名古屋美術館での「モネ展・・・睡蓮の世界」へ。
世界各国の美術館にあるたくさんの「睡蓮」がここに集まり、すごい迫力で私を包んでくれました。
私は、その中でも特に、モネが睡蓮を書き始めた初期の頃の絵が大好きです。青、紫、ピンク、緑の濃淡が織り成す世界は、幻想的な世界を感じさせます。
言葉として表現しにくいのですが・・・「ポア~ン」とした霧の中にいるのに、水面から反射する光をしっかり感じる・・・そんな気がします。
モネは、パリ北西の小さな村で後半生をすごし、自宅に隣接して「睡蓮の池」を作りました。この池のほとりで、30年もの間に、250点もの「睡蓮」を画いたということです。
最初は、忠実に自然の一つを映し出しているのですが、だんだん、その筆使いは大胆になり、奔放になってきます。
後には、抽象絵画かと思うような表現作品が多くなっています。
しかし、これらは彼にとっては完成品とは言い難いのでは・・・と私は思っています。
彼にとっての「睡蓮」の完成品は「パリ・オランジュリー美術館の「睡蓮の間」と呼ばれている「壁画」なのではないでしょうか。
この壁画を書くために、何百点もの「睡蓮」が画かれたのであろうと想像しています。
モネが晩年の全精力を注ぎこんだという、「睡蓮の池のめくるめくような世界」は歴史的な遺業とも評されているとか。
モネの池には、「日本の橋」と名づけられた「たいこ橋」が作られ、この橋もいくつか作品として画かれています。
彼は、「北斎・歌麿」を尊敬していたため、このような橋をつくったとか。
名古屋市美術館は、常設展示は地下なのですが、そのロビーに下りてビックリ!
「ハンマリングマン」という大きな彫刻が展示されていました。
「あっ、これシアトル美術館の前にあったのと同じだ」と思い出しました。
作者は、ボロフスキーというアメリカの彫刻家です。「ハンマーを振り上げ、打ち下ろす」とい動作を繰り返す度、手が「動く」のです。
この他、建物の周辺に自然と調和しながら、置かれているいくつかの立体作品があります。
様々の表情を見せる、彫刻達からのメッセージも聞こえるような気がした日でした。
花の旅は「睡蓮」から始まりました。
世界各国の美術館にあるたくさんの「睡蓮」がここに集まり、すごい迫力で私を包んでくれました。
私は、その中でも特に、モネが睡蓮を書き始めた初期の頃の絵が大好きです。青、紫、ピンク、緑の濃淡が織り成す世界は、幻想的な世界を感じさせます。
言葉として表現しにくいのですが・・・「ポア~ン」とした霧の中にいるのに、水面から反射する光をしっかり感じる・・・そんな気がします。
モネは、パリ北西の小さな村で後半生をすごし、自宅に隣接して「睡蓮の池」を作りました。この池のほとりで、30年もの間に、250点もの「睡蓮」を画いたということです。
最初は、忠実に自然の一つを映し出しているのですが、だんだん、その筆使いは大胆になり、奔放になってきます。
後には、抽象絵画かと思うような表現作品が多くなっています。
しかし、これらは彼にとっては完成品とは言い難いのでは・・・と私は思っています。
彼にとっての「睡蓮」の完成品は「パリ・オランジュリー美術館の「睡蓮の間」と呼ばれている「壁画」なのではないでしょうか。
この壁画を書くために、何百点もの「睡蓮」が画かれたのであろうと想像しています。
モネが晩年の全精力を注ぎこんだという、「睡蓮の池のめくるめくような世界」は歴史的な遺業とも評されているとか。
モネの池には、「日本の橋」と名づけられた「たいこ橋」が作られ、この橋もいくつか作品として画かれています。
彼は、「北斎・歌麿」を尊敬していたため、このような橋をつくったとか。
名古屋市美術館は、常設展示は地下なのですが、そのロビーに下りてビックリ!
「ハンマリングマン」という大きな彫刻が展示されていました。
「あっ、これシアトル美術館の前にあったのと同じだ」と思い出しました。
作者は、ボロフスキーというアメリカの彫刻家です。「ハンマーを振り上げ、打ち下ろす」とい動作を繰り返す度、手が「動く」のです。
この他、建物の周辺に自然と調和しながら、置かれているいくつかの立体作品があります。
様々の表情を見せる、彫刻達からのメッセージも聞こえるような気がした日でした。
花の旅は「睡蓮」から始まりました。