毎月書いている訃報特集、2021年10月は後半に重要な訃報が相次いだので、3回に分ける。最初は日本の芸術・芸能関係の大きな訃報から。落語家の柳家小三治が10月7日に死去、81歳。遠からず小三治師匠の訃報を聞くことになるだろうと思って、僕はここ数年もう一回聞きたいと思っていたのだが、適わなかった。何度か入院していたけど、そのたびに復帰して今後の落語会も予定されていたのだが…。僕は小三治を何度も聞いているけれど、ファンというほどでもなかった。僕が落語をよく聞くようになったのは、20世紀の終わり頃からだった。その時点では小三治はもう大師匠で、飄飄としたといわれる芸風が確立され近寄りにくい感があった。
(柳家小三治)
1959年に5代目柳家小さんに入門、東京の落語家で人間国宝に指定されたのは、この師弟だけである。1969年に17人抜きの抜てきで真打昇進、10代目小三治となった。多分この頃が一番面白かったのだと思う。多趣味で知られ、バイク、スキー、クラシック音楽、俳句などが有名。句会で長く付き合った小沢昭一を新宿末廣亭夜の部のトリに招いたこともあった。映画「小三治」というドキュメンタリーもあるが、柳町光男監督「カミュなんて知らない」では池袋にあった実在の蕎麦屋「ここのつ」の店主を演じていた。落語に入る前の「まくら」に味があると評判で、それだけで本になっている。2010年から14年に落語協会会長。
漫画家の白土三平が10月8日に死去、89歳。父親のプロレタリア画家・岡本唐貴の影響で美術を学び、戦後に紙芝居、貸本漫画に進んだ。貸本時代に長大な「忍者武芸帳」を長井勝一が経営した三洋社から刊行した。続いて長井が青林堂を設立し、創刊された「ガロ」に「カムイ伝」の連載を始めた。戦後漫画史の神話時代である。当時大衆小説や映画、テレビなどで忍者ブームが起こっていたが、白戸漫画では忍術に科学的説明が付き、被差別者としての忍者が描かれた。僕は若い頃に「忍者武芸帳」を漫画文庫で読んだけれど、「カムイ伝」は読んでない。四方田犬彦の長大な「白戸三平論」は面白かった。大島渚監督「忍者武芸帳」を見ると、現在の中世史では疑問が多いと思いつつ、信長政権に抵抗を続ける革命的ロマンティシズムに励まされる思いがする。
(白土三平)
一番驚いたのが作家の山本文緒の訃報だった。10月13日、58歳。少女小説家としてデビューして、やがて一般向けの小説を書き始めた。次第に評判になっていったが、中でも「恋愛中毒」(1998)でブレイクし、「プラナリア」(2000)で直木賞を受賞した。これらは実に恐ろしい小説で、人間の心の怖い部分をグイグイと明るみに出す。2003年にうつ病で作家を休業したが、その報に意外感を持たなかったのも事実だ。その後エッセイで復帰し、昨年(2020年)刊行された「自転しながら公転する」が評判になり、島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。これから本格的に活躍するのかと思った矢先、膵臓ガンで亡くなった。大変残念なことだった。
(山本文緒)
舞踊家、バレエ指導者の牧阿佐美が10月20日に死去、87歳。今年の文化勲章受章者だが、没後の追贈ではない。決定後に死去したということになる。日本の伝説的バレリーナ橘秋子の娘で、幼少時期からバレエを学んだ。1956年に母とともに牧阿佐美バレエ団を創設し、草刈民代などを育てた。1999年から新国立劇場のバレエ団を率いた。僕はバレエのことはよく判らないのでこのぐらいで。
(牧阿佐美、「徹子の部屋」に出演時)
作曲家のすぎやまこういち(椙山浩一)が9月30日に死去、90歳。「ドラゴンクエスト」などゲーム音楽の作曲で知られた。というよりザ・タイガース「花の首飾り」「モナリザの微笑」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」、ガロの「学生街の喫茶店」などの作曲がこの人なのである。しかし、晩年はすっかり歴史修正主義者としての活動が目立った。安倍政権の熱烈な支持者でもあり、右派系の政治家に多額の政治献金を行ってきた。まあ思想信条は自由ではあるけれど、どうなってるんだろうと思わないでもない。(子どもも親しむゲームの作曲家があまりにも政治的であるのはどうなのかという意味。自分の金をどう使うかは自由だが。)
(すぎやまこういち)
まだ続くのだが、一端ここで終わって次回に続けたい。

