23日(金)は山梨まで行って餅つき。本当はこの家でつきたいんだけど、でかい臼を持って来れないので暫くは山梨で餅つきだ。その餅つきもここ何年か東京と神奈川からやってくるクライマー仲間とやるようになったので賑やかである。
彼らがわざわざ手間隙かけてやってくるのは、どうやらつきたての餅の美味さにはまってしまったようだ。最近は幼稚園とか町内会でも餅つき大会をやってるけど、皆で一緒に食べる頃には冷めてしまったりするし、出来不出来もあるようで思ったよりも美味しくはないらしい。実際彼らと一緒についてみても何が違うんだろうね、なんと思うくらい差があったりする。
ところで毎年思いつつも次の年には忘れてしまうことがある。うるち米は色々と銘柄があるのに餅米にはそういうのがない。せいぜい2種類くらいしか店頭に並んでない。この餅米だって美味しいのとそうでないのはあるに違いない。来年こそは美味しいもち米をと思いつつ数日前に慌ててスーパーに買いに行ったりする。新潟辺りには色々な餅米ってあるのかな?
持ちつきの日の朝食はご飯ではなく餅だ。だから朝飯前につかないといけない。餅つきは大変だなんて思ってる人は多いだろうけど、実際つき始めると10分かかるかどうかだ。強いて言えば餅米を蒸したり、出来た餅をのしたりする方が時間も手間もかかるかもしれない。
男手が無くなった小6の時、婆さんとつき始めたのが最初だ。婆さんが娘婿達に頼んだものの大変だからと言われて皆断られ、仕方なく婆と孫でつくことになった。だから1年に1度とはいえ歴史だけは長いし、しかも毎年欠かさずついてきた。
最初は餅米が途中で固まったらどうしようとか色々と心配しながら始めたけど、いざついてみたら10分もかからなかった。今は1回で2升、約3kgの餅米をついてるが、当時はその半分くらいだったか3分の2くらいだったかな。それにしてもあっけなくつき終わったのは意外だったのを今でも覚えてるし、こんな事の何が大変なんだろう、と。
ただ小6の子供がやるにしては杵は大きくて扱いが厄介で、暫くの間は臼の角に杵を何度もぶつけてた。なので時々木屑の入ってる餅が出来る、というのが何年か続いた。
男手が無くなった小6の時、婆さんとつき始めたのが最初だ。婆さんが娘婿達に頼んだものの大変だからと言われて皆断られ、仕方なく婆と孫でつくことになった。だから1年に1度とはいえ歴史だけは長いし、しかも毎年欠かさずついてきた。
最初は餅米が途中で固まったらどうしようとか色々と心配しながら始めたけど、いざついてみたら10分もかからなかった。今は1回で2升、約3kgの餅米をついてるが、当時はその半分くらいだったか3分の2くらいだったかな。それにしてもあっけなくつき終わったのは意外だったのを今でも覚えてるし、こんな事の何が大変なんだろう、と。
ただ小6の子供がやるにしては杵は大きくて扱いが厄介で、暫くの間は臼の角に杵を何度もぶつけてた。なので時々木屑の入ってる餅が出来る、というのが何年か続いた。
1つ前の記事の写真に1斤は340g以上とあった。その記事を見てるうちに相変わらず名文だなぁ、じゃなくって、ん? 斤 ( きん ) ってのは重さの単位なんだから以上とか以下ってのは変だ。随分曖昧じゃないか。
そこで探してみると単位の換算 質量の換算なんてページがヒットした。斤っていうのは尺貫法の1つだと思ってたので1斤=375gくらいに漠然と思ってた。しかしそのページで 1 英斤(えいきん) = 120 匁 = 450 g を見るとポンドを現してた単位だった。ま、兎に角1斤ってのは約1ポンドのことで450gってことらしい。ならば340gってのは何処から出てきた数字なんだろう。
アイヌの人は和人の事をシャモと呼ぶことがあったそうだ。その理由は、和人が升で米などを量る時、山盛りになったところを平らにする時にシャモジを使ったからだそうだ。当然少し凹んでしまうので本来の量より少くなる。シャモとはそんなズルイ事をする奴という意味、と中学の頃に聞いたことがある。どうもシートのサイズといいパンの重さといい、こんなシャモ気分な和人が今でも多いんだろうか。
