音楽の喜び フルートとともに

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ドップラー兄弟

2008-09-10 00:58:39 | 名曲

1800年代に活躍したカール・ドップラー、フランツ・ドップラーは兄弟の作曲家ですが、フルートの世界では有名ですが、音楽史的には、忘れられた作曲家です。

日本では、なぜか、ハンガリー田園幻想曲が好まれて、良く演奏されています。この曲の出だしは、暗めのフルートソロですが、日本のこぶしをまわした、馬追い歌とか、かりぼし切り歌などとなぜか似通っています。そういうところも日本人の琴線に触れるのかもしれません。

彼らは、二人でフルートデュオの演奏家としてヨーロッパを回り、たくさんのフルート二重奏曲を作っています。

生前にフランツはすでに成功した音楽家で、ウィーン音楽院の教授を務めたり、ブタペスト歌劇場の主席フルート奏者でした。オペラ作品は当時の時流に乗り、かなり流行ったようです。
この時代は、オペラを書くとかなり儲かったようです。ハンガリーの国民的作曲家と見られていたようです。
ところが、オペラの方は、今ではほとんど演奏されません。私も聴いたことがありません。

私が彼らを興味深く思うのところは、彼らが二人で活躍したこと。音楽家は大概一人で、誰にも認められず、孤独のうちに亡くなる。といったイメージがありますが、彼らは、時代に乗り、人々のニーズに応え、成功しました。家庭的にはフランツの息子が若くして亡くなるなど、不幸もありましたが、社会的には成功しました。リゴレット幻想曲、アンダンテとロンドなどを演奏してみると、特徴的なのは、1stも、2ndも、変わりなく、技巧を要求されるだけでなく、通常1stが旋律を吹き、2ndはオブリガートか伴奏に徹すると言うような曲が多いのですが、ドップラーのこれらの曲は、旋律もどちらにも、それぞれに見せ場があり、ピアノの山場もあります。1stも2ndもピアノも生き生きとしていて、本当におもしろいです。

彼らの音楽が、共同作業の楽しさを表現していることと、オペラや、オーケストラなど、多くの人との共同作業がうまかったこと、民衆の意識を汲み取った曲を書いたこととは、無関係ではないと思います。
誰にでも見せ場がある、わくわくする曲は誰でも演奏したがったにちがいないです。
それから、オペラのようなプロジェクトを組んでも、きっとそれぞれの能力を生かしたに違いないと思います。

体制は、封建主義から、民主主義になりましたが、抑えられていたものがあふれ出し、個人の欲望をすべてかなえてもいいというような誤った個人主義が民主主義と混同されているような気がします。私たちがもっと、成長し、その理念をもっと生活の中に実現できるような時代。自分を大切にする。そして、自分に保障する権利をあらゆる人に認め、社会が本当に共同体になるというような時代を迎える時、ドップラーはもっと見直されるのではないかと、私は思っています。


依存と愛

2008-09-08 23:29:22 | Weblog

夏の間に我が家のアイビーは、庭に繁殖。何年もたつのに、東に伸びたのは初めてです。隣家に行かないように、西側を一掃した途端、東の庭側に進出しだしました。アイビーも生命の危機を感じて活路を見出したようです。

脳が活性化するのも、危機を感じた時だそうです。安心の時は、サボってしまうらしいです。
「愛は地獄への石畳」と、言ったのはロロ・メイだったかな。
両親のもとを離れて、もう長いですが、今でも時々、親の手を求めている自分に気づいてドキッとすることがあります。
たとえば、曲を演奏している途中に、真っ白になってしまったとき、思わず、会場や、空にある何かを求めて視線を動かしてしまいます。そこに何もないとわかっているのに、そして自分の中に探す以外、救いは絶対無いのに。何を探しているんでしょう?
私が子どもだった時に、気づかないようにやさしく、そっと手を貸してくれた誰かが存在したに違いないのです。

