尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員の「なり手不足」問題

2019年10月14日 22時57分25秒 |  〃 (教育行政)
 教員の希望者が減っていると指摘されている。採用試験の倍率が減っているらしい。全国で見てみると、今年度の小学校は約2.8倍、中学校は5.5倍になっている。(10月7日付朝日新聞記事による。)これは00年度の小学校が12.5倍、中学校が17.9倍だったのに対して、確かに大きく減っている。
(教員採用試験の倍率の推移)
 その直接の原因は、過去の大量採用時代の教員が退職年齢を迎えて採用者が増えているのに対し、若い世代は少子化で人数そのものが少ないことがあるだろう。また民間企業の採用が順調で、大学生は教員採用試験の前に民間企業に先に内定してしまうことも大きい。そもそも2000年前後の「就職氷河期」に、教員採用試験がとても合格できるとは思えない倍率にまでなっていたことがおかしかった。減ったとは言え2倍以上はあるんだから、採用後に研修や経験を積むことにより教員として成長出来るだろうという考え方もあると思う。

 しかし、現場的にはこの倍率はかなり低いんじゃないか。なぜなら、教員採用試験に落ちた志望者の中から、さらに教員を目指すという人を中心に、非常勤講師産育休代替教員を採用することが多いからだ。その年に不合格だった人は、いつあるか判らない産休代替の口などを待たずに、私立学校で講師をしたり、民間企業へ就職してしまうのが普通だ。どんな職場にもあることだが、採用後に教員に向いてないと判る人もいる。年度途中で事情があって退職する人もいる。だから年度途中で新採用になる人が一定数いるもんだけど、この倍率だと突然の講師採用などが難しくなるはずだ。現実に病休、産休などの代替教員、つまり「非正規教員」が非常に不足してきているという。(9月24日付朝日新聞。)

 その原因として、学校の勤務環境が「ブラック職場」であることが知られて敬遠されているという分析もある。それもあるかもしれないが、それだけでは不十分だろう。もともと部活動を含めた勤務時間の長さ、それにたいして「残業代」に見合わない給与体系など、それ自体は教員を目指すものには周知のことだった。しかし、それでも教職は面白いという「教員労働の特別性」が存在した。その特別性を剥ぎ取ろうというのが、ここ何十年かの教育行政だった。だから、教員を目指す人が減ったというのは、教育行政が目指してきたことが効果を上げたということなのである。

 そもそも教員免許を取得する人が減っているのかどうか。僕はそのデータを持ってないけれど、「教員免許更新制」なる愚策により、教員免許を「とりあえず」「念のため」取得しようという人は減っているのではないだろうか。中高の免許は、普通は大学で教職課程に登録し所定の科目を修得することで得られる。しかし「教育実習」などの負担が大きい割に、10年で期限が切れてしまう。研究職を目指して大学院に進学する、あるいは音楽や美術、スポーツ、英語の翻訳などでプロとして活躍を目指している人は多い。昔はそういう人は「念のため」教員免許を取っておく人が多かった。

 実際に美術や音楽などでは、セミプロ的な活動をしながら非常勤講師をしている人に何人も接してきた。そういう人も今は減っているのではないか。また若い人の場合だけではなく、結婚等で一端退職した人も多いけれど、一度免許が失効してしまえば何かの時にカムバックするのは難しいだろう。「一度辞めた元教員」は緊急時に一番頼りに出来る存在だったのだが、今はそれが難しい。1966年の日本映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督)という映画がある。小学校で産休に入る先生がいて、校長(珍しく殿山泰司がマジメや役を好演している)が代わりの先生探しに苦労している。戦前に教師をしていた「おばさん」(山岡久乃)に頼みこんでやって貰う。こういうエピソードも今ではあり得ない。

 もう一つ重要なことは、東京都教委を先頭に「教員の階層分化」「競争的な人事考課制度」を進めてきたことだ。都教委などは導入時に「民間企業では、そうやってスキルアップしている」みたいなことを言っていた。とんでもない話で、そういう民間企業に適応できる人は、とっとと民間企業に就職してしまうだろう。なぜなら、収入面で公務員は絶対に民間を上回らないからだ。(公務員の賃金は民間の水準を基準に決められている。)バブル期を経験した僕の世代などは、民間に就職した人のボーナスとあまりの違いに絶句した時期がある。その後「就職氷河期」になって、「潰れないだけでもマシ」などと言われたときもあるがそういう時期の方が少ない。

 それでも教員を目指す人がいるのは何故か。世の中全体からすれば、「変人」だからじゃないかと思う。僕にしてみれば、民間なんかで働けるとは思えなかった。都立高校なら、なんとか片隅で生きていけるかなと思ったのである。研究職を別にすれば、ずっと「歴史」に関与していけるような仕事は、社会科教員か専門出版社ぐらいしか思いつけなかった時代なのである。まあ、RCサクセションの「僕の好きな先生」である。僕はまあ自分で最初に思っていたほどは「職員室が嫌い」な教師ではなかった。でも「絵の具の匂い」に囲まれていたいというような気持ちはよく判る。そういう人は民間ではダメだけど、教師ではやっていけた時代なのだ。(もうタバコは絶対ダメだけど。)

 そのような「組織性のない教師」を駆逐するのが、教育行政の目指してきたところだ。その結果として、パソコンを駆使して「アクティブラーニング」を推進するが、生徒には考えさせるけれども自分では教育行政の言うままに働く教員を求めてきた。そんな人がいたら、教師にならずに民間企業でバリバリやるって。だから「自由裁量」を広げるなど、「教職への尊厳」をベースに置く教育行政にならない限り、教師を目指す人が増えることは難しいだろう。つまり教師不足はもっと深刻化するのである。(長くなったので、具体的な方策、及び教育実習の問題は別に書きたい。)
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映画「宮本から君へ」、異様な熱量

2019年10月12日 22時59分25秒 | 映画 (新作日本映画)
 真利子哲也監督、池松壮亮蒼井優主演の「宮本から君へ」は、全編に異様なほどの熱量があふれた作品だ。池松壮亮は有力な男優賞候補になるだろう。もちろん蒼井優もすごい熱量で、ほとんど二人の演技合戦が繰り広げられている。(蒼井優は今までずいぶん受賞しているから、賞レースではスルーされちゃうかもしれないが。)もともとは新井英樹のマンガで、有名らしいけど僕はマンガに詳しくないから知らなかった。去年映画化された「愛しのアイリーン」の原作者でもある。

 2018年に同じく真利子哲也監督、池松壮亮主演でテレビドラマされ、その時は池松演じる主人公宮本浩が営業マンとして奮起する姿が描かれたという。それが原作の前半で、映画は蒼井優演じる中野靖子をめぐる後半部分だという。真利子哲也監督は、日本映画界に数多い若手注目監督の中でも、2016年の商業映画デビュー作「ディストラクション・ベイビーズ」が半端ない傑作で深い印象を受けた。前作でも今作でも、画面に立ちこめる熱気が心をとらえる。

