尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大傑作、平野啓一郎「ある男」を読む

2021年11月15日 22時09分19秒 | 本 (日本文学)
 平野啓一郎ある男」(2018)を読んだ。刊行当時に評判になって、読売文学賞を受賞した。前から読みたかったんだけど、9月に文春文庫に入ったので買うことにした。一読、心の奥深くに働きかけてくる傑作だった。話はミステリアスだが、エンターテインメントではない「純文学」の凄さを感じさせられる。多くの人にチャレンジして欲しい本だ。

 平野啓一郎(1975~)は京大在学中の1998年に書いた「日蝕」で1999年1月に芥川賞を受けた。「日蝕」は中世フランス、次の「一月物語」(いちげつものがたり)では明治日本の鏡花風幻想をそれぞれ擬古文で描いていた。そのスタイリッシュな世界が魅力的とは思ったが、正直勘弁してくれという気もして、以来「葬送」や「決壊」など評判の作品は持ってるんだけど読んでなかった。デビュー頃とは全然違っているという話は聞いてたが、確かに全く違う作風だった。

 ある女性(里枝)が事情あって離婚して子どもと故郷(宮崎県西都市)へ帰る。実家がやってた文房具店を手伝っているうちに、水彩画の道具を買いに来る男と親しくなる。再婚して子どもも出来るんだけど、男は林業現場で倒れた樹にあたって死んでしまう。不運な話だけど、実はここからが物語なのである。男は谷口大祐といい、伊香保温泉の旅館の次男だという。しかし、親兄弟とは良い思い出がなく、故郷を捨てて出て来た。だから結婚に当たっても何の連絡もしなかった。しかし、一周忌も終えて、このままではと思って伊香保の旅館に連絡を取る。早速兄がやって来るのだが、写真を見てこれは弟ではないと断言する。 

 えっ、どういう事なんだろう? そこでかつて離婚の時に世話になった弁護士城戸に相談する。その城戸弁護士がこの物語の語り手になる。城戸が調査を進める探偵役になるわけだが、本当に谷口大祐を知る人を探すと、確かに違うという。特に大祐と付き合っていたという「美涼」は印象的だ。一方、では谷口大祐を名乗っていた人物(仮に「X」と呼ぶ)は誰なのか。谷口本人とはどんな関係があるのか。本人の情報を聞いていたのは間違いなく、だから実際に伊香保の兄が訪ねてきたのである。
(平野啓一郎)
 人間が入れ替わるということがあるのか。そこには「犯罪」も関わっているのだろうか。城戸弁護士の調査はなかなか進まないが、その間に城戸や里枝の日々の思いが語られる。特に城戸は実は金沢で育った「在日」コリアン3世で、その後「帰化」していた。震災を機に関東大震災時の虐殺事件を思い出してしまい、日本がヘイトスピーチが横行する社会になったことに鬱屈した思いがある。幼い子がいるが、震災後の法律ボランティアに出掛けて、妻とギクシャクするようになってしまった。過労死裁判などを抱えながら、城戸は宮崎にも出掛けていく。夜、町に飲みに出ると、つい谷口と名乗ったりしてしまう。

 一体「自分」とは何なのかという深い問いを抱えながらも、まずは「X」の正体を明らかにしたい。そのヒントは幾つかあって、まずはたまたま横浜刑務所で服役していた詐欺師。その男は戸籍の売買も仲介していた。そして友人弁護士がやっている死刑廃止運動で、死刑囚の絵画展に出掛けたこと。日本のなかにある悲惨、欺瞞、難問にぶつかりながら、果たして「真相」にはたどり着くのだろうか。しかし、「真相」とは一体なんなのだろう? 自分の人生をも思い返し、深い感慨を覚えてしまう。

 「謎」をめぐる物語だから、先へ先へと読み進む。しかし、物語としては停滞する部分があって、それは弁護士はこの謎だけを追いかけていては生活できないから当然だ。そこがエンタメ小説なら、都合良くドラマティックな展開が相次ぐんだろうけど、「純文学」ではそうはいかない。その時に語られる城戸の思いなどが余計だと思う人は、この小説を味わえない。たくさんの登場人物が織りなすタペストリーのような小説だが、日本の非寛容な「世間」を思い知らされるところもあれば、励まされるような描写もある。いずれにせよ、とても考えさせられる小説だ。

 平野啓一郎は2016年に出た恋愛小説「マチネの終わりに」がベストセラーになり、映画化もされた。社会的な発言も多く、最近気になっていた作家だ。大江健三郎の後期小説を残っているんだけど、ちょっと平野啓一郎を読んでみようかなという気になった。
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