人は誰でも、誰かの愛によって生かされている部分があります。どんなに屈強の、孤独を怖れない人でも、人の作った衣服を着、人の作った食物を食べ、人が作った家や道具を使い、人が運んだものによって生きています。この愛に感謝することと、自分で決めること、自分ができることまで、誰かに依存してしまうことを、きちんと分けて、線を引けている人はまれだと思います。音楽を通して、こういうことに気づいていくことも、人としての成長といい演奏をすることに必要だと思います。

フルートは、ピアノや他の楽器と演奏する場合が多いですが、もたれあった、依存の演奏ができるのか、相手との競争、戦いの演奏ができるのか、仲間として力をあわせた演奏ができているのか。自分たちの音、演奏を聴いてみれば、すぐにわかります。空洞だとすぐばれます。

しっかりと自分の演奏をすること、そして、相手の音を聴くこと。五感を研ぎ澄ませ、自分たちの考えを言い合い、心を通わせる場を相手と作り上げる。そんなことも音楽の一部だと私は思っています。


ニイル

2008-09-08 00:56:47 | 哲学

ニイル(1883-1973)はスコットランドの教育者でフリースクールの創始者です。彼の本「問題の子ども」(黎明書房ニイル選集1)の序に、こんな文章があります。

「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は自分自身と戦っている。その結果、まわりの世界と戦うのだ。「むずかしい大人」も同じ船に乗っている。幸福な男で、他の人たちのつどいの邪魔をする者は無い。戦争を鼓舞する者もいない。黒人にリンチを加えたりもしない。しあわせな女は、夫や子どもに文句を言い続けたりはしない。幸福な経営者は使用人をおどしたりしない。しあわせな人は人殺しをしたり盗みをはたらいたりしない。
 すべての犯罪、すべての憎しみ、すべての戦争は、その原因をさぐれば不幸にたどりつく。」

不幸というのは、私は暴力と思うのですが、どうでしょう?
たとえば、障害がある子どもは、それだけでは不幸になりません。比較され、コントロールされ、健常と同じ型にはまることを常に要求され、ありのままでいることを否定されるという暴力を受ける時、不幸は生まれると思います。

生まれたばかりの子どもは、生命と反するような要求はすべて、泣いていやがります。暑すぎる、寒過ぎる、お腹がすくこと、おしめが汚いこと、放置されること。生きるために必要なことはすべて赤ちゃんは知っています。満たされないと大声で泣いて知らせ、満たされると満足してご機嫌。幸福の中にいます。

ですが、大人になるに従って、わからなくなってきます。
自分の命につながるような幸福を、気持ち悪いと思ったり、命を削るようなことを気持ちいいと思ったり。
たとえば、たばこ。睡眠時間。依存症。ダイエット。ヒール、真夏の背広にネクタイもろもろ。

フルートを吹く時の姿勢。私は気づいたら前かがみになって、首を前に出してしまいます。
「まっすぐ。」と言われて、初めてまっすぐでないことに気づきますが、極端な曲がりは直せますが、まっすぐがわかるかというと、わからなくて、どちらかによってしまったり、S字形になっていたりします。
柱にかかとをつけて、背中、頭までしっかり柱につけて、まっすぐと思いますが、ガイドがないとわかりません。
一番呼吸しやすい形、音が出やすい、健康な形が、もう「しんどい…。」これは、一種の麻薬がおいしいと言うようのと同じで、フルートのためだけでなく、長期的に見て、健康に悪く、命を削るような形の方が、気持ちいいと思っている自分がいるということです。

それは何ゆえにというと、そのことが世の中を生きていく中で、何かメリットがあったに違いないのです。
型にはまった女らしさとか、自己防衛とか、それは言葉にされない社会の空気による暴力の度合いによってきまったのではないかと思います。

音楽と言うのは、そういう言葉にならない位の、命につながる何かを支えるために昔からあるのだと思います。幸福になるには、まず不幸がわからないと、移動できないです。それは地位や名誉、金とは関係の無い世界の話です。世界中の親が幸福で、子どもを幸福の中で育てれば、世界中の戦争や、誰かが独占することによる飢餓、差別は瞬時に消えると思いませんか?もちろん、白昼夢のようなものですが。


