尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐木隆三、篠原一、福島菊次郎、熊倉一雄等ー2015年9、10月の訃報

2015年11月06日 23時33分14秒 | 追悼
 9月分の追悼記事を書かなかったので、ここ2カ月を合わせて。
 10月31日に亡くなったのが、作家の佐木隆三(78歳)。非常にたくさんの本を読んだ人である。「復讐するは我にあり」で1976年に直木賞を得たが、それ以前の八幡製鉄(まだ富士製鉄と合併して新日鉄になってない)の「労働者作家」として新日本文学賞を得た「ジャンケンポン協定」(1963)という痛快な社会派ユーモア小説も読んでる。1964年に退社して作家に専念して、「大将とわたし(1968)などを書いた。これは後に松下竜一「砦に拠る」に描かれた九州の下筌(しもうけ)ダム反対運動の中心人物、室原知幸(いわゆる蜂の巣城主)を扱った作品で、これも面白い。だけど、「売れない作家」だったので、復帰前の沖縄へ移住して、復帰協定反対闘争のデモで逮捕される。「本土の作家」だから大物指導者に違いないという見込み捜査である。この「冤罪体験」で、裁判や犯罪者への関心が芽生えて、以後の作家活動につながったわけである。

 以後は知られているが、連続殺人犯を描く「復讐するは我にあり」は、刊行直後から世評が高く直木賞確実と言われていた。確かに傑作で、最高傑作だと思う。(今村昌平による映画化も、小説を凌駕しているかもしれない傑作である。)と同時に、僕にとっては関わりがあった冤罪事件、丸正事件を描く「誓いて我に告げよ」の作家でもある。その後は裁判を傍聴してノンフィクションを書くことが多い。文庫になると大体読んでいる。それらの事件と犯罪者の思い出は「わたしが出会った殺人者たち」(2012)にまとめられた。それは今年新潮文庫に入り、僕も最近読んだ。(というのに、今どこにあるか判らない。)その本に地元の北九州に戻ったことが書かれていた。佐木隆三という人は、裁判、面会、文通等を通じて「自覚的に」(というのは、刑務官や警察官、法曹関係者などのような「職業として」と違って)「多数の犯罪者と接した人」である。でも、会いすぎたんじゃないかと僕はだんだん思うようになった。犯罪者の「矮小な面」を見すぎてしまったのかもしれないと思う。

 佐木さんだけで長くなってしまったが、同じ10月31日に政治学者の篠原一(90歳)が亡くなった。「市民参加」などの著書があり、70年代の住民自治に大きな影響を与えた人である。その当時は雑誌に載った論文もよく読んだものだ。その後ガンを患い、「丸山ワクチン」を広める運動を進めた。

 報道写真家の福島菊次郎(9.24没、94歳)が亡くなった。原爆、公害問題など一貫して「反権力」の立場で写真を撮ってきた。「ニッポンの嘘」という記録映画が数年前に作られ、キネ旬文化映画ベストワンになった。見逃してしまったのだが、福島菊次郎を追う映画である。13日まで渋谷のアップリンクで上映されている。60年代半ばから前衛的写真家として活躍した中平卓馬(9.1没、74歳)は名前だけは昔からよく聞いた人。写真のことはあまりよく知らないが、懐かしい名前である。

 川島なお美(9.24没、54歳)は大きく報道された。テレビドラマをほとんど見てないので、あまりよく知らないので、書くことができない。それより女優では、アメリカのモーリン・オハラ(10.24没、95歳)に感慨があるんだけど、まあ古すぎですね。ジョン・フォードの「静かなる男」は昨年リバイバルされた。「わが谷は緑なりき」も素晴らしい。こういう人である。

 テアトル・エコーの、というより声優と報道されたが、熊倉一雄(10.12没、88歳)の死去が惜しまれる。もちろん、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌や「ひょっこりひょうたん島」の声優だったんだから、懐かしい名前である。ニール・サイモンを紹介したことも大きいと思うが、それ以上に何と言っても、井上ひさしを劇作家としてデビューさせたのが重大である。「日本人のへそ」や「表裏源内蛙合戦」はテアトル・エコーあってのことだと思う。これは日本文化史に残る「事件」である。

 落語家の橘家円蔵(10.7没、81歳)は、前の名の「月の家円鏡」の方で覚えている人も多いのではないか。とにかくテレビで売れっ子で、爆笑の落語家ではあった。でも、一度もナマでは聞いてない。テレビの中で親しんだという感じである。講談師の宝井馬琴(9.25没、80歳)の訃報も伝えられた。

 脚本家の山内久(やまのうち・ひさし、9.29没、90歳)は、60年代頃に日本映画を代表する脚本家の一人である。「若者たち」ばかり取り上げられるが、松竹にいながらペンネームで日活に書いた「幕末太陽傳」がすごい。今村昌平の「果しなき欲望」もシナリオのお手本である。最高傑作は「豚と軍艦」(今村昌平、1961)にとどめを刺すと思う。遠藤周作原作の「私が棄てた女」は、ハンセン病というテーマがすっかり抜けている。それはそれで傑作で、熊井啓「愛する」よりいいとは思うんだけど。
 