 もっとも熱気があふれすぎ、原作時点でも主人公宮本を「暑苦しい」と毛嫌いする人がいたらしい。映画でも「そこまでやるか」的な展開に付いていくのが精一杯な感じもある。原作前半を知らずに見たわけだが、時間が行ったり来たりするから、「何があったんだろう」的なミステリー的な興趣がある。冒頭で宮本がケガした腕を包帯で吊ったシーンがある。会社で「ケンカ」だと言っている。続くシーンではケガしてなくて、二人連れで女性の部屋に行く。そこに前の男・風間(井浦新)が乱入してきて、女はもう来るな、もう何度も宮本と寝たと突き放す。その後宮本が「中野靖子は俺が守る」と宣言する。その後になって、実はまだ体の関係はなく、この後で初めて結ばれるシーンが出てくる。
(池松壮亮と蒼井優)
 ここで予測するのは、風間がストーカーになって、宮本が対抗してケンカという展開なんだけど、これが全く違う。予想も出来ない怒濤の展開になっていくので、唖然として見つめるしかない。その間に宮本家を二人で訪ね、あるいは中野家(銚子にある)を二人で訪ねるシーンがある。結婚を「報告」するためだ。その時点で「妊娠」しているらしい。このような幸福な展開はその後全然変わってしまう。飛び込み営業に成功してた会社の飲み会に呼ばれ、ラグビーに参加するよう強要される。そして飲み潰れた宮本を会社の社長の息子、拓馬一ノ瀬ワタル)が送ってゆく。

 この後の展開は書かないけれど、宮本浩大丈夫かというか、池松壮亮どこまでやるの?的な描写が続く。こんなに肉体的にぶつかり合う映画としては、2017年に「あゝ、荒野」があった。その脚本を書いた港岳彦が、真利子哲也とともに今回の脚本を担当している。あの映画の菅田将暉も凄かったが、今回の池松壮亮も決して負けていない。むしろ体格差がある分、強烈なファイトを感じる。いま日本でラグビーのワールドカップが開かれているが、この映画を見てしまうと、なんだかラグビーって嫌だな、でかい相手とぶつかるなんてと思ってしまう。
(左から蒼井優、池松壮亮、井浦新)
 後半で起きる「事件」をきっかけに、宮本浩と中野靖子が正面から魂のぶつかり合いになる。その壮絶な演技は見る価値があるが、じゃあ見て寛げるかというと、なんかここまでむき出しの感情もなあ、と思うかも。見て快くなる映画ではなく、観客にも「毒」を与える映画だ。しかし、その毒は紛れもなく「日本社会」を反映している。このような暴力性が日本には潜んでいる。撮影は四宮秀俊、音楽は池永正二。ラストに流れる主題歌は宮本浩次。エレファントカシマシのヴォーカルで、原作者が主人公の名をそこから取ったという話。好きじゃない人もいるだろうが、破格のエネルギーに満ちた映画。
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和田誠さんを追悼して

2019年10月11日 22時54分16秒 | 追悼
 和田誠さんが亡くなった。10月7日没、83歳。ウィキペディアを見ると、和田誠(以下敬称略)の紹介として、イラストレーターエッセイスト映画監督と出ている。僕が和田誠という名前を知ったのは、多分「キネマ旬報」の「お楽しみはこれからだ」だと思う。映画の名セリフを集めた連載で、題名はミュージカルの「ジョルスン物語」から取られていた。僕は高校・大学時代にキネ旬を毎号読んでいて愛読していた。絵も売り物だったが、やはりエッセイの面白さ、好きな映画への偏愛に惹かれたのだ。

 もっとも1972年に和田誠が平野レミ(シャンソン歌手、料理研究家で、多方面で活躍したフランス文学者平野威馬雄の娘だった)と結婚したときに、僕はどちらの名前も知っていた。だから、名前はもっと前から知っていたのかもしれない。若い頃の一番の思い出は、「話の特集」から出た「倫敦巴里」というパロディ文集である。人生で一番笑った本かもしれない。例えば川端康成「雪国」の冒頭を、いろんな作家の文体で書いたところなど、今も時々思い出す。横溝正史や筒井康隆なんか抱腹絶倒だった。
(「倫敦巴里」)
 和田さんの文章は、とにかく好きな映画(ミュージカルや西部劇)や音楽(ジャズ)、本(ミステリー)などについて、飄々とした「軽み」で弾むように書かれている。僕の若い頃は、まだ重厚、深刻に歴史、社会を語る「サヨク」がいっぱいいた時代で、僕もベースとしてはそういう「マジメな社会派」的な部分を持っていた。映画でもマジメな作品をずいぶん見ていたけど、時にはこういう軽いタッチの笑いに接してバランスを取りたかったんだと思う。「話の特集」とか「ビックリハウス」なんかもよく読んでいた。

 和田誠が初めて長編の商業映画を監督すると聞いたときは、かなり心配した。時々そういう人がいるけど、成功した人はほとんどいない。それに題材は阿佐田哲也原作の「麻雀放浪記」だという。1984年のことだ。僕は就職2年目で、忙しいし麻雀は知らない。どうせ成功しないと思ったからロードショーは見なかった。そうしたらキネ旬ベストテン4位に入った。1位が伊丹十三の初監督「お葬式」、2位が2作目の澤井信一郎の「Wの悲劇」、7位に宮崎駿「風の谷のナウシカ」とベストテンも変わってきた時代だ。
(「麻雀放浪記」、左から鹿賀、大竹、真田)
 「麻雀放浪記」は少し後で見たはずだがあまり覚えてなくて、最近見直したら思っていた以上に凄い映画だった。若き日の真田広之や大竹しのぶに、加賀まりこ、鹿賀丈史、高品格などの熱気が画面に満ちている。ここで判るのは、軽さが信条のような和田誠だけど、やはり1936年生まれの「焼跡闇市派」的な思いを濃厚に引きずっているということだ。根っこには「戦後」があるのだ。だからこそ、アメリカの大衆映画や大衆音楽を語り続けたんだと思う。

 その後、長編「快盗ルビイ」(1988)、「真夜中まで」(1999)やオムニバス映画「怖がる人々」を作った。もっとも一番最初の映画は1964年に作った「殺人 MURDER」というシャレた短編アニメで毎日映画コンクールの大藤信郎賞を得た。小泉今日子主演の「快盗ルビイ」は公開時は何なんだと思ったけど、今になると素晴らしく洒脱な「80年代ムード」にあふれた映画だ。「真夜中まで」もあまり評価されなかったけど、なかなか面白かった記憶がある。心配するまでもなく、和田誠は映画のリズムを知っていた。