そこで探してみると単位の換算 質量の換算なんてページがヒットした。斤っていうのは尺貫法の1つだと思ってたので1斤=375gくらいに漠然と思ってた。しかしそのページで 1 英斤(えいきん) = 120 匁 = 450 g を見るとポンドを現してた単位だった。ま、兎に角1斤ってのは約1ポンドのことで450gってことらしい。ならば340gってのは何処から出てきた数字なんだろう。
アイヌの人は和人の事をシャモと呼ぶことがあったそうだ。その理由は、和人が升で米などを量る時、山盛りになったところを平らにする時にシャモジを使ったからだそうだ。当然少し凹んでしまうので本来の量より少くなる。シャモとはそんなズルイ事をする奴という意味、と中学の頃に聞いたことがある。どうもシートのサイズといいパンの重さといい、こんなシャモ気分な和人が今でも多いんだろうか。
御菓子などの袋の裏にはカロリーや栄養の表示がある。でも不思議なことに煎餅とか甘納豆のような和菓子系の袋には成分表示の無いものが多いのは何故だろ。
仕事中に御菓子をよく食べたのでその昔クッキー・モンスターと呼ばれてたこのオレサマはカロリーがやや気になる。毎日食べてると軽くヤバイ状態になる。で、そのカロリー表示が分りにくいのが多い。
上の写真は食パンの栄養成分表示だけど、これだと1枚食べたら何カロリーかというのが直ぐには分らない。でもこれはまだマシな方だ。何故なら全体の重さが書いてあるので1枚当りのカロリーが計算出来るからだ。でも一瞬には分らないな。計算してみるとこんな風になった。でもこんな計算が出来ないのがけっこうある。
8枚切り食パン1枚当りのカロリー | = 270kcal ÷ 100g × 340g ÷ 8 |
≒ 115kcal |
栄養成分表示 100g当りなんていう表に447kcalなどと書いてあるのは良い。しっかし、内容量には16枚なんて書いてあるのがけっこうある。1枚の重さも全体の重さも書いて無かったりすると折角の表がまるで役に立たない。家に持って帰って自分で測れってことなのかね。
うそつき器ではなくもちつき器。ホームセンターの電気製品のコーナーに何台か置いてあった。もうそういう季節なのだ。しかしもちつき器という名前がダメだ。これが餅作り器ならまだ許せる。
以前は臼と杵で餅をついてたのにこのもちつき器で餅を作るようになった家ってけっこうある。つくのは大変っていうことなのかな。子供の頃にも近所でこのもちつき器がちょっとしたブームになり、買った家が何軒もあった。でも数年後また臼と杵に戻った家もあった。
何故戻ったかというと餅が不味かったからだそうだ。何より雑煮にすると直ぐに煮崩れる。それと使った後の掃除などが煩雑なのかもしれないし、蒸すのと作るのを1台でやるので幾つも作るには向かないのだろう。でも子供の頃は味の違いは分らなかった。
でもやがて違いの分かる男にこのオレサマは成長した。何が違うかというと口に入れた時の食感だ。もちつき器で作った餅は単に餅米を柔らかくしただけなので米の中にある粒の部分が残り、それがザラザラするのだ。でも杵でついた餅はその粒を潰すので滑らか。もちつき器で作った餅、それは杵でついたものと似て非なるもの。
以前は臼と杵で餅をついてたのにこのもちつき器で餅を作るようになった家ってけっこうある。つくのは大変っていうことなのかな。子供の頃にも近所でこのもちつき器がちょっとしたブームになり、買った家が何軒もあった。でも数年後また臼と杵に戻った家もあった。
何故戻ったかというと餅が不味かったからだそうだ。何より雑煮にすると直ぐに煮崩れる。それと使った後の掃除などが煩雑なのかもしれないし、蒸すのと作るのを1台でやるので幾つも作るには向かないのだろう。でも子供の頃は味の違いは分らなかった。
でもやがて違いの分かる男にこのオレサマは成長した。何が違うかというと口に入れた時の食感だ。もちつき器で作った餅は単に餅米を柔らかくしただけなので米の中にある粒の部分が残り、それがザラザラするのだ。でも杵でついた餅はその粒を潰すので滑らか。もちつき器で作った餅、それは杵でついたものと似て非なるもの。