1959年に5代目柳家小さんに入門、東京の落語家で人間国宝に指定されたのは、この師弟だけである。1969年に17人抜きの抜てきで真打昇進、10代目小三治となった。多分この頃が一番面白かったのだと思う。多趣味で知られ、バイク、スキー、クラシック音楽、俳句などが有名。句会で長く付き合った小沢昭一を新宿末廣亭夜の部のトリに招いたこともあった。映画「小三治」というドキュメンタリーもあるが、柳町光男監督「カミュなんて知らない」では池袋にあった実在の蕎麦屋「ここのつ」の店主を演じていた。落語に入る前の「まくら」に味があると評判で、それだけで本になっている。2010年から14年に落語協会会長。
漫画家の白土三平が10月8日に死去、89歳。父親のプロレタリア画家・岡本唐貴の影響で美術を学び、戦後に紙芝居、貸本漫画に進んだ。貸本時代に長大な「忍者武芸帳」を長井勝一が経営した三洋社から刊行した。続いて長井が青林堂を設立し、創刊された「ガロ」に「カムイ伝」の連載を始めた。戦後漫画史の神話時代である。当時大衆小説や映画、テレビなどで忍者ブームが起こっていたが、白戸漫画では忍術に科学的説明が付き、被差別者としての忍者が描かれた。僕は若い頃に「忍者武芸帳」を漫画文庫で読んだけれど、「カムイ伝」は読んでない。四方田犬彦の長大な「白戸三平論」は面白かった。大島渚監督「忍者武芸帳」を見ると、現在の中世史では疑問が多いと思いつつ、信長政権に抵抗を続ける革命的ロマンティシズムに励まされる思いがする。

一番驚いたのが作家の山本文緒の訃報だった。10月13日、58歳。少女小説家としてデビューして、やがて一般向けの小説を書き始めた。次第に評判になっていったが、中でも「恋愛中毒」(1998)でブレイクし、「プラナリア」(2000)で直木賞を受賞した。これらは実に恐ろしい小説で、人間の心の怖い部分をグイグイと明るみに出す。2003年にうつ病で作家を休業したが、その報に意外感を持たなかったのも事実だ。その後エッセイで復帰し、昨年(2020年)刊行された「自転しながら公転する」が評判になり、島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。これから本格的に活躍するのかと思った矢先、膵臓ガンで亡くなった。大変残念なことだった。

舞踊家、バレエ指導者の牧阿佐美が10月20日に死去、87歳。今年の文化勲章受章者だが、没後の追贈ではない。決定後に死去したということになる。日本の伝説的バレリーナ橘秋子の娘で、幼少時期からバレエを学んだ。1956年に母とともに牧阿佐美バレエ団を創設し、草刈民代などを育てた。1999年から新国立劇場のバレエ団を率いた。僕はバレエのことはよく判らないのでこのぐらいで。

作曲家のすぎやまこういち(椙山浩一)が9月30日に死去、90歳。「ドラゴンクエスト」などゲーム音楽の作曲で知られた。というよりザ・タイガース「花の首飾り」「モナリザの微笑」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」、ガロの「学生街の喫茶店」などの作曲がこの人なのである。しかし、晩年はすっかり歴史修正主義者としての活動が目立った。安倍政権の熱烈な支持者でもあり、右派系の政治家に多額の政治献金を行ってきた。まあ思想信条は自由ではあるけれど、どうなってるんだろうと思わないでもない。(子どもも親しむゲームの作曲家があまりにも政治的であるのはどうなのかという意味。自分の金をどう使うかは自由だが。)

まだ続くのだが、一端ここで終わって次回に続けたい。