アフリカ系アメリカ人として初の統合参謀本部議長(ブッシュ父政権)となり、後にアフリカ系初の国務長官(ブッシュ子政権)になったコリン・パウエル(Colin Luther Powell)が10月18日に死去、84歳。ジャマイカ系移民の子に生まれ、陸軍に入った。ベトナム戦争で2度負傷、帰国後に軍内部で昇進し、陸軍大将まで昇進した。レーガン政権では国家安全保障担当補佐官、ブッシュ父政権で現役に復帰し、統合参謀本部議長となってパナマ侵攻や湾岸戦争を指揮した。その頃から共和党の大統領候補として取り沙汰されるようになったが、家族から「黒人大統領を目指せば暗殺される」と強く反対された。
(コリン・パウエル)
ブッシュ子政権で国務長官に就任し、2003年イラク戦争直前の国連安保理で「イラクは大量破壊兵器を持っている」と演説した。しかし、実は間違った情報によったもので、戦争後に大量破壊兵器は発見されなかった。パウエルはこれを「人生最大の汚点」と述べている。僕も当時リアルタイムで演説を見たが、一定の説得力はあると思った。(しかし、大量破壊兵器の有無の関わらず開戦反対の立場。日本政府は開戦を支持したが、パウエルのように真摯に反省したのか。)共和党穏健派を代表する立場で、葬儀に際しては党派を超えた哀悼の意が表され、トランプ以外の有力政治家が参列した。
元韓国大統領の盧泰愚(ノ・テウ)が10月26日に死去、88歳。87年に久しぶりに行われた大統領直接選挙で13代(5人目)の大統領に当選、1988年のソウル五輪を成功させた。外交では「北方外交」を展開し、ソ連、中国との国交を結んだ。しかし、元々は軍人で、1979年の朴正熙大統領暗殺後に、全斗煥らと「粛軍クーデター」を起こした一員である。全斗煥政権では体育相を務めて五輪準備を担当した。全斗煥から後継指名を受けたが、民主化運動が高揚し(「6月民衆抗争」)、盧泰愚は「六・二九民主化宣言」を発して直接大統領選を受け入れた。政治犯も赦免し、結果的に大統領選には金泳三、金大中がともに立候補し、民主派票が割れて盧泰愚が当選した。大統領時代は「普通の人」を掲げて親しみやすさを演出していた。大統領引退後に政治資金隠匿が発覚し、粛軍クーデターや光州事件も再捜査され、結局懲役17年、追徴金2688億ウォンが確定した。1997年末に特赦された。
(盧泰愚)
パキスタンの「核開発の父」と言われるアブドゥル・カディール・カーンが10月10日に死去した。85歳。オランダでウランの濃縮技術を身に付け、70年代以後パキスタンで核兵器の開発を進めた。核技術の国際的な闇ネットワークを築いたとされ、イラン、リビア、北朝鮮などへ核兵器技術を密売したと言われる。パキスタン政府の関わりなくして不可能と思われるが、そこには触れずにカーン博士が2004年に関与を「自白」。以後、2009年まで自宅軟禁された。パキスタンでは責任を自らで負って国家と軍を救ったとみなされ、対立するインドに対抗できる核兵器を開発した国民的英雄とされている。
(カーン博士)
ソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァが10月18日に死去、74歳。70年にウィーン国立歌劇場と契約、一躍世界に知られた。チェコ生まれ、父はドイツ人ながら、イタリアオペラを得意とし「ベルカント(美しい歌)の女王」と呼ばれた。15回以上も来日公演を行っている。当時のチェコを逃れて西欧各地で活躍した。
(エディタ・グルベローヴァ)
オランダの指揮者ベルナルド・ハイティンクが10月21日死去、92歳。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を61年から88年まで務めた。その後はロンドン・フィルやロイヤル・オペラハウスなどの指揮者を務め、現代最高峰の一人とされた。日本には62年のコンセルトヘボウを皮切りに10回以上も訪れて公演している。正統的な指揮で知られ、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの交響曲全集を完成させている。
(ベルナルト・ヘイティンク)