メールの返事が少し間を置いて届いた。その話題の中に諏訪で行方不明になった小5男子とか栃木での小1女子殺害なんてのがあった。でもすっかり忘れてしまってた。少し前だと東京町田での高1女子殺害なんてのもあった。どれもこれもけっこう印象に残る事件だけどこんなのが幾つも続くので直ぐに忘れてしまう今日この頃。
外にある物を雪から守ろうとしてブルーシートを買うことにした。だけどブルーシートは色が毒々しくて景観的にも今一つ。なので清水の舞台から飛び降りるつもりで数倍高い灰色の物を買った。「あんたはんこの程度のことでうちのお寺だしてもろぅたら困るどすぇ(京の言葉風)」
しかし覆い始めてみて初めて分ったが、買ってきたサイズを間違えたのかと思った。随分と寸足らずなのだ。で、袋に入ってた説明、写真に撮ったものだけど、それを良く見ると2.7m×3.6mではなく 約2.6m×3.5m ( 約 6 畳 ) とあった。
ま、こうやって説明があるんだから己がアホだったと諦めようと思ったがそれにしても納得が行かない。そこで実際に測ってたらなんと2.5m×3.4mしかない。これって随分じゃないか。2.7m×3.6mのでかい表示より短辺20cm、長辺25cmも寸足らず。この紛らわしい表示といい寸足らずといいなんて厚かましい表示なんだ。
ところで畳の大きさは地域によって違う。島根県に居る友達の家では一回り大きかった。だからこのオカモトって会社では関西には売ってないんだろうなぁ。もし売ってたら「こんなのは6畳ではおまへん(京の言葉風)」なんて苦情殺到だ。こんな風に大きさはかなりいい加減だけど、こうなると他の能書きも疑わしい。簡単に測れない耐候性なんてどうなんだろう。このシートの値段はブルーシートの3倍だけど、どのくらいの差があるんだろ。
浅田真央選手、トリノに出るには年齢が87日だけ足りない。だけど今頃騒いでるってのはどういうこと? 天才天才って持ち上げてるけどウン年前の浅田真央の将来性を予見できなかったってことじゃないのかな。それとも浅田選手、上手くなるの早過ぎ? いずれにしろ今頃になってルールを変えろなんて言ったところで遅かりし由良の助。
そこでルール変更不要という画期的な解決案を考えた。つまりトリノの開催日を87日ずらせばいいのだ! ってそんなことしたら暖かくなって出きない競技が出て来るじゃん。今度もダメ、か。
そこでルール変更不要という画期的な解決案を考えた。つまりトリノの開催日を87日ずらせばいいのだ! ってそんなことしたら暖かくなって出きない競技が出て来るじゃん。今度もダメ、か。
2005.12.17 07:10 西の空 | 2005.12.18 06:51 東の空 |
2005.11.22 07.18 頭の上 | 2005.12.17 18:40 西の空 |
周りを山で囲まれているので地平線なんてのは無いけど、月や太陽が昇ったり沈んだりする時、何故か大きく見える。天頂でなくても空にある時は点のように小さく見える。これが不思議だったけど何時か写真を撮って比べてみようと思ってた。
本当なら同じ日に色々な角度で撮りたかったけどなかなかそれも出来なかった。気が付いた時に月の写真を撮るようにしてたけど、覚えてる時は天気が悪かったりそうでない時に綺麗に見えたりした。そんなわけで何時までも月を気にするのもやだから記事をまとめることにした。写真はカメラのズームを一番望遠側、うちのカメラだと35mm換算で85mmにして撮った。
結果はというと撮った月は地平線のがやや大きく見える。でも見た目の印象ほどの差はない。殆ど同じだ。だけど本当は全く同じ大きさを予想してた。違ってしまったのはこれは露光時間の影響もあるかもしれないし、本当に望遠側一杯までズームしてたかどうかも怪しい。う~ん、そんな写真じゃぁ意味ないなぁ。でも実際に地平線近くの方が若干大きく見えるのかな。
2003年の夏、火星が地球に接近した時に近くの天文台に行った。その時大きな望遠鏡とはいえ明瞭に見えない惑星より月の方が迫力があって面白いと思った。次は月を見に行きたいと思いつつなかなか行けないでいるけど、今度行ったら月の大きさの事を聞いてみよう。