 僕は何度か和田誠の話を聞いてると思うが、一度は多分「真夜中まで」のトークだと思う。公開時か、その後の名画座かどこかは忘れてしまった。もう一回は良く覚えている。当時の国立フィルムセンターで開かれた展示「ポスターでみる映画史Part 2 ミュージカル映画の世界」のイベントである。調べてみると、2015年3月14日のことである。もともと展示の企画そのものが、和田誠所蔵のミュージカル映画のポスターだった。(それだけではないが。)そのポスター群を自分で会場をめぐりながら解説してまわった。本当にすぐそばで話を聞いた。好きな話を目一杯語り続けていた姿が蘇る。
(村上春樹・和田誠「ポートレイト・イン・ジャズ」)
 最近の思い出としては、2016年にいわさきちひろ美術館で開かれた「村上春樹とイラストレーター」展である。ブログにも書いている。村上春樹とのコラボとしては、「ポートレイト・イン・ジャズ」などがある。それは知っていたし、文庫本だけど楽しく読んでいた。だけど、この時知ったのは「村上春樹全仕事」の表紙を担当していた。単行本で持ってる本が多いから、「全仕事」なんか関心がなかった。ある意味では一番村上春樹世界をイメージ化していたのは、和田誠だったかもしれない。また懐かしい人がいなくなったと感慨を持ったので、思い出すことを書いてみた。
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神戸の教員いじめ問題の本質

2019年10月10日 23時41分02秒 |  〃 (教育行政)
 神戸市のある小学校で、指導的立場にある複数の教員が、20代の若手教員に対して「いじめ」を繰り返していたという問題が発覚した。この問題について、僕が考えることを書いておきたい。
(記者会見して謝罪する校長ら)
 今まで「いじめ」問題について、ずいぶん書いている。その中で、「いじめアンケートへの疑問①」「いじめアンケートへの疑問②」という2012年8月に書いた記事がある。その時は大津市のいじめ事件が問題になっていて、文科省がアンケートのひな形を公表していた。それは「いじめにあった生徒」だけに「自書式」で詳しい記入を求めていた。選挙と同じく日本の「伝統」というか、日本人の「思い込み」で、何でも自分で書かせるのである。そうなると、一生懸命書いている子どもは、自分がいじめられていると「チクっている」ことがクラスメートに明々白々となってしまう。

 それもあるけれど、もう一つ大問題があると指摘した。それは学校には大きく言えば、「児童・生徒」と「教職員」がいる。よって論理的に、学校で起こる「いじめ」「問題行動」は4パターンありうる。「生徒が生徒に」「生徒が教師に」「教師が生徒に」「教師が教師に」である。それなのに「生徒間いじめ」しかアンケートの対象にしてない。少なくとも「教師が生徒に」は聞くべきだと書いた。案の定、その後大阪の高校で起こった体罰事件をきっかけにして、全国で体罰問題が噴出することになった。もちろん当然のこととして、「生徒が教師に」「教師が教師に」も学校で起こりうるし、現に起こっているだろう。

 確かに今度の事件は、激辛カレーをなすりつける、動画に撮るなど、やり方が幼稚すぎて、中高生どうしの事件みたいだ。それが「指導的教員」だというんだから、驚いたことは驚いた。しかし、学校内で起きる問題のかなりは、「指導的立場の教員」が起こしていると思う。(「若手教員」はそもそも校内で居場所が少ないから、問題は外部で起こすことになる。)これももともと何度も書いてきたが、教員で問題なのは「指導力不足教員」ではなく、「指導力過剰教員」の方なのだ。それを勘違いして、「指導力」だけを取り出して「研修」することにより「指導力を向上させることが出来る」という発想そのものが間違っている。例えば「教員免許更新制」などのような。

 この学校のような「物理的いじめ」が起きるというのは、多分数少ないと思う。しかし、特に校長などによる「パワーハラスメント」は日常茶飯事に近いだろう。これは学校だけじゃなく、日本のどこの職場でも起こっているし、家庭では「虐待」とか「ドメスティックバイオレンス」という形で現れている。議論せずに「押しつける」ということを繰り返すのである。それは「あいちトリエンナーレ」をめぐる問題を見ればよく判る。そういう日本の風土の中に学校があり、教師もそこで生活している。いじめだって、当然起きる。ただ多くの場合は「無視」とか「指導しない」という形で起きているんじゃないか。

 それを防ぐのが校長だろうというかもしれない。それはそうなんだけど、校長といってもそんなにリーダー力がある人ばかりではない。神戸市を調べてみると、小学校が162校、分校1とある。中学校が81校、分校3である。当該の小学校は各学年3クラス、特別支援2クラスを入れて、全20クラスの規模。全校の児童数は567人(5月1日現在)である。これはホームページで公表されているデータで、誰でも見られる。神戸市の小学校としては、大体同じぐらいの規模の学校が多いようだ。神戸だけで、162人も小学校長がいるのである。皆がそれなりの教員経験を持っているわけだろうが、全員がすごいリーダーだなどということはあり得ないのである。

 この小学校では、前校長のパワハラ的言動があったとも言う。前校長は元は当該校の教頭を2年やって、同じ学校で昇格して、一年で異動。次の校長は教頭が昇格。これは東京ではあり得ない人事だ。絶対にないとまでは言えないが、同じ学校で昇格することは普通ないだろう。これでは校長のリーダシップなど発揮しようがないだろう。前年度は校長じゃなかった立場で、今年から校長だからといって強く出られるわけもない。前からの校内のやり方を踏襲することになる。前年までが素晴らしかったら、それでいい。でも前年までに問題があったら、それが続いてしまう可能性が高い。そういう人事を繰り返している神戸市の教育行政の責任は大きい。

 それもあると思うが、僕は最後に一番大きな問題を書いておきたい。それは文科省によって進められてきた「教育改革」(改悪)の問題である。小学校は勤務経験がなく、内部事情は判らないけど、近年の「道徳教科化」「英語教科化」「新指導要領」など、小学校にかかる負荷は一番大きい。校長は上から降りてくる指令を無視できない。だけど教員から「なんで英語を教科にするんですか」と聞かれて、うまく答えられるだろうか。「もう決まってるんだから、やるしかない」と言うしかないだろう。

 つまり校長は「議論なしに押しつける」以外の対応が出来ない。そういうことがここ何十年と繰り返されてきた。そこに(神戸の事情はよく判らないけど)「競争的勤務評価システム」「ICT教育推進」「働き方改革」などの大波が押し寄せてきた。学校現場は忙しすぎて、結束して事に当たる経験もなくなっていく。現場を覆っているだろう「何を言ってもムダ」みたいな感覚を何とかしない限り、今後もいろんな問題が噴出するに決まってる。個々の事件は、もちろん問題を起こした教員の責任なんだけど、いわば「疫学的」な論理で責任を追及するべきだ。あちこちで問題が起きるときは、一番大きな責任は一番上にあるのだと思う。
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「蜜蜂と遠雷」、原作と映画

2019年10月09日 23時03分50秒 | 映画 (新作日本映画)
 恩田陸の直木賞受賞作「蜜蜂と遠雷」(2016)が映画化されて公開された。僕は芥川賞や直木賞受賞作は読んでおきたいと思っているが、この本は長大すぎて重そうだし、幻冬舎だから単行本は買わなかった。4月に文庫化され、まあ賞を取った作品は例外としているので買ったわけ(今まで姫野カオルコ「昭和の犬」が該当)。上下巻950頁もある本だが、映画を見る前に読みたい。読み始めたらあっという間に読み終わった。面白いし、傑作だが、音楽シーンなど改行が多くてスラスラ進む。

