毎度おなじみ押井守。進歩しているのは映像技術だけ。似たようなシーンをわざと2度も3度も繰り返すところがあるけど、全体としても堂々巡りで終始している観。認識の依って立つ根拠を問うているわけだけど、こういうのって、むかし吉田喜重がATGでやってたこと。いったん疑ったら後は空っぽなだけで、いくら“情報”を詰め込んでも、それがどうかした?と作品自体が言ってしまっているのだから、退屈そのもの。わざと、あるいは退屈にしているのか知らないが、だからといって、あんまりこっちにはカンケイないねえ。
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