 経済同友会元代表幹事の小林陽太郎(富士ゼロックス元会長、9.5没、82歳)や小泉内閣の財務相を務めた塩川正十郎(9.19没、93歳)、料理ジャーナリストの岸朝子(9.22没、91歳)などの訃報もあった。スポーツ界では、阪神のGM、中村勝広(9.22没、66歳)は現役時代の印象はあまりないが、後に阪神監督を務めた。大洋と近鉄という今はなき球団で活躍した投手、盛田幸妃(もりた・こうき、10.16没、45歳)は脳腫瘍を克服してカムバック賞を得た。近年は闘病中だったという。鬼平などの挿絵画家の中一弥(なか・かずや、10.27没、104歳)は長寿を極めた。何しろ昭和初期の直木三十五の小説がデビューだという。逢坂剛の父親でもある。ノンフィクション作家の中島みち(10.29没、84歳)は自身がガンになったことから、医療に関心を持ち尊厳死や脳死に関する本をたくさん残した。菊池寛賞受賞。

 最後に、古代史や親鸞の研究家、古田武彦(10.14没、89歳)の訃報を記録しておく。在野の研究者として「『邪馬台国』はなかった」などで評判になった。これはまあ、その通りで、例の「魏志倭人伝」(魏書の東夷伝)には「邪馬壹国」(やまいちこく)となっているわけだ。古代史ファンだったから、面白そうで読んでみたが、どうも納得はできなかった。と思ったら、その後いつのまにか「東日流外三郡誌」の支持者になっていた。詳しいことを知りたい人は検索して調べて欲しいが、あれは偽書でしょと思うけど。
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明治学院とその周辺散歩

2015年11月04日 00時43分32秒 | 東京関東散歩
 2日は大雨で寒い日だったけど、3日はさすがに「晴れの特異日」だけあって、全国的にカラッと晴れ上がった。今はちょうど「東京文化財ウィーク」をやっていて、文化財の特別公開などがあちこちで行われている。そこで今日も文化財散歩。都営地下鉄三田線の白金台駅から、都営地下鉄浅草線高輪台駅まで明治学院大学を中心にその周辺を散歩。明治学院大学のインブリー館は国の重要文化財である。一度見てみたかったし、他にも歴史的建造物がある。

 東京は政治や経済の中心地というイメージばかり強調されるけど、明治以後の首都だから「近代化遺産」はかなり残っている。近代的教育制度が整備されて、大学ができたのも東京が始まりである。「文教都市」というイメージはないが、数で言えば有名な大学は東京が一番多いんだろうと思う。近代遺産はまだほとんど国宝に指定されていないが、大学の重要文化財はけっこうある。東京にあるのは東大の安田講堂、早大の大隈講堂、慶大の三田演説館と図書館、明学大のインブリー館、学習院の旧正門、芸大の旧東京音楽学校奏楽堂など。また京都の同志社大学礼拝堂等、龍谷大の大宮学舎等、北大の農学部諸施設、岩手大の農学部旧本館、熊本大の工学部旧機械実験工場など、調べると結構ある。旧制高校や旧制中学のものもある。そんな中でも、外観がきれいに残されているキリスト教関係施設としては東京で一番が明治学院大学なのだろう。で、インブリー館は下の建物。
   
 1889年の頃の木造2階建てで、そういうことは配布されている「明治学院 文化財ガイドブック」が詳しい。宣教師のインブリーさんが長年住んだからだという。日本にある宣教師館としては一二を争う古い建物だとある。今は中へ入れるので入って、2階も見る。インブリーさんの写真もああった。
   
 さて、重文だからインブリー館を先に書いたけど、入り口を入るとまずチャペル(明治学院礼拝堂)のステキな姿が見えてくる。本当は今は大学祭をやっていて、チャペルでも各団体の演奏や歌をやっていたけど、まあ入らなかった。ずらっと食べ物屋の屋台が並んでいて人もいっぱいいた。写真は出来るだけ人物を撮らないようにしたけど、ホントは人出が多かったのである。チャペルは港区選定の歴史的建造物に指定されている。独立した建物だから、立教よりずっと立派な感じ。今見たら同志社のチャペルも立派そうで、いつか行ってみようと思う。こんなチャペルがあるといいなと思う。1916年にヴォーリズの設計により建てられたが、1931年に学生数の増加に伴って拡張された。上から見ると十字架のかたちだとある。パイプオルガンもあり、ステンドグラスもステキそうだ。今度入ってみよう。
    
 インブリー館の隣、チャペルの真ん前には、明治学院記念館がある。これも港区の歴史的建造物で素晴らしい建築物である。1890年に建てられ、元は神学部の校舎と図書館だったという。卒業生の島崎藤村の「桜の実の熟する時」に出てくる由。藤村は「破戒」「夜明け前」を読んでるけど、それは読んでない。馬篭の記念館も小諸の記念館も行ってるのに忘れていた。明治女学院の教員だったことばかり知っている。校歌も藤村が作っているということで、チャペルの裏に記念碑が建っている。(下の3枚目の写真)記念館も見ると、創設者のヘボンさんの偉大さがよく判った。今はローマ字のヘボン式で名が残るが、それだけでなく多くの業績を残した人で、今年は生誕200年だという。学内に彫像もあった。(下の4枚目の写真)なお、大通りの歩道橋の上から記念館がよく見える。下の2枚目の写真。
   