 この小説は「浜松国際ピアノコンクール」(原作・映画では「芳ヶ江」と地名変更)をモデルに、コンクールに臨む若きピアニスト群像を描いている。「母の死をきっかけにコンサートをドタキャンして消えた天才少女」=栄伝亜夜(えいでん・あや)に松岡茉優。音大卒で一度はプロを目指したものの、現在は楽器店勤務で妻子もいて、年齢制限上限の28歳ながら「生活者の音楽」を志す高島明石松坂桃李で、このキャストは知ってて読んだからイメージ通りである。この二人の名前が一番先にあるから、どうしてもドラマで重視されてきて、原作にはない二人の会話も描かれる。

 そりゃまあいいけど、映画は原作と違うところが多い。それは当然で、原作通りに映像化したら時間がいくらあっても足りない。映画は「愚行録」の石川慶が脚本、監督、編集にすべてクレジットされている。石川監督は原作上巻350頁近くを占めるエントリーと第一次予選をほぼ飛ばしてしまい、映画はすぐに第二次予選になる。第三次予選はなかったことにされ、後半はすぐに本選である。うーん、大工夫だけど、ちょっと寂しいかな。もっと長くして、全編・後編で公開するやり方もあったと思う。

 ただ映画化されて良かったことは、小説の中にしか存在しなかった架空の音楽、菱沼忠明(映画では光石研)が作曲した「春と修羅」を聞けること。名前の通り、宮沢賢治にインスパイアされた曲である。この曲には「カデンツァ」部分がある。カデンツァなんて言葉も知らなかったけど、独奏者が即興で演奏する指定部分だという。ここで一番最初に登場するのは、ジュリアード音楽院に通うマサル・カルロス・レヴィ・アナトール森崎ウィン)。亜夜の幼なじみで、コンクールで再会した設定は同じ。森崎ウィンは悪くないけど、王子様と言われるほどの存在感かというとちょっとビミョーか。

 ピアノも持ってない養蜂家の子、日本人でありながらフランスに住んでいる風間塵(かざま・じん)はオーディションで選ばれた鈴鹿央士(すずか・おうじ)が演じている。見ているうちに、これが「風間塵か」という気持ちになっていくが、天衣無縫というイメージには合っている。しかし、自然の中で生きている養蜂家の子どもという意味では、僕のイメージとは少し違ってたかも。さらに、高島明石は原作では岩手を何度も訪れて賢治の世界を実感しようとするが、映画では岩手県在住に変更。「永訣の朝」の妹の言葉をイメージしてカデンツァを弾く。現実にはない曲を、映画では実際の課題曲として十分聴き応えがあるように映像化している。ここは映画最大の見どころ(聴きどころ)だ。

 実際に作曲しているのは、藤倉大(1977~)という人で、国際的に活躍している作曲家である。4人が弾くカデンツァ部分も作曲している。この曲が非常に素晴らしい。恩田陸が原作でかなり細かくイメージを膨らませているところを、なかなかうまく出来ている。演奏しているのは、栄伝亜夜=河村尚子、 高島明石=福間洸太朗、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール=金子三勇士、風間塵=藤田真央という、僕は知らないけど国際的に活躍している若手ピアニストである。ホームページに載っているが、これが演じた俳優と風貌や経歴がよく似ている。CDも出ている。もちろん俳優が演奏しているわけはないから、実はこのピアニスト4人が真の主役と言うべきだろう。

 ところで原作では出ているのに映画に出て来ない人物が何人もいる。亜夜とマサルの幼いときのピアノの先生は、原作だと「綿貫先生」という人だが、映画では亜夜の母になっている。これはやむを得ない変更だろう。審査員やコンクール出演者は別にして、出て来なくて残念だったのは、亜夜の付き添い的な「浜崎奏」である。原作ではかなりよく出てきて、例えば海を見に行くシーンも、亜夜、マサル、塵、奏で行っている。映画では高島明石と彼を取材している仁科雅美が入って5人で行く。この雅美がブルゾンちえみだから、イメージが違いすぎ。僕は原作で一番「奏」が好きなんだけどなあ。

 映画では奏がいないから、亜夜は最後まで揺れていて、大丈夫かなという演出になっている。だからずっと付き添っている役の奏がいるのである。だけど、奏がいないことで、一度は挫折した亜夜が「音楽の神様」のギフトである風間塵を通して音楽を発見していくという物語構造が明確になっている。それはまあ、原作の「正しい解釈」なんじゃないか。でも原作では、マサルや高島や多くの人が関わる。それに一次予選、二次予選、三次予選と通して、12曲も弾いている。その一つ一つの予選を通して、亜夜は自分を取り戻してゆくのである。原作の方がやはり映画より納得できるかなあ。
(恩田陸)
 恩田陸さんは子どもの頃からクラシックを聴いてきたという。特にピアノが好きで、モデルのコンクールも第4回から第10回までずっと聴きに行っているという話。実によくクラシック音楽を知っているなと判るような記述が楽しい。風間塵が三次予選でエリック・サティを何度も弾き、最後はサン・サーンスの「アフリカ幻想曲」って、こんな選曲をする人は実際にはいないだろうが、よく考えてあるのにビックリした。でも言葉だからいくらでも奥深く語れるところもあるだろう。知らない曲が多くて、いくつかYouTubeで聴いてみたけど、なんだかなあという感じがすることが多かった。

 原作でも非常に印象的な、亜夜と塵が夜に連弾するところ。映画でもドビュッシーの「月の光」から「ペーパームーン」、ベートーヴェンの「月光」とメドレーしていくシーンは素晴らしい。原作でも素晴らしいシーンだが、映画も良かった。これほどクラシック音楽がいっぱい出てくるエンタメ小説は恐らく世界で空前絶後だろう。恩田陸は「夜のピクニック」が好きで、その頃はよく読んだけど、その後ご無沙汰で久しぶりに読んだ。少し違和感がないでもないが、圧倒的なリーダビリティに心をつかまれてしまう。中国や韓国の出身者に辛口で、日本系のピアニストばかり活躍する構図だけど。
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柳亭小痴楽真打昇進披露興行

2019年10月07日 22時47分40秒 | 落語(講談・浪曲)
 東京の寄席では、落語協会と落語芸術協会どっちも順次真打披露興行を行っている。今日は浅草演芸ホールに落語芸術協会(芸協)の柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)の昇進披露を見に行った。珍しく一人の昇進で、二つ目時代から人気者だったので大盛況。いや、元気よくてすごく面白いな。NHK教育で時々やってる「落語ディーパー」を見てる人なら、柳亭小痴楽の面白さを知ってるだろう。同じく二つ目の落語協会・柳家わさびも今回昇進だ。6日夜に二人の昇進を追う特番を見たばかり。
(終了後にホール前で客に応える小痴楽)
 小痴楽は芸協二つ目11人で作ったユニット「成金」の一人で、最初に真打に昇進した。「成金」の面々も日替わりで高座に出ているが、今日は来年2月の昇進が決まっている超人気者の講談師・神田松之丞。初めて聞いたんだけど、やはりすごくエネルギッシュで、大物感を感じる。松之丞だけ聞いて出ていく人がいるんでビックリした。トリの小痴楽がマクラで松之丞らとのベトナム旅行での様子などを暴露しまくっていたら、着替え終わっていた松之丞が高座に乱入してきた。珍事に大笑い。