・イラン・イスラム革命以後の最初の大統領だったアボルハサン・バニサドルが10月9日に死去、88歳。60年代から反帝政運動に参加し、パリに亡命。79年の革命後にホメイニ師とともに帰国した。革命試験では蔵相に就任し、80年の大統領選で大統領に当選した。しかし、保守派との対立が深まり、81年6月に国会で弾劾決議が可決され辞任。国外に脱出してパリで亡命生活を送り、イスラム体制を批判する活動を続けた。
・ハンガリーの経済学者、コルナイ・ヤーノシュが10月18日没、93歳。戦後に共産党に入党し、経済誌記者をしながら経済学を勉強した。次第に社会主義経済を批判するようになり、1980年の「不足」では社会州経済では物資やサービスが恒常的に不足することを説き、ハンガリーでは「不足」が不足と言われるベストセラーになった。1984年からハーバード大学教授。東欧各国で社会主義経済からの脱却に大きな影響を与えた。邦訳書も数多い。
・橋本敦、8月29日没、93歳。元共産党所属の参議院議員。ロッキード事件などの調査、追求で知られた。1988年に謎のカップル失踪事件を質問誌、当時の梶山静六官房長官から「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」との答弁を引き出した。
・里村龍一、10月5日没、72歳。作詞家。もともと釧路の漁師だったが、森進一の歌詞募集に応募して優勝し作詞家デビューした。細川たかし「望郷じょんから」、千昌夫「望郷酒場」、香西かおり「雨酒場」など。
・醍醐敏郎、10月10日没、95歳。「ミスター講道館」と呼ばれた柔道家で、史上15人しかいない最高位の10段だった。戦後の柔道界のスターで国際的な普及にも努めた。ケガが多く全日本優勝は2度に止まるが、名勝負が語り継がれた。引退後は指導者となり、東京五輪コーチ、モントリオール、ロサンゼルス五輪監督を務めた。著書に「柔道教室」など。
・前田五郎、10月16日没、79歳。坂田利夫と組んだコメディ№1のツッコミ担当。初めは吉本新喜劇で活躍し、1967年から坂田利夫と組んで活躍した。2009年に中田カウス脅迫状事件への関与が報道され、本には否定するもののコンビ解散、吉本から契約解除になった。
・花柳千代、10月17日没、97歳。1940年に花柳流から花柳千代の名を許され、1951年に花柳千代舞踊研究所を設立した。分野を超えて日本舞踊の普及に務めた。東京新聞主催全国舞踊コンクールで36回の指導者賞を受けた。
・飯島敏宏、10月17日没、89歳。テレビプロデューサー、監督、脚本家。TBS入社後、60年代半ばから円谷プロの「ウルトラQ」に関わり、以後「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」などの監督をした。脚本も担当し「バルタン星人」の生みの親と言われている。その後木下プロに出向し、後会長。「金曜日の妻たちへ」など多くのテレビドラマを演出した。
・渡辺淳、10月20日没、90歳。フランス文学者。50年代からフランスのレジスタンス文学、思想などを紹介した。映画や演劇の評論活動でも知られた。「パリの世紀末」(中公新書)などパリに関する著作も多い。翻訳も多く、ロラン・バルトやエドガール・モランなどを日本に紹介した。
・樋口有介、作家。10月23日没、71歳。那覇の自宅で亡くなっていたのが見つかった。1988年「ぼくと、ぼくらの夏」でサントリーミステリー大賞読者賞を受賞して作家デビュー。「彼女はたぶん魔法を使う」に始まる柚木草平シリーズは創元推理文庫に入っている。「風少女」で直木賞候補。「ピース」は中公文庫で新版が出たばかりだが、一読驚くようなミステリーである。
・長谷川健一、10月22日没、68歳。福島県飯館村で酪農を営んでいたが、原発事故で避難を強いられた。原発事故被害者団体連絡会の共同代表を務め、裁判外紛争解決申し立てを求めた申立団の団長を務めた。
・仲條正義、10月26日没、88歳。グラフィック・デザイナー。芸大卒業後資生堂に勤めたが、61年に独立して仲條デザイン事務所を設立した。資生堂の企業文化誌「花椿」のアートディレクターを務めた他、「暮しの手帖」の表紙イラストも担当した。他にも松屋銀座、東京都現代美術館、日光江戸村などロゴ・デザインを担当した。