1960年代、体操女子はチャスラフスカのような演技が良いと言われていたが後にコマネチという対照的な選手が現れた。難しい技をミスも無く正確にやり、しかもそれを感じさせない。そして色気も何もないけど兎に角可愛い女の子だった。今の女子フィギュアの浅田真央はそんな事を思い出させる。
アメリカで修行して身体全体で表現出来るようになった安藤美姫が良いと思ったが、何度も転んでしまい成績は今一つだった。もうジャンプは無理なのかなぁなんて思ってたらエキジビションの最後に4回転ジャンプを成功させたのが良かった。とはいえ実際には1回転、2回転、沢山という素人の目には3回なのか4回なのか分らなかったけどね。
浅田真央が優勝したことで再びトリノの出せという話が海外でも盛り上がるだろう。でもこの議論は今一つだ。特例にするなら浅田と安藤の両方をトリノに出せるように日本人枠は2人にしろ、というのがこのオレサマの主張だ。
まぁそれにしてもフィギュアはスピード・スケートよりは遅いけどそれでも30km/hか40km/hは出てるんだろうな。その速さで2回転だの3回転をあの固い氷の上でやるわけだ。会場で見た事がないので分らないけど1mくらい上に跳んで10mくらい先に着地するのかな。少なくとも技を習得するまでは恐怖との闘いって感じだ。
アメリカで修行して身体全体で表現出来るようになった安藤美姫が良いと思ったが、何度も転んでしまい成績は今一つだった。もうジャンプは無理なのかなぁなんて思ってたらエキジビションの最後に4回転ジャンプを成功させたのが良かった。とはいえ実際には1回転、2回転、沢山という素人の目には3回なのか4回なのか分らなかったけどね。
浅田真央が優勝したことで再びトリノの出せという話が海外でも盛り上がるだろう。でもこの議論は今一つだ。特例にするなら浅田と安藤の両方をトリノに出せるように日本人枠は2人にしろ、というのがこのオレサマの主張だ。
女子シングル枠は3名とくてくてさんに教わりました。
まぁそれにしてもフィギュアはスピード・スケートよりは遅いけどそれでも30km/hか40km/hは出てるんだろうな。その速さで2回転だの3回転をあの固い氷の上でやるわけだ。会場で見た事がないので分らないけど1mくらい上に跳んで10mくらい先に着地するのかな。少なくとも技を習得するまでは恐怖との闘いって感じだ。
食品卸の株式会社丸水長野県水、って何だか変った社名だけど、オーストラリア産牛肉を長野県産と偽って長野県上伊那(かみいな)地方の小売店や飲食店などに卸してたそうだ。偽装って絶対ばれないと思ってるのかどうか知らないけどなかなか懲りない人達だ、というか日本では偽装なんて当たり前なのか?
山梨県上野原市、って何時の間にか町から市になってたけど、甲州街道から奥まった所に棡原(ゆずりはら)という地区がある。ここは長寿村として有名である。で、うちの親がジャガイモを農協に出したら「この箱に入れてください。」と段ボール箱を幾つか渡された。でもその箱に長寿村棡原とか何とか書いてあったのを俺は見た。ちなみに親が住んでるのはその長寿村から30kmくらい離れている大月市。平地で続いてるのならいざ知らず、間には山も谷もありお互いえんもゆかりも全くない所だ。
農協はどう考えてるのか知らないがこのまま出荷してたら産地偽装だ。仮に農協がそういう出荷をしてたけど各地で牛肉偽装などが発覚したのを機にこれはよした方がいいと判断したとする。出荷量が減るわけだからどうおとしまいを付けるんだろ。出荷先から怪しまれない言い訳を思いつかないとしたらずるずると続けるんだろうか。
棡原(ゆずりはら)という地区は確かに長寿の人は多かった。だけど今からもう30年くらいも前に「今の人は畑仕事なんてしないで車ばっかり乗ってて歩かないからこの先どうなることやら。」というようなことをTVである年寄りがぼやいてた。その年寄りは傾斜地で畑仕事をしていた。とはいえ医療の進歩によって恐らく昔より長寿な人は多いに違いない。でも長寿村という言葉から来るイメージとは随分と違う。ちなみに長寿村と呼ばれるのを嫌う人が居る。嫁さんの来てが無くなるからだそうだ。