 柳亭痴楽と言えば、4代目を思い出す。「破壊された顔の持ち主」を売り物にして、「痴楽綴方教室」というネタでテレビの人気者だった。1973年に大阪で脳卒中で倒れ、20年間闘病生活を送った。その様子は弟子で、小痴楽の師匠である柳亭楽輔が笑いの中に哀歓を込めて語っていた。4代目痴楽の弟子が2代目小痴楽で、1996年に5代目痴楽を継いだ。しかし、5代目も2005年に脳卒中で倒れ、2009年に亡くなった。この5代目の次男が今回の3代目小痴楽で、父が病気のため現・桂文治に入門した。ところが度重なる遅刻のために破門となって、父の弟弟子の楽輔の門下に移った。

 このエピソードの裏に何かあるのか知らない。(「起立性失調障害」などがあったのかもしれない。)でも、高校も中退で落語家になるって、大学落研ばかりの昨今の落語界の中で貴重だと思う。その後もいろんなエピソードがあるようで、なんだか「生きていた与太郎」みたいで、こんな人がいたのかと楽しくなった。トリの落語も大受けで、エネルギッシュ。「磯のあわび」というネタで、与太郎が吉原を知らず、儲かると聞いて行きたがる噺。町内にいるという「女郎買いの師匠」に吉原の作法を教わり、そっくり再現してみせるおバカぶりが楽しく演じられる。

 襲名披露だと口上を述べる協会幹部がそろって一席語る。今日も三遊亭小遊三雷門助六春風亭柳橋らが出て盛り上げた。でも圧倒的に小痴楽と松之丞が場内の人気をさらった感じ。やがて6代目痴楽を襲名すると思うけど、その儀が楽しみだ。期待して待っていたい。

 落語ブームとかで、土日は寄席もいっぱいのことも多い。今日も後半の襲名披露あたりからは立ち見だったが、平日なら早く行けば座れるだろう。今はヒット映画も前日には席を取って見ることがほとんど。でも体調によっては、無理して行くことになる。演劇だと人気舞台なら、大分前に席を押さえる必要がある。突然行って自由席で見られる落語はいいなと思う。だから高齢者で満杯である。僕など若い方。若い頃はオリジナリティを求めていたけど、年取ったら同じ噺、同じ奇術や曲芸、紙切りなんかが楽しくなった。同じマクラでもいいのである。自分でもそうなんだと不思議。
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「一国二制度」下の日本ー「補助金不交付」問題

2019年10月06日 20時54分10秒 | 政治
 香港情勢が重大局面を迎えている。警察による実弾発砲が相次ぎ負傷者が出ている。香港政府は大昔の決まりを持ち出してきて、「覆面禁止」を議会を無視して制定した。しかし、禁止令を無視してマスク姿のデモが続いている。10月1日の中華人民共和国建国70年の式典でも、香港の「一国二制度」は堅持されると表明している。だが、「二制度」と言っても事実は「中国政府の許容範囲内」ということなのか。大自然の中にいるのかと思ったら、実はサファリパークの中だったのか…。

 香港を「対岸の火事」と思っていられない自体が日本でも起こっている。関電(関西電力)幹部の問題には驚いた。福井県高浜町の元助役からの多額の金品授受が続いていた。裏にはまだまだ大問題が潜んでいそうで、その全貌は未だ見えていないと思う。「かんぽ生命」の問題も注目してきた。この問題は「そもそも郵政民営化とは何だったのか」という問題につながると思う。昨年、NHK「クローズアップ現代+」がかんぽ販売の問題点を追及する番組を放送したところ、かんぽ生命側が抗議し、NHK経営委員会がそれに応えていたという報道にもビックリした。

 様々な問題があるわけだが、ここでは今までも書いてきた「あいちトリエンナーレ」問題を書いておきたい。9月27日に、愛知県に対する補助金の不交付が決定されたという報道がなされた。補助金の交付はすでに決まっていたわけだが、その全額7820万円すべてが不交付だという。中止になった「言論の不自由展・その後」だけではなく、すべての展示に対して補助金不交付である。もちろん、問題が起きた展示に対しての補助金不交付はやるかもしれないと思ったが、補助金全部を取り消すなんて誰も思ってなかっただろう。安倍政権のやり口はいつも予測を超えてやってくる。
(補助金不交付に抗議する人々)
 国際芸術展を実施するにはお金がかかる。文化庁の補助金を申請するのは当然だろう。展示アートの内容を国が審査して、交付・不交付を決めるなら「検閲」だ。いや、そうじゃなくて申請書類に問題があったという理由を挙げているらしいが、そんなことを記入する欄はなかったらしい。そういう「後付け、無理やりの理屈づけ」は大いに追求しないといけない。電話やファックスで「脅迫」する人がいたことが「問題」なのであって、これでは「被害者」に対して「お前の方に隙があった」と言ってることになる。 

 今後、抗議活動や裁判などによって、補助金不交付が覆ることがないとは言えないだろう。だが、そうなったとしても、一度「不交付」が決定されたことは、今後も大きな影響を及ぼすだろう。今後あらゆる芸術祭において、「問題を起こしてはならない」=「問題になりそうな作家の展示を避けなければならない」という「事前検閲」がより一層進むだろう。そして、「展示可能な作家」と「展示不能な作家」に二分されてゆく。今後は権力が関わるまでもなく、アート界内部において「展示可能な作家」によって「アイツらが入ると、補助金が全部ダメになる」と排除する動きが出てくる。

 今までだって実はあったんだと思うが、より一層強まってゆく。そういう「分断」を広げることが、萩生田文科相の狙いだと思う。この人が文科相をやってること自体が日本政治が末期状態にあることを示している。日本には「日本国憲法」があり、すべての法律、政令等は憲法の精神に反することは許されない。そうであるはずが、どうもそうではない。昔から変だったけれど、安倍内閣で「集団的自衛権」容認の頃から、もう官僚のあり方が変わってしまった。実は日本だって「一国二制度」だったのか。
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藤木久志、シラク、安部讓二等ー2019年9月の訃報

2019年10月05日 22時53分13秒 | 追悼
 9月28日に藤木久志氏が亡くなった。85歳。日本中世史研究者で、立教大学名誉教授。僕は大学で直接聴いているが、非常に魅力的でスリリングな講義だった。今では批判もあるらしい「豊臣平和令」の提唱など専門研究の他、小学館「日本の歴史」の「織田・豊臣政権」(1975)も刺激的だった。僕は近現代史専攻だから、卒論などで直接師事したわけではない。でも研究室が僕の先生(粟屋憲太郎氏)と共同だったし、藤木ゼミの知人もいたから、卒業後もずっと注目していた。

