今日、2月23日は母の命日です。
35年前のことです。
毎朝一番に起きて、朝食の準備が終わると、父や私達兄妹に「時間よ」と声をかけてくれるのが母の日課でした。
その朝は、父がいつもの時間に一人で目がさめたとか。「おかしいな。どうして起こしにこないのかな?」と思いながら、ふと、よなりのフトンを見ると母は眠ったままでしたが、何か様子が変だと感じたようです。
前の晩、「おやすみなさい」と言ったのが最後の言葉でした。
こんな信じられないうような別れってあるのです・・・
色白で、美智子皇后様(恐れ多いのですが)に良く似た顔立ちの母でした。
和裁が得意で、私のために何枚もの着物を縫ってくれました。今はもう派手になってしまい、着られなくなってしまったものが多いのですが、なぜか処分できません。
母が父と結婚する時につけてきた、櫛と簪の髪飾りは私の大事な宝物です。
結婚式にこの髪飾りをつけた私の花嫁姿を、見てもらえなかったのが残念です・・・
戦前は外国にも住んだ事がある母。何人ものメイドさんもいたとか。
でも戦後は、多くの日本人がそうであったように、苦労も多かったと思います。
でも、私は生活が大変だったという記憶がありません。多分、子ども達には、人並みの暮らしをと願って、父や母が頑張ってくれたのでしょう。
いろいろなこと思い出しますが、母の人生は幸せだったのでしょうか・・・
きっとそうであったと信じています。
もう私は、母の生きた年齢を超えました。
35年前のことです。
毎朝一番に起きて、朝食の準備が終わると、父や私達兄妹に「時間よ」と声をかけてくれるのが母の日課でした。
その朝は、父がいつもの時間に一人で目がさめたとか。「おかしいな。どうして起こしにこないのかな?」と思いながら、ふと、よなりのフトンを見ると母は眠ったままでしたが、何か様子が変だと感じたようです。
前の晩、「おやすみなさい」と言ったのが最後の言葉でした。
こんな信じられないうような別れってあるのです・・・
色白で、美智子皇后様(恐れ多いのですが)に良く似た顔立ちの母でした。
和裁が得意で、私のために何枚もの着物を縫ってくれました。今はもう派手になってしまい、着られなくなってしまったものが多いのですが、なぜか処分できません。
母が父と結婚する時につけてきた、櫛と簪の髪飾りは私の大事な宝物です。
結婚式にこの髪飾りをつけた私の花嫁姿を、見てもらえなかったのが残念です・・・
戦前は外国にも住んだ事がある母。何人ものメイドさんもいたとか。
でも戦後は、多くの日本人がそうであったように、苦労も多かったと思います。
でも、私は生活が大変だったという記憶がありません。多分、子ども達には、人並みの暮らしをと願って、父や母が頑張ってくれたのでしょう。
いろいろなこと思い出しますが、母の人生は幸せだったのでしょうか・・・
きっとそうであったと信じています。
もう私は、母の生きた年齢を超えました。