 ところで、明治学院に行く前に、白金台駅の近くに「瑞聖寺」(ずいせいじ)がある。1670年創建の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺。江戸初期に隠元が伝えた禅宗の一派である。ここの「大雄宝殿」(だいゆうほうでん)が国の重要文化財に指定されている。ただし、一度再建され、1757年の完成なので、江戸中期となり日本の仏教文化財ではそんなに古くない。でも明朝時代に由来する立派な建物。
   
 明治学院から歩道橋を渡ると、地名は高輪(たかなわ)で向こうに不思議な建物が見えてくる。それが東京都選定の歴史的建造物にも指定されている「高輪消防署二本榎出張所」である。「二本榎」(にほんえのき)というのは、この地域の古い地名だという。1933年の建造で、高いタワーが特徴的。だけど、今は周りがもっと高いマンションだらけになって、全然火の見の役には立たない。だから、登らせてくれない。中は2階までは見せてくれるけど、受付をすると案内が来る。2階は消防の歴史等の説明になっている。ホントは上を見たいんだけど、まあ仕方ない。とにかく「見た目の不思議度」では東京でも有数ではないか。それが町のど真ん中に今も立ち続けている。一度は見るべき東京風景。
   
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円覚寺舎利殿を見にいく

2015年11月01日 21時19分34秒 | 東京関東散歩
 鎌倉の禅寺、円覚寺(えんがくじ)の舎利殿(しゃりでん)と言えば、歴史の教科書にも必ず出ている鎌倉文化の代表的な建築の一つである。(もっとも建築は南北朝時代に入った15世紀とされる。鎌倉文化の建築としては、まず東大寺南大門が挙がる。)中国(宋)の影響を受けた禅宗様の代表であり、国宝に指定されている。だけど、今まで直接見たことがなかった。というのも、普段は非公開で、正月3が日と11月当初の3日程度しか、公開されないのである。この時期は文化祭等の学校行事も多く、なかなか行けなかった。だから、つい忘れているのだが、今年は一昨日あたりに突然思い出して調べてみたら、1~3日が公開だった。秋晴れで気持ちのいい日に訪ねてみた。
   
 円覚寺というのは、北鎌倉駅降りてすぐにある。(というか、円覚寺の敷地を鉄道が通っているんだと思う。)もちろん初めてではないが、鎌倉は久しぶり。山に囲まれているので、さすがに東京と違う歴史と文化の町という気がする。寺へ入るのに300円。そこから奥の方にずっと進むと、「宝物風入」(ほうもつかぜいれ)をやっている。舎利殿特別拝観と合わせて、別に500円。(舎利殿だけなら200円)。入口近くは人が多かったが。だんだん少なくなっていく。まあ、ゼロではないけど、少し待ってると上の写真のように、人影のない時間もある。意外なことにそれほど混んでいない。確かに素晴らしい建築なんだけど、ここまで有名なだと、どうしても「デジャヴ」(既視感)に囚われてしまう。もともとは円覚寺のものではなく、尼寺の太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものだという。
   
 上の3枚目の写真は、舎利殿に入る直前の地形。円覚寺を取り囲む山の地層がよく判る。4枚目の写真は、舎利殿に向かう途中にある「妙香池」。池の向こうにある岩を「虎頭岩」というよし。さまざまな塔頭(たっちゅう)が立ち並び、今も禅宗修行の地になっている。その一つ、「佛日庵」には開基の北条時宗を祀る廟所がある。また、「烟足軒」という茶室は、川端康成「千羽鶴」に出てくる茶室のモデルだという。小説は昔読んで忘れているけど、最近見た映画はすごく変な話だったので驚いた。茶室の前に苔庭があり、「林家木久蔵作」とあった。先代、今の木久翁だろう。下の4枚目。
   
 もう一つ国宝があった。「洪鐘」と書いて「おおがね」と呼ぶ。1301年製作の大きな鐘なんだけど、高いところに会って行くのがエライ大変。写真の石段を登り切ったところは、まだ半分ぐらいである。確かに大きいな。鋳物師物部国光作と作者名も判っている。さて、その前に「宝物風入」を見るが、これは絵や古文書の特別展示である。写真は撮れないから、ここではない。重要文化財がいくつかあるが、僕にはよく判らない。天皇家や武家、戦国大名の文書が貴重。
   
 まだ紅葉には早く、鎌倉散歩の人々も多いには違いないが、思ったほどでもなかった。境内の様子を何枚か載せて終わる。東慶寺など北鎌倉の他の場所も時間があれば行こうかなと思っていたが、案外疲れた。4時からフィルムセンターでオーソン・ウェルズを見たいと思っていたから、円覚寺だけ。
    
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