普通じゃない音楽教育

2008-09-07 00:55:43 | 音楽

私はフルートを学び始めた頃、高校大学と、フルートの先生にはつかず、やってきてしまったのですが。先輩運も悪く、入学当初いた3年の先輩が卒業すると、フルートパートは一本。大学のマンドリンオーケストラの時も、4年の先輩は半年ほど、すると、家の事情で大学を辞めてしまいました。

その頃吉田雅夫さんが、NHKでフルートを教える番組をやっていて、それを見たり、教則本を見たり。結局7年間くらい独学でした。
先生についたのは、社会人になってから。
いろんな意味で、目からうろこ。わかっているつもりでいたことの多くが間違っていることがわかったり、苦労して覚えた指使いが全く違っていたり。だいぶうまいはずだったのに、今まで吹けていたはずの、曲もふけなくなって、自信がなくなっていきました。

音を出せているがゆえの悲劇。

真っ白なら、こんなものかと思えることが、思えない。たとえば今まで自由に、使っていた右腕を封印して、左で書きなさいといわれるようなもの。遅い、不器用、穢い。右手でやればすばやく動けるのに!イライラしました。
しかも、就職後で、時間も思い通りにならない。この頃、フルートをあきらめようかと思いました。

が、あきらめなかった。仕事をして社会を知れば知るほど、音楽の世界が美しく思えました。
継続は力なり。何とか今までやってきました。

音楽は、幼児教育が必要と言う人はたくさんいますが、あんまり信じません。
私の親戚は、何人か音楽で食べていますが、誰も幼児教育を受けていません。一人は大学にはいるまで、家にピアノが無かった。クラリネットを始めたのは高校に入ってから。今、大学の音楽課で教えています。

子どもは、時間を大人にコントロールされている場合が多いです。宿題の時間。練習の時間。学校の時間。遊びの他は学ぶ時間。学ぶことは、そんなに多くはありません。日常のこまごましたことの処理をしなくても良く。全面的な親の支援により、音楽の時間を保証されています。

大人は、そういうわけには行きません。こういう趣味の時間は自分で自分に保障するしかありません。
しかも生活にどうしても必要というわけではないので、意識しないでいると、すぐに、練習を休んでしまいます。しかも集中は、仕事、電話、来客、子ども、いろんなことで途切れがち。
一度に処理している情報の量も子どもとは違います。

それでも、一日1時間、練習だけの時間を毎日とれば、先日、プロになるのに、10000時間と書きましたが、一日1時間やれば、27年。人生80年の時代。
大人になってからも、時間はあります。それも、27年のプロセスも日々自分を学び、成長させるという、興味深い知的、精神的喜びを得ながら、過ごせるのです。
成功して、いろんなものを買い込んだりして、楽しむ人もいますが、これに勝る贅沢な楽しみは無いと思います。あなたも、音楽をまなびませんか?


フルートと言う楽器

2008-09-06 00:59:19 | 楽器

我が愛器の写真。いつも、酷使してごめんなさい。感謝しています。あなたがいない人生など考えられません。

初めて手にした楽器は、高校の時アルバイトの稼ぎと、お小遣いをかき集めて
買いました。プリマの頭部管銀製。高校のクラブの日管製のフルートに比べて高音が楽にでるのにびっくりしました。うれしくてうれしくて、ずっと枕元において、それでも足りず、ケースにほおずりしながら寝ました。
それから、MURAMATSU、パウエルと買い換えましたが、楽器を買いかえるのはわくわくする体験です。

ヴァイオリンは使い込めばいい音がしますが、金属の楽器は、ヴァイオリンほどではないですが、共鳴して、分子配列が変るのか?やっぱり吹き込んでいくと響くようになります。
残念ながら、金属は消耗するので、100年もいい音がするヴァイオリンとは違って買い換えなければなりませんが。

モイーズさんはルイ・ロットを吹いていましたが、音程を正確に吹くために、鑢で削ったり、ちょこっと改造したり、私が吹奏楽を始めた頃も先輩は少しマウスピースを自分で削ったりしていました。そういうことは今ではあまり行う必要がないです。それだけ技術が進歩して、楽器としての完成度が高まったのだと思います。