最後に死刑囚、高橋和利が10月8日に死亡したことを書いておきたい。87歳。誤嚥性肺炎で5月から入院中だったという。この訃報を新聞は小さく報じたが、どこも「鶴見事件」と呼ばれる冤罪主張事件だったことを伝えないのは何故だろう。大河内秀明弁護士による「無実でも死刑、真犯人はどこに」という本もある。救援会のホームページもあって、「鶴見事件について」がある。マスコミは少なくとも無実を主張し再審請求中だったというぐらいは報じるべきだ。

ブッシュ子政権で国務長官に就任し、2003年イラク戦争直前の国連安保理で「イラクは大量破壊兵器を持っている」と演説した。しかし、実は間違った情報によったもので、戦争後に大量破壊兵器は発見されなかった。パウエルはこれを「人生最大の汚点」と述べている。僕も当時リアルタイムで演説を見たが、一定の説得力はあると思った。(しかし、大量破壊兵器の有無の関わらず開戦反対の立場。日本政府は開戦を支持したが、パウエルのように真摯に反省したのか。)共和党穏健派を代表する立場で、葬儀に際しては党派を超えた哀悼の意が表され、トランプ以外の有力政治家が参列した。
元韓国大統領の盧泰愚(ノ・テウ)が10月26日に死去、88歳。87年に久しぶりに行われた大統領直接選挙で13代(5人目)の大統領に当選、1988年のソウル五輪を成功させた。外交では「北方外交」を展開し、ソ連、中国との国交を結んだ。しかし、元々は軍人で、1979年の朴正熙大統領暗殺後に、全斗煥らと「粛軍クーデター」を起こした一員である。全斗煥政権では体育相を務めて五輪準備を担当した。全斗煥から後継指名を受けたが、民主化運動が高揚し(「6月民衆抗争」)、盧泰愚は「六・二九民主化宣言」を発して直接大統領選を受け入れた。政治犯も赦免し、結果的に大統領選には金泳三、金大中がともに立候補し、民主派票が割れて盧泰愚が当選した。大統領時代は「普通の人」を掲げて親しみやすさを演出していた。大統領引退後に政治資金隠匿が発覚し、粛軍クーデターや光州事件も再捜査され、結局懲役17年、追徴金2688億ウォンが確定した。1997年末に特赦された。

パキスタンの「核開発の父」と言われるアブドゥル・カディール・カーンが10月10日に死去した。85歳。オランダでウランの濃縮技術を身に付け、70年代以後パキスタンで核兵器の開発を進めた。核技術の国際的な闇ネットワークを築いたとされ、イラン、リビア、北朝鮮などへ核兵器技術を密売したと言われる。パキスタン政府の関わりなくして不可能と思われるが、そこには触れずにカーン博士が2004年に関与を「自白」。以後、2009年まで自宅軟禁された。パキスタンでは責任を自らで負って国家と軍を救ったとみなされ、対立するインドに対抗できる核兵器を開発した国民的英雄とされている。

ソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァが10月18日に死去、74歳。70年にウィーン国立歌劇場と契約、一躍世界に知られた。チェコ生まれ、父はドイツ人ながら、イタリアオペラを得意とし「ベルカント(美しい歌)の女王」と呼ばれた。15回以上も来日公演を行っている。当時のチェコを逃れて西欧各地で活躍した。

オランダの指揮者ベルナルド・ハイティンクが10月21日死去、92歳。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を61年から88年まで務めた。その後はロンドン・フィルやロイヤル・オペラハウスなどの指揮者を務め、現代最高峰の一人とされた。日本には62年のコンセルトヘボウを皮切りに10回以上も訪れて公演している。正統的な指揮で知られ、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの交響曲全集を完成させている。

・イラン・イスラム革命以後の最初の大統領だったアボルハサン・バニサドルが10月9日に死去、88歳。60年代から反帝政運動に参加し、パリに亡命。79年の革命後にホメイニ師とともに帰国した。革命試験では蔵相に就任し、80年の大統領選で大統領に当選した。しかし、保守派との対立が深まり、81年6月に国会で弾劾決議が可決され辞任。国外に脱出してパリで亡命生活を送り、イスラム体制を批判する活動を続けた。
