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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私.
日々の出来事、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

「翔けあがれ!4の2」

2002-02-02 | インポート
「4年生の総合学習の発表会にお越しください」という校長先生のお誘いで行ってきました。
4年2組の子ども達が作った「映画」の試写会です。
タイトルは「明日からの物語」。
夏休み前の7月からストーリを考え、脚本・BGM・小道具・撮影と、クラス全員でそれぞれの役割を分担しながら進め、冬休みに先生が編集をされたようです。
クラス全員の力が調和した作品が出来上がっていました。

このクラスの普段の授業も見せて頂いたことがありましたが、落ち着いたすばらしいクラスでした。

きちんと自分の意見が言える。
友達の意見も聞きながら、話し合いができる。

4年生でここまでできるのか、と担任の指導力と子ども達の持つ可能性に驚かされました。

映画が終わった時、女子の大半が涙を流していました。半年をかけて作り上げたという,満足感に感激してしまったのでしょう。
そして、その間のいろいろな苦労が思い出され、自然に溢れた涙なのでしょう。

映画作りを通して学んだことは・・・
「失敗をおそれなくなった」
「自分に自信が持てるようになった」
「あきらめちゃ駄目だ」
「回りの状況を考えながら行動する」
「粘り強くなった」
「仲間皆と考え、行動する大切さがわかった」
だそうです。

総合学習という時間は、考え方、使い方によって素晴らしい成果が出せるものなんだと、改めて感じました。
まだまだ手探りで進めている学校、先生方も多いと思います。
子ども達の持つすばらしい資質を引き出す授業に接っすることができた感動の一日でした。



5年前・・・

2002-02-02 | インポート
運転免許の更新のため、長男が帰宅。「視力が落ちているみたいだから、眼鏡いるかな」って気にしていましたが、大丈夫だったとか。

「もう5年たったのね」と、あの時を思い出しました。
5年前の更新の時は、私が入院中でした。
「網膜剥離」という、突然のアクシデントに襲われ、暗闇の世界を体験し、心のバランスをもくずしてしまいました。
主人や息子達に支えられながら、当時、政治家や有名人が数多く治療を受けていた、眼科医に手術をして頂き、普通の生活が送れる今があります。
応接セット・トイレ・シャワー・小さいけれどシンクまでついた、ホテルのような個室に40日間入院していました。
手術費・治療費・部屋代・食事代・・・ずいぶんかかってしまいましたが、お金を失った分、家族の絆・愛情の強さを強く感じました。

片方の網膜が駄目だったのですが、入院当初は両目をふさがれ、トイレ以外はベッドでうつぶせのまま、安静にしていなければならない状態でした。何をするにも介添えが必要でしたが、
主人は仕事の都合で週末しか時間がとれず、二男は大學の卒業試験のときでした。
大阪で就職していた長男が「会社を辞めて帰る・若いからやり直せるし」といって戻って来てくれましたが、申し訳なさで、自分が情けなくなりました。でも仕方がありません甘えさせてもらいました。
40日間、いやな顔せずに、献身的に看病してくれた息子のやさしさには、心から感謝しています。
二男も試験が終わった時から、帰って来てくれ、料理好きな腕を生かして、わたしの好きなものを作ってきてくれたりしていました。

私の兄妹・姪・甥・友人たち・たくさんの人達から励まされ、温かい言葉をかけていただきました。たくさんのすばらしい人達に囲まれている幸せを感じました。

看護婦さん達から「いろいろな患者さんを見ているけど、あなたほどすばらしい家族を持っている人は始めてよ」って言っていただきました。

手術をしても視力の戻らない方、たった一人で
老人ホームへ退院していった高齢の方、入退院を繰り返していた方・・・私より大変な方もたくさんいました。皆さんその後、どうしていらっしゃるのでしょうか・・お元気で頑張っていらっしゃることを心からお祈りしたいと思います。