新緑の木曽路・・・「妻籠宿」を歩く。
以前、馬篭宿を訪ねたことがありますが、今回はゴールデンウィーク後半の初日ということから、そこよりこじんまりしている妻籠宿の方が観光客も少ないだろうと思い、行って来ました。正解でした。
名古屋駅からJRの「ワイドビューしなの」で、最寄の南木曽駅までは1時間で着きました。
妻籠宿まではバス出ているようですが、本数は少ないです。一日に何本かという程度。タクシーも数がなく相乗りしないと待ち時間が大変でしょう。ほとんどの方達が車や観光バスで訪れるようです。
「重要伝統的建造物保存地区」の町並みまでは、歩いて1時間半くらいと聞いていましたので、私は最初から、新緑の中を歩くつもりでスニーカーを履いて行きました。
「木曽路はすべて山の中である」と言われるように、ヒノキの森の中を歩いて行きました。
濃い緑、新緑の黄緑の中に、山藤の薄紫、桐の白い花が時折目にやさしく映ります。
道々の家の庭には、石楠花、ぼたんが見事に咲き誇り、思わず足を止め見入っていましたら、そこの家の方が出て来られ「どちらからですか。ようお越しなされましたな」と声をかけて下さいました。
「ボタンのすばらしさに見とれていました。この辺は緑もきれいですし、静かですし、良い所ですね」と話しかけましたら「いえいえ、自給自足の生活で結構大変なんですよ」という答えが・・・
そうですね。住んでいる方達にとっては、全てが良いという事ばかりではないのでしょう。外から見える部分だけで、気軽に考えるのはよくないのですね。
妻籠の人達は町並みを守るために家や土地を「売らない・貨さない・壊さない」という3原則をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているとのことです。
歴史の面影を残す妻籠宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる宿場で、中山道と伊那道が交叉する交通の要所として古くから賑わいをみせていました。
時代が変り、明治になり鉄道や道路が新たに作られ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。
やがて昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて保存運動が起こったのです。(観光協会のパンフレットより)
今、昔からの建物を利用しての「旅館・旅篭」として、「土産物屋」として、あるいは「味わい処」として、生活を営んでいる人達の大変さもさぞかしだろうと思いました。
一口に「妻籠宿」といっても、その建物は様々です。庶民の旅篭であった木賃宿、住居を代表する長屋、大名が利用した本陣、村の纏め役の庄屋、村には欠かせない寺、守り神だった地蔵・・・の他にも見所としては、
「枡形の跡(ますかたのあと)」・・・宿場は幕府により防塞施設としてもつくられており、敵の侵入をはばむために道を直角に折り曲げて、いわゆる「枡形」を設けていたのです。
「高札場(こうさつば)」・・・今日でいう「官報掲示板」で江戸時代の姿が復元されています。幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものです。お上の威光そのままに、人々を見下ろすように高札が掲げられています。
「木曽ヒノキの店」・・・ここは個人的に気になる店です。昔の家具が並べられているのですが、「階段箪笥」や「長火鉢」は、いつかぜひ欲しいと思っていたものですから・・・
いくつかの家々の壁に飾られた「花入れ」にも庭で咲いたであろう花々が、なにげなく生けられてあり、この宿場に住む人達の心遣いを感じました。
以前、馬篭宿を訪ねたことがありますが、今回はゴールデンウィーク後半の初日ということから、そこよりこじんまりしている妻籠宿の方が観光客も少ないだろうと思い、行って来ました。正解でした。
名古屋駅からJRの「ワイドビューしなの」で、最寄の南木曽駅までは1時間で着きました。
妻籠宿まではバス出ているようですが、本数は少ないです。一日に何本かという程度。タクシーも数がなく相乗りしないと待ち時間が大変でしょう。ほとんどの方達が車や観光バスで訪れるようです。
「重要伝統的建造物保存地区」の町並みまでは、歩いて1時間半くらいと聞いていましたので、私は最初から、新緑の中を歩くつもりでスニーカーを履いて行きました。
「木曽路はすべて山の中である」と言われるように、ヒノキの森の中を歩いて行きました。
濃い緑、新緑の黄緑の中に、山藤の薄紫、桐の白い花が時折目にやさしく映ります。
道々の家の庭には、石楠花、ぼたんが見事に咲き誇り、思わず足を止め見入っていましたら、そこの家の方が出て来られ「どちらからですか。ようお越しなされましたな」と声をかけて下さいました。
「ボタンのすばらしさに見とれていました。この辺は緑もきれいですし、静かですし、良い所ですね」と話しかけましたら「いえいえ、自給自足の生活で結構大変なんですよ」という答えが・・・
そうですね。住んでいる方達にとっては、全てが良いという事ばかりではないのでしょう。外から見える部分だけで、気軽に考えるのはよくないのですね。
妻籠の人達は町並みを守るために家や土地を「売らない・貨さない・壊さない」という3原則をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているとのことです。
歴史の面影を残す妻籠宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる宿場で、中山道と伊那道が交叉する交通の要所として古くから賑わいをみせていました。
時代が変り、明治になり鉄道や道路が新たに作られ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。
やがて昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて保存運動が起こったのです。(観光協会のパンフレットより)
今、昔からの建物を利用しての「旅館・旅篭」として、「土産物屋」として、あるいは「味わい処」として、生活を営んでいる人達の大変さもさぞかしだろうと思いました。
一口に「妻籠宿」といっても、その建物は様々です。庶民の旅篭であった木賃宿、住居を代表する長屋、大名が利用した本陣、村の纏め役の庄屋、村には欠かせない寺、守り神だった地蔵・・・の他にも見所としては、
「枡形の跡(ますかたのあと)」・・・宿場は幕府により防塞施設としてもつくられており、敵の侵入をはばむために道を直角に折り曲げて、いわゆる「枡形」を設けていたのです。
「高札場(こうさつば)」・・・今日でいう「官報掲示板」で江戸時代の姿が復元されています。幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものです。お上の威光そのままに、人々を見下ろすように高札が掲げられています。
「木曽ヒノキの店」・・・ここは個人的に気になる店です。昔の家具が並べられているのですが、「階段箪笥」や「長火鉢」は、いつかぜひ欲しいと思っていたものですから・・・
いくつかの家々の壁に飾られた「花入れ」にも庭で咲いたであろう花々が、なにげなく生けられてあり、この宿場に住む人達の心遣いを感じました。