私が87年ニースの音楽院をつかったサマースクールに参加している最中に、クリスチャン・ラルデ先生の下に大きな荷物が届きました。ラルデ先生はマスターコースを中断して、マクサンス・ラリュー先生を呼び、「すごい楽器がとどいたよ。見てご覧。」と荷物をあけて見せていました。それは、日本のメーカーYAMAHAのクーパーカットの楽器でした。マウスピースを少し台形にしたものでした。
二人で興奮して楽器を検分していたのを思い出します。
私は、YAMAHAの楽器の製作とは関係ないですが、日本人としてなんだか、鼻が高いようなこそばゆい気分になったものです。

それからもいろんな会社が自社製品の特徴を出そうと、しのぎを削っています。
それでも、フルートの音程や音質は幅があり、自分自身の耳と、肉体を使って作り上げていくものであることにかわりありません。
不安定で、不正確であるからこそ、生まれてくる。微妙な音の世界こそがフルートの魅力だと思います。シューベルトのFと、ドビュッシーのFが同じ音質、音程で演奏されることはないところがおもしろい。
音を作り上げる。それこそが、フルートと言う楽器の持つ音楽のよろこび、創造の喜びの一つであると私はおもいます。


無知の知

2008-09-05 02:15:24 | 哲学

今日もバタバタのまま日が過ぎてしまいました。忙しさの中どうやって自分の練習時間を確保するのか?と言うのは私の課題です。

音楽をやっていると、おもしろいことに、自分の癖。学び方なんかがわかってきます。
たとえば、学び始めた頃に良く起きたことですが、頭部管を内側に入れすぎるとこもったような音がします。

そこで、先生に「実験してみようよ。今、吹いているところをB点として、それより外側をA点、それより内側をC点にして、どちらに向けたらどのような音がするのか、試してみましょう。試してみるのだから、違いがわかるようにA点、C点を極端にしてね。」

さて、吹いてみると、なかなか吹きだせない。「実験ですから、とにかくやってみてください。」と何度も促されますが、やっぱり、はじめない。やり取りをしているうちに、私は、先生が正解を出させたいと思っているんだと疑っているということがわかってきます。
「正解は出さなくていいんですよ。」といわれて初めて、安心して吹き出すことができました。

また、ある時は、Aを吹いても、Cを吹いても同じようにかすれた音が出ます。「それでは、AとCの幅を狭くしてやってみて。」といわれて吹いても、同じようにかすれます。自分がやってきたBの時のみ音を出します。
「同じ唇の柔らかさ、同じ角度、同じ息の量で吹いてる?」と聴かれてと、『ナンだそんなことわかっているや』と思いながら「やってます。」と答えます。
「じゃあ、同じ条件と言うところに気をつけて吹いてみて下さい。」といわれて、気をつけてやってみると音がでました。
終わってから、「同じ条件で吹いていなかったです。」と頭をかきました。

またある時は違います。A点で吹いても、B点で吹いても、C点で吹いても同じ音色、同じ音質がます。何度やっても、違いはわかりません。
「おかしいな?」と思って鏡をみると、管を手で外側に向けたときには唇とあごが追いかけて、内側に向けたときも同じように追いかけていきます。

どのやり方も一つのことに執着しているのだとわかってきました。それは、「自分が今までやってきたやり方が、一番いい。先生の言うことなんて価値が無い。」という思い込みです。

おかしいですよね。私はフルートがうまくなりたいと思って学びに来ているのに、先生の言うことを素直に聴きたくない。自分のやり方はまだまだだと頭では思っているのに、先生のやり方を実行しない。素直に学ぼうと思っているのに、体がついてこない。あらゆるやり方で、自分のやり方を通そうとします。
人ってそれだけ、なじんだやり方がいいみたいです。

でも、これって本当に学ぶ効率が悪いですよね。『あーあ、私って学ぶことを知らない、あほ?』と思って聴いてみると、結構みんな似たり寄ったりの失敗をしている。良かった、仲間がいて。
ソクラテスも言っている。
「自分が無知であると知る人が賢者である。」と。落ち込んでる暇があったら、レッスン、レッスン。


ハゼラン

2008-09-04 01:39:06 | Weblog

ハゼラン、コーラルフラワー、三時花。14年前ここに引っ越してまだ心細い時に、近所の人が小さな種をくれました。ほっておいても何年も咲いてくれています。というか、ほっておいてもいい花しか残りません。サボテン女という言葉を聴いた時、自分のことかと思いました。
くれた人はもう何年も前に引っ越してしまいましたが、いつも花を見るたびその人のやさしさと、もらった時のうれしさがよみがえります。

今日は朝から晩まで、予定びっしり。忙しかった。書こうとしても眠ってしまいます。
また、明日。

 


しゃぼん玉遊びの準備中

2008-09-03 00:23:16 | Weblog

子どもたちと大きなシャボン玉を作って遊びます。準備するものはPVAで作られた液体洗濯糊、花王ファミリーフレッシュコンパクト。ワイヤー、ガーゼの包帯、両面テープ、ゴーグル、バケツ、ペットボトル。全部で、3000円位。そして、使わなくなったフラフープ、子どもビニールプール。これで、50人以上の子どもたちが楽しめます。

洗剤:糊:水=1:7:10の割合で混ぜ、ペットボトルに入れ、泡が静まるまで一晩おきます。
ワイヤーで大きな団扇のようなものを作ります。両面テープをぐるりに貼って、その上からガーゼの包帯をぐるぐる巻きにして、しゃぼん玉作り機のできあがり。フラフープにもガーゼを巻いて、こちらは巨大しゃぼん玉を作ります。

プールにしゃぼん液をはって、フラフーフープを浸け、真中に小さな台を置いて、子どもにたってもらいます。
大人二人で両端を持って、そうっと、フラフープを引き上げると、子どもは巨大なシャボン玉の中に入れます。子どもたちは神妙な顔で、ゴーグルをつけて、じっと立っています。巨大しゃぼん玉を作るのは、特製液とはいえ、なかなか難しいので、できたときは拍手がでます。そのうちに、5,6年生は自分たちでフラフープを動かして、低学年の子どもたちを入れてあげます。大人はその頃にはくたびれて、そばで立ってみているだけです。

後はバケツに液を張っておいて、つくったしゃぼん玉機を置いておくと、子どもはどんどん、大きなしゃぼん玉を作って飛ばします。
この液で作ったシャボン玉はなかなか潰れないです。うまくいけば2重しゃぼん玉もつくれてしまいます。

しゃぼん玉が割れた後に、泡だけでなく、ちょっと糊がくもの巣のようにつくので、決して、気の張る服ではしないように。子どもたちは最後は土まで混じって、グッチャグチャのズルズルになるまで、遊んでいます。
もっと遊びたい子は、お片づけも一緒にして、コンクリートの床までアワアワが無くなるまで、水を流してくれます。バケツもぬるぬるしなくなるまで、結構何度も水で流します。この液はひつこいもので。

しゃぼん玉って音楽を感じます。
子どもと、液体と、風と、空気との対話。虹色のあわの中の空気。一瞬、一瞬変化していく形。外気に校舎の屋根まで吹き上げられるしゃぼん玉。
パツッとすぐに消える玉。指でわっかにしただけで、つつつつ~と。一度で、いくつも小さなシャボン玉を連なって作る子ども。凪のような風で、空間いっぱいを埋め尽くすしゃぼん玉。

楽しみです。今年もたくさん子どもたちが来るといいな。


帝国のオーケストラ

2008-09-02 01:34:17 | 哲学

昨夜NHKBSで、「帝国のオーケストラ」と言うドキュメンタリーを見ました。ナチス政権下のベルリンフィルを、当時のメンバーへのインタビュー、コンサート映像などから、浮き彫りにしたものです。

ナチスにより、1938年、ベルリンフィルの中のユダヤ人演奏家は追放されました。中にはコンサートマスターもいたそうです。
ヒトラーの誕生日、ナチスの記念式典、オリンピックさまざまな国威高揚の場に、ベルリンフィルの演奏と、ゲッペルスの演説がありました。