 21世紀になっても新しい中世史像を示し続け、岩波新書の「刀狩り」(2005)を発表した。「飢餓と戦争の戦国を行く」(2001)、「土一揆と城の戦国を行く」(2006)など、多くの一般書が朝日選書から出ている。1995年の「雑兵たちの戦場:中世の傭兵と奴隷狩り」も朝日選書に入っている。これらの一連の研究で、それ以前の「七人の侍」的な素朴な民衆像は一新されたと言えるだろう。僕はそれらの本をそのうち全部まとめて読もうと思って、積んでいたまま訃報を聞くことになった。訃報も写真もなく小さなものだった。いろいろ探して、きちんと書きたいと思っている。

 現役ではない外国首脳の訃報が多かった。一番有名で報道も大きかったのは、フランス大統領を1995年から2007年まで12年間務めたジャック・シラクだろう。9月26日没、86歳。1974年にジスカールデスタン大統領の下で首相を務め、1981年に出馬したが本選に残れず、1988年の大統領選では2期目を目指すミッテランに敗れた。1995年に社会党のジョスパンを破って大統領に当選し、2002年には決選投票に残ったのが国民戦線のマリーヌ・ルペンだったので大勝した。アメリカがイラク戦争を始めたときは最後まで強硬に反対した。「親日家」で日本でも大相撲を観戦したりしたことが大きく報道されたが、それより記憶に残っているのは当選直後に核実験を強行したことだ。南太平洋のムルロア環礁で大気圏内核実験をするなんて時代錯誤も甚だしい。日本でも大反対運動が起こった。
(ジャック・シラク)
 シラクは名声を維持して亡くなったが、そういう政治家ばかりでもない。ジンバブエ独立の父、ロバート・ムガベが9月6日、95歳でシンガポールで亡くなった。2017年に事実上のクーデタで失脚したが、独立の英雄としての栄誉は持ち続けた。ジンバブエの経済は未だ回復しない。2011年のチュニジア・ジャスミン革命で国を追われたジン・アビディン・ベンアリ元大統領が9月19日、83歳でサウジアラビアで亡くなった。1983年以来23年間にわたり強健的な支配を行った。インドネシアの第3代大統領ユスフ・ハビビが9月11日に死去、83歳。元々航空機エンジニアで、ドイツのメッサーシュミットの副社長まで務めた。故国に戻って政治家になり、1998年3月にスハルトが7選されたときに副大統領に就任した。しかし、直後の5月に反対運動が高まりスハルトが退陣、憲法の規定でハビビが昇格した。
  (順にムガベ、ベンアリ、ハビビ)
 スポーツ界では、元阪神タイガースの投手として活躍したジーン・バッキーが9月14日、82歳。いやあ、バッキーか。バッキーの名前を知ってるかは世代の指標かも。1962年から1969年の選手生活だから、還暦以上じゃないと判らない。阪神の投手と言えば村山だが、64年の優勝時には29勝9敗で、外国人初の沢村賞受賞。65年に巨人戦でノーヒットノーランを達成している。通算成績100勝80敗。1972年札幌冬季五輪70メートル級ジャンプの銀メダリスト金野昭次(こんの・しょうじ)が9月5日死去、75歳。金が笠谷、銅が青地で日本がメダルを独占した。大相撲の元関脇・逆鉾(さかほこ)、井筒親方が9月16日死去、58歳。殊勲賞5回、技能賞4回の相撲巧者で、兄の鶴嶺山、弟の寺尾とともに三兄弟で活躍した。しかし、80年代は相撲を見てないので、バッキーを知ってる僕としては逆鉾の父親である鶴ヶ嶺(つるがみね)の方が思い出にある。
  (順にバッキー、金野、井筒親方)
 若い頃からソプラノ歌手として人気があった佐藤しのぶが9月29日に死去、61歳。80年代には紅白歌合戦に連続出場するなど一般的にも知られていた。世界的ソプラノ歌手のジェシー・ノーマンが9月30日死去、74歳。レーガン。クリントンの就任式、アトランタ五輪開会式で歌った国民的歌手だという。どちらもオペラ界に止まらない人気を得た歌手だった。
 
 作家安部讓二(あべ・じょうじ)が9月2日に死去、82歳。86年の「塀の中の懲りない面々」がベストセラーになった。自身の服役体験を書いたものだが、市立麻布中時代に暴力団に加わって、組員の傍ら23歳で日本航空の客室乗務員になった。三島由紀夫「複雑な彼」のモデルだが、破天荒な生き方ができる時代だったということか。そう言えば最近は活躍していなかった。

ラドミル・エリシュカ、1日死去、88歳。チェコの指揮者で、N響、読響などでドボルザークやスメタナを指揮した。
長谷川慶太郎、3日死去、91歳。経済評論家。
ロバート・フランク、9日死去、94歳。写真家 
史明、20日死去、100歳。台湾独立運動家。
茂山千作(しげやま・せんさく)、21日死去、74歳。大蔵流狂言師。
パウル・バドゥラスコダ、25日死去、91歳。ピアニスト。
アレクセイ・キリチェンコ、25日死去、82歳。ロシアの歴史家で日本を研究。日本人のシベリア抑留を調査し、死亡者名簿の引き渡しなどに尽力した。
室井光広(むろい・みつひろ)、27日死去、64歳。作家、評論家。94年に「おどるでく」で芥川賞。
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津原泰水を発見せよ ファイナル

2019年10月04日 21時09分28秒 | 本 (日本文学)
 小説家津原泰水(つはら・やすみ)を紹介するシリーズ、「津原泰水を発見せよ」を6月半ば以後、4回書いてきたけど、まだまだ作品が残っていた。たくさんの文庫本を買ってしまったので、読み切ってしまおうと頑張って9月で終わった。まだ書くのかと思われるだろうが、「ファイナル」ということで。

 何で津原泰水を読んでいるのか?時間が経って忘れている人が多いだろうから、一応思い出しておく。津原氏がツイッターで、幻冬舎刊の百田尚樹「日本国紀」を批判する投稿を続けたところ、同社から刊行予定だった「ヒッキーヒッキーシェイク」の文庫化が中止になった。加えて、幻冬舎の見城社長が同書の実売部数を明かす投稿を行った。そんな「騒動」で「津原泰水って誰?」という関心が高まったためか、三省堂書店本店文庫売り場に津原コーナーが作られた。(9月末にはまだあった。)僕も少し買ったら、とても面白かった。で、もっと買ってしまったわけである。(ちなみに「ヒッキーヒッキーシェイク」は早川文庫から刊行され、売れているようだ。こんな面白い本を幻冬舎は上手に売れなかった。)

ルピナス探偵団の誘惑(2019.6.19)
「ブラバン」、ビターな青春小説(2019.6.30)
凄いな「ヒッキーヒッキーシェイク」(2019.7.19)
奇書「瑠璃玉の耳輪」(2019.7.21)