・ハンガリーの経済学者、コルナイ・ヤーノシュが10月18日没、93歳。戦後に共産党に入党し、経済誌記者をしながら経済学を勉強した。次第に社会主義経済を批判するようになり、1980年の「不足」では社会州経済では物資やサービスが恒常的に不足することを説き、ハンガリーでは「不足」が不足と言われるベストセラーになった。1984年からハーバード大学教授。東欧各国で社会主義経済からの脱却に大きな影響を与えた。邦訳書も数多い。
・橋本敦、8月29日没、93歳。元共産党所属の参議院議員。ロッキード事件などの調査、追求で知られた。1988年に謎のカップル失踪事件を質問誌、当時の梶山静六官房長官から「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」との答弁を引き出した。
・里村龍一、10月5日没、72歳。作詞家。もともと釧路の漁師だったが、森進一の歌詞募集に応募して優勝し作詞家デビューした。細川たかし「望郷じょんから」、千昌夫「望郷酒場」、香西かおり「雨酒場」など。
・醍醐敏郎、10月10日没、95歳。「ミスター講道館」と呼ばれた柔道家で、史上15人しかいない最高位の10段だった。戦後の柔道界のスターで国際的な普及にも努めた。ケガが多く全日本優勝は2度に止まるが、名勝負が語り継がれた。引退後は指導者となり、東京五輪コーチ、モントリオール、ロサンゼルス五輪監督を務めた。著書に「柔道教室」など。
・前田五郎、10月16日没、79歳。坂田利夫と組んだコメディ№1のツッコミ担当。初めは吉本新喜劇で活躍し、1967年から坂田利夫と組んで活躍した。2009年に中田カウス脅迫状事件への関与が報道され、本には否定するもののコンビ解散、吉本から契約解除になった。
・花柳千代、10月17日没、97歳。1940年に花柳流から花柳千代の名を許され、1951年に花柳千代舞踊研究所を設立した。分野を超えて日本舞踊の普及に務めた。東京新聞主催全国舞踊コンクールで36回の指導者賞を受けた。
・飯島敏宏、10月17日没、89歳。テレビプロデューサー、監督、脚本家。TBS入社後、60年代半ばから円谷プロの「ウルトラQ」に関わり、以後「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」などの監督をした。脚本も担当し「バルタン星人」の生みの親と言われている。その後木下プロに出向し、後会長。「金曜日の妻たちへ」など多くのテレビドラマを演出した。
・渡辺淳、10月20日没、90歳。フランス文学者。50年代からフランスのレジスタンス文学、思想などを紹介した。映画や演劇の評論活動でも知られた。「パリの世紀末」(中公新書)などパリに関する著作も多い。翻訳も多く、ロラン・バルトやエドガール・モランなどを日本に紹介した。
・樋口有介、作家。10月23日没、71歳。那覇の自宅で亡くなっていたのが見つかった。1988年「ぼくと、ぼくらの夏」でサントリーミステリー大賞読者賞を受賞して作家デビュー。「彼女はたぶん魔法を使う」に始まる柚木草平シリーズは創元推理文庫に入っている。「風少女」で直木賞候補。「ピース」は中公文庫で新版が出たばかりだが、一読驚くようなミステリーである。
・長谷川健一、10月22日没、68歳。福島県飯館村で酪農を営んでいたが、原発事故で避難を強いられた。原発事故被害者団体連絡会の共同代表を務め、裁判外紛争解決申し立てを求めた申立団の団長を務めた。
・仲條正義、10月26日没、88歳。グラフィック・デザイナー。芸大卒業後資生堂に勤めたが、61年に独立して仲條デザイン事務所を設立した。資生堂の企業文化誌「花椿」のアートディレクターを務めた他、「暮しの手帖」の表紙イラストも担当した。他にも松屋銀座、東京都現代美術館、日光江戸村などロゴ・デザインを担当した。
最後に死刑囚、高橋和利が10月8日に死亡したことを書いておきたい。87歳。誤嚥性肺炎で5月から入院中だったという。この訃報を新聞は小さく報じたが、どこも「鶴見事件」と呼ばれる冤罪主張事件だったことを伝えないのは何故だろう。大河内秀明弁護士による「無実でも死刑、真犯人はどこに」という本もある。救援会のホームページもあって、「鶴見事件について」がある。マスコミは少なくとも無実を主張し再審請求中だったというぐらいは報じるべきだ。