山梨県上野原市、って何時の間にか町から市になってたけど、甲州街道から奥まった所に棡原(ゆずりはら)という地区がある。ここは長寿村として有名である。で、うちの親がジャガイモを農協に出したら「この箱に入れてください。」と段ボール箱を幾つか渡された。でもその箱に長寿村棡原とか何とか書いてあったのを俺は見た。ちなみに親が住んでるのはその長寿村から30kmくらい離れている大月市。平地で続いてるのならいざ知らず、間には山も谷もありお互いえんもゆかりも全くない所だ。
農協はどう考えてるのか知らないがこのまま出荷してたら産地偽装だ。仮に農協がそういう出荷をしてたけど各地で牛肉偽装などが発覚したのを機にこれはよした方がいいと判断したとする。出荷量が減るわけだからどうおとしまいを付けるんだろ。出荷先から怪しまれない言い訳を思いつかないとしたらずるずると続けるんだろうか。
棡原(ゆずりはら)という地区は確かに長寿の人は多かった。だけど今からもう30年くらいも前に「今の人は畑仕事なんてしないで車ばっかり乗ってて歩かないからこの先どうなることやら。」というようなことをTVである年寄りがぼやいてた。その年寄りは傾斜地で畑仕事をしていた。とはいえ医療の進歩によって恐らく昔より長寿な人は多いに違いない。でも長寿村という言葉から来るイメージとは随分と違う。ちなみに長寿村と呼ばれるのを嫌う人が居る。嫁さんの来てが無くなるからだそうだ。
こんなのがあった。ご当地チェックといって県毎に県民性が書いてある。今まで住んだことのあるところや友達の故郷のページを読んでみると納得する部分があったりその土地特有の固有名詞が出てきて面白い。だけど恐らくこのページは地元の人が自覚している事を投稿したんだと感じた。自覚してない事が沢山あったらもっと面白いと思う。
身近で聞いてみて自覚してない県民性(?)の1つがあるのでこの機に書こうと思う。それは長野ナンバーの車の方向指示器の出し方だ。兎に角方向指示器を出す時期が遅い、というか今頃出して意味があるのか、という出し方をする。特に小さ目の信号で赤信号で止まっている時、方向指示器を点滅してる車は少ない。といって直進する車ばかりではない。方向指示器が出るタイミングは次の2つである。勿論中間型もあるし数少ないながらもちゃんと出す車もある。
これの何が気に入らないかというと、路地から出ようとした時に向こうから来る車の通過を待ってたりする時だ。ところが目の前とかもっと手前で曲がってしまいこちらに来ないので無駄に待たされるのだ。で、それが不親切とばかりとは言い切れない。逆の立場になってこちらが点滅をしてもどうやら点滅を意識されてないのだ。こちらが左折なりして路地に入って行くと初めて車が動き出す。
危ないと感じるのもある。路肩に停止してた車が本線に出る時だ。何も合図せずに平気で出て行く車が多い。最初この地に来たばかり時、そんな事に遭遇した時は驚いた。何か行ってやろうかと思ったが1台や2台ではないのでどうにもならない。まぁ何しろ相手の意思が全く伝わらない運転は恐い。
この傾向は少なくとも佐久、小諸、上田にある。県外から来た人は交差点を観察すると面白いと思う。信号が変ったとたんオレンジ色のランプが一斉にチカチカ点滅を始めるのだ。地域によって運転の仕方に特徴があるが、この方向指示器の出し方はどういうところから来てるんだろう。ちなみに教習所の車ではそんなことはないのが救われる。
この近所は年寄りが多くて軽トラックによく乗っている。たまに一体何時になったら曲がるんだい、と思うくらいずーーーっと手前から方向指示器を点滅してる車が居る。擦れ違ってから更に後ろで曲がったりする。まぁそういうのは運転してる様子などから年寄りだと分るからご愛嬌ってものだ。
