尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中根千枝、森山真弓、坪井直、副田義也等ー2021年10月の訃報②

2021年11月06日 22時09分40秒 | 追悼
 社会人類学者中根千枝が10月12日に死去、94歳。講談社現代新書の「タテ社会の人間関係」(1967)がベストセラーになって名前を知られた。この人の肩書きを「社会人類学者」ではなく、「東大名誉教授」と書くような、人間を業績ではなく「どのような場に属しているか」で判別する社会が「タテ社会」になる。日本の労働組合が会社ごとに作られるのを見ても、現在も日本社会の基本システムであり、今回の衆院選理解の鍵でもある。今読むとそんなに面白くもないと思うけど、日本を考えるときの基本文献ではある。人類学者として日本の農村を調査した後、ヨーロッパ各地やインドなどの調査を続けた。中根氏には「女性初の」が付きまとった。女性初の東大教授であり、学士院会員であり、学術系の文化勲章受章者。
(中根千枝)
 「女性初」つながりで、女性初(にして唯一)の内閣官房長官を務めた森山真弓が10月14日に死去、93歳。中根千枝は津田塾専門学校卒業、東大法学部入学の同期になる。東大在学中に政治家の森山欽司と結婚。1950年卒業とともに労働省に入省、女性官僚の草分けとなった。夫は運輸相などを務め、労働、教育などでタカ派として知られた。妻の真弓も1980年に参議院議員に転身、夫は政界入りに消極的だったというが、結局参院3回、衆院4回の当選を重ねた。1989年海部内閣で環境庁長官として入閣、山下徳夫がスキャンダルで辞任した後に官房長官に横すべりした。その後も宮澤内閣で文部相、小泉内閣で法相を務めた。2009年総選挙に立候補せず引退。
(森山真弓)
 政治家では鹿野道彦が10月21日に死去、79歳。森山真弓が官房長官を務めていた1989年~1990年に農水相を務めていた。その後の政界再編で自民党を離党、「新党みらい」を経て新進党に合流。党首選で小沢一郎と争ったこともある。新進党解党後、「国民の声」を経て民政党で幹事長に就任。後に野党が結集して民主党に参加、国対委員長を務めた。選挙では山形1区で遠藤利明(現選対委員長、元五輪相)とし烈な争いを繰り広げ、3勝3敗になっている。2005年には比例でも当選出来なかったが、2009年に当選。民主党政権の菅、野田内閣で21年ぶりに再び農水相を務めた。民主党内閣では安定した行政能力を買われ、ポスト菅の代表選にも立候補した。
(鹿野道彦)
 長年被爆者の先頭にたって核廃絶を訴えた坪井直(つぼい・すなお)が10月24日に死去、96歳。2000年から日本被爆者団体協議会(被団協)代表委員を務めていた。広島工業専門学校在学中に爆心から1.2キロ地点で被爆して大やけどを負った。(その時の様子がたまたま中国新聞カメラマンによってとらえられていた。)その後、中学の数学教員となり、被爆体験を語り続けた。校長を経て1986年に定年退職。その後、世界に非核を訴える活動に積極的に取り組み、アメリカやフランスなどにも出掛けた。2016年、オバマ米大統領(当時)の広島訪問時に対面して握手を交わしたことで知られる。2018年、広島市名誉市民。
(坪井直)
 社会学者の副田義也(そえだ・よしや)が10月8日に死去、86歳。社会事業や社会福祉の研究者として「生活保護制度の社会史」や「福祉社会学宣言」などの著書がある。しかし、それ以上に有名なのは漫画評論家としての活動で、漫画研究の本がいくつもある。もともと作家を志向していて、小説「闘牛」で開高健や大江健三郎とともに1958年1月期の芥川賞候補となった。(開高が受賞。)晩年には交通遺児などを支援する「あしなが育英会」を熱心に支援して「あしなが運動と玉井義臣 歴史社会学的考察」(岩波書店、2003)を書いた。この本は政治家と官僚がいかに民間のボランティア的活動を妨害してきたかの歴史的証言として必読である。教員としては日本社会事業大、東京女子大、筑波大、金城学院大に勤務した。
(左=副田義也、右=あしなが育英会の玉井義臣)
 東映の社長、会長を務めた高岩淡(たかいわ・たん)が10月28日に死去、90歳。東映京撮所長として太秦映画村を開業したことで知られる。母親と前夫との子、つまり異父兄が作家の檀一雄で、そのつながりで東映で壇の代表作「火宅の人」を映画化した。また姪にあたる檀ふみも東映で映画デビューをしている。企画、製作作品には「柳生一族の陰謀」「野菊の墓」「鉄道員(ぽっぽや)」「金融腐食列島 呪縛」など多数。
(高岩淡)
 ピアニストの神谷郁代(かみや・いくよ)が10月6日に死去、75歳。桐朋学園高校卒業後に、毎日音楽コンクール優勝、ドイツに留学してエリザベート王妃国際音楽コンクールで6位入賞。ヨーロッパ各地で演奏活動を展開した。古典から現代音楽まで手掛けたが、特にベートーヴェンで知られた。
(神谷郁代) 
 日本のその他の訃報は、外国人の訃報と合せて3回目にまとめる。
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