「それでも誰も立ち上がらなかった。誰一人職を手放さなかった。音楽家というものは、こと政治については子どものようなものです。当時ナチスが何を行っているのか知らなかった。」

「ベルリンフィルは当時最高のオーケストラでした。一流の指揮者には滅多に会えるものではありません。当時指揮者のフルトベングラーは一流で、他の指揮者はみんな二流でした。一流の指揮者のもとで、演奏できるチャンスを棒に振るわけにはいかなかった。」

「メンバーの中にはナチス党員が4人いて、その人の前ではうかつなことはいえなかった。」

「それまでは、自分たちがお金を出し合い、演奏を行っていましたが、国が出してくれるようになって、生活は安定しました。徴兵も免除された。」

「音楽堂のレリーフにベートーベンなど歴代の作曲家が飾られていましたが、ある日、メンデルスゾーンの像が削り取られていました。その時はぞっとしました。」

「ある日、ナチスに呼ばれていくと、たくさんのヴァイオリンが並べてあり、その中のどのヴァイオリンでもいいから、取りなさいといわれました。その時は想像もしませんでした。それがユダヤ人から取り上げたものであるとは、何人かの主だったメンバーが国からそうやって支給された楽器を弾いていました。」

「戦争の最後の方になって、傷ついた市民の前で演奏しました。その時、初めて、自分たちがどんなに恵まれていたかわかりました。中には傷病兵もいて、どんな空襲の後もやってきてみんな聞いてくれました。私は必死で演奏しなけらばならないと思いました。私は戦争に行かねばならないところを演奏している。」

見ていて、誰もが、ベルリンフィルのメンバーになる可能性があるとおもいました。会社で、嘱望した部署についたり、地域の名誉職、プライドあるグループのメンバー。そして、直接手を下すわけではない。

ユダヤ人を孤立させ、戦争を続けさせたのは、感じなくなった、見ようとしなくなった。大勢の良識ある市民だったのだと思いました。
一方で、地下で多くのドイツ市民がユダヤ人をかくまい、助けていました。死の危険を知りながら。

音楽は鉄人28号。私はその時、どう行動するのか?自分の責任で考え続けなければとおもいました。


時代

2008-09-01 01:15:14 | 名曲

植えた覚えのない朝顔が、いつの間にかガレージに蔓を伸ばし、夏の終わりになって咲きました。夏の名残りの花。明日から新学期。また、季節が変ります。

オネゲルの「牝山羊の踊り」は、ドビュッシーの「シリンクス」(1912年)を聴いて1932年頃作曲されたそうです。ソロ楽器でも色彩感が豊かに表現されたというところに感動して自分でも書いてみた。ということです。
ドビュッシーは、フルートの持つ色彩感に早くに気づいた作曲家です。ベーム式のフルートはそれ以前のフルートとは別の楽器のようです。木質の持つ素朴で暖かな音と、金属の持つ華やかできらびやかな音の狭間をいつもゆれているような気がします。

オネゲルはフランス6人組に数えられているのは、こういう曲を書いていたこともあると思います。少し横を向いていたのはワグナーを愛していたこと。

イベールも1936年にフルートの無伴奏ソロ曲 「小品」を書いています。彼はオネゲルと2歳しか変らなくて、その頃、オネゲルと舞台作品を共作していました。

3人のフルート独奏作品を並べてみると、転調、色彩感の共通点と同時に違いも感じます。
ドビュッシーのシリンクスは牧神と言う意味で、上半身は人間、足は山羊。森の妖精のような存在ですが、オネゲルが牝山羊を持ってきたのは、ドビュッシーへの尊敬の現われのような気がします。
イベールはもっと、クールに距離をとっています。題名は「小品」、作品も、もっと乾いた太陽のような感じがします。
ベームによって新しい音色を得たフルートの可能性に多くの作曲家が挑戦した時代でした。
おかげで、美しい曲がたくさん生まれ、私たちが今でも楽しむことができます。