身近で聞いてみて自覚してない県民性(?)の1つがあるのでこの機に書こうと思う。それは長野ナンバーの車の方向指示器の出し方だ。兎に角方向指示器を出す時期が遅い、というか今頃出して意味があるのか、という出し方をする。特に小さ目の信号で赤信号で止まっている時、方向指示器を点滅してる車は少ない。といって直進する車ばかりではない。方向指示器が出るタイミングは次の2つである。勿論中間型もあるし数少ないながらもちゃんと出す車もある。
- 信号が青になってから。
- 交差点に差し掛かってから。
これの何が気に入らないかというと、路地から出ようとした時に向こうから来る車の通過を待ってたりする時だ。ところが目の前とかもっと手前で曲がってしまいこちらに来ないので無駄に待たされるのだ。で、それが不親切とばかりとは言い切れない。逆の立場になってこちらが点滅をしてもどうやら点滅を意識されてないのだ。こちらが左折なりして路地に入って行くと初めて車が動き出す。
危ないと感じるのもある。路肩に停止してた車が本線に出る時だ。何も合図せずに平気で出て行く車が多い。最初この地に来たばかり時、そんな事に遭遇した時は驚いた。何か行ってやろうかと思ったが1台や2台ではないのでどうにもならない。まぁ何しろ相手の意思が全く伝わらない運転は恐い。
この傾向は少なくとも佐久、小諸、上田にある。県外から来た人は交差点を観察すると面白いと思う。信号が変ったとたんオレンジ色のランプが一斉にチカチカ点滅を始めるのだ。地域によって運転の仕方に特徴があるが、この方向指示器の出し方はどういうところから来てるんだろう。ちなみに教習所の車ではそんなことはないのが救われる。
この近所は年寄りが多くて軽トラックによく乗っている。たまに一体何時になったら曲がるんだい、と思うくらいずーーーっと手前から方向指示器を点滅してる車が居る。擦れ違ってから更に後ろで曲がったりする。まぁそういうのは運転してる様子などから年寄りだと分るからご愛嬌ってものだ。
数日前、とうとう氷点下10℃になった。そんな時でも家の中は+7℃だった。真冬の伊豆の気温くらいかな? だけど昼間は12~13℃だったりする日が続いてる。ストーブの燃やし方が下手なのかストーブの力不足なのか分らないけど曇りがちなせいもありそうだ。
こんな日、前の借家だと台所の濡れた布巾が凍ってた。氷点下になってたようだ。2階の仕事部屋はというと家の中の寒暖計で外の気温が分るくらいだった。要するに外と中が殆ど同じってこと。
でもまだまだ寒い家がある。真冬にオヤドリの家に1度だけ泊まったことがある。その日は友達の家で飲んだけどタクシーで帰るのは勿体無いなんて言いながら寒空の中をヨメと二人で歩いて帰った。着いたのが夜の12時くらいだったかな。湯飲み茶碗に沸騰したばかりの熱い湯でお茶をいれた。だけど布団の中で飲もうとしてるうちに寝てしまった。
朝目が覚めてお茶を飲んでなかったのに気が付いた。ふと茶碗を見ると凍ってる。逆さにしたが何もこぼれない。なんと底まで凍っていたのだ。家の中なのに。
こんな寒い家で育ったくせにヨメやアニドリは寒がり。ついこの間、長野市に住んでるアニドリ2が「長野市のような湿気の多い寒さに馴染めない。」と言う。気温はオヤドリの家がある場所の方がずっと低いけど寒さにも色々あるようだ。
こんな日、前の借家だと台所の濡れた布巾が凍ってた。氷点下になってたようだ。2階の仕事部屋はというと家の中の寒暖計で外の気温が分るくらいだった。要するに外と中が殆ど同じってこと。
でもまだまだ寒い家がある。真冬にオヤドリの家に1度だけ泊まったことがある。その日は友達の家で飲んだけどタクシーで帰るのは勿体無いなんて言いながら寒空の中をヨメと二人で歩いて帰った。着いたのが夜の12時くらいだったかな。湯飲み茶碗に沸騰したばかりの熱い湯でお茶をいれた。だけど布団の中で飲もうとしてるうちに寝てしまった。
朝目が覚めてお茶を飲んでなかったのに気が付いた。ふと茶碗を見ると凍ってる。逆さにしたが何もこぼれない。なんと底まで凍っていたのだ。家の中なのに。
こんな寒い家で育ったくせにヨメやアニドリは寒がり。ついこの間、長野市に住んでるアニドリ2が「長野市のような湿気の多い寒さに馴染めない。」と言う。気温はオヤドリの家がある場所の方がずっと低いけど寒さにも色々あるようだ。