 今までに以上の4回を書いた。もう2ヶ月前なのか。以上の4冊は長編が多い。「ルピナス探偵団」シリーズは短編連作だが、他は津原氏には珍しい長編小説だ。実は「11」(イレブン、2011、河出文庫)の冒頭に入っている「五色の舟」が凄い傑作で、代表作だとよく出ている。だから割と早く読んでみたんだけど、確かに驚くべき小説だった。内田百閒や小松左京に続く「くだん」小説でと言っても、知らない人には伝わらないな。「異形の家族」と裏表紙に出ているが、ここまでトンデモ小説とは思わなかった。

 「11」はパトリシア・ハイスミスの「11の物語」の影響で付けた題名だという。確かにハイスミスに負けないような短編が集まってるが、僕はこの「五色の舟」を最初に読まない方がいいと思う。作品設定もなかなか飲み込めないし、文章も判りにくい。だんだん判ってきて、これは凄いぞと思ってくるけど、いくら傑作と言っても最初に「五色の舟」を読んじゃうと付いていけないかも。だけど津原泰水の本領は幻想・怪奇・SF的な短編にある。そこで時間的に早く書かれた「綺譚集」(2004、創元推理文庫)から読む方がいい。そっちも「天使解体」「サイレン」という人を遠ざける小説から始まっているが。
 
 「綺譚集」の「聖戦の記録」や「ドービニィの庭で」などは、読む人の世界観を間違いなく揺さぶる小説だ。こんな小説を書く人が今の日本にいるんだと知って欲しいと思う。時に読みにくさはあれど、世界の深さを存分に味わえる短編小説群は、津原ワールドの真髄だ。そっち方向の最大の問題作は「バレエ・メカニック」。はっきり言って、何が何だか判らない。SFであり、幻想小説であり、シュールレアリスム小説でもあるが、まさに「電脳小説」。なんで日本語で書かれた小説に、「ボヴァリー夫人」や「ソロモンの歌」(トニ・モリスン)と同じぐらいの時間が掛かるのか。でも判ってくると、もうビックリの世界だ。「11」と「バレエ・メカニック」はともに表紙に四谷シモンの人形が使われている。

 「ヒッキーヒッキーシェイク」もちょっと似ているけれど、そっちは途中から読みやすくなる。「バレエ・メカニック」は最後の最後までよく判らないが、それでも魅力がある。こんな読みにくい小説ばかり書いているのかというと、もちろんそんなことはない。エンタメ作家として、とても多くのジャンルを自在に書き分けている。もとは「少女小説」を書いていたこともあり、新潮文庫に3冊ある「クロニクル・アラウンド・ザ・クロック」シリーズは入手しにくいかと思うが、「青春ロックミステリー」という読んだことのない小説だ。ギターの知識がないと、判りにくいが。「たまさか人形堂」も人形をメインテーマにした連作で読みやすい。少し薄味だと思うが、人形愛をうかがうことが出来る。

 そんな「読みやすいエンタメ」系で一番面白かったのが「歌うエスカルゴ」(2016、ハルキ文庫)だった。もとは「エスカルゴ兄弟」の名前で出ていたというが、知ってる人はほとんどいないだろう。これは滅多に読めない面白本で、傑作ユーモア青春グルメ小説である。讃岐うどんの店に生まれた主人公が、伊勢うどんの店に生まれた娘と知り合う。それをロミオとジュリエットばりに盛り上げてゆく。メインストーリーは、出版社に就職したつもりの主人公が、「らせん」に取り憑かれた写真家が開くエスカルゴ料理専門店に「出向」させられる話。三重県松坂に、大規模なエスカルゴ養殖を試みる鉄工所の社長がいる。そこへ「研修」に行き、伊勢うどんのソフィー・マルソー似の姫に出会うわけだ。

 これは素晴らしく面白いコメディ映画になるだろう。テレビでもいいんだけど、けっこうエスカルゴもレアな食材だし、出てくる話もテレビ向きの範囲を飛び出る傾向がある。やはり映画かなと思う。主人公が工夫するエスカルゴ料理が実に美味しそうだ。だがそれ以上に、あぶらげにチーズを入れて焼いただけのつまみなどがメチャクチャおいしそう。僕はエスカルゴを食べたことないんだけど、日本で安く出てるのはまがい物だそうだ。本当はおいしい貝なんだとか。エスカルゴ店を開く前は、吉祥寺の立ち飲み屋だったという設定もよく出来ている。登場人物が皆少し変なのも笑える。角川春樹事務所の「ハルキ文庫」なんて知らないかもしれないけど、こんな小説が埋もれていたとは。
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「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」(セルジオ・レオーネ監督)を見る

2019年10月02日 20時53分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 セルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」(1968,Once Upon a Time in the West)が公開されている。えっ、そんな映画あったっけ。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)なら知ってるけど…という人もいるだろう。この映画は公開当時は「ウエスタン」という邦題だった。それなら知っている。時代的に僕は見てないけど、名前は知っている。クラウディア・カルディナーレヘンリー・フォンダチャールズ・ブロンソンなど懐かしき大スターが出演している。

 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が今度宝塚で舞台化されるという。タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の影響もあるのか。いわゆる「ワンス・アポン・ア・タイム」三部作の最初、2時間45分のオリジナル版の初公開はうれしい限り。セルジオ・レオーネ(1929~1989)は、イタリアの監督で「マカロニ・ウエスタン」の巨匠として知られた。50年代から60年代にかけて、ハリウッド映画は歴史大作をイタリアでたくさん作っていて、レオーネはそれらに参加し、映画監督になった。その後、黒澤明の「用心棒」をもとに作った「荒野の用心棒」(1964)が大ヒット。続いて「夕陽のガンマン」(1965)、「続・夕陽のガンマン」(1966)も世界的に大ヒットした。
(セルジオ・レオーネ監督)
 今ではこれらの映画は映画史的な重要性を認められている。芸術的にも評価されているが、同時代的には「暴力が売り物の安直なまがい物」とみなされていた。本来の「西部劇」の暴力ヴァージョンと思われていたのである。世界でも日本でも、当然のように賞レースの対象になっていない。これは日本の東映任侠映画と同じような事情だろう。加藤泰監督の「明治侠客伝 三代目襲名」や山下耕作監督の「博奕打ち 総長賭博」などの極めつけの名作を生んだ「東映ヤクザ映画」だが、同時代には「暴力礼賛」の低俗映画とされてベストテンなどでも無視されていた。

 映画は西部(アリゾナ州の設定)のとある駅に始まる。3人の殺し屋がねらう通称「ハーモニカ」(チャールズ・ブロンソンが素晴らしくカッコいい)。その後、農場で新しい妻を待つマクベイン一家が映し出される。そこに何者かが現れ襲撃してくるが、それは誰で理由は何か。マクベインの新妻は、ニューオーリンズで知り合った高級娼婦のジル(クラウディア・カルディナーレ)。ジルが列車から降り立つシーンは忘れがたい。すでに結婚していて未亡人となったジルを、今度は男たちが付け狙う。襲撃事件は大陸横断鉄道を早く作りたい鉄道王と、手下の殺し屋フランク(ヘンリー・フォンダ)の仕業だった。

 その構図は早くから明らかにされるので書いたけど、その後の長い長い経過は書かないことにする。絵がキレイで、俳優が見事。そこに例によってエンニオ・モリコーネの素晴らしい音楽が流れる。セリフもキレがあり、長さは感じない。西部の終焉をうたいあげる壮大な叙事詩で、見終わったらまた見たくなる。そんな映画である。ヘンリー・フォンダが悪役を演じるのは珍しいが、さすがの存在感を発揮している。それでもブロンソンのかっこよさには負けてるかもしれない。クラウディア・カルディナーレはキャスト最上位にクレジットされている。ほぼ出ずっぱりの主演と言ってよい。「山猫」などヴィスコンティのアート映画の印象が強くなってしまったが、これこそカルディナーレだなと思った。

 ジルは事件を知らずに馬車で農場へ向かうが、そのシーンは明らかにモニュメント・ヴァレーでロケしてる。しかし「マカロニ・ウエスタン」なんだから、ほとんどのシーンはスペインなどに作られたオープンセットと、ローマのチネチッタに作られたセットで撮影されたという話。でも見ている側は、これが西部だという気持ちで見ることができる。映画ができる経緯については、各種の情報で見られるが、レオーネは原案作成に若きベルナルド・ベルトルッチダリオ・アルジェントに協力を求めたと出ている。

 ちょうど10年前の1958年に作られたウィリアム・ワイラーの「大いなる西部」の正統的名作から、すでに大きく違う。ほぼ同時に作られたサム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」ともかなり違う。今見ると「マカロニ・ウエスタン」(アメリカでは「スパゲッティ・ウエスタン」)ならではの作品世界だ。公開当時は「暴力性」を取り沙汰されたレオーネ映画だが、今見ると詩情あふれる世界に見入ってしまう。
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僕が消費税を必要と考える理由ー消費税考⑤

2019年10月01日 23時02分24秒 | 政治
 消費税問題も(予想通り)全然読まれないし、自分でも飽きてきたのでそろそろ終わりにしたい。4回目に書いたように、導入当時は消費税を悪い制度だと考えていた。当時は現役で働いていたわけだが、まだ若い頃で余裕もなくローンも抱えていた。それなのに、さらに何か買うたびに税を払えというのかと思ったわけである。その頃はまだ世の中一般で、学校を出て就職すればずっと同じ会社で働き続けると思われていた。そして定年退職すれば、それなりの退職金を貰う。相当の年金を貰って、寿命も長くても80代ぐらい。だから、税金は儲かっている会社(法人税)とそこで働いて給料が増えて行く人(所得税)が負担すればいいと考えていたわけである。 

 だが、その後世の中は全く変わってしまった。もともと政府は消費税導入に際して「直間比率」の是正と言っていた。直接税と間接税が税収に占める割合をどうするか。もう少し間接税を増やすべきだというのである。当時はよく判らなかったんだけど、終身雇用が崩れ少子高齢化が予想以上に進行し、平均寿命は伸びてゆく。これでは「働いている現役世代の税率をさらにアップする」というのは、無理だろう。税率アップを怒っている現役世代の人もいるが、消費税は節約すれば払わなくてもいいけど、サラリーマンや公務員は源泉徴収で収入が把握されているから所得増税を逃れられない。
(世界各国の直間比率)
 もちろん、現役世代の人が、自分の税金が増えてもいいから消費税をなくす方がいいと言うなら、僕はそれでいい。いや、中所得の人の税率は抑えて、高所得者の税率だけ増やすというかもしれない。実現出来るというならそれもいいけど、普通は高所得者の税率アップに合わせて、全体的に所得税アップをすることになるはずだ。何しろ消費税を廃止してしまうというわけだから。廃止分をできるだけ多くの人で「痛みを分け合う」ことにされるだろう。

 現在の日本に存在する「対立」はいくらもある。「富裕層対貧困層」というのもある。だけど、「世代による対立」というのも、意識しているかは判らないけど存在している。僕の世代頃から、給与や退職金の見直しなどが言われ始めたと思う。民間企業では「リストラ」が進み、雇用形態も変化していった。それでも「団塊の世代」(ベビーブーマー)の多くは、安定した大企業に長期勤続して、年功型賃金の恩恵を受けたことで、退職金も年金も恵まれた「逃げ切り世代」なのではないか。年金の他に、自宅を保有し、預金や有価証券など金融資産も数千万持っている。特に高所得者だったわけでもないのに、それなりの老後を送れている人々も相当数にのぼると思う。

 年金は自分の掛け金を老後に受け取る民間保険ではないから、貰った年金は所得扱いになる。いくら貰えば、安心できるだろうか。仮に65歳以上で月20万円の年金を貰うとする。(年金は2ヶ月に一回出るから、一回に40万円となる。)十分過ぎはしないだろうが、自宅と預金があればまずまずだろう。その場合、所得税はいくらになるか。年に240万円、年金の基礎控除額は120万なので、所得は120万。所得税の課税最低限は120万なので、所得税は掛からない。つまり、ひと月あたり年金額が20万円を超える場合にしか、所得税が掛からない。20万円超の場合でも、基礎控除額が一般の場合より恵まれているので、所得税は抑えられることになる。
(年金と税金の関係)
 年金が少額で暮らしが大変だという人の話は聞く。国民年金だけだった人は大変だろう。また、昔は「20歳で全員加入」などという仕組みがなかった。だから勤め始めてから年金に加入するので、年金加入月数が少なくなる。だけど大企業や公務員だった人は、けっこう年金を貰っていると思う。もちろん過去に苦労したんだから、老後は楽をしていいという考えもあるだろう。だが寿命は伸びる一方、若い世代は数が少ない。「資産はあるが、所得がない」人も社会福祉のための税を少し負担してもいいのではないだろうか。これが今の僕の考え方になったのである。

 「金持ちだけ所得税を重くする」「大企業の内部留保に課税する」「アメリカ従属を止めて、押しつけられたムダな兵器を買わない」…そうすれば消費税を廃止できる。いくらでも言葉だけは言えるが、それを現在までの政策と整合的に練り上げ、公約として選挙に勝つという見通しがあるんだろうか。そして、自分たちが野党の時は「少数意見を無視するな」と言っておいて、仮に「消費税廃止」党が選挙に勝ったとして、強大な野党として残るはずの自民党の「少数意見」を全然聞かずに無視するわけにはいかないはずだ。そういう問題もあるけれど、できるだけ多くの人、年金や医療などの対象の人でも、ある程度の税負担をする方がいいんだと思う。

 消費増税で困る低所得者に対しては、別の福祉政策で対応するべきだと思う。消費税が「逆進性」を持つのは間違いないから、増税に合わせて、低所得者が使えない「ポイント還元」などではなく、もっと別の仕組みを作るべきだった。僕も教えてきた若い世代に恨まれるような老後を送りたくない。幾分かの税負担はやむを得ない。ただし、その負担は食品の場合、5%に軽減して欲しいのである。それと電気や水道もそうだけど、ただでさえ交通機関が高くて閉口している。公共交通機関は無税、あるいは少なくとも軽減の対象にして欲しいと思っている。
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