まれの全くの同世代人だった。そして、鶴見俊輔が2015年7月20日に亡くなり、ドナルド・キーンが2019年2月24日に亡くなった。そして、この二人に続き瀬戸内寂聴が亡くなった。日本の作家としては、宇野千代の98歳は越えたが、野上弥生子の99歳10ヶ月には僅かに及ばない。ちなみに佐藤愛子は97歳の誕生日を迎えたばかりである。百歳まで生きることはかくも難しい。

 僕は瀬戸内寂聴さんの話を聞いたことがある。それは徳島ラジオ商殺し事件の再審開始を求める集会でのことだった。1953年に徳島市で起こった殺人事件で、「内縁の妻」の富士茂子が逮捕され、懲役13年の有罪が確定した。しかし、これは公権力の乱用としか言いようがない恐るべき事件だった。難航する捜査に対して、検察官が2人の少年店員を無理やり逮捕し嘘の供述を迫ったのである。開高健が「片隅の迷路」で小説化し、山本薩夫監督「証人の椅子」(1965)として映画にもなった。富士茂子は1966年11月に仮釈放されたが、その間何度も再審を求めながらも退けられてきた。

 徳島市に生まれた瀬戸内寂聴は同じ町に起こった事件に心を寄せ、早くから富士茂子の熱心な支援者だった。1970年代後半になって、本格的に日弁連が支援することになり、本人の体調を考えると恐らく最後になるだろうと思われた第5次再審請求が1978年1月に起こされた。その直前に東京で支援集会が開かれ(場所は渋谷の山手教会)、そこでずっと支援してきた瀬戸内寂聴市川房枝(参議院議員)が登壇して話をしたのである。日本女性史に輝く偉大な2人の話を聞いたわけだが、僕は小さい体で必死に無実を訴える富士茂子の姿だけを覚えている。そして彼女は1979年11月15日に亡くなった。
(富士茂子さんの写真を掲げて再審開始を求める人々)
 再審請求は姉妹によって継承され、日本で初の死後再審を目指すことになった。そして1980年12月13日、徳島地裁は再審開始を決定した。僕はその日、徳島まで出掛けていた。決定が出る日を知らせないことも多いのだが、その時は決定を出す日が公表されていた。審理経過からも開始決定が出る可能性が高いと思われていた。再審開始決定の瞬間を見ることはなかなか出来ないので、僕はどうしても居合わせたかったのである。夜には再審開始を報告する集会が開かれ、ここでも瀬戸内寂聴の話を聞いた。細かい内容は覚えていないけれど、袈裟をまとって威風あたりを圧する存在感は印象的だった。このエネルギッシュな支援活動に瀬戸内寂聴の真骨頂を見た思いがしたものだ。

 僕は「法話」を聞きに行ったりしたことはない。抹香臭いことは嫌いだし関心も薄い。1973年に今東光の手で中尊寺で得度したわけだが、もちろんそれ以前から瀬戸内晴美の名前は知っていた。本を読んではなかったが、それなりに有名な(どちらかと言えばスキャンダラスな)「女流作家」だったから。今東光は河内を舞台にした小説を沢山書いた直木賞作家だが、天台宗の大僧正で自民党の参議院議員でもあった。何で尼僧になったのか、その頃は全く判らなかったし興味もなかった。しかし、もっと後になって瀬戸内晴美名義の伝記小説を読みふけるようになった。面白くて役に立つのである。

 特に日本近代史の中で、自由を求めて闘い続けた女性たちを描き続けた。伊藤野枝を描いた「美は乱調にあり」(1966)に始まり、管野スガ(大逆事件)を描く「遠い声」(1970)、金子文子を描く「余白の春」(1972)、伊藤野枝と大杉栄を描く「諧調は偽りなり」(1984)、平塚雷鳥らを描く「青鞜」(1984)などである。描写が生き生きとしている上に、自由を求めるテーマが胸を打つ。直接授業に使うわけではないが、時代をイメージするのに役立つのである。他にもいっぱい伝記小説を書いているけれど、読んでない本が多い。「夏の終り」などの小説も持っているけど読んでない。いつでも読めると思っているうちに作者が亡くなってしまった。瀬戸内寂聴は林真理子に対して「作家は死んで一年経つと、本屋の棚から無くなってしまう」と言ったそうだ。

 しかし、一年と言わず、ここ数年ほとんど瀬戸内の小説は文庫コーナーで見なくなっている。今挙げたような本は、今後も若い日本の女性を勇気づけるだろう。いつまでも読めるようになっていて欲しい。その他、多くの社会運動にも関わり、安保法制や原発にも反対してきた。それらはマスコミ上で多く報道されている。どんな人が何を言っているかを見ると感じることが多い。(上記の伝記小説の多くは近年岩波現代文庫で再刊されている。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする